9 〈Day.9〉残る疑問
時刻は夜九時。外は晴れており、D駅周辺はまだまだにぎやかさに包まれている。行き交う人々の中で首をキョロキョロと動かしながら歩いていたその二人組は少々目立っていた。一人は平均的な身長で、黒の上着に白いTシャツ、カーキのズボンという簡素な服装をしている。もう一人は高めの身長で水色のポロシャツにクリーム色のズボンというさわやかな出で立ちをしている。こちらは服だけでなく顔もそれなりに目を引きそうなさわやかな顔立ちだ。佐藤 成生と上屋 真久である。
その日は調査の初日で、成生と上屋は倉木と白瀬が部活を終えてから二人を送り届け、D駅の南口に来たのだ。
二人がせわしく首を動かしていたのは伊勢島を探していたからである。
「流石にこの辺りはまだ人通りが多いね」
「ま、そりゃあな。今、仕事とかサークルが終わって、これからコンパ行くぜ、って奴らが移動していく時間帯ではあるからな。あーあ。いいなぁ。一年前の今頃、オレもコンパとか行ってたなぁ。今となっては結構アブナいバイトとか……」
ナルキが一瞬遠い目をする。
「へぇ。サークルはどこ入っていたの?」
「ん? 演劇部だけど」
「え、なんか意外。剣道部かと思った。あ、でも、もしそうならすでにナナセと知り合いか」
「そゆこと。剣道は高校まで。ま、でも、途中からつまらなくて幽霊化してたけど。シンクは何か入ってたの?」
会話をしつつ、二人の首は伊勢島を見つけるために絶えず動き続けている。
「んー……僕、このバイト、というより仕事? と勉強で忙しかったからサークルには入れなかった感じかな」
「さーすが。医学部生は言うことが違うな。『勉強で忙しい』なんてセリフ、我らが経済学部では聞いたこともないぜ」
「……買い被られても困るけど……。でも入ってみたいサークルならあったな」
「へぇ……どこ?」
「バスケ。中学までやってた」
「あ、そーなんだ。てっきりそっちも剣道かと—―あ、ユウヤ発見」
「む、別に僕、ナナセにずっとべったりとかじゃ無いよ
――どこどこ?」
「ホラ、あっち。エスカレーターの前。おーい、ユウヤー」
駅に入っていくエスカレーターの前で、壁にもたれている、金髪、長身でジーンズにえんじ色のシャツといういで立ちの青年が一人。スマホをいじっていて、肩にはギターケースを背負っている。彼は成生に名前を呼ばれて二人を一瞥すると、スマホをポケットに入れてつかつかと歩み寄ってきた。
「来たか。二人とも」
「すまん。遅くなった。……つーか、何故にギターケース?」
成生が首を傾げた。
「ああ、これ? ほら、これならあまり怪しまれずに、縦長のものを収納できるからな」
「なるほど」
ということはその中に彼の弓が折り畳まれて入っているということである。
「それに、なんかそれっぽくてイイだろ? 俺バンドやってます、みたいな。ファッション性と機能性を両立した素晴らしい入れ物だ」
「確かに。よく考えたね」
親指で自分を指して自慢げに語る伊勢島に上屋は素直に感心して見せるが、成生は斜めに構えた様子を見せる。
「そーだな。今からその格好で路地裏だの、廃ビルの辺りだのと人気の少ないところに入り込んでいくんだから、なんか胡散臭げな集まりに参加する胡散臭いヤツみたいでいいぞ」
「敢えて否定はしない。関わってる仕事も仕事だし」
しかし、成生は伊勢島の様子を見て毎回思うことがある。伊勢島は『組織』のこともあって基本的に人との関わりを避けている。大学内でも彼との関わりを持つのは成生や上屋を含めてごく少数である。早い話が友達が少ない。だが、彼は結構モテるのだ。成生が小耳に挟む中でも、『伊勢島クンって結構イイよね』みたいなセリフはよく聞いたりするし、彼女だっていつの間にか出来てたりする。長続きはしないのだが。
――なんだ、黒髪は需要が無いのか? オレも髪染めようかな。パーマ当てようかな。
そんなことを考えつつ自分の、前髪をいじってみたりする。ちなみに成生の髪は黒髪で一応、ワックスでセットしてはいるのだが、これと言って華やかな特徴は無い。
「さて、早いとこ現場に行こう。説明は歩きながらする」
成生の少々的外れな思考を余所に伊勢島はさっさと歩き出した。
伊勢島が先導して三人が来たところはD駅から二〇分ほど歩いたところだった。駅から随分離れ、電気のついた建物もまばらになり、手入れの行き届いていないすすけた建築物を目にする頻度が多くなってきた。所々に点在するこぎれいな自動販売機の煌々とした光がむしろ不気味なものとして映る。
「流石にここまで来ると人通りは少なくなってきたね」
「ま、シャドウが活動するのはこういう場所だからな」
シャドウの活動範囲は基本的に人口がある程度密集した地域の外縁部になる。逆に言えば周辺に人が集まっている地域のない場所だとシャドウは全く発生しない。人が密集する場所ではシャドウは発生しないが、人が全くいなくても発生しないのだ。
「じゃあ、ここいらで止まってくれ。ナルキ、懐中電灯を出して。どうせ持ってきてんだろ? そのリュックの中に」
伊勢島が立ち止まった。二人もそれに倣う。
成生は自らの背負っていたリュックを地面に下して中身を引っ掻き回し始めた。
「その言い方……なんかオレのリュックを、未来から来た猫型ロボットの腹に付いてるビックリポケットか何かみたく考えてないか? ま、入ってるけどね。用意してたけどね。懐中電灯」
「お前のリュックは唐辛子で作った催涙スプレーだの、結束バンドだの、スタンガンだのと色々ワケ分からんモンが入ってたろうが。いいから持ってきてコレを照らしてくれ」
「あ、懐中電灯なら僕が……」
成生よりも早く取り出せると判断した上屋が、肩にかけていた小さな物入れから懐中電灯を取り出して伊勢島に差し出した。
「お、サンキュ。流石、上屋。ちょっとこれを照らしてくれ」
「それは?」
「この周辺の地図」
伊勢島が取り出した紙を、近くの建物の壁に手で押さえ、それを上屋が懐中電灯で照らした。
「さっきも言った通り、これはこの辺りの地図だ。薫子さんからもらった資料からこの付近が特にシャドウの目撃件数が多いことが分かってる。よってここが暫く俺等が調べる場所になる」
示された地図には三か所、赤でマーキングされているエリアがあった。上屋がそこを指差す。
「ここは?」
「そこは今日、集中的に調査をするエリアだ」
「何を探すの?」
「そうだな。今から説明する。そもそもこの調査は、この件が、今から約一ヶ月半前にナルキが関わった事件の延長線上であるという仮定のもとで行う。ナルキの当時の証言が正しいとするなら、このシャドウの不自然な発生量の増加は、ある装置が原因になってる、と考えられている」
「ふむ。それじゃ、それを見つけろ、と?」
「そういうことになる。装置の形状は……ナルキ、説明できる?」
「ああ、えっとな、アレ。なんつーのかな。小さなドラム状? みたいな。うーん。難しいな……あ、そうだ」
成生は再度自らのリュックを地べたに置き、中をまさぐり始めた。
「あ、あったあった。……そう。大体こんな感じ」
リュックから出てきたその手には、部屋の床に設置して使用する殺虫剤が握られていた。新生活の始まりや季節の変わり目に、部屋の虫を駆除する時によく使われる物である。
「……いやもう完全にお前のリュック、四次元リュックじゃん。そんな馴染みの無いもんがホイホイと出てくるなんて驚きだわ」
「いや、これはアレだ。最近黒光りしてカサカサと蠢く謎の生命体がオレの部屋に来襲してな。そいつらを追っ払うための物で 」
「うん。まず、虫を駆除するもので対抗できると知れてる時点で結構、謎じゃねぇな。ソレ。……ってそんなこと言ってる場合じゃねえ」
「振って来たのはそっちだからな」
成生とのバカバカしい問答を打ち切って伊勢島は咳ばらいを一つ。
「……コホン。それはそれとして、これがその装置の大体の形ってことだな? 大きさは?」
「大きさもこんくらいだ」
「というわけで、俺たちはこれから暫く、少なくとも一週間はこの装置をを探すことになる」
上屋が納得したというように頷いた。
「分かった。あ、あと、さっきのマークされてたエリアの根拠は?」
「ああ、アレな。アレは、お前やナルキに見せた、あの何枚もの地図を重ね合わせた時に、さっきのその装置がありそうな場所の候補が一二か所浮かび上がってきた。今日はその内三か所を調べるってわけだ。明日は別の所を調べるぞ」
言いながら伊勢島は背負っていたギターケースを地面に置き、中から組み立て式の弓を取り出して、組み立て始めた。
「なるほど」
「じゃあ、そろそろ行くか。第一日目の今日は安全性を重視して三人で固まって行動しよう」
「了解」
「りょーかい」
一つ目の場所に着くと、早速、伊勢島は二人に指示を出し始めた。
「上屋は向こうの辺りの建物の間の通路を全部。あ、でも、あんまりここから離れるなよ。あまり離れ過ぎない程度の範囲を全部だ。ナルキはそこの粗大ゴミの不法投棄してある場所。俺はこっち側探すよ」
成生は伊勢島に言われた通りの場所に向かう。
「多いな……」
思わずといった感じでその顔がしかめられる。
そこには建物同士の間に、テレビや冷蔵庫など家電からタンスなどの家具まで、まるでそこに隠すように大量に放置されていた。その中には、長い間雨風に晒されボディの傷んでいる物もあれば、最近捨てられたと思わしき物もある。
――結構、ここに捨てに来る人が多いってことか……。
重量のあるそれらをどけながら探し物をすると思うとやる気が大きく削がれる思いだったが、仕方ないと割り切って彼はゴミの山に手を付け始めた。
建物の壁に沿って二メートルほどの高さにまで積まれた粗大ゴミの列の上に上って、そこから順番に見ていく。
「フン、んんんん――」
物が重いので、動かすゴミを最低限にしつつ、隙間などを懐中電灯で照らしながら丁寧に調べていく。時々、ゴミをどけられ、その影を住処にしていたり、光に照らされた虫がカサカサと音を立てて移動するのを目にするがそれ以外、特に目立った様子は見られない。さらに奥の方を見ていくが、同様に何か不自然なものは認められない。一五分ほどゴミをどけては懐中電灯で照らして、どけては照らしてを繰り返した後、成生はスマホを取り出して電話を掛けた。
三コールほどで伊勢島が出てくる。
「もしもし」
「もしもし。ユウヤ? こっちは一通り見てみたけどそれらしい物は見つからなかった」
「ホントか? お前、おっちょこちょいしてない?」
「心外だな。かなり丁寧に見たよ。でも見つからなかった」
「分かった。分かった。じゃあ、上屋の方に合流して手伝ってやって」
「オッケー」
通話を終え、スマホをズボンのポケットに戻し、狭い路地から出た
――その時。
横から人が走ってくる音が成生の耳に届く。
「――!? シンク? どうした?」
上屋の顔は逼迫した表情をしていた。
「ナルキ、今ここ、危ない。一旦離れよう」
そう言って、また走り出す。成生もおっかなびっくり、それについていく。
「どうしたんだよ、シンク」
「なんかわかんない。僕の持ち場で突然シャドウがたくさん湧いてきた。数体程度なら相手しても良かったけど数が多過ぎて……」
成生が後ろを振り返ると、少し離れた方の建物同士の間の路地から黒い影が所狭しと這い出て来るところだった。
「うっそー……」
しかし、直後に成生はとあることを思い出す。
「あ、でもシンク、しばらくヤツらは追ってこなくなるから、ある程度離れたら、動向を見守ろう」
「……ホント?」
「マジ、マジ。もしそうでなくても、離れていれば追い付かれる前に逃げられる」
「分かった。じゃあ、あの街灯までは」
シンクが指差した先には、壊れかけて光が付いたり消えたりを繰り返している街灯。
そこに走り込んで一呼吸着くと、成生はリュックを下して中をまさぐり始めた。
「ナルキ? どうしたの?」
「ん。ちょっとな」
そう言って小さな双眼鏡を取り出して件のシャドウの方に向けて覗く。シャドウの集団までは直線の100メートル走用のコース二つ分ほど離れている。
「……ナルキ、本当に色々入ってるね。それ」
上屋も双眼鏡は持っていなかったが、同じ方向を向いて目を凝らす。
「まぁな。何かと便利だし」
「それにしても、確かに追ってこないな。アレは……なんかシャドウ同士で小競り合いしてる感じかな?」
しかし、成生はそれに答えず、ズボンのポケットからスマホを取り出して電話を掛け始めた。
「あ、もしもし? ユウヤ? 今、なんか、シンクの方でシャドウの大量発生が起こったっぽいんだけど。……ああ、そうそう。んで、今、動向を観察しているところ。とにかく直ぐこっち来てくれ。……じゃ、あとで」
スマホをポケットに戻して、観察に戻る。
「そうそう。アレは、小競り合いっていうのかな。でも間違ってない。目いいんだなシンク。もっと正確に言うと――アイツら、共食いしてるんだ」
「へ……?」
成生が双眼鏡を差し出してくる。そのまま受け取って覗くと
「……」
丁度、小さな個体が複数の一回り大きな個体に囲まれたところだった。もう見えないが、その囲まれてしまった個体がどのような末路を辿るかは想像に難くない。同様のことが何か奥の方でも起きているようだった。さらにしばらくすると、今度は先程囲っていた個体が組み合いを始めたり、もっとひどいものは背後から跳びかかっている個体もいる。
「……知らなかった……こんな……ナルキは知ってたの?」
「うん。まぁ、一か月半前に一回だけ。もっと間近で見たことがある。これはオレの勝手な憶測だけど、一定面積当たりに一定以上の個体数存在すると、こういうことを始めるんだと思う。多分」
「なるほど。確かに。言われてみれば」
通常はこれほどの数が一度に出てこない。また、先日のような大型にも取り巻きはいるが、このように固まって行動もしない。上屋は脳裏にそんなことを思い出す。
「でも、こんなこと早々ないし、知らなくて当然だろ。薫子さんに口止めされてたし。権限階級5の情報なんだと」
「一か月半前って……確か……丁度ナルキが入ってきた時期……だったよね」
「なんだ、知ってたの? あ、調べたのか」
「うん。まぁ。ナルキのデータはある程度まではアクセス出来たし、調べさせてもらったんだ。ゴメン。なんか勝手に」
「や。いいよ。気にしないで。倉木の件もあるし、そりゃ、依頼先のことを調べるくらいのことはするでしょ」
「そう言ってもらえると有り難いよ」
言葉と共に双眼鏡を返す。成生は受け取った双眼鏡をそのまま覗いた。相変わらずその向こうの黒い化け物は互いに揉み合っている。
そういえばと、上屋は、成生のことを調べた時に気になることがあったことを思い出す。
「あのさ、そういえば、調べてたら……――」
背後から唐突に何かが近づいてくる音。
「!!」
二人は反射的にその音がした方向に顔を向けた。
「そんなに驚かないで。俺だから」
「なんだ、オマエか。てっきりアイツらかと……」
「んで? 今どんな感じ?」
「ん。こんな感じ」
伊勢島は成生から手渡された双眼鏡を彼が指差した方向に向けて覗いた。
「……」
「オレが一か月半前に見たのと同じ光景だ。これがオレが見た装置によって起きてるかどうか分からないけど、でも同じ結果が出ているのは確かだ」
「なるほどね。報告書で読んだことには読んだけどこうして実際に見ると目を疑いたくなるな」
「……で、これからどうする?」
上屋の問いに伊勢島は腕を組んで少々考える素振りを見せる。
「……そうだな。今から俺がアイツらを一掃する。それからすぐにあの付近に装置がないか探そう。上屋、どこら辺からヤツらが湧いてき出したか覚えてる?」
「もちろん」
上屋の即答に満足げに頷くと伊勢島はポケットから黒いタバコの箱くらいの大きさの箱を取り出した。
「薫子さんから貰ってきた。五千円ものが七本。一万円ものが三本」
「矢じりか。また後で天引かれたりするわけ?」
「いや、今回は『組織』が持ってくれるってさ。……じゃあ、ナルキと上屋はアイツらに気づかれない程度に近づいてくれ。で、俺が矢を撃ってアイツらが吹き飛んだらダッシュであっちにいって探してくれ。えーと、確か、また数分後に湧いてくるんだよな」
「ああ。数分ってのは短いけど、でも十数分後には湧いてきてた。オレが体験したのと同じことが起きているなら、そうなる公算が大きい」
「分かった。アレが出てきてからどれくらいになる?」
「五分くらいかな」
「じゃあ、タイムリミットはギリギリまでやって大体一〇分ってとこだな。じゃ、二人ともすぐに位置について」
そう言って伊勢島は腰の後ろにつけていた矢筒から矢を取り出し、先ほどの矢じりを取り付けて弓につがえた。服の袖から延びる逞しい腕の血管のうちの一筋が淡く青白い光を放ち始める。
上屋はグローブを手にはめ、成生はリュックから木刀を二本取り出し、二人も二手に分かれてシャドウの集団との距離を少しだけ詰める。やがて上屋が伊勢島に手で合図を送ると
その刹那。
成生や上屋の耳に鋭い風切り音が届いたかと思うと件の路地が一瞬、真昼の如く明るくなる。
それを合図に二人が一斉に全力で走り出した。
伊勢島もすぐに二人についていく。
辿り着くとシャドウが二匹まだ残っていた。それを、上屋が一瞬で距離を詰め、一匹は首を鷲掴みにして握り潰し、もう一匹は回し蹴りで首から上を吹き飛ばす。
「奥の方を中心に探して。手前はもう見た」
上屋の指示で三人は路地の奥の行き止まりの方から、目に映る置かれていた物を片っ端からひっくり返していく。少々の荒々しいが、時間が無いのでそうも言ってられない。
「無いぞー」
元々その路地は置かれている物が少なかったので、すぐに探し終わり、成生は苦い顔を二人に向けた。
「こっちもだ」
「僕のとこも」
「マジ、どこだよ……」
伊勢島が舌打ちをする。ここで上屋が何かを閃いたような様子を見せる。
「……もしかして、横の建物かな」
「それだ! すぐ入るぞ。じゃ、まず、右の建物から。三人で入る」
言いつつ、伊勢島がポケットからまた、鑑から預かった五千円ものの矢じりを取り出して、それを付けた矢を弓につがえる。
「ユウヤ、何やって—―」
「バカ、建物の中に装置があるとしたら、その中にもシャドウがウジャウジャいるに決まってんだろ。さっきの一撃じゃ、中までには届かない」
「あ、そっか」
「じゃ、入んぞ」
建物の間の路地を抜けて伊勢島の指示通りに、右手の建物の出入り口の前に来る。成生はドラマで警察が立てこもり事件の現場に突入する時のシーンを思い出し、肩をドアの面に密着させて、いつでもドアを開けられる姿勢を取った。さらにその後ろに上屋が立ち、正面で伊勢島が弓を構える。伊勢島が成生に目で合図を送った。
成生は頷くとドアノブに手を掛ける。しかしドアは開かない。どうやら内部が錆び付いているようだった。仕方なく少し離れて足を上げ
盛大な音と共にドアが蹴破られる。
その音と共に建物の中で蠢いていた爛々と光る赤い点が一瞬動きを止めた。
そこに伊勢島が構えていた矢をリリース。またも、暴力的な眩しさの光がその場に満ちる。
光が消えると、赤い点は全て消えていた。三人はそれぞれ懐中電灯をつけた。
「思った以上に広い……」
「言ってる場合じゃねぇ。早く探すぞ」
言い終わる前に伊勢島は中に入っていく。成生と上屋もそれに続く。
入った建物は二階建てで、一階は長方形型で食卓テーブル程の大きさのデスクが四つ鎮座していた。中には月明りや街灯が微かに入ってきており、それらに照らされたクモの巣などがより一層、不気味さを演出する。三人は一人デスクを一つずつその上を物色していく。
無数に積まれた黄ばんでいる紙、すすけ切った灰皿、ボロボロの本、クッションの綿が飛び出たイス。部屋の中に無秩序に散乱したそれらは、どれも分厚くホコリを被っており、何年も使われていないことは明白だった。
そうしていると、間もなく上屋が声を上げた。
「ねぇ、アレって……」
上屋の目線の先には入口から一番離れた角にあるデスク。部屋に来た当初は何もなかったはずが、
その上でイエローの光が点滅を繰り返している。直ぐに懐中電灯の光を向けると
「ぁ……」
小さなドラムのような形状。手のひらサイズ。その上部には複雑なギミックが取り付けられている。点滅していた光はそのギミックから出ている。
似ていた。細部に微妙な差異は見られるものの、しかし確かにその装置は彼が一か月半前に目にした装置と酷似していた。脳裏で今まで膨張していた危機感が音を立てて弾ける。成生はそれを認識した瞬間、その装置に向かってまっしぐらに走り出していた。『代行者』が受ける恩恵の一つたる筋力の底上げを駆使してまで、自らとその装置の間を瞬時に詰め、右手の木刀で力任せに横殴りの一撃を叩き込まんとする。
その急な動きに伊勢島と上屋が目を丸くする。
成生の木刀が装置を襲うその刹那、点滅していた光がイエローから不吉な赤に変わった。
「――マズ……」
凄絶な破砕音が響き渡った。
直後。
三人の懐中電灯や、外からの微かな月明りや街灯の光が当たっているところに不自然な影が浮かび上がってきた。床、壁、天井問わず無数にある。その一つ一つの中心に攻撃的な色合いの赤い点が二つ。
「オイオイオイオイ……」
「これって……」
――一瞬遅かった。
「ナルキ、今、お前がブッ壊したそれを回収して、早く逃げるぞ!」
「……あ、ああ」
呆然としていた成生が伊勢島の言葉に我に返り、すぐに、機能を停止した装置を掴んで出入り口に向かって走り出す。
「うわぁッ!!」
途中で盛大につんのめって倒れてしまった。見ると、地面から黒い手が伸びて成生の左足を掴んでいるではないか。一気に思考が恐怖でショートする。目の前がグルグルと回るかのような感覚が押し寄せる。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ 」
半狂乱の状態で悲鳴を上げながら右足で思い切りその黒い腕を蹴りつける。
三度ほどで腕が離れ、成生は弾かれたように立ち上がってまた走り出した。何回か足を滑らせかけたが何とか建物から出たところで待っていた伊勢島と上屋に合流を果たした。
「何やってんだ、ゾンビ映画のモブかよ」
「悪い……」
伊勢島の糾弾に力なく答えた成生の顔は血の気が失せ切っていた。
「とにかく、早く行くぞ。こんな数を相手してたらキリがねぇ。とりあえず、さっきの街灯のところまで戻ろう」
伊勢島を先頭に三人は猛ダッシュでそこから離れる。
「ハァ……ハァ……」
三人のうち、伊勢島と上屋は比較的冷静な表情だが、成生は先程の恐怖体験で倒れそうな顔をしている。
眼前に小さく見える壊れかけの街灯までの距離が恐ろしく長く感じる。
体が重い。あそこまでこんなに距離あったっけ?
不意に横から鋭い声。
「ナルキ、しゃがんで!」
「へ!?」
言われるままに何も考えずしゃがみ込むと直後、頭上で鋭い風切り音。思わず、両手で頭を押さえる。さらにその後、肉を打つ重苦しい鈍い音がした。恐る恐る顔を上げると、丁度、すぐ横で上屋が蹴り足を旋回させたところだった。シャドウが一体、吹き飛ばされる。そして、そのまま大きく右足を踏み出して、それを軸に左足で後ろ回し蹴りを放つ。大鎌の如き鋭さがもう一匹いた黒い人型化け物の胴を両断した。地面に落ちた死骸が灰になって風に溶ける。どうやら敵から追撃を受けていたようだった。
さらに二回、空気を切る音。たった今上屋が倒したシャドウの後ろからこちらに向かってきていた二体のシャドウの頭部に大きな風穴が出来る。そのまま顔から地面に倒れ伏し、灰になって消えた。
後ろを向くと、伊勢島が弓を引いた後の残心を解いたところだった。直後、なぜか一瞬だけ、成生を睨んだ。成生は視線を別の方向に泳がせる。
「あ、……ありがとう」
「いいよ、いいよ。気にしないで」
上屋が爽やかな笑顔を見せる。
「上屋。他に追手はいるか?」
「いないね。少しペースを落として行こう」
「そうだな。ナルキ、装置は持ってる?」
「あ、ああ。一応ここに」
その手は、あの一撃によって見事にひしゃげられ、原型をほとんど残していない装置を持っていた。それを見て伊勢島は思わず手を額に当てた。
「あちゃー。技術部に持ってってもこれじゃあな……」
成生もそう思っていたようで素直に謝る。
「やっぱ、そうだよな。すまん」
「やあ、でもあの状況じゃ仕方なかったんじゃないかな。この装置の機能を停止する方法を僕たち知らなかったわけだし。かといって、停止させないと回収できないし」
上屋のフォローはもっともだった。
「そうだな。一応、今日のところは、それを薫子さんのトコに持ってって解散にするか。俺も報告したいことがあるし。というか、それだけだから、二人はもう帰っていいぞ。一応安全な駅周辺までは三人で行くことにするが」
伊勢島が安全だと判断した場所で伊勢島と別れた二人は、帰り道が途中まで一緒だった。成生はD駅の一つ向こうのE駅がホームであるため、電車に乗るためD駅に。上屋はD駅周辺に下宿先があるのだ。
「なあ、そういえばさ。さっき、なんか言いかけてたよな」
伊勢島と別れるまでに、『今日は大変だったな』だとか『疲れたな』というような会話は一通りしていたので彼と別れてからは互いに無言だったが、突然、成生が口を開いた。彼は無言のままだと息苦しさを感じてしまうのだ。
「え? さっきって?」
上屋がとぼけたような表情をした。
「あ、ホラ、あの街灯のところでユウヤと合流する時に。結局そのまま忙しくなって聞けなかったけど……アレ、なんて言おうとしたの?」
上屋の前を歩いていた成生が顔だけ彼に向けた。
「あ、ハイハイ。それね……えー、と……」
上屋にしては珍しく歯切れが悪い。
「ん? どした?」
「あー、ナルキ。答え難かったら答えなくていいんだけど……」
「おうおう。ま、言うてみ」
「さっきも言った通り、先日、僕はナルキについて情報を一通り集めた。その時、どうしても僕がアクセスできない情報があったんだ。一か月半前の—―」
「――『Dグランドホテル事件』、だよな」
「そう。それ」
「アレ? ユウヤから何か聞いてないの? ハナっから今日の件にも関係してるって予想されてたみたいだけど」
――ん? なんで? なんでそんなにあっさりしてるの?
「いや、今日の件のブリーフィングのために送られてきた資料には、それに関係するものはほとんど無かった」
「あ、そうだったんだ」
そう言って成生は腕を組んで考える素振りを見せる。
――おかしい。
「伊勢島くんにも訊いたんだけどね、なんか教えてくれなくて」
途端に成生がエッ? というような顔になる。
「アイツに訊いちゃったの?」
「うん。まぁ」
「うわー……。アイツ、不機嫌にならなかった? その話題、アイツには地雷だぜ?」
――なんだろ、この温度差。
「あぁ。確かに。なんか怒ったみたいに見えた」
「やっぱり? ……それで、シンクはその事件の何を知りたいの?」
「できれば全部。ナルキの知ってること全部」
「……何で知りたいか、理由を訊いていい?」
上屋は一度、乾いた唇を舌で軽くなぞった。
喉が渇く。これから自分が口にすることは少々、危ないことであることを上屋は再認識する。
――場合によっては『組織』に反対していると取られて、薫子さんの前に突き出されても文句は言えない。でも、ナルキがそんな人間でないことを信じて。
「……ナルキも知ってると思うけど、『組織』には秘密が多いよね。今回の、密度が一定以上になると共食いを始めるっていうシャドウの習性だって、君と違って僕は知らなかった」
「だな」
「僕は時々思うんだ。何か僕は騙されてるんじゃないかって。何か、重要なことを見落としてるんじゃないかって。でも、そんな中であっても、ナナセや僕自身を守るには『組織』に頼るしかない。正直不安なんだ。今あるこの状況が」
脇を通り過ぎていく人がどんどん皆、同じ物に感じてくる。どんどん背景のように感じられてくる。視界の中で成生がどんどん大きく見えてくる。
「……」
成生は静かに訊いている。その顔からは彼が何を考えているか読み取れない。
「それで、君からその事件の話を聞ければ多少なりとも『組織』のことが分かるんじゃないか、って思ったんだ……」
聞き終えてからの成生の表情は上屋の話を聞く前と全く変わったところなど無かった。その口からも上屋の心配は杞憂だったことが分かる言葉が紡がれる。
「なるほど、ね……。あー、でもゴメン。オレ、その事件に関していえばシンクに話せることは無いなぁ。薫子さんから口止めされているんだ。それに、話したところで『組織』のことを知る、なんてことは無理だと思う」
「そんなの、話してみなきゃ分からないじゃないか」
初めて。初めて上屋の口から強い苛立ちを帯びた声が成生に向けられた。焦り、怒り、もどかしさ。そういったものが成生の胸にひしひしと伝わってくる。
道行く人がこちらに顔を向けてくるが上屋の目には入らない。
「ああ、そうだな。ゴメン。分からない、って言うのはオレの傲慢だよな。でも、オレが知ってるのはあの事件でオレが直接見聞きしたことだけ。その原因とかメカニズムについては、全く何も知らされてなくて、ホント、何も話せることは無いんだ。それに、あと、どの道シンクは権限階級四だよな。あの事件の情報は六以上じゃないと閲覧できないんだ。まぁ、六以上の人にもあんまり話すなって薫子さんは言ってたけど」
上屋の表情が一瞬だけ落胆を見せる。直ぐに普段のさわやかな顔に取って代わられたが。
「……そっか。まぁ、権限階級が足りないのは百も承知だったから……。ゴメン。急に声大きくしたりして。」
ハハハと上屋が力なく笑う。
「あ、イヤ、こっちこそ……なんかゴメン」
成生が軽く低頭した。
「いいよ。いいよ。気にしないで。『組織』の中にいるんじゃ仕方ないよ」
「そう言ってもらえると助かる」
そのまま二分ほど歩いてD駅の南口まで来たのでそこで二人はお別れになった。
「じゃあ、シンクはもうここから別方向だよな」
「うん。それじゃ、ナナセの件、明日も頼むよ」
「分かった。でも、こんな調査をこれから暫くほぼ毎日続けるなんて、胃が痛くなりそう」
わざとらしく成生が腹を押さえて見せる。
「ハハ。しょうがないよ。仕事だし。それじゃ」
「ああ、また明日」
成生が去って、上屋は家路を歩きながらひとりでに首を傾げていた。
――伊勢島くんと、ナルキの間の、あの事件に対する温度差はなんだろう。
実は、上屋は先程、成生が話題を出した時にはとぼけたが、何の話をされているかは分かっていた。彼はためらっていたのだ。前に伊勢島にその話をした時、普段は飄々としているあの伊勢島が急に冷たい表情になって
「その話はしないでくれ」
と一言で上屋の質問を切って捨てたのだ。
――おそらくナルキも触れて欲しい話題ではないだろう。
そう思っていた。
しかし、今の成生の態度はどうだろう。あの伊勢島のような重苦しさは微塵も感じられなかった。
――おかしいな。当事者はナルキのはず。どうして伊勢島くんの方が……。もしくは、ナルキが平然を装っているとか? でもそれなら、その理由は……?
いくら考えても、それらの疑問に答えなど出るはずもなく、そこはかとない違和感が上屋の中に残った。
連続投稿です。やっぱり夏休みってスゴイですね。平日もスピードよくできたらなぁ……。
何はともあれ、よろしくお願いします。




