帰り道
学校を後にした俺は広場のベンチでサンドイッチを食べていた。
屋敷の仕事をサボろうとかそんなのではなく、単純に道に迷ったのだ。まぁ、サボるもなにも俺の仕事は朝になったら安寿の家の前に馬糞を置くことなので、サボるべき仕事もないのが実情である。
道に迷った俺が何故ベンチでサンドイッチを食べているかというと話は長くなる。
出血の所為か何だか体が怠かった。その上、道に迷った。その迷ってたどり着いた先にベンチがあった。当然座って休むし、腹が減っているのだから、サンドイッチだって貪る。かくして、ベンチに座ってパンに挟まれた卵とマヨネーズのハーモニーを味わう俺がこの世に生まれたわけだ。
うん。意外と短く説明できた。これだけの国語能力があれば、次の高校受験は大丈夫だろう。帰れるかどうかの方が問題ではあるが。いや、帰っても良い事はないんだけどさ。それでもここよりはマシそうな気もする。
さて、ベンチでタマゴサンドを貪り食っている俺なのだが、実は屋敷から出たことがほとんどなかった。朝もやの中、馬糞を置きに行く時以外で外に出たのは今日が初めてだ。
ああ……異世界でも引きこもりだったのか、俺。
今朝はメイドさんに案内されながら学校に来たために、道をきちんと憶えなかったのが痛い。
パンにクリームとオレンジを挟んだフルーツサンドをパクリと一口。糖分に餓えていたのか、甘さが堪らない。泣きそうなくらいに美味い。さっきまでのサンドイッチと比べても格段に美味しく感じられた。
刑務所から出ると真っ先にアイスやケーキを食べに行くなんて話を聞くが、あながち嘘じゃなさそうだ。
だが恰好の良い人なら、町の中華屋でビールを一気に飲み干して、ラーメンと丼物を今までの空腹を満たすかの様に掻っ込んで欲しいところではある。っていうか、これは幸せの黄色いハンカチの健さんだな。
久々の糖分を取ったおかげか、くだらない事を考える程度には余裕が出てきた俺は辺りを見渡した。
石畳に噴水。石畳には轍が刻まれている。そして噴水に水を汲みに来ている婦人たち。広場の周りには石造りの家々が並んでいる。こうしてみると中世ヨーロッパっぽいんだけどなぁ。いや、中世ヨーロッパって言ったって、時代の幅もあるし、地域だって広い。時代劇が江戸初期だろうが幕末だろうが、全部同じような風俗になってるっていうのと同じで中世ヨーロッパ風のイメージってだけなんだけど。自慢じゃないが、中世ヨーロッパの建物・文化に精通している様な教養なんて持ち合わせていない。
しかし、こうして人間ウォッチングをしていると謎だ。人種的には黄色も黒も白もいるし、挙句の果てには安寿の様なピンクヘアまでいる。もちろん安寿が染めてなければだが……彼女に限ってそんな事はしないだろう。いや、この世界では髪を染めることへの評価がどうなっているのかわからないけど。それはそれとして、名前だって、リチャードが居たかと思ったら、藤原さんなんて普通の苗字に、挙句の果てには竜安寺なんてお寺みたいな名前の人までいる。もっとも、魔法があるような世界だ。あんまり気にしても仕方がないのだろう。
五切れほど入っていたサンドイッチを食べ終わった俺は伸び一つ、大欠伸をした。お嬢様の屋敷はこの辺りの家と違って白亜の御殿に広い芝生の庭。少々遠いとはいえ、そこらの人に聞けばわかるだろう。そう思っていたら、矢印と一緒に数字が出た。
←距離:6258m
左に行けってことか? それとも、直線にして六キロ先ってことなのか? どちらなのかは、行ってみたらわかるだろう。
結論から言えば、前者だった。十字路や曲がり角で矢印の方向が変わるのだ。なんだか、初めて数字表示が役に立った気がする。
なにせ、マッチョの松尾さんの武力80やら、見るからに美人のお嬢様の美人度やら、安寿の可愛さや優しさなんて数字に出なくてもわかるし。挙句にはお嬢様たちの武力表示は故障するし、武力5の雑魚っぽい奴には殺されかけるしで、もうなんの役にも立っていなかった。あえて言えば、安寿誘惑が無理ゲーって即わかったから、無駄な努力をしなくて済んだことぐらいか。
それに比べて、このカーナビ代わりの表示の便利な事よ。
残り距離が千メートルを切り、見慣れた景色になってきた。要するに屋敷から安寿の家への通り道ということだ。とはいえ、こんな時間にここを通るのは初めてな訳で、民家だと思っていたのが八百屋だったりと、意外な発見も多い。
その八百屋に見慣れた制服の後姿が一つ。屋敷のメイドさんらしき人が買い物をしているようだ。向こうもこちらに気が付いたのか、手を振っている。そして揺れる乳。屋敷にメイドは数いれど、あれほどのものを持っているのは、出る所は出て引っ込むべき所はもっと出ている花代さんか、引っ込むべき所は引っ込んでいるベアトリクスさんのどちらかである。そして、手を振っている人の体型には凹凸があるのでベアトリクスさんだろう。ちなみに、例の数字によれば、上から88-57-82らしい。うん、実は色々と便利なのかもしれない。
「サボりかい? 少年」
俺が近づくと、案の定、球形の花代さんではなく、背が高く長方形、いや、十字型と形容すべきフォルムのベアトリクスさんだった。これが、実にサバサバした感じで声をかけてくる。続けて、視線が俺の頬や制服に移る。
「ちょっと! 血だらけじゃない⁉」
「『ぷにゅ』とかいう奴の体当たりを喰らっちゃって……」
「え⁉ ぷにゅに……」
心配していたベアトリクスさんが固まること三秒。
「ま、まぁ、それはそれとして……大丈夫なの?」
正気を取り戻したベアトリクスさんが心配そうに聞くが、ぷにゅに殺されかけるというのはそれほどに衝撃が大きかったのだろうか。
「あ、はい。同級生に治して貰いましたから。病院でも見て貰った方が良いらしいということなので、早退してきました」
治療を受けたと聞いて一安心したのか、ベアトリクスさんの表情が和らぐ。
「病院ねぇ……バトラーさんにみて貰えば一発なんだけどね」
「バトラーさんは医学の心得もあるのですか?」
「さぁ? でも、バトラーさんは『執事の穴』の出身者だから、心得があっても驚かないけどね」
バトラーさんは腐女子が喜びそうな場所出身らしい。
「ま、そういうことでバトラーさんの所に行こう」
ベアトリクスさんはそう言うと俺の手を取り歩き出した。
「え……あの……」
当然ながら戸惑う俺。
「ん? 手つなぎが恥ずかしいのかい?」
からかう様に顔を覗きこまれた。俺はどんな表情をしていたのだろうか。
「もうっ、初心でかわいいなぁ!」
そして俺を抱え込んで抱きしめる。顔が二つの脂肪の塊に挟まれた。
「よし! お姉さんの部屋で飼っちゃうぞ~」
それはそれで幸せそうだ。
そしてベアトリクスさんは俺から鞄をひったくる様に奪うと、再び手を握り「よし、帰ろう」と俺をペットの様に屋敷へと連れ帰って行くのであった。