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epilogue

第1話 親友


 アルタイル王国、一等地の邸宅。


 窓から春風が流れ込み、重厚な書斎のカーテンを揺らしていた。


 パックは琥珀色のウイスキーを開けると、静かにデスクチェアへ腰を下ろした。


 広い部屋には時計の音だけが響く。


 グラスを指先で揺らしながら、彼は何かを察したように目を細めた。


「……入れ」


 低く落ち着いた声が室内に響く。


 扉が開き、一人の青年が姿を現した。


 カイラだった。


「お久しぶりです、パックさん」


 パックは薄く笑う。


「久方ぶりだな、カイラ」


 軽く指を鳴らす。


 待機していたメイドが現れ、二つのグラスへ静かにウイスキーを注いだ。


 琥珀色の液体が揺れ、柔らかな香りが広がる。


 カイラはグラスを受け取り、小さく頭を下げた。


「いただきます」


 パックは一口含み、窓の外へ目を向ける。


「ミニメテオ……結局使わなかったんだな。何よりだ」


 その言葉に、カイラの表情がわずかに曇った。


「二週間前から……父さんと連絡がつかない」


 沈黙。


 パックは返事を急がなかった。


 氷の触れ合う音だけが二人の間に落ちる。


「……何か知ってますか?」


 問いかけに、パックはグラスを机へ置いた。


「数日前、おれを訪ねてきた」


 そう言って引き出しを開け、一冊の古びた魔導書を取り出す。


「お前が来たら、これを渡せと言われてな」


 カイラは受け取った瞬間、息を呑んだ。


 表紙に刻まれた紋章。


 それが何なのか、彼には理解できた。


「……冗談だろ……父さん……」


 それは――五神の契約書。


 かつて封じられた力を、再びカイラへ継承させるための魔導書だった。


 指先がわずかに震える。


「父は……どこに?」


 パックは答える前に、窓の向こうの青空を見上げた。


 春の陽光が穏やかに街を照らしている。


「戦いばかりだった男だ」


 静かな声だった。


「少し……放っておいてやれ」


 カイラは何も言えなかった。


 ただ魔導書を抱えたまま、隣に立つ。


 二人は並んで窓の外を見つめた。



第2話 アルタイル


 早朝、スモーク山――山頂墓地。


 冷たい朝靄が墓石のあいだを漂い、風が草花を静かに揺らしていた。


 クライスは一輪の花束を抱え、墓前に立つ。


 墓石に刻まれた名――ルーシェ。

 かつて愛し、そして二度と戻らぬ人。


 クライスは何も言わず、そっと花束を供えた。


 白くなった髪を風が撫でる。


 煙草を取り出しかけたが、結局その手を止めた。

 代わりに墓石へ軽く触れ、小さく息を吐く。


 そして背を向け、その場を去ろうとした。


 その時だった。


 石畳の向こうから、杖を突く音が響く。


 墓参りに来たのだろうか。

 一人の老人が、ゆっくりと坂道を登ってくる。


 クライスは顔を見ることなく、礼儀としてわずかに頭を下げた。


 老人もまた何も言わず、二人は静かにすれ違う。


 墓地を後にしようとした、その瞬間だった。


「久しぶりだな、息子よ」


 低く、歳月を重ねた声。


 クライスの足が止まる。


 胸の奥を鈍器で打たれたような感覚だった。


 聞き間違えるはずがない。


 だが、認めることもできなかった。


 ゆっくりと振り返る。


 老人は杖を支えに立ち止まり、こちらを見ていた。


 葉巻を咥え、火をつける。

 紫煙が朝霧へ溶けていく。


 クライスの瞳が大きく揺れた。


 ありえない。


 なぜなら、この男は――


 自分がこの手で殺したはずだった。


 震える声が喉から漏れる。


「……アルタイル王……?」


 信じられないものを見るように、クライスは一歩後ずさる。


「なぜ……生きている……!?」


 老人――アルタイルは静かに煙を吐き出した。


 その眼差しには、かつて王として君臨した頃と変わらぬ威厳が宿っている。


 やがて彼は空を見上げ、重々しく口を開いた。


「……真実を話そう」



第3話 墓場の真実


 早春の風が梢を揺らす木陰で、アルタイルは静かに口を開いた。


「お前が殺した私は――私の最奥魔法《リアルヴィジョン》で生み出した、史上初めて実体を持つ分身体だった」


 あまりにも現実離れした言葉に、クライスは声を失う。


 否定したい。だが、その表情に嘘の色はなかった。


「信じられないだろう。だが私は、お前がまだ幼い頃には、すでに国政を分身体へ任せていた」


 次の瞬間、クライスは黄金のリボルバーを抜き放ち、アルタイルの眉間へと照準を定めた。


「馬鹿なことを言うな……そんな話、信じられるものか」


 銃口は微かに震えていた。


「貴様が父であるはずがない」


 アルタイルは怯むことなく、一歩、また一歩と近づいてくる。


 クライスは引き金に指をかけたまま、動かない。


 やがてアルタイルはそのまま両腕を伸ばし、静かに息子を抱き寄せた。


「……本当に、すまなかったな。クライス」


 その温もりを、クライスは力任せに振り払う。


「貴様がクロエを殺さなければ……兄さんは海賊になど堕ちなかった!」


 怒りと悲しみが入り混じった叫びが墓地に響く。


「なぜだ! なぜあれほどの暴挙を繰り返した!」


 アルタイルはしばらく黙り込み、やがて遠くを見つめるように語り始めた。


「私はかつて、魔法の始祖について研究していた」


 葉巻をくわえ、静かに煙を吐き出す。


「魔法を生み出した最初の王――初代アルタイル国王、ファースト・クライス」


 その名に、空気が張り詰める。


「奴こそが、すべての元凶だった」


「魔法を創り、人を喰らう呪いをこの世に残した張本人だ」


 クライスは眉をひそめる。


 アルタイルは続けた。


「奴の肉体は海底へ沈められた。だが、その海域で正体不明の集団がたびたび目撃されるようになった」


 その言葉に、クライスの脳裏へ過去の光景がよみがえる。


 魔王討伐の最中、何度も遭遇した謎の集団――。


「……魔王の教徒か」


「ああ」


 アルタイルは静かにうなずいた。


「お前がまだ幼かった頃、私は彼らがファースト・クライスの遺体を利用し、何か恐ろしい計画を進めていると考えた」


「兵を調査へ向かわせた。だが、生きて帰った者は一人もいなかった」


 重苦しい沈黙が流れる。


「私は悟った。この海域は、すでに呪われているのだと」


 アルタイルは葉巻の灰を静かに払った。


「そこで私は、ノワール卿へすべてを打ち明け、協力を求めた」


 しかし、その願いは拒絶された。


「彼は話を聞こうともしなかった」


「それどころか、この件に関わるならアルタイル王国を滅ぼす、と私を脅した」


 アルタイルは新しい葉巻を取り出し、マッチで火を灯す。


 赤い火が静かに燃え上がった。


「だから決意した」


「誰も危険に巻き込まないために、私自身が調査へ向かう」


「その前に、最高出力の最奥魔法《リアルヴィジョン》で、私の完全な複製を作り上げた」


 煙が春風に溶けていく。


「姿も、声も、性格も、記憶までも私そのもの」


「その分身体へ国を託し、私は数名の兵士だけを連れ、小舟で問題の海域へ向かった」


 アルタイルはゆっくりと目を閉じる。


「……だが、すべてが遅かった」


「ファースト・クライスは、生きていた」


 クライスの瞳が大きく見開かれる。


「海域そのものが、すでに奴の支配下だった」


「無数の魔獣が船へ群がり、兵も船も食い尽くされた」


 アルタイルは苦々しく息を吐いた。


「そして奴には、もう一つの能力があった」


「自らの意識を特定の人間へ送り込み、その肉体を永続的に乗っ取る魔法だ」


 クライスの顔から血の気が引く。


「……まさか」


「そうだ」


 アルタイルは静かにうなずいた。


「ファースト・クライスは、私の分身体を乗っ取った」


 その一言で、長年積み重ねられてきたすべての悲劇が一本の線でつながる。


「私は海へ引きずり込まれ、そのまま意識を失った」


 春風だけが、二人の間を静かに吹き抜けていった。



第4話 エリザベス


 アルタイルは静かに目を閉じ、深く息を吐いた。


「……最後まで反対し続けたのは、エリザベスだった」


 その名に、クライスの表情が揺らぐ。


「……母上」


 エリザベス――クライスの母。


 彼が幼い頃、忽然と姿を消した王妃だった。


 アルタイルは遠くを見つめるように語る。


「私が海の底で最後に見たのは……海底でもがき苦しむ、変わり果てた彼女の姿だった」


 一拍置き、震える声で続ける。


「そして、そのまま息を引き取った」


 クライスは何も言えなかった。


 長年抱き続けた疑問が、最も残酷な形で答えを与えられたからだ。


 アルタイルはゆっくりと視線を戻す。


「お前の部隊に、メントという僧侶がいただろう」


 その名を聞いた瞬間、クライスの瞳が大きく見開かれる。


「……メントだと」


「そうだ」


 アルタイルは静かにうなずいた。


「お前が私の分身体を討ったあと、ファースト・クライスは己の魂と意識をメントへ移した」


「奴は最初から、メントの肉体を乗っ取っていたのだ」


 クライスは首を横に振る。


「馬鹿な……そんなことが……」


「現実だ」


 アルタイルの声は重かった。


「よく聞け、クライス」


「ファースト・クライスは肉体を乗っ取り、その肉体が滅んでも魂は消えない」


「宿主を捨て、次の器へ移り続ける。それが奴の呪いであり、最奥魔法の本質だ」


 クライスは息をのむ。


「その後、奴は人間世界へ渡り……八条という男の肉体へ移った」


「そして、あらゆる暴挙を繰り返した」


 アルタイルは葉巻の煙を静かに吐き出す。


「私は呪いに蝕まれながらも、辛うじて海面までたどり着いた」


「魔法の加護が残っていたおかげで、命だけは繋ぎ止めることができた」


 クライスは険しい表情で問いかける。


「八条はもう死んでいる……なら、今は誰に取り憑いている」


 アルタイルは静かに首を横へ振った。


「安心しろ」


「奴は別の人間へ移ろうとした」


「だが、その瞬間を狙い、私は最奥魔法《デビルズ》で魂だけを強引に引き剥がした」


 そう言って懐から小さな結晶を取り出す。


 透明な結晶の内部では、一つの赤い火球が揺らめいていた。


 まるで生き物のように脈動し、微かに蠢いている。


 クライスは息をのむ。


「……これが、ファースト・クライス……」


 アルタイルは結晶を静かに見つめ、小さく目を伏せた。


「……ああ」


「これが、すべての元凶の成れの果てだ」



第5話 零


 アルタイルは結晶を静かに見つめ、小さく息を吐いた。


「終わりだ」


 その一言には、長い歳月の重みが滲んでいた。


「長かった」


 そして、穏やかな声で続ける。


「今こそ、一を零へ戻す時だ」


 アルタイルは結晶へ掌を向ける。


 次の瞬間、紅蓮の溶岩魔法が結晶を包み込んだ。


 閉じ込められていた火球は激しく暴れ、苦しむように内部でのたうち回る。


 クライスは何も言わず、その光景を見届けた。


 やがて火球は光を失い、細かな塵となって砕け散る。


 灰は春風に乗り、静かに空へと溶けていった。


 アルタイルはゆっくりとクライスへ向き直る。


「お前たちを苦しませてしまった」


「……すべては、私の責任だ」


 そう言って、震える手を差し出す。


「もう剣を握る必要もない」


「銃を抜く必要もない」


「火種は消えた。戦争は終わった」


 穏やかな笑みを浮かべ、最後に告げる。


「生きろ、クライス」


 クライスはその手を固く握り返した。


 その瞬間だった。


 乾いた銃声が墓地の静寂を切り裂く。


 アルタイルの腹部を銃弾が貫き、鮮血が衣を染めた。


 少し離れた場所には、猟銃を構えた兵士が立っている。


「ノワール様……」


 兵士は震える声で叫ぶ。


「仇は……私が討つ!」


 クライスは反射的に黄金のリボルバーを抜いた。


 照準も迷いもない。


 放たれた一発は兵士の額を撃ち抜き、その身体は力なく地面へ崩れ落ちる。


 ノワールに最後まで忠誠を誓った、最後の部下だった。


 クライスは倒れ込むアルタイルを抱き起こす。


「アルタイル王! しっかりしろ!」


 アルタイルは血を吐きながら、弱々しく微笑んだ。


「エリザベス……」


 震える声が漏れる。


「お前が……正しかった」


「あの海へ近づかなければ……こんな未来には……ならなかった……」


「エリザベス...我らの狼たちは...立派に...」


「いや...狼はもういらない...」


 クライスは何も返せなかった。


 アルタイルは空を見上げる。


 春の青空は、どこまでも澄み渡っていた。


「呪いは……晴れる」


「夜明けが……訪れる……」


 その瞳から力がゆっくりと失われていく。


「ここに……終焉の祝福と……呪いを……」


 言葉を言い終えると同時に、アルタイルは静かに目を閉じた。


 春風が墓地を吹き抜け、花々を優しく揺らしていった。



第6話 これから


 その後――パック邸。


 柔らかな春の日差しが窓から差し込み、パックはソファに腰掛けたまま新聞へ目を落としていた。


 大きくあくびを漏らした、その時。


 静かなノックが部屋に響く。


「どうぞ」


 扉が開き、メイドが一礼して入室した。


「パック様、お客様がお見えです。お通ししてもよろしいでしょうか」


 パックは新聞から目を離さず、小さくため息をつく。


「何度も言っているだろう。まずは客人の名を告げなさい」


「失礼いたしました。ミスター・クライスでございます」


 その名を聞き、パックは新聞を畳んだ。


「通しなさい」


 ほどなくしてクライスが部屋へ入る。


 手には一本の新品のワインボトルがあった。


 パックはその姿を見て眉を上げる。


「お前……剣はどうした」


 クライスは穏やかに笑う。


「引退しようと思ってな」


「……そうか」


 パックもそれ以上は聞かなかった。


 代わりに戸棚から木製のチェス盤を取り出し、机の中央へ置く。


「どうだ。久しぶりに一勝負」


 クライスは静かにうなずき、テーブルを挟んで椅子へ腰を下ろした。


「いいだろう」


 駒を並べながら、パックが口を開く。


「どうだった」


「お前の兵士としての人生は」


 黒のキングを定位置へ置き、続ける。


「力は尽くしたか」


 クライスは白のポーンを指先で整えながら、小さく笑った。


「さあ、どうだか」


 一拍置き、窓の外へ視線を向ける。


「だが、大切なのは……これからだろう」


 春風が街を渡り、開け放たれた窓から静かに部屋へ吹き込む。


 本棚に並ぶ一冊の古びた本。


 風にあおられ、そのページがゆっくりとめくられていく。


 表紙に刻まれていた題名は――


『異世界誘拐事件録』


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