#0 それで、辞世の句は完成しましたか、魔女様?
戸を叩く音が聞こえたので、女は手を止めた。ひとつ部屋を挟んだ先、戸口を見やる。
しかし次の音は聞こえてこない。
気のせいか。
手元に視線を戻し、すり鉢と乳棒で緑色のペーストをさらに潰していく。
刻んだ薬草の繊維が潰されると、青臭い香りが立ち、彼女の顔はほころんだ。やけに分厚く切られたベーコンとチーズのサンドイッチも、すぐそばでソースの完成を待っている。
すると、ぬうっと蛇の頭が伸びてきた。狭い作業台のすぐ前は棚だ。そこでとぐろを巻いていた蛇が、すり鉢に興味を持ったのか、それとも邪魔をしたいのか、手に寄ってきたのだ。押しのけてやっても押し返してくる。
さらには、別な蛇も台下から上ってきた。ベーコンの香りに惹かれたのか、サンドイッチへ向かおうとしている。
蛇を止めようと彼女が手を伸ばした――そのときだ。
どん、どん。
「薬師マリアン様はご在宅ですか」
聞こえてきたのは若い男の声だ。落ち着いた声音ながら、奥まった厨房までよく通る。
「はい。すこしお待ちを」
応えながら、彼女――マリアンは、すり鉢やサンドイッチの上に布をかけた。布の上でうねる蛇たちが、先ほどまであったはずの目標物を探している。
蛇たちを横目に、彼女はのんびりと厨房の敷居を跨ぎ、土間へ出た。
土間は植物に溢れていた。どの壁にも格子が立てかけられ、そこに引っかけられた植木鉢から葉と蔦が溢れている。床に並んだ植木鉢からも枝葉が飛び出していて、足下が見えない。
枝葉に脚を擦られながら進むと、葉が揺れ、その隙間から蛇たちが頭を出す。彼らに「しー」と言い聞かせながら、彼女は戸の前へたどり着いた。
戸にもたれるようにして、小窓を覗き込む。
外で待っていたのは一人の騎士だ。外套が鎧を覆い、小脇に抱えられた兜も隠してしまっている。
しかし、鎧が見えずとも、青一色に染められた外套が、彼が教会の者であることを教えてくれる。
マリアンは表情をゆるめながら、鍵を外してゆっくりと戸を開いた。
目が合えば、騎士が穏やかに微笑む。
「薬師様。お変わりございませんか」
「ええ。わたしは変わりありませんよ。でも、ガレスさんのほうは……」
じろ、と改めて舐めまわすように彼の装いを確認する。
藁色の髪は、ひと月前と違って松脂か何かで整えられていた。青外套も先日よりも色鮮やかに見える。裾から見える脚甲もよく磨かれていて、いや、そもそも別な鎧にも思えた。先日の鎧には、青い彫刻は入っていなかった気がする。
「ずいぶんお綺麗な格好で。なんだか、ちゃんとした騎士様に見えますね」
冗談めかして言えば、ガレスははにかんだ。照れくさいのか、目が泳ぐ。
「まあ、あれは任務用の……使い古した装備でしたから。今日は正装を」
「騎士様がわざわざ正装で、こんな辺境までなんの御用で?」
「先日のお礼に伺いました」
彼の言葉に、マリアンはそれまでのからかい混じりの笑みを引っ込めた。代わりに、困ったような、でも嬉しいような、そんな気持ちで微笑み返す。
「よかったのに。騎士様のお仕事もあるでしょうに……教都からここまでだって近くはないでしょう?」
「命を救って頂いたのです。そうでなくても、受けた恩義は返さねば。神にも申し訳が立ちません」
相変わらずの大仰な言い方だ。感心と呆れからため息が出たが、彼らしいなと笑いに変わる。
「じゃあ立ち話もなんですし。どうぞ中へ」
「いいえ、お気遣いだけ。実は、公務で近くを通ったので、わがままを言ってこちらに寄りました。麓では今頃、仲間が昼を食べながら私の戻りを待っています」
「わあ。忙しいですね」
すると、困ったようにガレスが眉を下げる。
「ええ。治療していただいていたとはいえ、仕事に穴を空けてしまいましたから、なかなか。貴女へのお礼ももっと早く伺うつもりだったのですが、……時期も悪く、職務が立て込んでしまいまして」
時期。職務。
なにかに思い至ったのか、マリアンの笑みが途端に乾いた。
「ああ……。魔女検めですよね? わたしも教都に呼びつけられましたので」
頬が引きつり、それまで柔らかかった声もぐっと低音に変わる。
そんな彼女の様子に、ガレスも苦笑した。
「皆様、はるばる教都に集められますからね。お疲れ様でした」
「いえいえ、あなたこそ。教会の騎士様だって警備だのなんだの、てんてこまいでしょう。……ああっそうだ! 聞いてくださいよっ!」
疲れた様子から一転。カッと目を見開いたマリアンが前のめりにずいっとガレスに迫った。
「今回の魔女検めの立会人、いったい誰だったと思います?」
仰け反ったまま、ガレスはそのまま思案する。
「立会人……。修道士たちのことでしょうか?」
「違いますっ! 聖騎士ですよっ! それも、慧眼の騎士!」
マリアンはその日一番、声を張り上げた。自分で自分を抱きしめるようにしてキュッと小さくなりながら、彼女は高い声で矢継ぎ早に続ける。
「魔女を見抜く目を持つとかいう、慧眼の騎士! しかもあの聖騎士、なにしたと思いますっ!? わたしの目の前に並んでたひとの首を、スパッて! ザシュッて! ゴトッて! 足下に転がってきてっ! もう、あっわたしも死ぬのかなってっ!!」
悲鳴じみた、でもどこか滑稽な訴えが、辺りに響いた。当時の恐怖や光景を思い出して、マリアンの肌は粟立つ。暖かな日和だというのに寒気すら覚えて、細い体をぶるぶるぶるっと獣のように震わせる。
しかし訴えを聞くガレスは、そんな彼女とは対照的だ。口元を隠すように押さえつつ、肩を震わせ笑っている。
マリアンの目が釣り上がる。
「笑い事ではないんですがっ!?」
「ええ、そうですね、すみません。ですが、そのように元気に怯える貴女が、愛らしくて」
愛らしい。その言葉がマリアンの耳に引っかかる。
礼儀正しく敬虔なこの騎士の口からそんな言葉が出てくるのは、奇妙で不思議で。その不似合いさが、余計にマリアンに「ああ、揶揄われているのだ!」と思わせた。
「他人事だと思って! あなたには、目の前に生首が転がってきた経験がないから、そんなふうに言えるんですっ。もうあの時のわたしは死を覚悟して……うう」
マリアンはそこから先を口にするのはやめた。
あの日、恐怖のあまりに死を覚悟してしまった彼女は、なんと聖騎士の目の前で辞世の句を読み始めてしまったのだ。句を考えるのに必死で、魔女検めで何を調べられたかすらろくに覚えていない。ただ記憶に焼き付いているのは、目の前に立つ慧眼の騎士の白銀鎧と、こびりついた血の鮮やかさ。兜の隙間から一瞬垣間見えた青い瞳は、流れも風もない、凪いだ水面のようだった。聖堂に反響する、若いのにやけに落ち着いた声……そればかりしか思い出せない。聖騎士に「問題なし。通りなさい」と言われてもなお「下、下の句がまだ」と吃ってしまって、挙げ句には修道士たちに背を押されて急かされる始末だった。
「と、とにかくですね、わたしは大変だったんですっ」
ぶり返した羞恥を誤魔化すように、彼女はそう言い切った。
背中が冷や汗でじっとり湿って、熱いのか寒いのかわからなくなる。この騎士を含めた知り合いがあの場面にいなくて良かったと、マリアンは心底思った。
「大変でしたね」
そう真剣に共感されると、マリアンはどんな調子で続ければよいか分からなかった。ただ「……そうです。大変でした」と返して、目を伏せる。
そんな居た堪れない様子の彼女を見てか、話題を変えるためか。ガレスが口を開く。
「それで、辞世の句は完成しましたか?」
マリアンが目線をあげた。
数秒、そのまま見つめ返して、
「よくぞ聞いてくれましたっ!」
パッと笑顔を輝かせた。
「教都から帰ったあと、わたし、考えたんですよっ。辞世の句って、いざ死ぬ場面だと考えつかなくないですか? 無理ですよ。それもひとによっては後世に残るんですよ? 下手なものを遺したら後世の恥です! なので、教都から戻ってから、わたしは夜寝る前に考えました。五日間ぐらい」
「ふふ、薬師様らしいですね。ではお聞きしても?」
「はいっ、頑張って考えたのでぜひ聞いてください。『お薬の、苦味も人世の――』」
ノリノリで言いかけたものの、マリアンは唐突に違和感を覚える。
ガレスはというと穏やかに微笑んだまま、急に口を閉ざした彼女に首を傾げている。
「あの、ガレスさん」
「はい」
「なぜ、辞世の句のことを……?」
魔女検めの場に教会騎士がいなかったわけではない。聖騎士のそばに数人、教会騎士がついていた。
しかし彼らは、マリアンの検めの時には、直前に斬首された魔女の死体を運ぶために、場を離れていたはずである。
「えっ、いました? いませんでしたよね……? だって、修道士さんと聖騎士しか……」
困惑と、あの場面を見られていたのかもしれないという恥ずかしさで、声が萎んでいく。
ガレスは変わらず静かに聞いていた。マリアンの言葉が途切れると、そこでわずかに目を伏せ、そしてもう一度マリアンに微笑む。
「傷の手当てをして頂いた折、そして先日も、まともに名乗りもせず大変失礼致しました。職務上の規則ゆえ、名乗ることを許されておりませんでした」
言いながら、彼は肩甲と外套をつなぐ留め具を弾いた。重厚な青外套が波を打って光沢を放ちながら、端が落ちる。
外套の内側から現れたのは、白銀の鎧だった。水流や水瓶を模して彫り込まれた溝には深青色のインクが流し込まれ、星の運河のように煌めく。ベルトに吊るされた剣も脇に抱えられた兜もすべて、同じ装丁で揃えられている。
鎧の表面はよく磨かれていた。美術品のようなその鎧には、血痕の曇りも一滴もない。
しかし、紛れもなくその鎧は、魔女検めの場で魔女の首を切り落とした聖騎士――慧眼の騎士が纏っていた鎧である。
マリアンは無意識に息を潜めていた。まるで、獣の機嫌を損ねないように身を逃がそうとする小動物のように、本当にゆっくりと顔を上げる。
ガレスは変わらず微笑んでいた。胸に手を当て、教会騎士流の礼を取る。
「改めて、自己紹介を。自分は、聖アーリア教会所属騎士の一人、階級は第十七大教区担当聖騎士。教皇猊下より戴いた冠名は『慧眼』――――慧眼の騎士、ガレス・ルイディオと申します」
口上を終えると、胸に当てられた手が下がり、剣の柄に触れる。籠手と柄が触れ合えば、小さく金属音が鳴った。
「それで、辞世の句の続きを聞かせていただいてもよろしいですか? 蛇の魔女様」
慧眼の騎士は微笑みをたたえたままだった。
マリアンは息を詰まらせた。悲鳴をあげたくても、喉から情けない音が漏れるばかり。しかし脳みそはとてもよく動いている。
そうして彼女は、走馬灯を見ているかのように、この男を助けたひと月前のことを思い出していた――。
ブシロードワークス小説大賞に出したい!!と書き始めたものの、その小説大賞の存在を知ったのが応募期間も終わりかけの頃だったので、まったく書き上がらず……。いろいろ諦めた結果、超圧縮したプロローグが出来上がりました。
本編は順次投稿していきます。ゆっくりのんびり読んでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。




