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2.中庭

 指の隙間から溢れ落ちるように夢は砕け散る、私はまた白ずくめの部屋でその意識を取り戻した、全ては振り出しに、いや、前進など一歩もしていなかったのだ、ただ単に身勝手な疑心暗鬼に囚われ一人虚しく倒れ伏しただけなのだ、まるで決まっていたかのように医者は私に言った。


「何事も囚われてはいけない」


 私は私に囚われていた、それは事実だろう、あの私の全身を締め付けるようなうわばみのような疑心暗鬼はその象徴だった、脆弱な身体(からだ)に脆弱な心が宿っているだけに過ぎないこの事実を克服しなければ同時に私の「キの病」の克服も無いように思えた。


「囚われてはいけない」


 私はその思いで再び院内を歩き始めた、今度は自己の脆弱さを認めた上で歩き始めたのだ、そう、私は脆弱なのだ、幾分歩けば廊下の隅に設置された椅子に座り込んだ、これもまた廊下の隅に設置された観葉植物を眺めた、廊下の窓が少し開いており、安らかな風が吹いているのを感じた、こうしてただ歩くだけでははなく「環境」の存在を感じながら私は地道に歩き続けた、するとどうだろう、脆弱ながらに努力を重ねた結果が一週間程で院内の隅々を歩く事ができるようになったのだ。


 病院内で最も居心地が良い場所は中庭だった、広さこそないにせよ、多種多様な植物に囲まれており、病院内にいることを忘れさせてくれる解放感に包まれた場所となっており、その中央に設置されたベンチは私のお気に入りの場所だった、中庭には様々な人々がいた、読書をする者、他の患者と談笑する者、看護師に連れられてリハビリテーションに励む者もいた、私はそれらの光景の一つとなっていた、それは幸福なことだった。


 しかし、ふと、ベンチの足元に注目するとそれはあった、小動物の骨と嘘をつけるような形状と大きさながらに手に取ると脆くも土に還る木の枝が一本、私の手を汚しながら滅んでいったのである、私はその様(さま)にある種の憤りを感じてしまったのだ、この他者の手の内で他者の手を汚しながら滅んでいった異形の木の枝こそが自分自身ではなかろうかと気付いてしまったのだ、そうである、この異形の木の枝は私なのだ、脆弱であるが故に自己の力で滅ぶことも出来ずに他者の手を汚しながら土に還ることだけが救いの憐れな存在、それこそが私なのである。


 私は滅ばなくてはいけない、誰か他者の手によって滅ばなくてはいけないのだ、これは「囚われ」てはいない、これは単なる事実なのである、寧ろこの単なる事実を受け入れなくてはならないのだ、しかし、誰か他者の手を汚すのではなく、せめても私は肯定的に滅びたいのだ、そう、私は脆弱だからこそ肯定的に滅びなくてはならないのだ。


 居心地の素晴らしかった中庭はこのたった一つの事実の発見により私にとっては針の筵(むしろ)のような場所となった、私はベンチに座ったまま身を屈めた、もはや自分を保つことすら堪らなくなっていたのである、私は三度(みたび)意識を失い、その場で倒れ伏したのだった。


 この天井は何度目の天井か、私はまたしても卒倒し、この白ずくめの病室で目覚めた、医者が言うには私の「キの病」は悪化の一途をたどっているらしい、私は医者に対して「今に肯定的に滅ぶことで完治するので心配は無い」と言うと、医者はさも困り顔で私の事を眺めた。


 肯定的に滅ぶべきである、そのたった一つの事実にあえて囚われるべきである、事実は事実、決して揺るぎ無いものなのである、私は肯定的に滅ぶのだ、私を肯定的に滅ぼしてくれるのなら何でもよいのだ、単純に麻薬なら麻薬でいい、加害的な暴力に伴った殺人がそれならそれで構わない、私は肯定的に滅ぶという事実の名のもとにある種の自由を手に入れた気持ちにもなった、この心地をもってして私の「キの病」は悪化の一途をたどっていると言うのだから医者の言うことなど私は信用出来ない気分でいた。


 ありとあらゆる手段を持って試し、やがて私は肯定的に滅ぶべきだと考えた、私は肯定されるべきである、今までの人生はひたすら否定が付いて回って来たのだ、それ故に私は「キの病」などになってしまったのである、そういった観点からも肯定的に滅ぶというのは「キの病」の完治に直結したものと言えた。


 私を肯定してくれる存在を私は求めた、医者、若い女の看護師、郷(くに)の両親、勤め先の人間、私を取り囲む人間に私を真っ当に肯定する人間はいない、皆、私が「キの病」を患ったことをいいことに妙な親切心を翳し、私に疑心暗鬼の苦痛を与えようとしている節があるのだ、ほら、この時点で私は疑心暗鬼の苦痛に囚われかけているではないか、これが実にいかんという話である。

 

 私は新しい人間関係の構築によってのみ、私を肯定的に滅ぼしてくれる人間を見つけることができるようになると確信を持った、そして、目の前に対峙する強靭な事実こそが私を「囚われ」なるものから解放し、勇敢に前進させる要素なのであると考えた。


 脆弱な心身ではあったがこれらの目標や事実を前に私の気力は沸き上がっていた。


 

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