第45話 プロポーズ(その3)
さすがに前座の前座だけあって、演奏は2曲だけと指示された。選曲で皆頭を抱え込んだ。
もし3曲やれるのなら、咲のピアノの演奏会で思い付いたアイディアを実現したかったのだが、ちょっと無理そうだ。
やはり前座の前座として会場の雰囲気を少しでも盛り上げるなら、‘土曜の午後から’を1曲目、‘レ・トゥ・トウ・ダ・ダ’を2曲目、ということに落ち着いた。
高2の後半。僕らはそろそろ3年生になった時の進路選択の準備もしておかなくてはならない。三者面談なるものも行った。4LIVEの4人ともそれぞれの高校で、バンド活動のことについて色々と訊かれた。4人は皆‘学業’に関してはしっかりやっているという評価を受け、バンドも特に悪い影響を与えていないという風に捉えて貰えた。咲などは入学時よりも笑顔が増え、学校での様子を見ていても安心できるようになったと担任の先生から言われたらしい。バンドと米田さきさんと両方のお蔭だろう。そして、その担任の先生みたいに、知らないようでそっと見守ってくれている人がいることにもちょっとだけ皆で感動した。
ただ、部活に‘引退’があるように、バンドも引退の時期を考えておくようにと4人それぞれが言われた。さすがに来年のこの時期にもバンドをそのままやっている訳にはいかない雰囲気だ。
‘進路’。
あまりにも漠然とし過ぎて考えていなかった。
当たり前の話だが、バンドとしてプロにでもなるのでない限り4人がそのまま同じ人生を歩いて行くことはできないだろう。4LIVEは僕らにとって大切なものではあるが、一生それにかかわり続けるような種類のものではないのだろう、と最初から分かってはいた。
けれども、この当たり前のことを周囲から改めて伝えられた今、家の勉強机の前で少しだけ感傷的になってしまった。
ごろん、と布団の上に寝転んでみる。寝転んだところでなんだかよく分からない寂しい気持ちは収まらない。
コートを羽織って階段を下りた。そのままぼんやりと玄関を出て自転車にまたがる。
寒風が顔に冷たく当たるが、更に寒風を求めて、河原の土手の方へ走らせた。
真夏にBARたかいのために練習した辺りの土手に自転車を押して登ると、緑が消え去り荒涼とした感じの風景が眼下に目に入ってきた。そのまま自転車にはまたがらずにぶらぶらと自転車を押しながら歩く。曇天の午後の空の下、思いがけずコートの中は温かい空気が溜まり込んで結構高温だ。コートの胸元の隙間から一筋入り込んでくる冷たい外気が却って心地よい。
下流に向かって歩いて行く僕の前方100m程の所に、犬を連れた女の人が上流に向かって歩いて来る。僕とその女の人が歩くスピードとの双方で倍々で二人の距離が縮まってくる。
‘あれ?あれ?’
と僕が思っている間に、相手の顔が緩んでにこにこと笑っている表情がこちらに伝わってきた。
あ、新井さんだ。
5m程の所で僕の方から声を掛けた。
「犬の散歩?」
新井さんは、うん、と頷く。連れているのは柴犬の成犬でしっぽがくるん、と輪のような形になっているのが可愛い。終始笑っているような細い目をした犬だ。
「小太郎、っていうの」
挨拶の代わりに新井さんは犬の名前を教えてくれた。
「犬の散歩にしては随分遠いね?」
新井さんの家はもっと何キロも下流の住宅密集地にあった筈だ。何気なく言ったつもりの僕の質問がよくなかった。
「え・・・室田くんがよくここに来るって言ってたから、もしかしたら会えるかもしれないって思って」
新井さんのあまりにもストレートな返事に僕は一瞬黙ってしまう。そして、これ以上新井さんの帰り道が遠くならないように、2人と一匹と一台とで下流に向かって歩き始めた。
新井さんが僕に好意を持ってくれているというのは随分前から僕も周囲も分かっていることだ。本当にありがたいことだと思う。殴られ側の僕にこんな気持ちを持ってくれる女の子がいるというだけで奇跡のような気さえする。
だが、申し訳ない事ではあるが、僕はそういう気分には全くなれないのだ。新井さんはかわいいし、しっかりしていてなおかつ‘悪意’というものを誰に対しても持たない人だ。自分なんかにはもったいないくらいの人だ。でも僕はなぜか、誰に対しても‘好きだ’という恋愛感情を持てないのだ。
女の子を見てかわいいと自然に感じる気持ちはもちろんある。咲や米田さんを見て美人だ、と素直に感じる気持ちもある。けれども、‘恋愛’とかいうものに何の現実感も持てないのだ。もしかしたら、殴られ側の自分にはそんな資格がないという無意識のブレーキがかかっているだけなのかもしれない。とにかく、今の僕は、贅沢かもしれないが、仮に新井さんから万が一にも告白されるようなことがあったとしても、「ごめん」としか言えないのだ。
何か話題をこちらから振らないと気まずくなりそうなので、無難な話をしておいた。
「小太郎っておとなしいんだね」
歩いている間も小太郎は一声も吠えていない。
「うん。とてもおとなしいし、優しいんだよ。吠えることもほとんどないし。でも前、明け方に酔っ払いが庭の石で家のガラスを割ろうとしてた時は吠えて止めてくれたんだよ」
その話題が終わると、すぐにまた無言になる。ただ、一体何なのか分からないが、新井さんが僕に何かを言いたい、という雰囲気がビシビシと伝わってくる。とうとうそれが出た。
「室田くんは、咲さんのこと、どう思ってるの?」
新井さんは本当にストレートだ。僕は自分の心のありのままを伝える。
「まあ、4LIVEの仲間だよね」
新井さんは更にストレートな質問を続ける。
「それだけ?」
「うん、そうだけど・・・」
「咲さんのことを好きだ、とか・・・」
「いや、それはない」
「でも、あんなに美人だし、中学の時からずっと一緒にいるし・・・」
新井さんはどこまでも執拗にストレートな質問を続ける。
「いや、好きとか嫌いとかそんなんじゃないよ。4LIVEの大切なメンバー、ってことだよ」
「そっか・・・・よかった」
このままこのストレートさが持続されるとどこまで質問がエスカレートするか分からなかったので、僕は無理やり話題の軌道修正を図った。
「新井さんは、もう進路は決めてるの?」
え?と新井さんは自分がしようとしていた話の腰を折られるような僕の突然の質問にやや不機嫌さを見せながらも、僕の質問には丁寧に答えようとしてくれた。
「いちおう、見城大学を第一志望にしてるよ。できれば教員の免許を取りたいなって思ってる」
「そうなんだ・・・」
僕は家から自転車をこぎたした時の‘進路’に対するもやもやした気持ちを、新井さんとの話の中で少しでも解消できたらと思いこのまま話を続けたかった。新井さんも僕がことのほか真剣な雰囲気を出していることに気付いてくれた。そしてそれに付き合ってくれるようだ。
「室田くんはどうするつもり?」
僕は新井さんと話をしながら、自分の気持ちや思考を整理しようと考えた。
「僕は・・・はっきり言ってこのままだと、ただ自分の成績にあった大学を受験するだけだろうと思う。将来自分がどうやって生活してるんだろうっていう不安はあるんだけど・・・」
ふうん、と新井さんも、何か僕にとって少しでも役に立つことが言えたら、と頑張って考えてくれているようだ。
「詩人、とか、どう?」
新井さんの突拍子もない言葉に、僕はそのまま反復する。
「詩人?」
新井さんは小太郎をできるだけゆっくり歩かせようと、リードを少し引っ張っている。
「わたし、室田くんの作った歌詞を聴くと、ほんとに心が‘すっ’とするんだよ。きっと他の人もそう感じてると思う」
僕は素直にありがとうと言ってから、新井さんの言葉に軽く反論する。
「でも、‘詩人’って、その人の属性であって、‘僕は詩人です’って自分から言ったり認識したりするようなものじゃないと思うけどな」
新井さんは、そこで笑って更に斬新な発言をする。
「じゃあ、詩人でサラリーマンとか」
僕はなんだか‘詩人’と‘サラリーマン’というその2つの言葉の間の飛躍感に奇妙な面白さと、力強さを感じる。もしかしたら新井さんは物凄い人なのかもしれない。
「サラリーマンやりながら詩人もやるっていうんじゃなくて、‘詩人’の心でサラリーマンをするとか、反対に‘サラリーマン’の心で詩も読むとか・・・そういうのの方がなんだか‘本当のこと’っていう気がする」
新井さんは今、僕にとてつもないヒントを与えてくれているのかもしれない。
僕は、面白いね、と新井さんのアイディアに同意する。そして、自分の考えも新井さんに伝えてみる。
「僕、例えば、どんな職業を選ぶかが大事だ、ってばかり漠然と思ってた。自分が生きがいを感じるような仕事を選ぶことが重要なんだ、って。そのためにどの大学へ進学してどんな勉強をして、っていうことを考えるのが‘進路’だって思ってた」
新井さんは僕の顔をじっと見ている。真剣な表情のようにも見えるし、少し寂しげな表情のようにも見える。
「でも、今の新井さんのアイディアを聞いて、なんだか考えが変わった。ひょっとしたら、仕事すらどんな仕事でも別に構わないんじゃないか、って思った。
詩人の気持ちで仕事ができれば、別に詩人になる必要もないし。反対にサラリーマンの気持ちで詩を書いたとしたら、それも詩人だし。サラリーマンであることも人生の重要なパーツだし詩人であることも人生の重要なパーツだし、それでもいいのかもしれないね」
僕は新井さんの顔を見るのは恥ずかしかったので、小太郎の顔を見ながら話し続けた。
「前、咲のピアノの発表会に行ったんだけど、僕はロックの心でクラシックを聴いた。同じように咲はベートーヴェンの心で4LIVEのロックを演奏してるのかもしれない・・・」
再び咲の話題が出たことで、新井さんが顔を曇らせ、また再びストレートな質問をぶつけてくる。
「室田くん、ほんとに咲さんのことは何とも思ってないの?」
仕方なく僕は、殴られ側の後遺症か、咲だけでなく、誰に対しても恋愛感情を持てない、と伝えた。恋愛に無感覚だ、ということを、冷たいかもしれないけれど、打ち明けた。
新井さんの言葉は唐突だった。
「わたし、室田君が好き」
少し時間を空けて続いた言葉が更に切ない響きで僕の胸を締め付けた。
「ほんとに、好き・・・」
僕は、新井さんが泣き顔になっているのではないかと怖くなった。でも、男として新井さんの顔を真っ直ぐ見なくてはいけない。小太郎から目を離して新井さんの方へ視線を上げる。
新井さんは笑顔だった。
「進路や学校での毎日がわたしの人生の一部なのと同じように、室田くんを好き、ってこともわたしの人生の大切な一部だよ・・・」
新井さんはそこで、立ち止まり、僕の方へ体の向きを変え、僕の目を覗き込んで、だから・・・と言った。
「だから、わたしが室田くんを好きだ、っていうことは許してね」
すべての物事は切り離しては存在しないのだ、というとても大切なことを、新井さんから教わったような気がする。




