第37話 秋の調べ(その6)
生徒たちは最前列辺りに座っている。後姿なので、生徒たちの顔なんかはよく分からない。
ステージには、グランドピアノが二台、向かい合って重なるように置かれている。なぜ、二台なのかは、クラシックとは全く縁のない僕にはよく分からない。
時間になり、まず、丹羽先生がステージに上がって挨拶した。
ああ、やっぱり、と僕は思った。
丹羽先生は、美しかった。
70歳にしては若い、という意味での美しさではない。年齢はあくまでも70歳、ということがはっきりと分かる容姿だ。
皺も深い。頬も垂れてきている。あくまでも丹羽先生は70歳の老人だ。
でも、その‘70歳’としての人間の美しさ、というものが、本当に僕にはよく分かった。
丹羽先生、という人間の中の普遍的なもの。それは、丹羽先生の中にある‘核’とか‘原石’とかいったものかもしれない。表面の肌や骨格、内臓器官は衰え、おそらく気力も弱まってはいるだろうけれども、‘核’や‘原石’は古びることなく、それどころか更に磨き上げられて、皺だらけの笑顔の中に、その美しさが滲み出ているのが、僕には分かる。おそらく、加藤と武藤にも分かっているはず。これが、BARたかいで小谷さんが言っていた、僕たちの老成したかのような‘苦味’であり、‘強み’なのだとはっきり分かる。
挨拶が終わると丹羽先生は続けて、最初に演奏する生徒の紹介を始めた。トップバッターは小学校一年生の男の子。
ピアノを始めてまだ半年。‘おつかいありさん’という、蟻が餌を探しておつかいに出かけることをイメージした、幼児用の練習曲だ。丹羽先生は目を細めて、この子なりの上達の様子を聴いてやってください、と男の子をピアノの前に促した。この子の祖父母なのだろうか、ひときわ大きく拍手をしているご夫婦が目に入った。
プログラムは順調に進む。結構男の子の生徒も多い。ピアノ教室で教わっていた生徒がお母さんになって、自分の息子にも習わせたい、という人が結構いるのだろう。中学二年生の男の子の演奏などは、その力強さに、感動するくらいだった。
プログラムを改めて見てみると、大学生の生徒もいる中で、高校二年生の咲がトリとなっている。まあ、大学生くらいだと、多分実戦の演奏という部分よりも、ピアノは人生におけるよき趣味という感じになりつつあり、あえてトリは辞退しているのだろうけれども、それでもトリはトリ。咲のこの教室における役割がなんとなく分かる。
トリひとつ前の女子大生の流れるような美しい演奏が終わった後、丹羽先生が咲の紹介を始めた。
「最後の奏者は、白木 咲さん」
丹羽先生は、さ、上がって、と合図をすると、咲がやや急ぎ足でステージに上がる。
僕ら男3人は、目を見張った。
丸く幅広の襟と袖に幾重ものタックが入った真っ白なブラウスで胸元には濃紺のリボンを締め、膝辺りまでの黒のタイトスカートを穿き、5cmくらいのヒールのある濃紺の靴を履いている。靴は、光沢が出るまで磨き上げられている。
そして。耳には、シンプルな形をした銀色のイヤリング。黒髪はブラウスの背中あたりまで、いつものように、滑らかに真っ直ぐに流れていた。
ヒールを履いてすっ、と立っているその姿は、大げさにいうと、現実離れをした美すら感じさせるものだった。いつも僕らが見ている咲ももちろんきれいなのだが、僕らが全く知らない、もう一つの分身の咲を見たような、そんな衝撃すら感じる綺麗さだった。
毎年見ているであろう生徒の父兄方は、相変わらずきれいだ、という感じで、‘おおー’という程度のどよめきなのだが、咲を初めて見た同窓会の紳士淑女方は、‘ほおーっ!’という、まるで漫画のようなどよめきだった。女性ですら驚嘆の声を上げている。いや、女性だからこそ圧倒的な美しさ、というものを感じて驚いているのだろう。嫉妬すらできない圧倒的な美。BARたかいの時も咲の姿を見て観客はどよめいていたが、本当に本気で‘正装’した今日の咲を見た人たちのどよめきは、BARたかいの時のレベルを数段上げたものだった。僕たちの制服など、‘正装’と呼ぶのもおこがましい。




