29話 濁り
週明けの月曜日。
野山で楽しくやっていた時間、あれは夢だったんじゃないか。そう思えるほど教室は日常に戻っていた。
お決まりの席にいつもの顔ぶれが集まっている。その勢力範囲は遠足前と同じだ。草野球で一緒に遊んだ何人かと顔を合わせても挨拶はするものの特段話すことも無い。
今迄通り。俺は一人窓辺の席に座るだけ。揺れるカーテンの合間から見える景色をぼんやりと見る。
遠くに聳える山の上を灰色の雲がゆっくり流れていく。そんな見飽きた郊外の街並み。
入学してもうだいぶ経つ。月曜の授業も身体が覚えてしまった。席が変わる移動教室や体育もないまま、退屈な座学が続き、昼休みになる。
教室前方の席の赤坂は真っ先に教室を出ようと立ち上がる。
結局、赤坂とはあの遠足の後まだ一言も話していなかった。席が離れたからというのもあるが、何となく彼女からは今までと違うオーラが出ていた。
人を寄せ付けない拒絶の意志。気のせいかもしれないがそんなものを感じる。
先週の遠足でのやり取りのせいで俺が勝手に思い込んでいるだけかもしれない。
それを確かめたくて、俺は昼食用のパンも机に置いたまま、赤坂の後を追う。
「いいか」
「一之瀬? どうしたの?」
振り返る赤坂の様子は穏やかなものだった。
あの時言い合ったとは思えないほどだ。
「そんなに焦った顔して。またお腹でも痛い?」
「いや……」
違う。俺は心の中で自分自身の言葉を否定した。
今まで接してきた時とは異なる明らかに素直過ぎる赤坂の反応。それはまるで俺とのこれまでの妙な関わり合い全てがリセットされたかのようだった。
外に行って出くわしてもきっと赤坂は何も絡んでこないんだろう、そんな確信を覚えた。
今迄はいちいちイラっとしていたあのやり取りすら、もう今の赤坂と行われることは無いんだと、何故かそんな気がしたのだ。
それを考えるとどう声を掛けたらいいのか分からなくなる。心の中で発しようとした言葉は粘土玉のように形作られては潰される。
「どうしたの、一之瀬。泣きそうな顔してるよ?」
黙りこくった俺を見て、赤坂は少しだけ笑みを作る。
こちらを窺う目がぱちくりしていて、憎まれ口すらどこか懐かしさを覚えた。
「今日は行かないのか? 学食」
「ああ」
赤坂は廊下から見える窓の景色を一瞥、俺もそれに釣られるように視線を外す。
窓の向こうは中庭を挟んだ場所にある旧校舎が見えた。
「今日はいいや」
赤坂はそのまま歩き出した。二人一緒に旧校舎を眺めた時間は秒にも満たなかった。
遠ざかっていく赤坂の背中を見ていたら、それ以上の事は言えなかった。
――ああ、そうか。
不思議と心の中で納得した。
多分、俺は赤坂に嫌われてしまったのだ。
そして、彼女に嫌われる事がとても辛いものに感じてしまう自分がいた。
♦ ♦ ♦
「ねえ」
午後の休み時間。俺は西崎に話しかけられた。
「ちょっと、一之瀬。聞いてんの?」
隣の竹浪さんの机に腕を置き、苛立ち混じりに俺を急かす。
「何だよ」
「赤坂さんと何かあった?」
薄いピンク色のネイルで机の上を叩きながら西崎は言った。
「どういう事?」
「雰囲気悪くないかって話。そういうの、いちいち見せつけないでほしいんだけど」
「どうしてそれを西崎が言うんだ」
「一之瀬、露骨に今日変だし。見ててイライラする」
どうやら俺の態度にも休み前とは違う様子が出ていたらしい。西崎はそれをちゃんと見ていたようだ。
「悪かったな。でも、元々俺はこんな暗い性格なんだよ」
「はあ。あんたもあんただし――」
しかし、西崎は俺をじっと見たまま。首は一切動かさず目配せする。
「あいつも、なんなの」
俺は目を丸くしながら、西崎の見る方向に自然と吸い寄せられる。
教卓のすぐ前の席。赤坂は微動だにせず読書をしている。
「イライラアピール感じわる。なにあれ」
心底嫌そうに言って見せる。
赤坂の周囲はまるで、不可侵領域みたいに人の姿と会話が消えていた。
普段仲良く話している北見さん達もあれじゃ絡みづらいだろう。
赤坂は笑顔を浮かべてはいたが人が近づくのを露骨に拒絶しているように見えた。
「元々あんま好きじゃないけど、それにしたってああいう空気悪くするのはムカつく」
どこか急くような言い方。西崎は一瞬だけ、今は遠く離れた席にいる仲間たちを気にしつつ、もう一度俺を睨む。
「あんたが何とかすれば?」
「は? 俺が」
「だってあんたが一番うまくやれそうじゃん」
もしかしたら、クラスの雰囲気の悪さに、女子の筆頭として口出しせずにいられなかったのだろうか。普段のこいつは俺を敬遠していて、こんな風に話しかける事など有り得ないのに。
「ありがと。西崎」
「はあ?」
西崎は足を組み替えながら訝しがる。
「あたしは赤坂……さんと仲良くないから。だからあんたに言っただけ」
苛立たしさをアピールするように前髪をいじりながら、西崎は答える。
「あーあ、本当やだこの空気! 愛理!」
これ以上関わっても無駄だと感じたのか。西崎はぶらぶらさせていた足を蹴るようにして机から降りるとそのまま行ってしまった。
「今週の土曜空いてる? なんかムカつくからカラオケ行きたいんだけど」
「何その理由、ウケる!」
竹浪さん達がキレる西崎を見て笑っている。
そうやって会話に戻った西崎は平常運転に戻る。さっき俺のところに来た時の少し違う雰囲気はもうない。
「それにしてもさあ……」
人に探り入れといて、そこからこの突き放す感じ。やっぱり苦手な女子だ。
俺はもう一度赤坂を見る。ぽつんと座っているその背中。
少し離れた場所では数人がいつものメンバーで集まっているが……
「考えすぎかな」
俺にはそれが、無理矢理盛り上がっているように見えて仕方が無かったのだ。
西崎だけじゃない。教室内の何人かはこの微かな赤坂の距離の壁を感じ取っている。
だからこの教室内は何かぎくしゃくしていた。
「ああ、クソ」
ただここに座っているだけでお腹が嫌な気分になってくる。
こんなのは久しぶりだった。




