27話 波紋
遊歩道の中腹にあったトイレで俺は用を済ませた。
「これ絶対、飯食ってから急に動いたせいだよな」
外に出ると微かに水の音が聞こえる。
さっきまではトイレ探しで余裕が無かったが、赤坂の言っていた小川もすぐ近くのようだ。
暗い雑木林を抜けると、眩しさで幻惑されそうになった。
きらきらと水面を輝かせながら流れていく川。河原にはキャンパーらしき男達が横並びで釣り糸を垂らしていて、少し離れた所には子供連れが水遊びをしている。
炊事場からかなり離れた場所のせいか、同じ学校の生徒の姿は殆ど見られなかった。
「人がいないと落ち着くもんだな」
そう言いながら周囲を探すと赤坂はすぐに見つかった。
岩場の一角で片膝を立てながら座っていて、俯いている。
どうやら伸ばした足をテーブル代わりに本を読んでいるようだった。
無数の岩が転がる河原の中でもとびきり大きな一枚岩に腰を下ろしている姿はどこか図太い。
猫系どころかプライドに寝そべるライオンの風格。
俺に気づくと、赤坂は文庫本を閉じて少しだけ頬を緩めた。
「結局来たんだ」
「その感じだとまだ戻らないの?」
少しスペースを空けてくれたので俺は赤坂の隣に腰を下ろす。
太陽の熱で岩の上はなかなかの熱さだった。
「こんなところでよく本を読む気になるな」
「人いなくて落ち着くし」
「時間ぎりぎりまでいるのか?」
「集合時間まだまだだし」
そう言ってスマホを取り出すが陽光のせいで画面が見えない。赤坂がしかめ面で指先を滑らせると一気に照度が上がる。強い日差しに負けない程の明るい画面にはデジタル時計が表示されていた。
ふと、こちらの方を向く赤坂。
「野球は?」
「まだ向こうでやってるよ。でも、何となく川を見たくてここまで来てみたんだ」
川の音と景色はぼーっとしながら見るだけで気がまぎれる。
岩のあるところだけは流れが急になっていて飛沫が白く渦巻いている。そんなのを見ながら眺め続けた。
「いいな。アルファー波出てる音がするよ」
「なにそれ」
赤坂は笑いを零しながら、立ち上がる。
こちらを見下ろす姿は逆光で陰り、髪型の輪郭だけ燻るような赤を帯びていた。
「ていうかさ。やっぱ信じられない。一之瀬が野球するなんて」
「まだ言うのかよ」
「本当にできるの? 話盛ってない?」
そんなに俺が野球してるキャラじゃないの?
ちょっとへこむ。
「そんなに俺が野球やるのおかしいか」
普段はこんなに意地張ったりしないのに。何故か赤坂にむきになる自分の行動が意外だった。
「だって、野球って走攻守やらないといけないし、ボール打ったり捕球したり大変じゃん。サッカーならともかく」
「サッカーだって大変だろ。90分動きっぱなしだからあれはあれで」
「誰か言ってたの?」
「須山が教えてくれた。サッカー部なんだと」
赤坂が口元に手を当てて驚いた。
「す、須山君? あの人サッカーしてるの?」
「MFだって」
「一之瀬よりも信じられない事案が出てきたわ……」
愕然とした赤坂の顔が何だかおかしかった。
「あの体格だったらキーパーかDFじゃない?」
「そういう話かよ」
俺と赤坂はしばらく笑い合う。
その談笑ムードが収まった所で今度は俺が赤坂に聞いてみる。
「赤坂も妙に野球に詳しいな」
「そう?」
「女子にしては」
「だって、私も経験者だし」
ほんとかよ。
驚く顔で見返すと真顔で頷かれた。
運動神経良さそうなタイプだとは思うけど意外だった。
まじまじ見ていたら赤坂がこほんと咳払いしてみせた。
「まあ、野球自体は小学校までだけどね。中学だとソフトだったし」
「ポジションは?」
「ピッチャーとかいろいろ。人少なかったから」
そして、もう一度俺を見る。
「あとキャプテンもさせられてたわ」
「さっすが赤坂」
赤坂は少しだけ照れ臭そうに、視線を河原に戻す。
捕まえたカニを見せつけるように声を上げる男の子。横ではしゃいでいる女の子は兄妹だろうか。両親らしき大人はその近くで二人を見守っていた。
「あんな風にさ。兄に連れられて野球に付き合わされたんだ」
そう言って、思い出を懐かしむように目を細めていた。
俺は岩を降りて河原に向かう。
「ちょっとサワガニ探してみる」
「はあっ? 突然すぎない?」
赤坂が驚いたような声を出した。
スニーカーでぎりぎり浸水しない程度のところの大きめの石を転がす。
「いないかなあ」
だが、サワガニらしき生き物は見えない。
少し離れた所で小さな川魚がぷるるんと泳いで逃げていくのが見えるだけ。
「一之瀬、いきなり何してんの」
「せっかく河原にきたんだし、こういうのやりたくならない?」
「子供みたいね」
やれやれと言いながらも赤坂は顔は笑っていた。
「もっと深くて流れの緩い場所じゃないといないのかなあ」
「ねえ一之瀬」
不意に赤坂が声のトーンを落とす。
振り向くと赤褐色の瞳がこちらをじっと見返していた。
「最近は工藤君とも仲が良いみたいね?」
スーパーで買い出ししたときの話か。一緒にいるところを赤坂に見られていたことを思い出す。
「たまたま同じ班だったから、その流れだよ」
赤坂はそう? と言いながら手近な石を転がす。
「……」
「いなくない?」
お前も探すのか……
泥が少し舞う水中を覗き込んでいる。はらりと落ちたサイドテールが濡れそうになり赤坂はすっと体を起こした。
「やっぱりいないっぽい」
言いながらもう一度俺の方を見る。
「でも一之瀬、随分打ち解けたじゃない?」
「そうか?」
「うん。見える見える」
小首を傾げると、さらさらと赤い髪が頬に垂れ込む。その髪束をそっと掴みながら赤坂はまじまじと俺を見てくる。
「よくやってるって思う?」
「どうだろ」
ぱしゃりと手で川の水を弾きながら赤坂は遊び始める。
「でも、西崎さんに言われっぱなしじゃない? 嫌な時ははっきり意思表示しないと」
「西崎だからな」
「私、人の事考えないああいう人無理だな」
ぽつりと言って見せる。
「はっきり言うんだな」
「別に、一之瀬は嫌じゃないの?」
探るような赤坂の目を俺はじっと見返した。
「考えたんだけどさ」
そして、深呼吸を一つ。
「俺はさ。諌矢とふざけあってる時とか好きな授業の時は不思議とお腹が痛くならないんだ。それに、さっき野球してた時も同じだった。つまり、そういう事なんだろうなって」
「そういう事って? 意味がわかんないんだけど……」
唐突な語りに赤坂が困惑する。
この遠足で自分なりに導き出した一つの答えを言ったつもりだけど、いざ口に出した言葉はあまりに断片的過ぎたか。
「西崎とか工藤は俺を下に見るような言い方もするけど、あまり気にしてない。気にしないほうが楽しめるんだなって思い始めてる」
俺はいつもあれこれ考えてしまう性分だ。こうやったら相手にどう思われるかとか、こうすれば相手の機嫌が良くなるとか。
しかし広場で草野球をやっていた時は違った。須山も他の男子も本当に皆楽しそうで、俺も気にせずに楽しめていた。
それのおかげか、何気ない流れでトイレに行くって須山にも言えた。
「でもそれってほんとに心から楽しめてるの? 我慢して自分の意思曲げてるだけじゃない?」
「俺はそれでも楽しいけどな」
嘘でも建前でもなかった。
「それは須山君達が空気読んで合わせてくれるからでしょ? 風晴君だってそう。一之瀬と違って他の皆は人間関係を円滑にやっていく為に必要な物を持ち合わせているの。別にあんた一人の為にやってる訳じゃない」
表情を険しくさせながら滔々と述べる。そこに俺への肯定は一切存在しない。
「結局みんな良い人でいたいんだよ」
何故か心が締め付けられた。
俺は別に赤坂と対立する為にこんな話を始めた訳じゃない。
「じゃあ、赤坂は違うのか?」
それでも俺は、赤坂に問いかけた。
「お前が俺を助けてくれるのも、全部建前でやってんのか?」
彼女はいつも本心を遠慮なくぶつけてくる。
だから俺は念を押すように尋ねる。
「――そうよ」
しかし、赤坂は俺を突き放す言葉を今度こそはっきり口にする。
「一之瀬が須山達と仲良くなってストレスがなくなるじゃない? それでお腹の悩みも無くなれば、外で出くわす事だって無くなる。そうすれば私は前みたいに一人で気楽にやっていける」
手近な石を川に投げ入れる。
「簡単な話よ」
とぽん、と水音をさせた所で赤坂はもう一度俺を見た。
「だから、助けるつっただけなのに。何期待しちゃってんの? 私が慈善事業で一之瀬の世話をしてるとでも思った? バカじゃない?」
「まあ他の人から見たら……きっとそうなんだよな」
所詮、今の俺はお情けで皆に仲良くしてもらっているだけなのかもしれない。
でも――
「それでも俺は、いざ、皆と話してみたらそれ良いって思っちゃったんだよ。西崎もまああの性格だけど今のところは平気かな」
「私は無理だけどな。一之瀬みたいにお人好しじゃないし」
赤坂の目はどこか遠い。川辺で遊んでいた家族連れはもうどこかに行ってしまった。後に残るのはさらさらと流れるせせらぎだけ。
「嫌いな相手は叩き落とさないと気が済まない」
「こわ」
そっと振り返る赤坂の表情は今までで一番寂しそうな顔をしていた。
「うん。怖いでしょ? 私」
そしてもう一度背を向ける。
彼女のそんな姿を見ていたらこっちまで悲しい気持ちになってくる。
「俺、そろそろ行くよ。悪かったな」
「気にしなくていいよ、一之瀬は」
赤坂は振り返らず答えた。
これ以上話すこともなくなってしまった俺は背後の雑木林と赤坂を交互に見比べた。
赤坂の動きはない。それを見ていたらここにいる事が耐えられなくなってくる自分がいた。
「――集合時間までには来いよ」
「うん、遅れないようにする。ありがと」
そして俺は踵を返した。
昼下がりの雑木林は木漏れ日が綺麗で絶好の散歩日和になっていた。にも関わらず、ここは俺以外誰も歩いていない。
休憩も直に終わる。
それでこの遠足もおしまいだ。




