19話 距離感バグ
翌日の朝。
結局、去り際で有耶無耶になったとはいえ、俺はあの西崎瑛璃奈相手に怯まず対峙できた気がする。極限状態に追い込まれた時の人間の脳って本当すごいな。
そう思いながら教室のドアを開けた。
「……」
西崎はまたも俺の席にいた。しかし、机の上に腰かける事はやめたようで今日は椅子に行儀よく座っている。
取り巻き達を侍らせて相変わらず偉そうなのは変わらないけど……
「ふーん。じゃあ愛理はそういう感じなんだ」
朴訥とした口調で、俺が登校してきたのを見ても全く気にしていない。
そんなところでちょうど予鈴が鳴った。
――よし、タイミングばっちりだ。
いつもこんな朝を過ごすのはもううんざりだし、昨日の今日だ。
教室に入ると同時に予鈴が鳴るように計算して登校したのは大正解だった。
「おはよー なっちゃん」
「な、なっちゃん?」
開口一番にいきなり俺の好きじゃないあだ名の呼び方をしてきたのは竹浪さんだった。
「ん? どした?」
光を反射してライムグリーンに見える脱色されたポニーテール。それをやわらかく揺らしながら、満点の笑顔を浮かべる。
彼女からしたら全く何気なく言ったつもりのようだった。
「その呼び方なに」
「うん。須山も風晴も呼んでるし? 『夏生』だからなっちゃんなんでしょ?」
「俺をそう呼ぶのは諫矢と須山の間で流行ってんの?」
「うんっ」
はっきりと答えられた。
これ、ほんと嫌な呼び方なんだよな。子供の頃も呼ぶ奴はいたけれど、女の子に対するあだ名みたいで恥ずかしかった。
でも、心の中でそんな不満をぶつぶつ呟いても多分竹浪さんはわかってくれないよな。
「ナツオだと思ってた」
西崎がぽつりとそんな事を呟いた。すごい余計なお世話だ。
「……」
俺のムッとした顔が伝わったのだろうか、西崎の琥珀色の瞳がこちらを向く。しかし、昨日の刺すような敵意は感じなかった。
登校したらクラスの爪弾き者にされるのを覚悟していたので安堵した。同じグループの筈の竹浪さんも愛想よく挨拶してくれたし。
もしかしたら諌矢への恋慕を俺にバラされるとか恐れているのだろうか。
「席さんきゅ」
「お、おう」
西崎は離れる際、そんな風に小声で呟くと自分の席へと向かっていった。
♦ ♦ ♦
午前の休み時間の事だ。
席に着いたままでいたら、隣の席の竹浪さんが話しかけたさそうにこちらを見ていた。
「なに?」
普段なら西崎たちといる筈だが今は何故か竹浪さん一人の状況だ。
話し相手がいなくて暇なんだろうか。
「ねー。一之瀬って休みの日は何してるん?」
いきなりそんな事を尋ねてくる。
猫が至近距離に飛び込んでくるような自然な距離感の詰め方だ。
前髪をアップにしていて健康的な額が彼女の明るさを引き立てていて、この額をペチンとしても許してくれそうなほどに思える。
そんな彼女の額を見ながら俺はどう答えるか考えていたがいい言葉が浮かばない。
「どうだろ。家で殆ど寝てるかも」
「あはは。それ一番反応に困るやつ」
「ゲームならやるかも」
「え、どんなやつ? うちもゲームやるよー」
しかし、俺がやるゲームを幾つか挙げても竹浪さんは知らないのかちょっと困った顔をしていた。
「ごめんね。うちそのゲーム機持ってないんだよね スウィッチならあるんだけど」
「スウィッチは逆に俺が持ってないよ。あんまりわかんなくてこっちこそごめん」
そんな風に言うけれど、この女子は本当に気さくに話しかけてくれる。
「じゃあ、竹浪さんは休みの日は何してるの? 割と出かけたりしそうだけど」
「わかる? テニスとか行くよ」
確か入学式の自己紹介でテニスをやっていたとか言っていた記憶がある。そのハイテンションさで印象に残っている。
「テニスしてるの?」
「お、自己紹介ちゃんと聞いてくれてたんだ」
嬉しそうな笑顔が眩しい。勘違いしそうになるなこれ。
彼女からしたらこれが普通のコミュニケーションなのに。
「あの自己紹介だと印象残るって」
「部活には行ってないけど割と趣味で同じ中学だった子達と合うとやるんだよね。あとはうーん」
と、突然思い出したかのようにこれまでのテンションのギアがもう一段階上がる。
「そういえばこの前の休みさ、旅行行った!」
「旅行?」
「家族で車で岩手まで。海も見てきたよ!」
「活動的なんだな」
「せっかくの高一なんだから遊びつくさないと!」
そう言って元気そうに万歳する。ほんと体いっぱいで表現するなこの女子。
「仙台に住んでるお兄ちゃんが帰ってきてたからさ。妹と三人で行ってきたんだよねー」
「三人兄妹なの?」
「うん。見る?」
そう言って竹浪さんはスマホをこちらに向ける。旅行の様子を撮ってきたんだろう。インスタとかにありそうな彩度で三陸と思しきリアス式海岸線の景色が並ぶ画像。その一つをタップすると青い海をバックに満面の笑みを浮かべるイケメンと竹浪さん、更に妹らしき少女が映っていた。
みんな目元がよく似ていて活発そう。顔つきもそっくりで兄妹だとすぐに分かる。
「仲いいんだね」
「めちゃくちゃいいよ!?」
にこっと微笑む竹浪さん。八重歯がちらついてすごい無邪気。
「愛理、どんな感じ?」
「おー風晴!おっす。全然オッケー。めっちゃいいじゃん一之瀬」
「は?」
不意に現れた諫矢に竹浪さんは分かったような口調で答える。何を言っているんだこの二人。
俺の怪訝そうな顔に気づいたのか、諫矢は気さくな笑みを浮かべ返す。
「ほら、次のHRで炊事遠足の班決めするじゃん? 一之瀬も誘おうかって話してたんだよね」
「風晴……それ言うの?」
竹浪さんがこれまでとは打って変わって気まずそうな顔色になる。どこか喜んで見える諫矢の表情とは対照的だ。
「一之瀬って、諫矢とか須山と話したりしてるよね? でも、うちらって……その一之瀬の事わかんないじゃん? 」
「おう、それは何となく」
俺の顔色を窺いながら、竹浪さんはどこか俺を気遣っているような言い方だった。
「あ、気にしないでね。今の別に一之瀬がダメとかそういう話じゃなくて」
「愛理、フォローなってないぞ」
やっちまったって顔をする竹浪さんを諫矢が宥める。
「つまり、女子からしたらなっちゃんって未知な存在なわけだ。よく言えばミステリアス、悪く言えば得体のしれない浮いてる男子」
「ミステリアスってだけ言えこのチャラ男」
うひゃあと諫矢が笑いながら困った顔をしてみせる。もちろんこれは演技だと分かった。こういうやり取りは俺と諫矢だけだから阿吽で伝わる。
「竹浪さんは俺がどんな奴か探ってたんだよな?」
「言い方! でも、うち別に一之瀬の事そういう風に思ってたりしてないよ? 仲良くできたらってほんとだかんね」
「うん。気にしなくても大丈夫だよ」
まだ気まずそうな竹浪さんに言い聞かせる。
実際俺は女子と殆ど話さない。本性や悩みを知った赤坂みたいな相手ならともかく、竹浪さんたちとは接点すら今迄無かったのだ。
つまり、竹浪さんは俺とコミュニケーションすることで俺がどんな人間なのか知ろうとしたって事だ。
俺は傍らでそのやり取りを見守っていた諫矢の方に顔を向ける。
「班のメンバーは決まってるの?」
「舞人……工藤って言えばわかるか? あとは俺と竹浪――」
「ああ」
工藤舞人、よく須山とバカやってる男子だ。悪いやつではなさそう。
その矢先、
「それから西崎、西崎瑛璃奈」
まるでサッカーの招集メンバーを読み上げる口上で諫矢が言った。
俺は頭がまっさらになる。
「一之瀬……っ」
竹浪さんはそれを見てちょっと笑いをこらえるような顔をした。
俺が西崎苦手なの完全にばれてる。
「須山はいないのか」
「ちょうど全員で同じ班にしようとするとあぶれるんだよ。食べる時は二班合同でやるつもりだけど……」
「つまり、俺は人数を綺麗に分ける時の調整枠って感じか?」
諫矢がちょっと困ったように眉を下げる。
図星らしい。
「いいよ、気にしてない」
「ありがとう。でも一之瀬はどのみち誘ってたぜ?」
「うんうん!」
竹浪さんが激しく同意する。その辺は配慮してくれてありがとうって思うけど。
「そっか、西崎か……」
俺がため息交じりにつぶやくと竹浪さんが微笑む。
「まじで一之瀬、瑛璃奈の事怖がってる? 大丈夫大丈夫」
そんな風にぽんぽんと肩を叩いて労ってくれた。




