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5-2 演奏会の誘い

 どれくらいの時間だろう。

 眠りこけていた俺は唐突に目覚めた。


「あれ?」

 気づけば静寂に満ちている。

 教室の中に残っているのは俺だけだった。時計を見るとまだ一時間も経っていない。


「いつの間にか寝てたのか」

 退屈に耐えられなくなった福井達がどこかいくかと出て行った所までは記憶がある。

 でも、まさか――他の連中も皆行っちゃったのか?

 後ろのがらんどうとなった無人の机の列に呆然とした。

 皆、こうやって一緒に行く仲間がいるのだ。言いようのない孤独感。改めて失った物の大切さを知る。

 諫矢とあんな事になっていなければ――そんなもしもが過った。


「くそ」

 だからって不貞腐れていてもしょうがない。

 こうなるのが分かって俺はあいつに物言いしたのだから。


「どっか行ってみるか」

 一人窓辺に佇んで窓から手を出す。外から吹いてくる風は寒いくらいに涼しい。


「でも、どこがいいんだろ……」

 ライブを見る気にもならない。じゃあぼっちで模擬店巡りでもするか?

 そうやって考えるとやっぱりやる事がない。俺は一人首を振る。

 昼飯をどこかで摂ったらまたここに戻ろう。そうしていたら飽きた何人かがまたここに戻ってくるだろう。


「あれ、一之瀬君?」

 そんな事を考えていたら、天啓のような声が響いた。

 教室にすっと入ってきた黒髪に目が行く。


「こんな所で時間を潰していたの?」

「桜川さんか」

 正午の陽光に当てられ、美しい黒髪は桃色がかった色合いで反射していた。


「どうしたの? 具合でも悪かったとか?」

 桜川さんは俺の席までやってくる。

 だけど、俺は少し臆してしまう。あれだけいろんな関わりを持ったはずなのに……

 今の自分の状況に負い目を感じている。


「いや、こっちの問題だから。それより何でここに? 用事とか?」

「ま、そんなところかな」

 ふふん、と小気味よく鼻を鳴らして桜川さんも窓辺にやってくる。

 窓から見下ろすと、グラウンドに様々な屋台が展開されていた。

 運動部がユニフォーム姿で客寄せしているのは体育会系全開の焼きそば屋だ。そのすぐ横ではバーベキューが焼かれていて肉やコーンの香ばしい匂いがここまで立ち上ってくる。

 桜川さんも一緒になってその様子をしばらく眺める。


「実は手伝ってほしい事があって。でも、まさか一之瀬君だけだなんて」

「さっきまでは何人かいたんだけどな」

「そうなんだ」

「俺は誰にも誘われないから。気づいたら一人取り残されてたってわけ」

 自虐風に言うと桜川さんが満更でも無さそうに微笑む。


「ま、これなら一之瀬君に頼めるからいっか」

「え?」

「一之瀬君以外の人もいたら変に思われるじゃない?」

 そういって俺の袖に手を伸ばして来る。ひんやりとした彼女の冷たさが手の甲に伝わった。


「一之瀬君、この前はありがとう」

「な、なに? つか、今更?」

 露骨に警戒する俺を見て桜川さんがとうとう噴き出した。


「なにその反応。面白すぎ」

「ええ……」

 居住まいを正し、桜川さんは胸元に手をやる。


「まあいいわ。ちょっと被服室に置きっぱなしの物を今のうちに片付けたくて」

 からかいやがって。それが目的か。


「いいよ。早く行こう」

 やる事がないし時間も潰せるなら好都合だ。

 手伝う気満々で俺は答えた。




 ♢  ♢  ♢




 賑やかな教室棟と打って変わって旧校舎は文化祭中でも静かだと思う。

 でも、人通りはそれなりにあった。


「誰もいないのかと思ったけど、何かやってるのかな」

「文化部が展示してるみたい。写真部とか美術部とか」

「へえ」

 そんな風なやり取りをしながら俺は廊下からいくつかの教室をドアの窓越しに見た。

 並べられた絵画や写真。それらを見に来ている生徒や来賓の大人は少なくて、こういう所なら一人で落ち着いて回れそうだ。

 後で行ってみるか。そんな事を思いながら桜川さんの後を追う。

 そのまま四階まで上がったところで、俺の足が勝手に止まった。

 四階より先に続く階段、その先に自然に目が行ったのだ。


「一之瀬君?」

「あ、ごめん」

 折り返しになった踊り場の向こうにあるのは屋上扉だ。だが、ここからだと丁度見えない。

 俺達は今や道具置き場でしかない第二被服室に入る。

 締め切られたカーテン越しの陽光で淡いオレンジ色となった教室内には誰もいない。

 そのせいか二つの足音がやけに響く。


「あっちの段ボールに一応詰めてるから、それを運ぶ感じ」

「そんなに数はないんだな」

 使い終わって余ったちぎり絵用の紙とか、のりやハサミといった文房具。それらが小分けにされた段ボールを運ぶ。

 廊下を歩きながら、隣についた桜川さんが話しかけてきた。


「一之瀬君がいろいろやってくれたんだよね?」

「え?」

「諫矢君、また皆と仲良くするようになったから」

「ああ……」

 俺の反応を確かめるように桜川さんが視線を向けてくる。


「諫矢君から聞いたよ」

「何を?」 

 俺は心中穏やかじゃない。だけど桜川さんはそんな俺を気遣うような静かな口調で語る。


「昨日、諫矢君が私の家に来たんだ」

「諫矢が?」

「まだ俺は決められない、でも必ず選ぶんだって。すごい真面目な顔で言うの」

 桜川さんはそれをどこか遠い目を見ながら言った。でも、どことなく嬉しそうだ。


「俺が発破かけたからかな。そういう態度は良くないと思うって」

「ふーん。やっぱりそんな感じだったかぁ」

 桜川さんが悪戯っぽく笑う。


「迷惑だった?」

「ううん。でも、一之瀬君も思う事があったから言ったんでしょう?」

 俺が勝手にやったお節介を桜川さんは責めない。寧ろ好意的に受け止めてくれているかのように笑顔で尋ねてくる。


「いい加減モヤモヤして言わずにはいられなくなったんだ。しかも、ちょっと喧嘩みたいになっちゃって。そしたら――」

「なるほど、そういう事だったんだ」

 言いよどむ俺を見て桜川さんは皆まで言っていないのに納得したようだった。

 表情を見た感じ、大体事情を察しているようだ。


「驚かないんだね」

「だってほら。一之瀬君と諫矢君、急に話さなくなったじゃない? 変だよ」

「やっぱそう見える?」

 違和感を隠しているつもりだったのに。バレバレだったなんて。


「だから何かあったのかなって。ごめん」

 桜川さんは申し訳なさそうに肩をすくめる。


「完全に私のせいだよね」

「それは違うよ桜川さん」

 謝ろうとする桜川さんを俺は止める。


「俺は自分が思う正しいって思う事をしただけだ。今までならこういうのは見ないふりをして逃げてたけど――」

 でも、言わなくちゃいけないと思ったんだ。誤魔化さずに本音を諫矢に伝えようと思ったんだ。それを桜川さんに伝える。


「そっか。本当に一之瀬君って正直者だね」

「そんな事ないよ」

 じっと見つめてくる優しいまなざし。桜川さんの視線から俺は目を背けながら歩いた。 

 そうこうしている内に今は使われていない準備室についた。


「ここだよ」

 鍵を開けると、狭い準備室内は資材置き場になっていていろいろな物が所せましと詰められていた。埃の匂いもする。

 俺はそのまま桜川さんに指示された場所に段ボールを置いた。


「何往復もしないといけないと思ってたから、助かったわ」

 ありがとう、そう言って桜川さんはぺこりと頭を下げた。


「じゃあ、俺は行くよ」 

 これで仕事は終わりだ。俺は逃げるように教室を出ようとする。

 しかし――


「あ、待って。まだ――」

 俺の袖をぐっと掴みながら桜川さんが言った。


「私ね、一之瀬君にもう一つお願いがあるんだ」

「えっ」

 思わず聞き返すと、桜川さんが目を細めて優しく微笑む。


「明日の文化祭の事なんだけどね」 

 穏やかな口調で続ける。


「私ね、体育館の発表で諫矢君とセッションすることになったの」

「セッションか。一緒に演奏する感じ?」

「うん。諫矢君がバイオリン、私はピアノで皆の前で演奏するんだ」

「何時頃?」

「昼休み明けかな。最後の方」

 ちょうど文化祭も終わりの空気が流れ出す頃合いなんだろうか。そういうタイミングにコンサートとか持ってくるのか。華やかなライブとか、賑やかしみたいな演劇やカラオケみたいな発表とは違う落ち着いたプログラムが続くらしい。


「ほら、ここに書いてるの」

 そう言って桜川さんが懐から取り出した二日目の演目に目を通すと、確かに一年三組の発表で音楽演奏会とある。


「こうやって見ると割と本格的な感じするよ」

 俺の真面目な感想を聞いて桜川さんが上機嫌に口元を抑えて笑う。


「小さな頃はね、コンクールでペアで挑んだりしたんだよ。でも緊張した諫矢君の方がよくミスしちゃってた」

 苦い思い出。それをどこか楽しそうに語る桜川さんの横顔が印象に残る。


「それ以来かな。諫矢君が一生懸命になったのは」

「なるほど、そういう経験があいつの根底にあったのか」

 何でもできるのは生まれついての事じゃなかったんだな。当たり前の事だけどこうやって身近な存在で俺はちゃんと理解できる気がした。


「諫矢君いっぱい練習してると思う。バイオリンなんて久々だって言ってた……でも」



「あいつならやれるだろ」「諫矢君ならやれちゃうんだ」」



 二人同時に笑ってしまった。


「ねえ、一之瀬君。来てくれる?」

「行けたら行く」

 何故かクスクスと桜川さんが笑う。


「それ、絶対スルーするやつ」

 そういって、ごめんと付け加えた。


「諫矢君が何でも一番を取るようになったのは多分私に対抗心燃やしたからなんだ。本気になられたら何やっても諫矢君を超えられなくなっちゃった。でも今回は違う。久々に協力して挑むんだ」

「あいつも努力してんだな」

「うん。そしていっぱい悩んでる」

 俺達は歩き出す。


「リア充は大変だな」

 それを言うと、しかし桜川さんは少しだけ悲しそうに笑った。

 渡り廊下を並んで歩きながら心の中でこうも思う。


 ――つくづく俺は。本当に俺はただの空気キャラだ。


 脇役で主人公やヒロインを引き立てる事しかしない。

 でも、それが心地よく思えてしまう。安堵してしまうのはなんでなんだろう。

 諫矢には本音を言ったけれど、俺はやっぱり自分の本心は今でも抑え気味だ。「」

 不意に俺達のすぐ横を子供たちがはしゃぎながら駆け抜けていった。

 招待客だろうか。歳は小学校の中学年か、もっと下くらいか。

 それを見ながら、少しだけ片鱗みたいな幼い日の記憶が蘇る。


 ――そうなったきっかけは。


「俺にも苦い思い出あるよ」

「えっ?」

 桜川さんが驚いたように口を開けていた。


「皆そんなもんだよな」

 この渡り廊下からは秋空が良く見える。ちぎれた雲が絨毯のように淡い青の上に敷き詰められていた。 

 その空を歩いた先にはきっと。

 記憶の遥か彼方にあるそこへ行けるような気がした。

 その場所に戻ってもし違う選択肢を選んでいたら。

 そんな出来もしない想像をしていたら。


「私も応援してるから」

 そっと耳打ちされながら、


「えっ」

 驚いて傍らを見ると桜川さんの顔があった。


「一之瀬君に助けられたお返しに私も一之瀬君を応援するから」

「は?」

 何も言わずに去っていくその背中に声を掛けたけど。


「あとさ……」

 背中を向けたまま桜川さんが何か言いたげに立ち止まる。


「どうしたの?」

「私、西崎さんにも渡瀬さんにも負けないから」

 桜川さんが振り返り、俺を見て言った。


「そっか」

 知らず口の端が上がる。

 桜川さんはそれを確認するようにして微笑を浮かべると小走りで去っていった。

 一人になった俺はもう一度空を見上げる。

 雲の形は崩れかけていて雲間から僅かに青空が見えた。


「そっか――」

 交わした言葉こそ少ないが彼女の感情の程は伝わってくる。

 結果がどうなるとしても俺は素直に桜川さんを応援したい。

 きっと良い方向に行きますように。

 そんなささやかな願いを抱いた。



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