16話 初めての学食
新校舎と同じ時期に改築されたという食堂は、窓から注ぐ陽光で燦々としていた。
それはまるで大聖堂のような神々しさだ。少なくとも俺にはそう見える。
今まさにこの瞬間、俺は学食に足を踏み入れた。それはまるでRPGで初めて登場する大きな城塞都市にたどり着いたくらいの達成感だった。
だめだ、俺おかしくなってる。
きっとそれは強力なパーティメンバーのせいだ。
「いやー、まさかなっちゃんに学食誘われるなんてな―」
券売機に向かいながら、隣を歩く諫矢は上機嫌だった。
「俺もまさかこんな学食を訪れることになるなんて夢みたいだと思ってる」
感慨深げな言葉がついて出てくる。
だってほら、学生食堂って青春のワンシーンに常にあるロケーションじゃないか。
トイレ一つで悩んで何もできなかった陰キャの俺がこんなところに来るなんてそれこそ一気にラストダンジョンに踏み込むようなハードルの高さがある。でも、赤坂と諫矢という強力な二人のおかげでそれはクリアされた。
「今日は何のカレーにしようかな、インド風かグリーンカレーか、それとも海軍カレーか。オプションは久々のでかカツ載せちゃお♪」
しかし、赤坂が来ることを知らされていない諫矢は依然上機嫌だ。さっきからカレーの話しかしてない。
「一之瀬じゃん」
不意に発せられた背後からの声。
振り返ると、赤坂とそれから北見さんが立っていた。
後ろに一つに結ったおさげを小動物のしっぽみたいに跳ねさせて、北見さんは少し警戒した様子だった。
赤坂に誘われて学食に来たら男子の俺たちが現れたのだから仕方ないのかもしれない。
「え、なんで……?」
この状況下が俺と赤坂の間で計画されていたとは知らない北見さんは不安げだ。
丸い眼鏡越しに俺たち男子をまじまじと凝視している。
「あ、赤坂さん。き、来てたの?」
そして、諫矢も同じく苦手な赤坂の登場に焦っている様子だった。これまでの浮かれっぷりが嘘のようだ。
この前の試験前に本性を出した赤坂に詰められたことが相当効いたらしい。神話のどんな英雄にもあるように、こいつにも弱点はあったんだな。
「他にも一緒に食べるって聞いてたけど……まさか一之瀬君と風晴君の事だったの?」
「一之瀬に誘われたんだよね。大丈夫大丈夫。ほら、この二人だったら無害そうでしょ」
赤坂はいつもの気さくで社交的な模範的女子の仮面を張り付かせて言い聞かせる。
「環季ちゃん、一之瀬君に誘われたの? じゃあ本当に付き合ってるの?」
「バ――そんな訳ないし。なんつーかこいつの悩みがどうたらでそれで一人じゃ学食行きにくいからって誘われただけだよ。そういう深い意味はないから」
赤坂は説明するが焦っているのが丸わかりだった。おまけに所々素が出ていて北見さん相手にバカとか言いかけていた。
というか……深い意味ね。
ぼっち飯怖いとか学食絶対食べたいとか、そのための利害の一致で一緒に学食に行くことになった。そんな深い事情は実はあるんだけどここで一から説明してもしょうがないよな。
「それならいいけど……」
北見さんはそんな俺達を見比べながら、しぶしぶと言った様子で頷いた。
そして、俺たちは券売機に並ぶ。
隣の機械に並んだ諫矢はいつも来るだけあって慣れた様子で買っているが、俺の前にいる赤坂は初めてなので時間を取られている様子だった。
ふと、隣に並んでいた北見さんと視線が合う。
北見さんは俺を見ながら、まだ怪訝そうにしている。
「ここにいて、ごめんね」
あ、やば。心の声が漏れた。
「ええ!?」
北見さんは一瞬何を言われたのか理解に時間を要しているようだった。
「そんなに謝ることないと思うけど……」
眼鏡を直しながら消え入りそうな声で言われた。
俺があまりに不幸面していたのかめちゃくちゃ気を遣われている。
でも――
「一度学食で食べてみたかったんだ。これで――」
これでようやく高校生らしい生き方が出来る。
「そうなんだ。それは良かったね」
北見さんは少し引きつった笑みで優しい言葉を掛けてくれた。
それだけで俺は感無量だった。
――さあ、学食とやらを初体験と行こうじゃないか。
券売機に灯るメニューのランプを見ながら、俺は呟いた。
♦ ♦ ♦
俺達は諫矢が一足先に取っていたテーブルにつく。
窓際の長椅子に挟まれた席だ。
俺と諫矢が隣同士、俺の向かいには北見さん、諫矢の向かいが赤坂だ。
「赤坂さんはフライ定食か。今日は白身魚だけど日替わりでたまに超マイナーなやつ出てくるんだよね、おすすめだよ」
「風晴君はカレーライス?」
「そうそう。カレーライスめっちゃ好きなんだよね俺。ここはオイルで辛さも追加できるし福神漬け以外にラッキョウも選べるし学食のレベル越えてるよ。最近は三食カレーしか食ってない」
「千冬ちゃんは?」
赤坂は華麗にスルーすると相席の女子、北見さんに尋ねる。
「ラーメン食べてみようかなって」
「北見さんここ初めてだよね?」
この女子いきなりラーメンかよ。
「うん。せっかくだし特別メニューにしてみたの」
850円の味噌カレー牛乳ラーメンとかいうやつらしい。どんな味するのか字面から想像もつかないし値段も高いから俺は余裕でスルーした。
「いきなりラーメンって北見さん勇気ありすぎる」
このメンバーには赤坂と諫矢という強力なアタッカーがいる、そう思っていた。
しいて言うなら北見さんはヒーラーっぽいとすら思いながら見ていたけど、もはや彼女はこのパーティーの尖兵だ。いや、勇者か。
「そうかな?」
いいながら勇者北見さんはレンゲに乗せた麺とスープをフーフーしている。
「レンゲに入れて食べるとちっちゃいラーメンみたいだね」
前言撤回。なにこの可愛い生き物。
「ここ煮干しラーメンのときは卵タダでついてくるんだよな。今度頼んでみなよ」
諫矢は女子二人と同席したのか嬉しいのか俺と会話するとき以上にテンションが高い。学食自信ニキと言わんばかりに聞いてもいないことを教えてくれる。
トレーのメニューはみんな違ってみんな美味しそうだ。出来たての匂いに食欲がふつふつと湧いてくる。
「それにしてもさ、夏生。そんなんで腹足りるの?」
不意に諫矢が俺のトレーを覗き込むように見て言った。
「せっかくの学食だってのに選んだメニューがひじきサラダとご飯小とあと小皿のコロッケって」
諌矢が指さしたのは、俺の選んだ昼食メニューだ。
黒の木目調が施されたトレーには小さな茶碗と、小皿が二つあるだけ。
他の人に比べたら食事量は三分の一にも満たない。食堂のおばちゃんからしたらひやかしに思われるオーダーかもしれない。
でも、食い過ぎると午後に腹が痛くなるから仕方ないのだ。
それを察してか、流石の諫矢も言葉を詰まらせていた。
「なあ、なっちゃん。もし昼飯代も無いってんなら今度返してくれればいいから貸すけど?」
「お前から借りたらどんな利子と見返り求められるんだろうな」
「貴方達、本当に楽しそうね」
赤坂が冷ややかな目で俺達を見ていた。その横で北見さんは笑いをこらえたような顔だった。
「ごめんね北見さん」
「ううん。大丈夫だよ」
北見さんは朗らかな笑顔で聞き流してくれる。
「でも、給食に比べて高校の学食ってすごいね。メニューもお店みたい」
「わかる」
北見さんと赤坂がそんな会話を交わしいてた。
「これとかほんとうまいし! ただの揚げ物なのに」
白身魚のフライを食べて美味しそうに頬を吊り上げて喜悦の顔を浮かべる赤坂。
「普段パンばかり食べてたけど、これはこれでいいかも」
相当に学食のメシの美味さに感激しているようだ。女子二人が楽しそうに食事するのを見ながら、俺も箸をつけた。
――いただきます。
ひじきの絶妙に味付けされた和の味が口内に広がった。確かにこれは美味い。ひじきでここまで食の喜びをかみしめているのは今ここにいる生徒たちの中で俺一人かもしれないな。
そうやって食べていたら諫矢が天井を見上げながら呟いた。
「俺、中学の給食ほんとダメだったなー」
「給食が?」
「健康志向なのか知らねえけど、給食ってたまにくっそ不味いメニューの日とか無かった?」
大きく伸びをしながら椅子にもたれる。
「例えば?」
「菜の花のおひたしとか漬物とか? とにかく純粋無垢な少年が喜んで食べたくなるようなものじゃねえよあれ」
「純粋無垢って……」
「確かに、育ち盛りの小学生が食べる献立としてはキツいかもしれないよね」
俺のツッコミをスルーしながら北見さんが同意する。
「諌矢って好き嫌いなさそうなのに意外だな」
「ばっか、夏生。俺はこう見えて好き嫌いだらけだって。顔には出さないけどな」
その辺上手いんだなと俺は思った。いつも感情が顔に出る俺とは大違いだ。
「小学校の頃の担任ってさ、絶対全部食べ切れって感じだったんだよな。この時代に虐待かよ」
諌矢は気を取り直したように冷水を口につける。
「だから、カレーの日以外憂鬱でさ。気づいたらカレー大好き人間になってた」
そこまで言って諌矢はカレーをまた一口食べる。
「本当においしそうな顔をするのね」
赤坂は呆れ顔だ。確かにオーバーリアクション過ぎてCMの芸能人の物まねに見えてきた。
そんな風に楽しくランチタイムを過ごしていたのだが――
「あれー、風晴じゃん」
盛り上がりに水を差すような、気だるげな声。
振り返ると西崎率いるグループが顔を揃えていた。俺の肩が自然と強張る。
「おお、一之瀬もいるじゃねえか! 元気?」
その中には須山もいて大きなガタイを揺らして手を振る。
須山は友好的だが他の面々は笑ってない。それもそうだ。ここにいる諫矢以外の俺達は教室で西崎達とは関わりのない相手なのだから。
同じ女子同士でも北見さんや赤坂と西崎はタイプが全然違う。そういう相手と打ち解けようという姿勢をグループである西崎達は取ることはない、取る必要がない。
グループはグループメンバーで固まり学園生活を楽しむだけで十分なのだから。そこによそ者は要らない。
西崎の眉を寄せた表情はそれを如実に物語っていた。
「諫矢……」
「気にするな――」
隣の諫矢が言いかけた所で、西崎の脇からトレーを持ったもう一人の女子生徒がふらっと現れた。
「ごめーん。デザート選んでたら遅くなったー! お、赤坂さんと北見さんじゃん。なぁんか食堂で見るの珍しいね」
ボリューミーなポニーテールを揺らしながらニカッと笑っているのは竹浪愛理だった。
元気そうにはしゃぎながらこちらのテーブルにやってくる。
「隣いいー?」
「え」
なんの前触れもなくそのまま俺のすぐ隣に座る。友好的にしても限度があるだろ。
シトラスの香りが鼻腔をくすぐってきて心中が穏やかじゃなくなる。
そのやり取りを西崎たちも見ているのだが竹浪さんは全く気にしていない。
「つーか風晴。いつもあたしらと食ってんじゃん。今日は何でこのメンバー?」
竹浪さんは不思議そうに問う。そこに他意はなく純粋な好奇心の塊って感じだった。
それを聞いて諫矢も緊張がほぐれたようだった。
「たまにはいいじゃん。夏生が食いたいって言うから付き添ってやったんだよ。そしたらちょうど赤坂さんたちのいる席空いてたから、ほら? 俺って女子基本的に好きだし? いろいろな子と仲良くなりたいじゃん?」
「うわー、チャラい」
竹浪さんが引いた様子で笑っている。ていうか、俺の両脇で会話するのやめてくんないかな。
「瑛璃奈たちも一緒に食べようよ、ここ日当たりも良いし」
そういって呼び込もうとする。確かに後ろの席もがら空きなのでここにいる全員が近くで食べることはできそうだった。
しかし、西崎はまだ不服そう。俺の方を一瞥した後に、
「まあいいか」
そのまま諌矢の隣に座った。それが女王の号令と言わんばかりに須山に数人の男子、それに取り巻きの他の女子たちも皆近くの席についた。
あっという間に場に西崎グループが追加された。何この大所帯。
「赤坂ちゃんはフライ定食かぁ! 今日は白身魚? うわシューマイもあるじゃん。いいな」
「日替わりランチだって。さっきこの人達から聞いたんだよね」
すこしギスギスした空気。しかし、それをガン無視しながら竹浪さんは赤坂に話しかけていた。
今ここでは彼女の能天気でお人好しなところがありがたい。
俺は二人の会話の邪魔をしないように茶碗のご飯を口に運んだ。そして、周囲の様子を窺う。
他の面々はどこか堅苦しそうにしていて、特に北見さんは顕著だった。まさかこの事態になるとは思っていなかったのか所在なさげにしていた。




