4-23 彼女の家庭事情
再び外に出ると白鳥と須山は店の建物から離れた草むらで駄弁っていた。
どうやらまだ休憩を終わらせるつもりはないらしい。
桜川さんの姿はそこにはない。辺りを見渡してみると道路に面したでっかいコンビニの看板の下に立っているのが見えた。
「大丈夫?」
「あっ。一之瀬君」
どうやらスマホでやり取りをしていたようで、俺に気づくと急ぎ気味に懐にしまいこむ。
「また家族が心配してるみたいで」
「またって?」
「うちの親、過保護だから」
桜川さんは独り言のように呟いて笑った。でも、その表情は芳しくない。
「外に出る度にしょっちゅう電話してくるとか? そんな感じ?」
何か引っかかる言い方だ。俺は少し探りを入れてみた。
「今日の事、親には知らせてないの?」
「単に出かけるって言っただけ」
そう言って彼女が見上げた先ではプロペラ機が飛行していた。
コンビニの四角い看板のてっぺんを掠るんじゃないか。そう思えてしまうくらいの低高度だ。
ぶろろろと弛緩するようなエンジン音を震わせ俺達の頭上を通り過ぎて行くプロペラ機。
この辺には空港があるらしいから、そこに向かっているのかもしれない。
「はあ」
現実に戻るようなため息を桜川さんが漏らす。
「せっかく楽しくなってきたのに、うんざり」
「心配してるんじゃないの」
俺の親も結構干渉してくるからな、何となく気持ちは分からんでもない。
だが、桜川さんのメンタルは思っていた以上に深刻そうだ。腕をだらりとさせて幽鬼のような眼差しで俺を一瞥する。
「ほんっと、鬱陶しいんだ」
「う、うん」
実家にいる時もそんな低い声なんだろうか。俺は背筋に怖気が走るのを感じた。
「別に心配しなくてもいいのに」
遠くの青い地平線を見ている。その上には絵画みたいに真っ白な雲がぽつぽつ浮かんでいた。
それなのに桜川さんの表情は暗いままだ。
「うちの親って確かに優しいけど、結局見栄を張りたいだけなの。やる気なくすよね」
そう言ってしゃがみ込んでしまう。
「諌矢君といつも比べられてさ。諌矢君はみたいに頑張んなさいって言うんだよ?」
「桜川さんって一人っ子なの?」
頷くと同時に錦紗みたいな黒髪が彼女の肩をするりと滑る。
「諌矢君も一人っ子なの。だから親同士の競い合いになっちゃってて――」
「ああ。そりゃ大変だ。うちの親はそういう事には無頓着だったからなあ」」
あまり競争をけしかけられたことはないけど今思えば良かったのかな。
「優秀な子供が近くに居ると大変だな」
何でも出来る二人。だけど、俺の知らない所でいろいろ苦労してるんだろう。
「でも、もう勝負はついちゃってるかもね」
「えっ」
はっきりした口調の桜川さん。思わず俺は聞き返していた。
「ほら。私と諌矢君って根本的に性格違うでしょ?」
――似てると思うんだけど?
しかし、首を傾げる俺に対して桜川さんは不満げな表情だ。
「諌矢君は誰とでもうまくやれるけど、私は引っ込み思案だし」
「そうかなあ?」
ますます疑問符がつくな。
「中学になると他の学区から来た人とも一緒になるじゃない? 周りにどんどん知らない人が増えていって、でも諌矢君はそういう人達とも皆友達になれて。気づいたら交友関係とかでも大分差がついちゃったし」
寂しげに彼女の横顔を黒髪が揺れる。
「今じゃ勉強くらいでしか太刀打ちできないし。知ってる? これでも私、スイミングスクールだと諌矢君の次くらいに速かったんだよ?」
幼い日々は今よりももっと拮抗していた。そう言いたげの顔だった。
「多分、今じゃ全然勝てないよ」
「男女のフィジカルって成長するとエグい差が出るからな」
こくりと素直に頷く。桜川さんは今日は素直に頷いてくれる。そう思った。
「ほんと気に入らない」
そういって自嘲する桜川さんに言ってやる。
「でも、俺はそういう関係憧れるけどな」
「えっ」
「桜川さんと諫矢みたいにさ。昔からの自分を知ってる相手がいるのって羨ましいな」
生憎、俺にそんな相手はいなかった。それを伝える。
「俺は中学に上がる時に引っ越してきたから。だからそういう昔からの友達とかいないんだ」
例えば、昔は結婚の約束までした幼馴染と疎遠になったり、実は昔から両想いで付き合うなんて事になったり。
例えば、嫌いだったクラスの腐れ縁と中学で思いもしないきっかけで意気投合したり、なんなら同じ部活で頂点を目指したり。そんな漫画とかドラマみたいな友情に憧れる。
だけど、気づけば俺の周りにはいつもリセットされた環境が広がっていて、そこから上手く気の合う人間を見つけて交友関係を築く。そういう事の繰り返しだった。
「一之瀬君って意外とロマンチスト? そーゆーのに憧れてるんだ?」
有り得なかったもしもを空想していたら、桜川さんがこちらを盗み見ている事に気づく。
「悪い?」
「ううん。私とは真逆だなあって」
ふふと微笑みながら桜川さんが髪を揺らす。
「無かったからこそ憧れるのかも」
「まあ、分かる」
桜川さんは少しだけ悪戯っぽく笑う。
確かに、実際に経験してみたら大したことは無いのかもしれない。寧ろ、それこそ桜川さんみたいに昔を知っている存在が身近に居続けたらハードルになって辛いのかも。
「無い物ねだりなのかなあ」
俺は天を見上げる。
「例えばさ」
すると、桜川さんがいつの間にか隣に立っていた。
「例えばだよ? 一之瀬君と諌矢君が幼なじみで親に比べられるじゃない?」
「俺の親は自分の子供の事なんて諦めてるよ。俺なんかを誰かと比べたりしない」
「例えばの話って言ってるじゃない、もうっ」
桜川さんが可愛らしく唸る。ここは黙って話を聞いた方がよさそうだ。
「例えば、男の子同士の幼馴染でさ。段々実力が開いていったら余計嫌にならない?」
そんな風にありえないもしもを畳みかけてくる。
俺も便乗して妄想を膨らませた。
「確かに……」
昔は対等な関係だったのに片方はモテモテ、一方で俺はパッとしない冴えない学校生活。
そんな違いを思い知らされたら劣等感やばそう。
「それでもやっぱり、昔から分かり合ってる友達っていいなって思っちゃうかもな」
「ふーん。一之瀬君はそうなんだ」
じっと俺の話を聞いていた桜川さんはとても優しい顔をしていた。
「まるで君は今まで屋内で飼われていた犬っころみたいだね」
「い、犬っころ……」
そして、優しい顔で酷い事を言う。何て表現を使うんだろうかこの女子は。
「外に出てすごい嬉しそうに走り回ってるの。一之瀬君って犬っぽい」
桜川さんはくすりと頬を緩める。いじられてるんだろうか。
入学して赤坂や諌矢達と関わるようになって色々な事を経験した。それは確かに新しい体験の連続だった。今まで同じ世界で過ごしていたとは思えないほど、この半年間は劇的な変化の嵐が吹き抜けた。
「夏休みの祭りの時とか本当に楽しそうだったよ」
「そう?」
「初めての物にも真っ向から当たりに行って純粋に楽しんでる。そういうの凄く良いと思う」
「言い方が上手いな桜川さんは」
「もうっ」
怒ったような声音だけど、桜川さんは面白がっている。
きっと照れた俺が反動で素っ気なくしている事とかもお見通しだろう。
「一之瀬君、桜川さん!」
そんなやり取りをしていたら遠くから声がした。白鳥がこちらに向けて手を振っている。
「そろそろ出発だって!」
「分かったー!」
大声で答えつつ、桜川さんの方を振り返る。
「体調は大丈夫?」
「そんなにひ弱そうに見える?」
「この前雨に当たったじゃないか」
「あっ」
付け加えられた俺の一言を聞き、桜川さんは小さく口を開いた。
「そっちの方かぁ」
「どうしたの? 変な事でも言った?」
「ううん。違うの」
桜川さんはきゅっと口許を結んで、笑い出すのを堪えている。
「優しいなって思ったの」
「なっ」
「じゃ、行こっか」
そう言って、桜川さんは白鳥達の方へと歩いて行った。
俺たちの中で一番消耗している筈なのに、不思議とその足どりは軽やかに見えた。