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4-20 さえない励まし役

 すっかり日の落ちた住宅地。

 隣を歩く桜川さんは頭からすっぽりタオルを被っていて、その表情は見えない。

 このタオルはさっきコンビニに寄って俺が買ったものだ。

 買い物している間も桜川さんは店の外で雨ざらしで待っていた。

 きっと沈んだ面持ちをしているんだろうな。そう思いながら俺は何も言わず自転車を牽く。


「さっきはごめんね」

 一つ峠を越えたらしく、雨の勢いはそこそこ落ち着いてきている。


「みっともないとこ見せちゃった」

 それと同時に気持ちの整理もついたのか桜川さんが口を開く。


「いいよ。気にしなくても。雨に濡れて本当に風邪ひいちゃうよ」

「かもね。そうなったらまた休んじゃうかなあ」

 そう言って力無い笑みを向ける桜川さん。

 青い無地のタオルは雨水をたっぷり含み、彼女の輪郭に張り付くように垂れていた。


「優しいね、一之瀬君は」

「俺は別に」

 顔を背ける。


「私って昔っから人見知りするタイプでさ。小さな頃のまともな友達は諌矢君くらいだったんだ」

 懐かしがるような声音。彼女にとって諌矢との思い出は本当にかけがえのないものだったのだろう。


「最初の頃は普通に仲良しだったんだけどさ。四年生くらいになると私と諌矢君の事を冷やかす子とか出てきて――いろいろと困っちゃった」

「子供の頃ってそういうのあるからなあ」

 俺の周りでも似たような事はあった。男女一緒にいると野暮な事を言う奴。子どもの頃は特にそういうのに敏感だから傷つく。

 桜川さんたちの幼少期の様子が何となく想像できる。


「私って、きっとあの頃からずっと引きずっているんだ」

 どこか遠い口調。桜川さんは顔を少し上げる。


「雨、止んで来たね」

「今だけじゃない? 夜になると台風来るみたいだし」

 空模様の話をしながら桜川さんは頭にかかっていたタオルを首元に下ろした。しっとり濡れた黒い髪を頬に張り付かせ、同じように黒い瞳がこちらを見ていた。


「私ダメなんだ。諌矢君なら上手くこなせても私にはどうしても我慢できない事とかいっぱいあって。今もそう」

 言いながら、まるで悪い事をした子供みたいにしょぼくれている。


「ずっと昔の事とか気にして一人で突っ走って諌矢君にも迷惑かけて」

「ダメなんて自分で言わないほういいよ」

 丸く窄まった唇を見ながら、俺は続ける。


「俺からしたら桜川さんも諌矢もすごいよ。そもそも、恋愛で悩むなんて俺には想像もつかない人生のイベントだし。二人は俺がこれからの人生で一切発生しない悩み事を今経験してるんだよ、多分」

「……それは流石に引くかな」

 桜川さんは少しだけ考えた後に小さく声を漏らした。


「ごめんね、一之瀬君」

 涙で腫れた目が優しく細まる。微かに笑っているのだ。

 良かった。さっきよりかは落ち着いてくれたのかな。


「こんな冗談に合わせる余裕があるなら桜川さんは大丈夫だよ」

「うん、ありがと」

 ほっと胸を撫でおろしながら――ふと、俺はいつもこんな自虐ばかりだな。そう思った。

 そんな風にどこか遠い所から自分を客観視しているもう一人の俺がいる。

 これはきっと自分自身にとっては良くない事だ。


 ――でも、今は。

 桜川さんを少しでも勇気づけられるならきっと必要な事だ。そんな風に自分の心に蓋をした。


「まあ、だからさ。俺が言える立場じゃないけど気にしなくていいんじゃないの?」

「ありがとう」

 桜川さんは黙って頷いてくれた。


「変な事言う奴だなって思ってる?」

「……」

 桜川さんは逡巡の素振りを見せ、そして驚くほど素直にこくんと頷いた。


「思ってるのか……」

 ここは上手く空気読んでフォローしてほしかったな。


「一之瀬君って意外に人の為に動けるんだね」

「そう?」

 とぼけてみるけど彼女の言う通りだ。これは偽善だし、人に良く思われたいという俺のエゴから来ている。でも、お礼を言われるのはやっぱり嬉しいな。


「俺、皆に仲良くしてもらったからか分かんないんだけどさ。最近は逆に困ってる人がいるなら助けたいって思えるようになったんだ」

 あの泣きっぷりを見せつけられて俺も何か力にならなくちゃとか、そんな使命感が生まれたのだ。

 或いはいつかの学校帰り。俺がずっと人に言えず悩んできた秘密をいとも簡単に握った女の子(赤坂)が心強い言葉をかけてくれたおかげだろうか。

 まあ、あの日はこんな寒い雨空ではなく暖かな夕焼け空だったが。


「おかしいな。小さな頃からいつも皆のあとをついていくだけだったのに。あれこれ決めつけられるのを黙って聞くだけだったのに」

 そんな、ろくに自分の考えも言えなかった奴が今度は誰かに頼って欲しいだなんて。


「一之瀬君」

「えっ」

 いきなり普通の口調で声を掛けられ、俺は思わず口ごもった。

 頬にぺったりと黒髪が張り付かせ、妙に艶感がある桜川さんが言う。


「つまり、君は今の学校が楽しいんだよね?」

 すごく当たり前にそんな事を聞かれた。

 普通の連中なら難なく答えられるその問いに、俺は一瞬だけ躊躇する。


 入学して間もなくの諌矢とのやり取り、赤坂との謎の因縁と炊事遠足。


 球技大会とその練習で訪れた赤坂の育った郊外の山がちな風景。


 工藤や竹浪さん達と訪れた海沿いの水族館、妙に記憶に残るでっかい大岩。


 そして夏祭りの夜の風景。

 皆の楽しそうな顔と久しぶりに間近で胸を震わせた祭り太鼓の音―― 


 僅かな間に、五感を伴った記憶が巡る。


「そうだね」

 俺はいつの間にか閉ざされていた目を開いた。


「今も文化祭の準備で忙しいけど、うん。楽しいかな」

 そして自分の気持ちに正直に。桜川さんの問いにも正直に。心からの言葉で答えた。


「入学の頃と変わったね。一之瀬君は」

「そう?」

「絶対そう」

 俺以上の自信を持って桜川さんが断言する。

 表情はもう学校で見る時と同じ、おしとやかだけど芯のある頼れる委員長の顔だった。


「明るくなったって感じがする。あと自分の気持ちを素直に開いてる感じもするからかな?」

「いまいち実感がない」

「今は諌矢君だけじゃなくて須山君や斎藤君達とも話してるよね?」

「たまにだけどね」

 しっかり俺の教室内での様子も把握されていたらしい。少し恥ずかしいのと、入学当初はやはりそんなイメージだったのかと落胆した。


「こんなに話しやすい男子だとは思わなかったよ。それに――今の一之瀬君はかっこよく見えるし」

「はあ!?」

 素っ頓狂な声が出た。

 こちらを見ながら桜川さんは微笑んでいる。


「そ、そうなんだ……そう見えるんだ」

 こちらをじっと見る桜川さんの視線に耐えられず立ち止まってしまう。


「そういえば! 話は変わるけど」

 このやり取りから逃げたくなった俺は唐突に話題を変える。

 それでも彼女は俺をじっと見続けていた。


「連休に須山や白鳥と遊びに行くことになったんだ」

「……へえ」

「今まで休みの日にも友達と遊んだりしなかった男がだよ? これって進歩だよね?」

「すごいね。どこにいくの?」

「隣町まで。チャリで行ってみようってなったんだ」

 桜川さんは興味深そうに問い返してくれた。良かった、良い感じに話が流れて。


「意外。男の子っぽい事するんだね」

「とりあえず、朝に博物館で待ち合わせてそのまま国道沿いに山を越えるんだ」

「そうなんだ」

 俺はすっかり気を良くしてそんな事を自分から話していた。

 桜川さんも俺の強引な話題転換に乗ってくれたようで、そんな会話をしながら俺達は歩く。


「いつ、行くの?」

「連休初日」

 連休明けからは本格的に試験対策期間が始まる。遊ぶとしたら最後のチャンスだ。

 そんなやり取りをしていたら向こう側に諌矢の家が見えてきた。


「あ」

 俺は少し考える。

 もし、この二人ずぶ濡れになった姿を諌矢に見られたら――


「大丈夫だよ」

 桜川さんは安心しろとてでも言いたげに小首を傾ける。


「今日は多分予備校だよ、諌矢君」

「ああ、良かった」

 俺の考えている事など桜川さんはお見通しか。


「傘もささずこんなになってたら、何を言われるかたまったもんじゃないよ」

「あはは。今日はありがとうね」

 そして桜川さんの家が見える手前で足を止めた。

 まるで泥遊びでもした後の子供みたいに俺達は笑い合う。


「桜川さん。さっきも言ったけどさ。また困った事あったら何でも言っていいからね」

「うん。じゃあお願いしようかな」

 別れ際、桜川さんはしっとりした髪を揺らし頷いてくれた。


「一之瀬君には何かあったら連絡するかも」

「うん」

 少しだけ寂しそうに笑う彼女と別れた。


「帰ったらさっさとシャワー浴びなきゃ」

 風邪ひいて遊びに行けないとかなったらたまったもんじゃないな。

 そういえば、桜川さん何かあったら俺を頼ってくれるって言ってたな。

 素直に嬉しかった。


「あれ?」

 でも、そこで疑問が沸いた。

 さっきはあんな事言ってくれたけど、別に連絡先交換した訳じゃないんだよな。


 ――まあ、社交辞令的な物だろう。


 濡れたサドルにモヤモヤした不快感を感じながら、俺は自転車を漕いだ。



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