4-17 仮面問答
「で、どうしたんだよ? こんな所まで人を連れ出して」
自販機売り場までたどり着いた所で諫矢が立ち止まった。
「桜川さんのこと。諌矢は何か聞いてる?」
「ああそれか」
俺が尋ねると、諌矢は腰に両手を置いて首を振る。
「さっぱりだよ。そういや昨日はプリントとか届けに行ってくれたんだってな。わりい」
「いいよ全然。帰る途中だったし」
誰から聞いたのかは分からないけど、俺が桜川さんの家に行った事もちゃんと知っているらしい。
「ほんとなら俺が引き受けりゃよかったんだけどな。つーかこうやって夏生と話するのって久々だな」
「席替えしたからなあ」
俺が言うと諫矢は小さく口を開いた。
「あー確かに。お前ほんと甲野とか野宮苦手だもんな」
諫矢に近い席の甲野や野宮達が休み時間になると真っ先に諫矢の元に集う。文化祭の準備の時は女子達がいつもこいつの周りにいる。
それ以外も諌矢と関わる頻度は前より減っていて、今くらいしかこいつに直接聞ける機会が無かった。
「あれから諫矢は桜川さんと会った?」
「全然。家から出てないんじゃないかな。清華の親とうちの親も最近はあんま交流ないし」
そういって青空を眺めて物思いに耽っている。
そうか。幼馴染だもんな。昔は家同士でいろいろ繋がりがあったのかなと俺は想像した。
「そう言えば江崎さんも一緒に行ってくれたんだろ? 珍しい組み合わせだよな」
「おかげで道中ずっと落ち着かなかった」
それを聞くと諫矢が白い歯を見せて笑う。本当に面白そうな顔しやがって。
「だって江崎さん、いろんなこと根掘り葉掘り聞いてくるんだもん。怖いよ」
「あはは。夏生に興味あるんじゃね?」
違う違うと俺は首を振った。
江崎さんは多分いろんな情報を集めて面白がりたいだけなのだ。俺の反応を見て楽しんでいる愉快犯的な所もあるし。
「多分俺に同行したのもそっちが目的だったのかも」
「夏生は赤坂さん以外の女子にほんと免疫ないな。見て分かるよ」
「マジかよ」
そういうの含めて江崎さんに面白がられてんの? いや、どちらかと馬鹿にされてるのか。
俺はがっくり肩を落とす。
「いいっていいって。それが夏生のいいとこなんだから。性格良さそうだし、少なくとも嫌われてはないだろ」
諫矢はそんな俺の背中をぽんと叩きながら励ました。いや、励ましなのかこれ。
「そうなのかなあ」
「そうだって。俺を信じろ」
諫矢が主人公みたいな事言いながら自販機にコインを入れた。
そのやり取りを見ながら俺は尋ねる。
「なあ、諌矢って桜川さんと予備校同じなんだろ?」
「んー?」
改まった問いかけにも諌矢はそっけなく返すだけ。ボタンを小突く長い指が目に留まった。
「桜川さん、予備校にも来てないの?」
「いや」
「あのさ……諌矢」
自販機がガゴンと鳴り、諌矢が缶ジュースを取り出した所で、俺はもう一度声をかける。
「大丈夫か?」
聞きたかった本質には敢えて触れない。俺は諌矢をただ問いただすように言った。
ただならぬ語気を俺から感じたのか、浮ついていた諌矢の表情から初めて笑顔が消える。
「どうしたんだよ、急に」
色素の薄いヘーゼルの虹彩が二度瞬く。
歩道橋で二人が対峙しているのを俺ははっきりと目撃している。その後去り際に見せた桜川さんの泣き顔も。
だからこそ、二人の間に何かあったのだと俺は確信していた。
「諌矢は大丈夫なのかって話。一応幼馴染なんだろ?」
さっき俺を頼れとか言った諫矢みたいに、何で相談しないんだよとか友達だろとか。そんなセリフを俺は吐けない。
だけど、桜川さんの欠席が続いている原因を諫矢も知っているのなら――せめて俺も何か力になれないかと思ったのだ。
「何かあったら俺にも相談してくれ」
「わかったって」
諌矢はへいへいとぼやきながら、長い腕を伸ばしてくる。
「えっ」
そして、視界の上が急に陰った。がしっと俺の頭を抑えられていたのに気づく。
「な、なに」
「俺は大丈夫だっつーの。だからそんな怖い顔すんな」
言いながら俺の髪を乱雑に撫でる。ぐりんぐりんと視界が回る。
「俺は別に怒ってない」
諌矢を友達だと思っているからこそ、俺に相談してくれない苛立ちはある。
だけど、それを責めようとも思わなかった。
「やめろって、そろそろ目が回ってきた」
視界がふらふらする。諌矢にようやく解放された。
でも、諌矢は最後まで飄々さを崩さず。
ジュースを手に取りそのまま教室への帰路につく。
「知ってるか夏生。回転するレコードの上に蟹を乗せるじゃん? つーかレコードって分かる?」
「昔の音楽のやつだろ?」
昭和時代だっけか。
俺が言うと諫矢が頷く。
「んでさ。回るレコードの上から戻すと前向きに歩くんだってよ」
「なんじゃそりゃ」
唐突に何を言うかと思えば。俺はどう返せばいいか困っていた。
諌矢は暫くの間、俺の反応を見てしばらく腹を抱えていた。
何がそんなに刺さったというのか。
「ま、ありがとな」
言い終わらないうちに諌矢は教室へと歩き出す。
諫矢のグレーがかった茶髪を陽光が照らしている。
「本当の事を聞きたかっただけなのにな」
俺は一人そんな事を呟いていた。
廊下の窓からは校舎の真ん中に敷設された中庭が見える。
早朝の授業前という時間帯もあってか中庭には誰もいない。枯れかけた草花の隙間を数羽のスズメが弾むように歩いているだけだ。
須山との会話から始まり朝から無駄に高かったテンションが凪いだ水面のようになっていく。
俺が本当に聞きたかった事はただ一つ、それだけだ。
――あの日、桜川さんと何があったんだよ。諌矢。