3-24 海辺のラーメン屋
季節が真逆だ……
竹浪さんの案内で入った店は、和食、丼ものからラーメンまで幅広い『メシ』を取り揃えていて、まさに大衆食堂って感じの所だった。
カウンター席の奥、海が見える窓辺には靴を脱いで上がる座敷型の席が用意されていて、俺達は店を切り盛りしているおばちゃんの案内でそこに通される。
畳は所々擦り切れていて、い草の匂いがどこか懐かしい。
小さい頃何度も遊びに行った、爺ちゃん婆ちゃんの古い実家を思い出させる。
板張りの壁には色あせた昔っぽい若い女優がビールを持ったポスターが貼られていて、いかにも昭和って雰囲気に満ち溢れていた。
「じゃあ。水持って来るから」
そう言って竹浪さんは行ってしまう。
「工藤君、手伝ったら?」
「そ、そうだな」
ぎいと音をさせながら赤坂が窓を大きく開く。
その言葉に誘導されるように工藤が竹浪さんを追っていった。
よし。赤坂、いいアシストだ。
「竹浪さんらしい店のチョイスだね。なんか、こういう落ち着いたとこ、いいかも」
赤坂はようやく俺の向かい側に膝を崩して座る。すべすべした足先がすーっと畳の上を滑るように伸ばされていく。
窓辺に目をやると、遠くない距離に波が打ち寄せていて、漁船が係留されていた。
その向こうには、駅前で見た時よりも距離が近い分大きくなった小島が浮かんでいる。
緑に覆われた島の入り口には、祀られている海の神様か何かなのか、赤い鳥居が立っている。
「お待たせー」
竹浪さんがお冷の入ったコップを四つ、胸元で抱えて持ってきた。
ぱっぱと靴を脱ぎ捨てると、そのままテーブルに手際よく置いていく。
工藤は何も持っていない。
「……」
赤坂と目と目を合わせる。だめだったかーという、落胆した表情。
まあ、竹浪さんって何でもチャキチャキやっちゃうタイプだし。工藤は積極性に欠けたキョロ充ポジだからこうなる未来は分かり切っていた筈なんだ。
そうだ、分かり切っていて俺達は死地に向かわせたのか。ごめんな工藤。
「じゃあ、何頼む?」
そのまま席に用意されていた一枚っきりのメニューを広げる竹浪さん。年季が入ってラミネートが所々剥がれたそれを四人でまじまじと眺める。
「チャーシューメン」
「じゃ、俺は海鮮丼セット」
にべもなく赤坂がオーダーを告げ、工藤もそれに続く。
「俺は――」
一瞬、ここで食べ過ぎてお腹が痛くなったらどうしようとか考えるけど――でも、この四人なら気にする事も無いだろう。
腹が痛くなったら赤坂に伝えてどこかトイレに行けばいい。
「じゃあ、五目チャーハン。あと餃子かな!」
知らず声のトーンも上がる。
俺の心境を知ってか知らずか、赤坂が生暖かい視線を向けてくる。事情知ってるって顔。あと、調子乗んなって無言で俺に主張している。
「おけおけ。すいませーん!」
テンポよく竹浪さんが店主っぽいおばちゃんを呼んでオーダーを伝える。本当にテキパキしていてリーダーシップある。
「そーいえば。赤坂ちゃんって、めっちゃ可愛くない?」
と、待っている間、竹浪さんが急に会話を切り出す。
「いきなり何……?」
赤坂は口にしたお冷を思わず零しそうになり、むせていた。
「いやさー。今日の服とかもお洒落だし。めっちゃコーデ決めてんじゃん。うちなんて殆ど普段着だよ?」
赤坂の服のひらひらした部分を指先でそっと触れながら、竹浪さんが相好を崩している。
「そ、そうかな?」
赤坂はそう言って俺の方を見るけど、こういう時にどんな顔をすれば分からない。
――何か、言え。
赤褐色の瞳の奥で、ちりと炎が燃える感じがした。ごめんね。
女子特有の探り合いみたいな会話だけど、俺から見ると、竹浪さんは割と本気で赤坂を可愛いと言っているように思えた。
「もっと学校でも絡む機会あればよかったなあって。ああ、これから絡めばいいっかー」
竹浪さんは『あははー』とテーブルに両肘をついて笑う。前のめりになったせいでゆるゆるのシャツからは胸元が見えそうだ。
慌てて視線を逸らした。しかし、竹浪さんの反対側には足を崩して座っている赤坂がいるのだ。くっきり見える白い二本の足。
本当、ここは色々見えてヤバい。普段、女子と一緒にメシを食うなんてしない俺にはハードルが高すぎるシチュエーションだ。
結局、俺の向けた視線は店の天井だった。必死に首を振っている年季の入った扇風機を見上げていたら、程なくしてオーダーしていたセットがテーブルにやってきた。
「じゃあ、いっただきまーす!」
ニッコニコの顔で竹浪さんが箸を割り、食べ始める。
「ねえ、一之瀬。かけすぎじゃないの?」
用意された醤油を餃子に掛けていたら、赤坂に釘を刺される。
「いつも家で食う時はこんなもんだし。青森県民は濃い味が好きなんだよ」
「一之瀬みたいなのがこの県の平均寿命の低下に拍車をかけてるのね。そういうとこ自覚してる?」
赤坂はムッとした顔で小瓶を受け取ると、醤油の出を抑えるように、たちたちと滴を注ぐ。
「まさか、平均寿命でも他の県に勝ちたいとか思ってる?」
「当然でしょ? 打倒長野県」
「長寿日本一の県か」
「そうそう。同じ雪国だし、負けらんない」
そう言って赤坂は餃子を一口で頬張る。
「何か、学校で見る以上に仲良いな。お前らって」
ふと、そんな俺達のやり取りを見ていた工藤が笑う。食べっぷりだけは男らしいようで、海鮮丼はもう半分にまで減っていた。
「そう? それは心外ね」
「ご、ごめん……!」
赤坂が威嚇気味に横目で睨むと工藤が震えた。もう本性を隠そうともしない。
緊張すると食べ物が喉を通らなくなる赤坂だけど、この場では割と早めに食を進めている。学校の食堂で伸びきったラーメンとにらめっこしていたのが嘘のようだ。
一緒にいるのが竹浪さんだから安心感もあるんだろう。実際、俺も結構安心してるし。
四人での会食のネタは徐々に、竹浪さんと工藤の属するグループの話題になる。
「ていうかさ、一之瀬って最近瑛璃奈と仲いいよね?」
「は?」
唐突過ぎて思わずそんな声が漏れた。
「瑛璃奈がさ。一之瀬の事を話す時に、夏生って呼ぶんだよねー」
指摘する竹浪さん。俺の食が止まる。
――やっぱり気づかれてたんだな。
「ね。二人で話すときも呼んでるの?」
そう言って面白がるように俺を見る。
「西崎に頼まれたんだよ」
変に誤魔化して、俺と西崎の間に変な噂が立ったら困る。
意を決した俺は、チャーハンを掬っていたレンゲをそっと置く。
「あいつが諌矢の事を名前で呼ぶようになったのは知ってる? それのとばっちりだよ」
「何それ。超気になる!」
案の定食いつく竹浪さん。一方の工藤と赤坂の頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。
まあ、分かる訳がないか。
「仕方ない。諌矢と西崎には悪いけど……」
俺は、球技大会後の西崎とのやり取りを一から説明することにした。
西崎が諌矢に迫り、互いを名前で呼び合うようになった事。その癖、いざ名前を呼ぼうとしたら恥ずかしいからカモフラージュで俺の事まで名前で呼ぶように求めてきた事。
工藤と赤坂に真相が知られてしまうけど、変に噂されるよりかはマシだ。
俺は今、自分の保身の為だけに行動していた。
「あー。なるほどねー」
一通り、説明した所で竹浪さんは合点がいったと手を叩く。
「瑛璃奈って、ああ見えてシャイだし。いざとなると結構尻込みしちゃうんだよ。だから、一之瀬に手伝ってもらおうって事でしょ?」
食べ終えた竹浪さんは可愛らしくご馳走様でしたと手を合わせて顔を上げる。西崎の事を語る時の天真爛漫っぷりが可愛い。
「西崎の奴はわかるけど……それにしたって、諌矢も変な奴だよなあ」
おっさんっぽくつまようじを口に挟みながら工藤が俺達を見渡す。
「何で西崎と付き合わないんだ? 確かに性格はアレだけどさ。胸でかいし、顔はいいじゃな? 諌矢と釣り合う相手だと思うんだよな」
「舞人下品。死ね」
竹浪さんが間髪入れずに氷のような一言を差し込んだ。
それにしても工藤が学校で見るような調子を取り戻しつつある。第三者の話に会話の主題が映った事で緊張感から解き放たれているのかもしれない。
人の会話で一番盛り上がるのは他人の噂と影口っていうくらいだしな。
「じゃあ、差し引きで付き合いたいとは思えない要素が強すぎるって事じゃないの? 西崎さん、性格きっついし」
「赤坂ちゃん。それ言っちゃう? 私達のいるとこで」
すかさず的確に第三者支点から指摘する赤坂。ツッコミを入れる竹浪さんは苦笑いを浮かべている。
「でも、竹浪さんなら分かるでしょ? 西崎さんってもう少し人の事を考えられるようになれないかな……」
「それね。一応うちも注意してるんだけどね……あはは」
赤坂はお冷の残りをぐっと飲み干し、竹浪さんと目を合わせる。
「それなら、赤坂は――」
「え、何? 一之瀬。聞こえなかった」
俺の呟きに、赤坂が反応。
「いや、何でも無い」
その猫みたいな機敏な反応に物怖じして、俺は言おうとした言葉をすんでで押しとどめる。
西崎を人の事を考えられない人間みたいに言うのは分かる。
でも、そう言う赤坂だって俺に対して、もう少しいたわった言い方をするべきだと思うんだよな。
「そういえばさ。一之瀬って下の名前、夏生だっけ?」
と、竹浪さんがじっと俺を見ている事に気づく。
「えっ? そうだけど」
答えると、竹浪さんは相好を崩す。
「じゃあ、今度から夏生って呼ぶから。だから、うちの事も愛理って呼べ!」
「ええ……」
思わず、そんな声が漏れた。隣の工藤も啞然とした顔で驚いている。
「だって、そうじゃん。せっかくこの四人で来たんだし。もううちら友達っしょ?」
そう言って、俺達三人を見渡す竹浪さん。
「ね、赤坂ちゃんの事も『環季』って呼んでもいいっしょ?」
「え、ええ。まあいいけど……」
突然振られた赤坂は困惑したような顔で答える。
「って事で、四人で写メ撮ろっか!」
それを聞いて最高潮のテンションになった竹浪さん。
嬉しそうな顔でスマホのカメラを向けてくる。
無下に断れる訳もなく、俺は引きつった笑顔で撮影に応じた。




