3-17 期末試験
期末試験は順調に進んだ。
桜川さん達に見て貰った甲斐もあってか、苦手な数学も何とかこなし、対決科目の英語も俺なりのベストは尽くした。
どちらも、前回とは明らかに違う会心の手ごたえだ。
前回よりも順位を大きく上げられるか。俺はそんな希望を抱きながら試験最終日に臨む。
最後の科目は現代文。
「ぅ……」
俺は久々の腹痛に悩まされていた。
これが終われば全日程終了。午前で家にも帰れて期末試験は晴れて終了――の筈だった。
しかし、先ほどからお腹の奥がズンと重い。
正しい選択肢を選ぼうにも、判断力が焦燥感で上書きされていてなかなか解けない。
「――ッ!」
悶絶しながら鉛筆を折れんばかりに握り締める。そうする事でようやく意思を保っている。
言いようのない腹部膨満感。何度も腹が鳴りそうになり、その度にギイギイ鳴らされる椅子の音がカモフラージュする。でも、試験中の静寂では明らかに不自然だ。
それでも、ここに来て退くわけにはいかないんだ。
前回は試験途中に貧血で倒れてしまった。その二の舞にならないように、必死だった。
腹痛を我慢した時に鳴る音は空腹時のグゥーという音とは違う。
腹の中でグルグルと鳴動する間抜けな音は、教室内で聞かれたら恥ずかしさで死にたくなるこの腹め、また!
「――ッッ!」
ギイィと椅子を引き摺る。鬼の形相で何度も椅子を引き擦らせる俺。
テスト中は出席番号に席を替えていて、出席番号三番、後ろの江崎さんが不審がっているのが気配で分かる。
ぷるぷる震えながら問題を解いている背中が気になってしょうがないんだろうとか、勝手にそんな事を思い込んでいる俺。
『試験中に変な音してなかった?』とか、後でそんな事を聞いたりしたら、気まずいったらない。
そう思った瞬間、またも腹で初期鳴動。
「――――ッッッ!」
無言で椅子を擦り鳴らした。
何とか持ちこたえてくれ……頼む。
問題を解きながら、合間に発動する腹の音の前兆に注意しながら、残りの試験時間を過ごした。
俺の期末試験は終始、こんな感じだった。
そして――テスト明けの休み時間。
「ねえ、諌矢。いい?」
授業が終わるのとほぼ同時、遠くの席から西崎がやってきた。
「さっきの日本史、何点だった?」
何気ない口調で髪をいじりながら尋ねる西崎。
短いスカート丈を気にもせず、自然な動きで諌矢の机の上に腰を下ろす。
離れた席のクラスメートの点数を聞けるのは授業が終わった休み時間くらいだ。
「何、点数気になんの?」
「うん。いいじゃん教えてよ」
諌矢は目の前に金髪で殆ど足のミニスカートのギャルが腰かけても全く動じていなかった。
これがコミュ力高位ランクのリア充。
一方の俺はその逆だ。騎馬民族に押されてゲルマン民族がローマに押し出されるように、俺も西崎がやってきたこのエリアから逃げ出したくなる。
「90ジャスト! あんま勉強してなかったんだけどな」
「あー、うざ。何その点数。余裕じゃん」
諌矢がいつもの明るい口調で堂々と答えると、西崎は冗談交じりの毒を吐いた。
しかし、うざいとか言う割に嬉しそうだ。
そんな事を思っていたら、長い前髪を気にしている西崎と目が合う。
「あー。夏生は何点だった……?」
西崎は凄く素っ気ない口調で俺にも点数を訪ねてくる。
とりあえず諌矢の点数知りたかったけど、ここで聞かないと俺が可哀そうだから聞いてやったとか、そんな聞き方。
俺の点数自体は心底興味無いんだろうな。
「あ、いや別に言いたくなければいいけど」
ほらな。案の定こんな事を言ってくる。反応なしと見るやさっさと諌矢に向き直ろうとする西崎。
「96だけど……」
くっと腰をずらして足の向きが変わるタイミングで、俺は答案を見せつける。
「うわきも」
方向転換の途中で動きを止めた西崎は片方の眉だけ引きつらせていた。
諌矢の高得点をうざいって一蹴したのは分かる。俺もうざいって思うから超分かる。
でも……
「何で諌矢よりも点数が高いとキモいんだよ。おかしいだろ」
「はあ?」
ついでに言えば、このギャルは日本語の使い方もおかしい。
「夏生が間違えたのってどこだよ? ちょい見せ」
「あー。ここ」
諌矢が覗き込んでくるので、俺はしまいかけていた答案を西崎にも見えるように広げた。
「きも……」
96点の答案のどこが気持ち悪いのか、それとも俺が気持ち悪いのかはさておき、西崎はまじまじと俺の答案を見ながら、
「漢字ミス……?」
ぼそりと怪訝そうに呟く。
指摘されない程度に彩られた長いネイルで俺の答案を押さえつけている。視界の中で、巻かれた金髪がふわふわ浮いていて気になってしょうがない。
「この問題、竪穴式が堅穴式になっててさあ。本当に惜しかったよな。HAHAHA」
漢字の間違いさえなければ、ほぼ満点だった。
「しょーもな」
西崎は、俺の渾身の自虐風ギャグを真顔でスルー答案を返してよこす。
本当この空気何なの泣きたい。かといって黙ってるとそれはそれで気まずいんだよなあ。
「つーか夏生。珍しく自信たっぷりの顔してるぞ。それに饒舌」
「そうかな?」
諌矢は俺の答案をひとしきり眺めながら、悪戯っぽく目を輝かせる。
「試験の時とテンションちげえ」
「まあ……日本史は得意だから」
俺は殆どの教科で諌矢や赤坂の後塵を拝している。元々、二人とも地の頭が俺より上なので滅法歯が立たない。けど、暗記メインの日本史に関しては別だった。
「確かに、暗記だけは得意って顔してるしな」
「そうだよ。悪いかよ。でも、96は96だからな」
「あはは。こだわるなあ」
気丈に言い返すと、諌矢は持っていた俺の答案をそっと机に戻す。
「んで、瑛璃奈は何点だったんだ? 日本史」
「え? 78だったけど」
俺の代わりに諌矢が問いかけると、意外にもすんなりと西崎は点数を打ち明ける。
「……」
「は? 何? 何か文句あんの?」
俺の視線に気づいた西崎がさっと髪を払いながら不快げに眉をひそめる。
「いや……別に」
そうやって言葉を濁すけど、俺の心中は穏やかじゃなかった。
「へえ。でも瑛璃奈って前のテストは60くらいだろ? 大分上がってんじゃん」
「そ、そう? ま、そこそこ気合入れて暗記したし」
諌矢が褒めるような口調で声を掛け、西崎も白い歯を見せて可愛らしく返す。
「夏生? どうした?」
じっと二人を見ていたら、諌矢がすごく朴念仁な顔で声を掛けてくる。
窓際から注ぐ陽光を蓄えたそのサラサラヘアーは小麦の穂のように黄金に透けていた。
目鼻顔立ちもくっきりしていて、その笑顔は清々しいくらいのイケメンっぷりを惜しげもなく俺に見せつけてきて――
「いや、何でも無い」
俺はそうやって誤魔化すけど。
――さっき、諌矢も西崎の事を名前で呼んだよな?
「あー。そう言えば瑛璃奈。夏生の数学の点数聞いたかぁ?」
諌矢がいつものチャラついたへらへらした口調で西崎を仰ぎ見る。
数学は朝一番の授業で採点結果が返された科目だ。
「知らないけど。つか、あたしが知ってる筈ないっしょ」
西崎はどこか不審そうな顔で相変わらず髪をいじっている。
諌矢はそんな西崎から俺の方へと首を傾け、
「56だっけ?」
俺の点数を確認するように尋ねる。さっきまでのどこか緊張した空気がすっかり霧散する。
「66だ。勝手に下方修正するのマジでやめろ」
言い返すと、諌矢が胡散臭い笑みを作った。
「うわ、何その点数。ひく……」
しかも、それを横で聞いていた西崎がここぞとばかりに俺をディスる。
そもそもの点数が低いのか単純に俺に引いているのか、どちらとも取れる言い方だ。あと、相変わらず語彙と品位に欠けている。
「じゃあ――んっ。じゃあ、西崎は数学何点だったんだよ?」
「え、あたし? 74」
「マジか……」
俺は言葉を失った。まさか、こんな品位に欠けた女子よりも点数で劣るだなんて思ってもいなかったよ。
「あれー? めっずらしいね、この三人の組み合わせ!」
と、意気消沈していた俺を頭から吹っ飛ばすような元気な声。
パーマがかったポニーテールをもさもさと揺らし、カンカン照りみたいな笑顔全開の竹浪さんの登場だ。
「何、愛理。珍しいって」
するっと腰を滑らせて諌矢の机から降りる西崎。
どこか不機嫌さを増した女王相手にも、竹浪さんは怯まない。
「ほら。瑛璃奈が一之瀬と仲良くしてんのって珍しくない? って話」
そう言いながら、ぱたぱたと近づいてニカッと八重歯を見せつける。
「はあッ!? 何でそうなるし!」
一方の西崎は露骨に驚く。
ビクっと身体を跳ねさせるその仕草は、ペット動画で就寝中からびっくりして跳び起きた大型犬を連想させる。
「いや諌矢と話してたからそのついでだし。点数どうなの? って感じ。 何かこいついっつもこの席いるし」
そう言って横目で俺をなじるように一瞥する。俺が背景キャラなのだと言いたいらしい。
「ああ、そうかい」
まあ、それは分かる。
だけど、小学生みたいなわざとらしい仕草で俺から距離を取るのはやめてくれ。普通にメンタルに効く。
「確かに。お前らって前よりも打ち解けてる感あるよな?」
諌矢も竹浪さんに便乗しているつもりなのか。腕を組んで俺と西崎をまじまじと見比べながら、からかうような物言いだった。
「そうか?」
俺は諌矢につっけんどんに言い返すのだが、
「まあ、最近は良く喋るかも」
意外にも、西崎の方は諌矢に頷き返す。
驚くくらいに素直で淀みない動作。ふわりとカールした金髪の先が舞い、俺はそれを目でぼんやりと追っていた。
「何か最近よく関わんだよね」
そう言って、西崎の視線が俺と交錯する。
しかし、それも束の間――
「あ、そろそろ鐘鳴るじゃん。次って何だっけ?」
「英語」
竹浪さんとそんなやり取りをしながら、西崎はさっさと自分の席に戻っていってしまった。
何だったんだろ、今の。
「やば、答案貰いたくないなー」
竹浪さんと諌矢はその流れで、次の授業の準備を始める。
前を向いた長身痩躯の背中を見ながら、俺も英語の教科書を机の上に出しておく。
多分、答案返却だから使わないとは思うけど、一応形だけでも出しておくのが俺のスタイルなのだ。




