月夜の誓い
「う、ぐ……」
雲一つない空に浮かぶ月の光に照らされた大地。そこに衛実は、息も絶え絶えといった様子で這いつくばっていた。
そんな彼を、鍛錬用に作られた木製の薙刀で肩をポンポンと叩きながら衛成は眺めている。
「おーい、何へばってんだ? まだ休んで良いなんて言ってないぞ」
「な、なんで、俺だけ……」
ジリジリと顔を上げて、恨めしげな目を向ける衛実だったが、それを衛成は、ただフンッ、と鼻を鳴らしただけで一蹴した。
「当ったり前だ、どうせ主犯はお前なんだろ? 掟は掟だ、罰はしっかりと受けてもらう。安心しろ、源太にも明日、お前と一緒に罰を受けさせてやるからな」
「明日もあんのかよ……。もうムチャクチャだ」
「ちなみに、今日は徹夜だからな。こんぐらいでへばってもらっちゃあ困るぞ」
「あ、悪夢だ……」
ガックリとうなだれた衛実は、『そうだ、この姿勢のまましばらく休んじまおう』と企み、気絶したふりをする。
しかしながら、そんな息子の浅はかな思惑に気付けぬ程、父も愚かではなかった。
結局、衛実は大股で歩み寄って来た父親に無理やり地面から引き剥がされて、再び終わりが見えない『素振り』という名の罰を続行させられることとなったのであった。
それからしばらく時が過ぎて、小休憩でようやく一息つけるようになった衛実は、大の字を描いて仰向けに寝転がっていた。
「それで? 衛実お前、なんで村の掟を破ってまで、あんな危ない所に行ったんだ?」
荒々しく息をする彼の傍に歩み寄って来た衛成が、その場に腰を下ろしながら、今日の出来事について聞き出す。
一度ちらりと目線を寄越す衛実だったが、気恥しくなったのか、すぐにそっぽを向いてぶっきらぼうに答えた。
「…………別に、父さんには関係ねえよ」
「ほ〜? 俺にも話したくねえ、ってか?
そりゃそうだよなあ。でなけりゃ、わざわざあの立て札を壊してまで先に行こうとは、しねえもんな」
一見、納得して、それ以上問い質すことを諦めたような雰囲気を醸し出す衛成。
しかしすぐに『何もかもお見通しだ』とでも言うかのような得意気な顔をすると、今度は衛実の顔を上から覗き込みながら自信たっぷりに告げた。
「隠さなくたって良いんだぜ?
久々に帰ってくる可愛い可愛い妹の椛を喜ばせたくて、わざわざあんな危ない場所に花を採りに行ったんだよな、お兄ちゃん?」
どうやら当たっていたらしい。衛実の顔全体が、あっという間に赤く染まっていく。
「は、はあ!?
んなわけねーじゃん! 勝手なこと言うんじゃねえ!」
勢い良く起き上がって捲し立てている息子をいじらしく思った衛成は、ニヤニヤとした笑みを浮かべて、両手で『まあまあ』と宥めながら話し続ける。
「んな照れなんなって。別に恥ずかしい事じゃあないんだからよ。
良いじゃねえか、妹を大切に想う気持ち。俺はかっこいいと思うぜ!」
「うっせえ! 茶化してくんな、このちゃらんぽらん!」
「あ〜あ〜、もう耳まで真っ赤じゃねえか。そんなに妹が大好きだったなんてなあ。将来の嫁さんは椛ちゃんだー! ってか〜?」
「ヤメロッーーー!」
ついに耐えきれなくなり、父親に飛びかかってゆく衛実。それを衛成はゲラゲラと笑いながらひらりと躱し、華麗な薙刀捌きで追撃して来ようとする息子を制した。
「お? まだ立ち上がる元気が残っていたか。よし、なら次の稽古だ。手え抜いてた分、きっちりと搾り取ってやるからな!」
舞台の役者よろしく、大げさな動作で武器を構える衛成。見るからに何かしかけて来そうな雰囲気だが、今の衛実少年にとっては、どうでもよかったようであった。
彼はバカ正直に父親の挑発に乗って、木製の薙刀の切っ先を相手の首元へと向けて、真正面から突っ込んでいった。
「ナメんなあああッ!」
少年の、己の意地をかけた戦いが、今始まった。
戦いは、衛実がコテンパンにやられて、再び大地に這いつくばる形で決着がついた。
ひどく体力を消耗して、立ち上がることすらままならないというのに、そんな彼の相手をした男は、憎たらしいくらいに平然とした顔で立っていた。
結果は分かりきっていた。いかに彼が死力を尽くしたとしても、今、この場で、村の長も務めるこの男に敵わないことぐらい、分かっていた。
ただそれでも、一度だけでも良いから、いつも涼しい顔でやり過ごし、煽ってくるこの男に一矢報いてやりたかった。
「ちくしょう…………。なんでだよ、なんで俺は、父さんに勝てねえんだ……!」
「そりゃそうだろ。俺が今まで積み上げてきたモンは、お前なんかよりも遥かに大きいからな。そう簡単にやられてたまるかっての。
それともなんだ? お前は、手を抜いた俺に勝ったくらいでもう満足なのか?」
父親が勝ち誇った顔で挑発してくる。言っていることに納得がいっても、その話し方がどうにも気に食わなかった衛実はキッ、とした表情になって負けじと言い返した。
「んなわけ、ねえだろ! 俺は、俺は絶対に、全力出したあんたを打ち負かして、最強になるんだ!」
少年が勢いに任せて口にした言葉に、何か引っかかるものを衛成は感じたようだ。スッ、と目を細めて、相手を試すような口ぶりで問いかける。
「………へえ、"最強"ね。それで? 最強になってお前は、その後どうすんだ?」
「その後……って、別に最強は最強だろ? その後なんてあんのかよ?」
「あるだろ。例えばな、お前が言う "最強" ってのは、あくまでこの村の中で、ってだけの話だ。他にも村はあんだろ? そんでお前は、他の村の "最強" にも勝てんのか?
それにな、都には、『自分は最強だ!』なんて思い込んでる輩がわんさかいるんだぞ。そいつらに対しても、お前は勝てると本気で言い切れんのか?」
「そ、それは、分かんねえけどよ、でも、勝てるかもしんねえだろ?」
「………………問いを変えよう。衛実、お前は一体、何のために "最強" になるんだ?」
「何の、ために……?」
言葉につまる衛実。いつまで経っても答えが出てこない様子だったので、衛成は『仕方がないな』と苦笑し、1つ、自身の考えを息子に伝えることにした。
「衛実。お前、椛は好きか?」
「は!? な、なんだよ急に」
素っ頓狂な声を上げて赤面する衛実だったが、衛成はそれに構わず大真面目に話を続ける。
「椛だけじゃあねえ。日奈は? 源太は? 村の皆は? お前にとってどんな人達なんだ?」
「どんな人達って……、んなの、皆大事な人達に決まってんだろ。何当たり前みてえなこと聞いてんだよ」
未だに理解が出来ず、眉根を寄せて父を見る衛実。しかし衛成は、そんな息子が口にしたことに何かを見出したのか、満足そうに頷いていた。
「そうか。なら良かった。安心しろ、そんな風に考えてるんなら、お前はこれから先、必ず強くなれる。それは俺が保証する」
「ほんとか? ほんとに俺は強くなれんのか? 父さんよりも強くなれんのか?」
「さあな。俺より強くなれるかは、お前の頑張り次第だ。
ただ、もしお前が今の想いを持ってこれから強くなろうとしてるんなら、1つだけ、俺からお前に誓って欲しいことがある」
「誓って欲しいこと?」
「ああそうだ。もしこの誓いが果たせねえってんなら、この先お前が俺より強くなるなんてことも、"最強" になるなんてことも、一生叶わねえからな」
いつもは何かと反抗するガキ大将の衛実も、"己が最強になる" ために、今回ばかりは大人しく後に続く父の言葉を待っていた。
普段の実戦稽古の時以上に真剣な眼差しを向ける息子を真正面から見据えて、衛成は告げる。
「いいか、衛実。強くなりてえなら、今お前が大事に思っている人達を、必ず護りきると誓え。
どんな奴が相手だったとしても、自分がその場にいる限り、誰一人として喪わないように護りきってみせると」
「………………そんだけ?」
「ほ〜お、『そんだけ』ときたか。そいつは頼もしいこった。けどな、今言ったことを実際にやり遂げんのは、実は結構、難しかったりするんだぞ?」
「心配ねえよ。結局、父さんより強くなりゃ良いってだけの話だろ? だって父さんは、今まで誰かを死なせたことなんて、一度も無えんだもんな!」
自分の考えになんの疑いも抱かずに満面の笑みで言い放つ衛実。そんな息子の正直さが少し眩しく映り、衛成は無意識のうちに顔に微笑みを浮かべて、目の前にいる少年の髪を掻き撫でた。
「なんだ、たまには嬉しいこと言ってくれんじゃねえか。いつもこうだと可愛げがあって良いのにな」
「な、やめッ、だから! そうやっていつまでも子ども扱いすんな!
髪わしゃってすんの止めろ!」
抗議の声を上げて、頭にのしかかる手を払いのけようとする衛実。それでも衛成は、手を止めずにそのままずっと髪を掻き撫で続けていた。
(……お前なら、きっとすぐに俺を超えちまうだろうよ。だからこそ、その強さとどう向き合っていくのか、お前には常に考え続けていて欲しいんだ)
己の息子が、これからどのような成長を遂げて、どのような道を歩んでゆくのかは父親である己にも分からない。しかしだからこそ、父親として息子の行く先を己の生命が尽きる最後の時まで見守り続けようと、衛成は改めて決意をするのであった。
けれど、その決意があまりにも予想外な形で、そして、あまりにも早い段階で終わりを迎えることになろうとは、この時の衛成は想像もしていなかった。