蠢く暗き思惑
ー京・嵐山ー
ここは、この京の街でも有数の居酒屋・山城屋。この店のかきいれ時は、普段、昼間に活動する人々がその日の仕事を終えて家への帰途につくぐらいの時間帯。
寝る前に、一日中頑張った自分達へのご褒美として、一杯やろうと幅広い年代の人々が『酒』という疲れに1番効く薬と賑やかな場所を求めてやってくる。
今日もまた、店の中はこれから押し寄せて来るであろう人々を迎え入れるための最終準備に取りかかる店員達が生み出す喧騒に包まれていた。
そんな中、『準備中』という立て札を置いていたにも関わらず、それを無視するかのように乱雑に引き戸を開けて男がズカズカと入って来る。
「おいおい! まだ店は開いてねえぞ! 『準備中』っていう札がおめぇさんの目に映らんかったのか!?」
突然の出来事に店員達が呆気に取られている中、その場を執り仕切る板長が、空気の読めない無礼な客に詰め寄って行く。
さすがと言うべきか、身体つきは大柄でもないのに『圧』を感じさせるような立ち居振る舞いは、その板長が長く培ってきた物の重さを雄弁に語っていた。
が、入って来た男はそれに全く怯む様子を見せず、むしろ殺気立つような眼で板長を睨み返して、ドスの効いた声で話し出した。
「『山狗』の頭は、どこだ?」
男から滲み出る凄みのある雰囲気に、多少気の弱い店員のいくらかが怯えた表情をする。けれど板長はそれに屈さず『退いてたまるか!』とでも言うように男を睨み返して、答えた。
「『山狗』ぅ……? おめぇさん、来るとこ間違えてんじゃねえか? ここは、居酒屋・山城屋! そんなのも分からねえクソ野郎は、さっさと出ていけってんだ!」
脅しにも近い声音で追い出そうと試みた板長だったが、目の前に立つ男は全く意に返さず、それどころか先程から纏う雰囲気がより一層、危険なものへと変わっていく。
板長は睨み合いながら『もし、この男が襲いかかって来たらどう対処しようか』と考え始めていた。
純粋に身体つきでいえば、目の前の男の方が大きく、それに背中に隠れてよく見えないが、2振りの短刀のような物が見える。
まともに戦おうとすれば、どちらが地に伏すことになるか、それは誰の目にも明らかであった。
そろそろ業を煮やし出した男が背中に掛けていた短刀を取り出そうと腕を動かしかけた時、店の奥から暖簾をくぐって1人の大柄な男がやって来て口を開いた。
「何かと思って来てみれば、貴様か、権八」
短刀に伸ばしかけた手を引き込ませながら、権八は眉をひそめて怒りの感情を露わに『長五郎……!』と『山狗』の頭の名を呼ぶ。
その棘ある鋭い目をした権八を、長五郎は恐れることなく見据えて話を続けた。
「生憎だが、ここでおっ始めたら貴様も八兵衛もタダじゃ済まさん。……とりあえず、こっちに来い」
つい2時間ほど前まで刃を交えていた者を店の奥へと招き入れる『山狗』の頭。権八は険しい顔をしながら、板長を押しのけてその後に続いて行った。
「それで? この忙しい時に何の用だ?」
『長五郎』と呼ばれた『山狗』の頭は、自室にて豪勢に飾り立てられた椅子に腰かけつつ、机を挟んで権八と向かい合いながら問いかけた。
その人を見下すような態度をとる長五郎に、権八はこめかみに血管を浮かばせて、苛ついた口調で答える。
「何の用だと? そんなの、お前達『山狗』が考えもなしに俺達の店を襲いに来たことに決まっているじゃないか! 一体どういうつもりなんだ!」
この権八の発言を聞く限り、謝罪でも求めているかと思うかもしれないが、この場合、少しだけ意味合いが違う。
権八が長五郎を責めているのはあくまで『考えなしに襲って来た』ことであり、『襲いに来る』こと自体には特に気にしていないのである。
その発言に込められた意図を汲み取ったのか、それとも元々そういった問い詰めが来ることが分かっていたのか、長五郎は右手をぞんざいに振り払い、うんざりとした顔で面倒くさそうに口を開いた。
「俺はただ、『あの方』とやらの『"朱音"なる娘を奪え』との指示を己の判断で遂行したまでだ。
聞けば今、八兵衛の所は数が少ないそうだな? ならば、あの時に攻め入っても何ら問題ないだろう」
「"段取り"をしっかりと守れ、と言っているんだ! 何を勝手にお前1人で行動している!?」
「段取り……? そんなもの知ったことか。俺はさっさと目的を遂げて、この胸糞悪い茶番を終わらさせてもらうだけだ」
権八は、先程から自分の考えを軽んじて、まともに相手をしようとしない姿勢でいる目の前の大男が段々憎らしく思えてくるようになり、それが溜め込まれていく前にどうにかして発散しようと半ばヤケクソ気味に吐き捨てた。
「……この、盗賊崩れが……!」
「なんとでも言え。己の物は己で守り、目的を達するならば手段は選ばん。それがこの俺のやり方だ」
清々しいまでに開き直る長五郎は、ただ黙って殺意にも似た目で睨んでくる権八の気をとりあえずは逸らそうと、さして心がこもっていない口ぶりで宥めた。
「そういきり立つな。そうまでして、あの衛実などという男を打ち倒さんと気が済まないのか貴様は」
「………」
「ふん、まあ良い、目的さえ達成出来るなら俺は構わん、好きにしろ」
そこまで言っておきながら、長五郎は先の戦闘で直接ぶつかり合った薙刀使いを思い出して、感慨深げに口を開いた。
「……だが、あの衛実という男、こんな八つ当たり混じりの私怨で殺すには惜しい奴よな」
長五郎の口から出てきた話の内容がとても聞き捨てならないものであると感じた権八は、憤りに身体を震わせながら両手を握りしめて目の前の男を問い質す。
「お前はそう言って……! 強い者に肩入れし、遇するというのか!」
そんな権八の抗議をものともせず、長五郎は『それが事実だ』と言わんばかりに淡々と答えた。
「強き者を遇するのは人として当然の行い。それの何が悪い?」
「ふざけるな! そうやって、力無き者をどんどん打ち捨てて、それが是だとでも!?」
「そうだ。それが世の理だからな。力有りし者が生き残り、力無き者は、その無力さゆえに、滅びていく。
この乱れた世で生き残るのであれば、強くなくてはな。貴様とて、それは身に染みているだろうが」
「……? それは、どういう……」
急に振られた話に思い当たることが浮かばず、眉間にシワを寄せて問いかけてくる権八に、長五郎は過去に起きた1つの出来事を重々しく告げる。
「応仁の乱」
長五郎の発した4文字の言葉に思わず目を見開いて息を飲む権八。
「貴様の親が戦に巻き込まれ、命を落としたといったことは『あの方』とやらから聞いている。なぜそうなったか教えてやろうか?」
固まったまま動かない権八を見据えながら、長五郎は地獄の閻魔のような面持ちで、非情な答えを突きつけた。
「それはな、貴様らが何の力も無い弱者のくせに、戦を甘く見て、生き残ろうと行動しないウジ虫以下のろくでなしであったからだ!」
『自分の家族が貶された』と感じた権八は腹の底から一気に込み上げてきた思いを爆発させて、『この野郎ッ!』と声を荒げながら詰め寄っていく。
互いの拳が届きそうなぐらいまで2人の距離が縮まった瞬間、それまでの空気を破って急に別の所から声がかかって来た。
「……もういい加減良いか? 我もそろそろ飽いてきた」
突如として乱入して来た者の言葉に動きを止める長五郎と権八。2人して同時に声が聞こえた方に顔を向け、そこに1人の謎めいた雰囲気を纏う男の姿を目に留める。
その男を認識した途端、長五郎はさも不愉快そうな顔をし、権八も予想外の出来事に驚いて、若干裏返った感じのする声で男に向けて言葉を発した。
「お、お前は……!」
孔雀の羽の模様が描かれた合羽を羽織り、全体的に修験者のような印象を持たせる黒色の服装に身を固めて、顔を狐の面で隠している男は、中に鎧でも着ているのか、金属の擦れる音を響かせながら2人の元に歩み寄りつつ、奇妙な落ち着きを感じさせる声で権八に言葉を返した。
「久しいな、権八。とは言え、3日ほど前になるだけのことか。して、首尾はどうなのだ?」
男の声とは反対に権八は溜まっていたものを吐き出すかのような声音で長五郎を指差しながら答えた。
「どうも何も! ここにいる長五郎がしでかしたせいで、警戒の度合いが高まってしまった!
せっかく俺が事前に立てた計画も、こいつのせいで全て台無しだ!」
「なるほど。つまりお主は、この長五郎にその責を取れと、そう申すのだな?」
権八の話を受けて、そう結論づける男の強引さに驚いて急に冷静になった彼は、歯切れを悪くしながら言葉を返す。
「い、いや別にそこまでは……」
「ほう? 違うと申すか。我はてっきりそのつもりなのだと思っておったが?」
『俺はただ……』と慎重になって行く権八を捨ておいて、男は次に長五郎の方へ顔を向けて話し出した。
「まあ良い。いずれにせよ長五郎、お主には此度の不始末の責を取ってもらう。さて、処分はいかように、」
「待て、まだ望みが絶たれたわけではないだろう。何故この段階で『処分』などと口にする?」
話を遮って不満を漏らす長五郎を、男は下等生物を見るような目をしながら、残忍な笑いを浮かべた顔で冷酷に言ってのけた。
「何を言うか。失策にはそれ相応の罰が必要。最終的な結果が良くとも関係ない。『失態を演じる』なぞ、普通であれば認められるわけもなかろうからな」
あまりの傍若無人ぶりに、我慢ならなくなった長五郎は椅子から立ち上がり、男に大股で詰め寄って行く。
「貴様……、あまりいい加減なことをぬかすと、」
「忘れるなよ、長五郎。お主の妻子供の生命は、我が手元にあるのだぞ?」
出鼻をくじくように発せられた男の脅しに不吉な予感を感じた長五郎は、掴みかかろうとした手を引き下げた姿勢のまま立ち止まり、口を引き結びながら悔しげな目で相手を見据えている。
男はそんな長五郎に一瞥をくれて『ふんっ』と鼻で笑い飛ばすと、『空き』となっていた椅子に歩み寄り、そこへどっかりと深く腰かけながら、再び『山狗』の頭に目を向けた。
「まあ流石の我も、いきなりそこまではやらん。
が、もしまた次も此度と同じような真似を演じるのであれば……、どうなる事であろうな」
そして目の前の机に肘をついて組んだ手の上に顎を載せながら、太い楔でも打ち込むように2人によく言い聞かせる。
「忘れるなよ、お主ら。我の計らいを乱す者には厳罰を下す。我が目的の1つも叶えられぬ無能なぞ、この世には不要であるからな」
完全に己の支配下に入った空間の中で、下手な動きをせずに、ただ黙って視線を向けてくる2人に、男は『怠けている時間は無い』とばかりに次の策を出すよう促した。
「してどうする? 我の命を果たすにはどうすべきか。よもや何も考えつかぬということはないであろう?」
男から発せられる重圧に何とか耐えながら、権八は懸命に絞り出した自分の記憶を元にして次の策を口にする。
「………今日はこの後、店で宴を開くつもりらしい。恐らくはそこで、俺の主があの2人を労うだろう。狙うならそこしかない」
腕を組んで1つ頷き、『一理あるな。して、どのように攻める?』と椅子の背もたれに身を預けながら先を促す男に権八は詳細を話す。
「手始めに少数の手勢で潜入、騒ぎを起こして撹乱する。その後、大勢で押し寄せる構えを見せて意識をそちらに向けた所で、あの娘を奪う。これでどうだ?」
権八の提案が及第点に届いたのか、満足そうに立ち上がった男は、そこでふと、権八を試すかのような問いを彼に投げかける。
「ふむ……、いいだろう。しかしそれでも、あの衛実という奴が邪魔をするかもしれぬぞ? どうする?」
挑発にも似た男の問いに、権八は大きく深呼吸をして間を置いてから決意を示すように話し出した。
「……その時は、この俺が打ち倒す。受けた借りを、俺に降りかかるこの辛さを、今こそあいつに思い知らせてやるんだ……!」
どこか良くない熱にでも浮かされるかのような様子で血走った目をしながら、そう口走る権八。
「そうだ。その意気であるぞ権八。お主が拠り所にしていた者らが命を落としたのは、ひとえにその男のせいなのであるからな」
そんな彼を3流映画に出てくるような演者に見立てて愉快そうな声で煽り立てた後、男は両手を広げて天を振り仰ぎながら、高々と宣言した。
「では始めようぞ。お主らの望みを叶えさせるために我が与えし任、必ずや果たしてその覚悟を我に示してみせよ!」
そう言って小気味よく高笑いを上げる不気味な男を、長五郎は何とも言い表し難い嫌悪感を顔に滲ませながら、ただ黙って見続けていた。




