STEP3-1 奈々希、留学~咲也の場合~
『少年アズールのいいとこだけを伸ばすことによる、悪党化の回避』。
これが、アズールたちがやってきた試行のコンセプトだった。
しかし、うまくいかなかった。
理由は、そもそも少年アズールに倫理観が欠落していたため。そして、彼の生活環境が、非行を余儀なくさせるものだったためと考えられた。
前世のアズールはもともと、倫理観を持っていなかった。
理由は明らか。やつは『人としての教育』を受ける機会がなかったのだ。
偉名王立研究院で人造夜族として作り出された後は、工作員となるための教育だけを施されてきた。
それも、すべての知識や技能をインストールされたあとは、ただテストを繰り返されたのみ。
なまじ優秀だったがために、そのテストもすべて一発でパスしてしまい、施設の他の夜族たちのように、ともに学びあい、交流する機会が持てなかった。
夢見の神と契約させられて精神系能力を与えられたときも、右目に炎の契約を施されて炎の力を持たされたときも、力の制御をあっさりと成功させた。
そのためやつは最高傑作として特別扱い。部屋も個室を与えられ、さらに他と触れ合う機会は少なくなった。
そんな少年に倫理観が、勝手に生えてくるはずもなかった。
もちろん植えつけられた知識のなかには倫理や道徳、情緒に関する知識も含まれてはいた。
しかしそれはあくまで『任務のため利用すべき知識』であり、『国の道具として管理するために最低限必要な手綱』。
血肉になっていないただの情報が精神を育んでくれるわけもない。
少年アズールは依然として『完璧ないい子を演じることができる、無関心キャラな生体兵器』のままだった。
それでも、救いがないわけではなかった。
最初の暴力は、同級生にいじめられかけた奈々希を助けるため。
最初の盗みは、大商店の前から乱暴に追い払われる、貧しい子供を見たがため。
つまりやつのなかには、正義感や優しさといったものがたしかに見受けられたのだ。
奇跡的に芽生えてくれていたそれらを伸ばし、悪い方向に行かないようにすれば、少年アズールは悪党にはならず、その後の非道も行われずにすむのではないだろうか。
アズールたちの試行はまず、その仮説の元にはじめられた。
だが、これは結局成功しなかった。
王立研究院は王都の真っ只中。周辺には野生の果樹も、魚の泳ぐ小川もない。
そこに一文無し、倫理観なし、就職もままならぬ身の上の少年が飛び出せば――
なんとか奈々希のもとに転がり込ませても、王立研究院ご執心の最高傑作をかくまい続けることは難しく、結局やつは王都に飛び出して同じ運命をたどってしまったのだ。
このへんは現状、どうにもできない、と考えられた。
アズールたちがここまで重ねてきた試行と失敗が、それを裏付けている。
せめて、ゆきさんかナナっち、ロク兄さんがいれば、状況も変わってくるかもしれないが、今いる『プレイヤー』は俺とルナさんとアズールのみ。
よって手を打てるのは、少年アズールがユキマイに留学し、俺たちと出会ってからとなる。
それらを加味し、はじきだされた作戦は――
『とりあえずアズールを留学終わりまでのらりくらりかわしきるぞ作戦』。
やつがユキマイに来た目的は、世界征服の道具として俺を『飼いならす』ことだ。
つまり、最初の段階――俺がヤツにすっかりデレる――が達成できなければ、その先も必然的になくなる、というものだ。
ただし、これはかなり難度の高い作戦でもある。
なぜって、やつは国を背負って俺を『攻略』しにきてるのだ。
やつは王都からお菓子を送らせちゃ献上してきた。それも好みにばっちり合わせたやつばかりを。これで好感度があがらないわけがない。
なおかつ、面白い口調でニコニコ愛想よくくっついてくるし、優しく話も面白いので、俺はあっつー間にやつになついてしまった。
しかし、今の俺たちにはルナさんがいる。
心やさしくも沈着冷静、俺の義姉兼側近として守ってくれるルナさんがいるならば、勝算はあるはずである。
そうふんだ俺たちは、アズールのユキマイ入りから、シミュレーションを開始することを決めた。
YUIと意識接続する要領で、『御座』のシミュレーション機能にアクセスすれば、俺たちはもう、あの日の謁見の間に『いた』。
* * * * *
この日のために磨き上げられ、花や織物で飾られた、どこか素朴な木造の広間。
そこで俺は、サクやルナさん、メイ博士、シャサさんやイサといった側近たちとともに、各国からの留学生たちを出迎えているところだった。
息をすれば、懐かしい木のにおいが、かぐわしい花の香りが、やさしく鼻腔をくすぐった。
後ろ手でそっと、自分の着衣をつかんでみれば、王の装いの滑らかな感触さえ伝わってくる。
そして目の前には、アズールをはじめとした各国からの留学生が七人並んで立っていた。
これらがすべて、脳内への情報の投影にすぎないことは理解していた。
それでも、どうやったって現実のようにしか思えない。
まるで、アニメでみるVRMMO世界に入ってしまったかのよう。
いや、実際VRゲームではあるのだ。
俺たちはこのゲームを、なんとかクリアしなければならない。
悲しい過去を変え、幸せな未来をつかむために。
もう一度ぎゅっと着衣を握り、ルナさんを見れば、ルナさんはうん、とうなずいてきた。
サクがちょっと変な顔で俺たちを見たが、種々の理由からとぼけておく。
やがて留学生たちが自己紹介を始めた。
これは『神の子サクレアのサーガ』で読んだ記述ではあるが、彼らのうち五人がこのさき、このままゆけば俺たちを裏切ることになる。
残る二人のうち、ひとりは清廉潔白すぎてそもそも話を持ちかけられなかったが、もうひとりは話がもつれ、殺されてしまう。
裏切りを犯した者たちの末路も、けして明るいものばかりではない。
今、目の前で希望にあふれた顔をしている若者たち。そのほとんどが、波乱の末に不幸になるのだ――そう考えるとぞっとしない。
そうなのだ。不幸になるのは俺たちだけではないのだ。
そんな未来はもう、来させちゃいけない。
ぐっと気を引き締めて留学生たちを見なおせば、ちょうど最後の一人、アズールが話し出したところだった。
「はじめましてみなさん、僕はアズールといいます。
ナナちゃんのおうちに拾ってもらって、おべんきょうにきました。
こっちの言葉はまだへただから、いろいろ教えてくださいにゃ。
あと、アズールってあんまりかわいくないから『るーちゃん』ってよんでください!」
そしてにぱーっと笑うやつに、うん、と返しかけて自分にストップをかけた。
いけないいけない。俺はこいつとそんなに親しくなってはいけないのだ。
「ん、まあ、仲良くなってから……ね」
俺が生返事を返すと、やつはきょとんとした顔になり、それでもすぐにニッと笑った。
それは一瞬のことだったが、確かにやつの、『梓』の顔だった。
* * * * *
それから俺は、ひたすらのらくらとアズールをかわしつづけた。
いや、俺だけではむりだったろう。
アズールのなかの梓や、ルナさんの協力を得、なんとか一週間を乗り切った。
だがそこで偉名国から、驚きの打診を受けた。
もうひとり、留学生を受け入れてほしいというものだ。
――彼の名は、七瀬奈々希。そう、前世のナナっちだった。




