三段
董卓の死から三日が過ぎた。
長安の街は、董卓の死に沸く歓喜と、その後に訪れた不気味な静寂の間で揺れていた。王允はただちに朝廷の実権を掌握し、献帝を補佐して漢室復興のための政策を次々と打ち出した。董卓によって幽閉されていた名士たちは解放され、洛陽から略奪された財宝の返還が始まり、董卓が発行した粗悪な貨幣は回収されて新しい五銖銭が鋳造されることになった。どれもが漢室の威光を取り戻すための施策であり、長安の民衆は王允を「漢室の忠臣」と讃えた。
しかし私は、王允の政策に一つの致命的な欠陥があることに気づいていた。涼州軍への対応である。
董卓の配下だった涼州の将兵たち李傕、郭汜、張済、樊稠らは、董卓が倒れた後、自分たちの身の振り方に窮していた。彼らは董卓に従ってはきたが、自ら望んで暴虐を行ったわけではない。少なくとも彼ら自身はそう考えていた。そこで彼らは王允に使者を送り、赦免を求めた。
「我々は董卓に従っていただけで、相国様の命令に逆らえなかっただけです。どうか罪を赦し、これからは漢室のために尽くさせていただきたい」
しかし王允は、この要求を冷たく拒絶した。
「董卓の暴虐を支えたのは、お前たち涼州の将兵ではないか。董卓が人を殺す時、その刀を振るったのは誰だ。董卓が都を焼く時、その松明を手にしたのは誰だ。今さら赦免などありえぬ」
王允の言葉は正論だった。董卓の暴虐は、涼州の将兵たちの協力なくしては成し得なかった。彼らは董卓の命令に従い、略奪を行い、無辜の民を殺し、洛陽に火を放った。その責任を問うのは当然だった。
(しかし王允のこの決断は、あまりに潔癖すぎた。政治とは、時に妥協を必要とする。董卓を倒した以上、涼州軍をどう処遇するかが最大の課題だった。彼らを赦免して朝廷に取り込むか、徹底的に殲滅するか王允は後者を選んだが、彼には殲滅するだけの軍事力がなかった。呂布は長安の混乱を収拾するのに手一杯で、涼州への遠征などできる状態ではなかったのである)
私は王允の屋敷を訪れ、率直に進言した。
「王司徒、涼州軍の赦免をお考え直しください。彼らは追い詰められれば、必ず反乱を起こします。ここは一旦、彼らを受け入れ、徐々に軍権を削ぐのが得策かと」
王允は私の顔をじっと見つめた。老いた司徒の目には、これまでとは違う光が宿っていた。それは董卓を倒したという自信と、そして何より漢室の忠臣としての矜持だった。彼は董卓暗殺の成功によって、自分こそが漢室を救う天命を受けた者だと信じ始めていたのである。
「高将軍、そなたの忠言はありがたく受け取る。じゃが、董卓の残党を赦せば、必ずや後々禍根を残す。董卓の一族は皆殺しにせねばならぬ。それが漢室のための正しき道だ」
「しかし、李傕や郭汜たちはすでに涼州に逃げ帰り、兵を集めつつあると聞きます」
「呂布が討つ。問題はない」
王允の声は断固としていた。私はそれ以上、何も言うことができなかった。王允は董卓を倒した男である。その功績の前では、私の言葉など軽いものだったのだろう。
数日後、私は蔡邕の屋敷を訪ねた。
蔡邕は董卓の死後、王允によって一時的に厚遇されていた。董卓に仕えたとはいえ、蔡邕は天下の碩学であり、その学識は誰もが認めるところだったからだ。しかし私は、蔡邕の身に危険が迫っていることを知っていた。
「高将軍、よく来てくださった」
蔡邕は書斎で私を迎えてくれた。部屋には無数の書物が積まれ、書きかけの竹簡が机の上に広げられている。彼は『漢書』の続編を執筆しているところだと言った。
「蔡邕殿、今日は折り入ってお願いがあって参りました。どうか、しばらく長安を離れてください」
蔡邕は筆を置き、私の顔をじっと見つめた。その目は穏やかだった。
「理由をお聞きしても?」
「王司徒は、董卓に仕えた者たちを厳しく追及しております。蔡邕殿も董卓に仕えた身。いつどのような難が降りかかるかわかりませぬ。ここは一時、并州へお越しください。昭姫も心配しております」
「ありがたい申し出じゃ。じゃがな、高将軍。私は董卓に仕えたことを恥じてはおらぬ。あの男は確かに暴虐だった。じゃが、学問を愛する心だけは本物だった。私は董卓のおかげで、この『漢書』の続編を書くことができた。それは事実じゃ」
蔡邕の声には一片の後悔もなかった。彼は董卓の招聘に応じて仕えたが、それは脅迫によるものだった。しかし彼は董卓を恨んではいなかった。むしろ、学問の場を与えてくれたことに感謝すらしていたのである。
「じゃが、もしものことがあれば、昭姫を頼みます。あの子は強がりですが、本当は寂しがり屋ですから」
「必ずやお守りいたします」
私は深く頭を下げ、蔡邕の屋敷を辞した。これが蔡邕との最後の会話となった。
数日後、蔡邕は王允によって投獄された。
きっかけは些細なことだった。王允が董卓の死を語る席で、蔡邕が思わず董卓への哀悼の言葉を口にしたのである。「董卓は暴虐であったが、私には学問の場を与えてくれた。その恩だけは忘れられぬ」と。それを聞いた王允は激怒した。
「董卓に仕えながら、その死を嘆くとは何事か! 貴様も董卓の同類だ!」
蔡邕は獄中で何度も弁明した。「私は董卓の暴虐を肯定するものではない」と。しかし王允は聞き入れなかった。
(歴史書の通りだった。蔡邕は董卓の死を嘆き、王允に投獄され、獄中で死んだ。私はこの結末を知っていたのに、それを変えることができなかった。いや、変えようとしなかったと言うべきか。王允に蔡邕の命を救うよう進言することはできたはずだ。しかしそれをすれば、私は王允の不興を買い、并州への帰還が難しくなるかもしれない。私は自分の保身を優先したのだ。蔡邕殿、あなたは私に娘を託し、私はそれを受けながら、あなたを救わなかった。この罪は生涯消えないだろう)
蔡邕の死は、長安の知識人たちに衝撃を与えた。董卓の暴政を批判していた者たちでさえ、恐怖に震えた。蔡邕は党派を超えて尊敬される学者だったからだ。彼の投獄は王允の評判を傷つけ、「漢室の忠臣」としての王允のイメージに最初の翳りをもたらした。
しかし王允は、それでも涼州軍への強硬姿勢を変えなかった。
むしろ彼は、さらに厳しい姿勢を打ち出した。涼州軍の解体を宣言し、李傕や郭汜らを「董卓の残党」として指名手配したのである。これに対して涼州軍の間には「このままでは皆殺しにされる」という恐怖が広がった。
追い詰められた李傕と郭汜は、董卓の元参謀だった賈詡のもとに相談に訪れた。賈詡は涼州出身の軍師で、董卓の下で数々の策を献じてきた男である。彼は董卓が倒れた後、逼塞していたが、李傕たちの窮状を聞き、こう進言した。
「長安では王允が涼州人を根絶やしにしようとしています。我々がこのまま解散すれば、一亭長でも我々を捕らえることができましょう。そうなる前に、兵を率いて西へ向かい、道すがら兵を集めて長安を攻めるのです。董卓の仇を討つという名目で兵を挙げれば、涼州の者たちは皆味方になるでしょう」
これは賈詡一流の詭弁だった。「董卓の仇を討つ」という大義名分を掲げながら、実態は自らの保身のための反乱に過ぎない。しかし追い詰められた李傕たちにとって、この言葉は救いに等しかった。
「よし、やろう。どうせ死ぬなら、戦って死ぬまでだ」
こうして李傕と郭汜は、涼州に逃げ帰って兵を集め、長安に向けて進軍を開始した。その数、実に十万。涼州の兵たちは董卓の死を知って動揺していたが、李傕が「このままでは涼州人が皆殺しにされる」と檄を飛ばすと、次々とその軍門に下った。董卓が長年にわたって築き上げた涼州軍の結束は、董卓の死後もなお強固だったのである。
鎮北将軍府の執務室で、私はこの報せを聞いた。
李傕と郭汜が十万の兵を率いて長安に向かっている。王允は呂布に迎撃を命じたが、呂布の兵力ではとても対抗できない。長安は再び戦場となるだろう。王允の潔癖な正義は、結局、董卓の時代よりもさらに大きな混乱を招こうとしていた。
「大将、并州の張遼将軍から書簡が届いております」
張五が一通の竹簡を差し出した。中を開くと、そこには張遼の力強い筆跡でこう記されていた。
「将軍、長安に異変あらば、いつでも我らが迎えに参ります。并州の水路は順調に稼働し、五原の馬も、河内の穀物も、将軍のお帰りを待っております。どうかご無事で」
私はその書簡を読み終えると、静かに立ち上がり、壁に掛けた并州の地図を見上げた。北の大地は今、春を迎えているだろう。水路の水が田畑を潤し、かつて賊徒だった者たちが鍬を手に汗を流している。それは私が初めて自らの手で作り上げた国だった。私には守るべき民がいる。育てるべき国がある。
「張五、全軍に伝えよ。長安を発つ準備を整えろ。我々は并州へ帰る」
「承知しました!」
私は窓の外を見つめた。長安の空は、今日も重く曇っていた。董卓の死からまだ一月も経っていない。王允はすでに涼州軍への対応を誤り、李傕と郭汜が迫っている。歴史は史実通りに動き、そして長安は再び混乱の渦に呑み込まれようとしていた。私はその奔流に呑まれるわけにはいかない。
(王允は董卓を討つことで漢室を救えると信じた。しかし彼の正義は、涼州軍への対応を誤り、蔡邕を死に追いやり、結果として李傕と郭汜の反乱を招いた。正義だけでは国は動かない。妥協も、寛容も、時には目を瞑ることも、政治には必要なのだ。王允はそれがわからなかった。董卓と同じように)
私は驍風に跨り、長安の街を最後に一巡した。北門の呉資、東門の章誑、南門の汎凝、西門の張弘彼らは変わらぬ姿勢で門を守り続けている。この数日間、彼らは一度も持ち場を離れず、長安の治安を守り抜いた。私は彼らに深く感謝しながら、最後の指示を伝えた。
「明朝、我々は并州へ向けて出発する。それまで各自、持ち場を死守せよ」
夜、将軍府に戻った私は、最後の夜を昭姫と董媛と共に過ごした。董媛はすでに父の死を知っていた。彼女は何も言わず、ただ項羽の刀を胸に抱きしめていた。私は彼女に何も言えなかった。昭姫もまた、父の死を知っていた。彼女も何も言わず、ただ静かにお茶を差し出してくれた。三人は言葉少なに、しかし確かな絆を感じながら、長安での最後の夜を過ごした。
翌朝、まだ夜が明けきらぬうちに、三千の陷陣営は長安の北門を抜け、并州への街道を北へと向かった。私の胸には董卓から託された項羽の刀はなかった。それは董媛に渡した。しかし私の心には、董卓の理想と、彼の過ちから学んだ教訓が刻まれている。
長安の城壁が朝霧の中に沈んでいくのを、私は一度だけ振り返って見つめた。この都で私は多くを学び、多くを失い、そして多くを得た。董卓の死、蔡邕の死、王允の正義と過ち。それらすべてを胸に刻み、私は北へと向かう。私の戦いはまだ始まったばかりだった。




