梟雄伝 時逢乱世梟雄起 涿郡市井興大義 五段
建安五年、春。官渡の戦いが幕を開けた。
袁紹は十万の大軍を率いて南下し、曹操は官渡に堅陣を敷いて迎え撃った。両軍の睨み合いが続く中、袁紹軍の先鋒を務めた顔良が白馬津を攻めた。曹操は荀攸の献策により陽動作戦を用い、関羽と張遼を先鋒として顔良の軍を急襲した。
関羽は馬上から顔良の麾下を見つけた。数万の軍勢の中、顔良は麾下の中央に悠然と馬を止めている。河北最強と謳われた猛将の姿は、さすがに威風堂々としていた。しかし関羽は動じなかった。彼は馬を駆り、一直線に顔良の本陣へと突き進んだ。顔良の側近たちが慌てて立ち塞がるが、関羽の大刀の前には為す術もない。関羽は顔良の目前まで迫ると、その首を一刀の下に斬り落とした。主将を失った袁紹軍は総崩れとなり、関羽は顔良の首級を手に曹操の本営へと帰還した。
曹操は関羽の功績を称え、偏将軍に任じ、漢寿亭侯の爵位を授けた。さらに袁紹軍の文醜が延津で曹操軍を迎え撃ったが、曹操の伏兵の前に敗れ、文醜もまた戦死した。
この戦いの間、関羽は曹操のもとで厚遇を受けていた。曹操は関羽に黄金を与え、邸宅を賜り、数々の恩賞を惜しみなく与えた。しかし関羽の心は、常に劉備のもとにあった。
ある日、関羽は張遼に自らの胸中を打ち明けた。
「私は曹公に厚遇されている。その恩は深く感じている。しかし私はかつて劉将軍と生死を共にすると誓った。その誓いを違えることはできない。曹公の恩に報いた後、私はここを去るつもりだ」
張遼は関羽の言葉を曹操に伝えた。曹操はこれを聞き、深く嘆息したという。
「雲長は義に篤い男だ。その心を留めることはできまい」
関羽はついに曹操のもとを去る決意を固めた。彼は曹操から賜った漢寿亭侯の印綬をすべて封じて館に残し、劉備への手紙を一通だけしたためて旅立った。手紙にはこう記されていた。
「私はもとより劉将軍に仕える身。曹公のご厚恩には深く感謝いたしますが、旧主を見捨てることはできません。どうかお許しください」
曹操の配下たちは追撃を主張したが、曹操はこれを退けた。
「彼は主君に忠義を尽くしただけだ。追ってはならぬ」
関羽は劉備の妻子を守りながら曹操の領地を抜け、一路劉備のもとへと向かった。それは後に「千里行」として語り継がれる壮挙となった。
一方、張飛は下邳の戦いで行方不明となっていた。
劉備が曹操に敗れて青州に逃れた後、張飛は徐州の芒碭山に逃げ込んでいた。芒碭山は古くから山賊の巣窟として知られ、多くのならず者が集まっていた。張飛はその中に紛れ込み、しばらくは息を潜めて暮らしていた。
当時、長引く戦乱と飢饉により、中国の経済は完全に破綻していた。士大夫階級の人間ですら飢えに苦しむ有様で、かの夏侯淵でさえ、自分の幼い息子を餓死させているほどだった。馬車など贅沢品はもはや遠い昔の話であり、人々は明日を生き延びるだけで精一杯だった。
そんなある日のことである。張飛は部下の一人から、山の麓で柴を拾っている娘がいると聞いた。ただの貧しい農民の娘だろうと思った張飛は、人手が欲しかったこともあり、そのまま山へと連れ帰らせた。
娘は年の頃、十三か十四。粗末な麻の服をまとい、手足は泥に汚れていたが、どこか気品のある顔立ちをしていた。まだあどけなさの残る顔には、しかし乱世を生き抜くための鋭さが宿っている。張飛は彼女を砦に連れて行くと、その身の上を尋ねた。
「お前、名は何という。どこの家の娘だ」
娘は震えながらも、気丈に張飛を睨みつけた。
「……夏侯」
「夏侯? 夏侯淵や夏侯惇の一族か」
「夏侯淵は私の伯父です」
張飛はその名を聞いて仰天した。夏侯淵といえば曹操軍の名将であり、劉備たちが幾度も戦ってきた相手である。その一族の娘が、なぜこんな山中で柴刈りなどしているのか。彼はすぐに合点がいった。士大夫階級ですら困窮しているこのご時世、夏侯家とて例外ではない。生き延びるために、十三、四の娘といえども山へ柴を拾いに行かねばならなかったのだ。
しかし、ここで張飛は引くに引けなくなっていた。すでに山賊の親分として連れ帰ってしまった以上、今さら「間違いでした」と返すわけにもいかない。何より、張飛はこの娘の気丈な態度に、不思議な魅力を感じ始めていた。
後世の法で言うならば、この時点で張飛は不同意性行為罪、強制猥褻罪、不純異性行為、誘拐罪——まさに現代日本では無期懲役または死刑一直線の性犯罪フルコースである。しかしこの時代、山賊の親分が柴刈りの娘を攫って妻とするなど、珍しいことではなかった。いや、珍しくはあったが、侠客の世界では「力ずくで奪う」こともまた一つの掟だったのである。
やがて張飛はこの娘を妻とした。夏侯氏の娘は最初こそ泣いて嫌がったが、張飛の豪放磊落な人柄に触れるうちに、次第に心を開いていったという。事が終わり、娘の素性を知った張飛は、さすがに気まずさと後悔が激しく襲った。夏侯淵の姪を拐かして妻にするなど、もし知られればただでは済まない。しかし、すでにしてしまったことは取り返しがつかず、彼はそのまま彼女を妻として遇することにした。
しかし後日、このことを知った関羽と劉備は、ただただ苦笑いするしかなかった。
「益徳、お前はなんちゅうことをしでかしたんだ。夏侯淵の姪だぞ。向こうさんに知られたら、ただじゃ済まねえぞ」
関羽が呆れたように言うと、張飛は頭をかきながら言った。
「いや、その、なんだ。今さら返せねえし、もう俺の女房だ。夏侯淵に文句があるなら、いつでも来いってんだ」
劉備は深いため息をついたが、やがて笑い出した。
「まあ、益徳らしいと言えば益徳らしい。しかし、夏侯家の娘を娶ったからには、粗末に扱うなよ。侠客の親分として、女房は大事にするのが筋ってもんだ」
「わかってるって! 俺はあいつを泣かせたりしねえ!」
張飛は胸を張って言い切った。こうして張飛は、曹操の縁戚である夏侯氏の娘を妻として迎えることになったのである。後にこの夏侯氏の娘は張飛との間に二女を産み、その二人は劉禅の皇后となる。歴史の因縁とは、まことに奇妙なものであった。
張飛は古城に腰を据えると、ただ兵を集めるだけでなく、劉備と関羽の行方を探し回った。彼は各地に使者を送り、旅の商人や流民から情報を集めた。
「兄貴と雲長は必ず生きている。俺はここで待つ」
張飛はそう言って、毎日城壁の上に立ち、遠くの道を見つめていた。彼は劉備が敗れてから、一度も弱音を吐いたことがなかった。ただひたすらに、再会の日を信じていた。
その頃、劉備は袁紹のもとに身を寄せていた。袁紹は劉備を大いに歓待し、鄴から二百里のところまで自ら出向いて迎えるほどの厚遇ぶりだった。劉備は袁紹の陣営に滞在する間、失った兵たちを再び集め始めた。
この時、一人の勇将が劉備のもとに馳せ参じた。趙雲、字は子龍。常山郡真定県の出身で、もともと公孫瓚に仕えていたが、公孫瓚の滅亡後、故郷に戻っていた。趙雲は劉備の噂を聞きつけ、袁紹のもとにいることを知って、はるばる鄴まで訪ねてきたのである。
「劉将軍、私はあなたと共に天下に挑みたい。どうか私をあなたの配下に加えてください」
趙雲は劉備の前で深く頭を下げた。劉備は趙雲の手を取って立ち上がらせ、喜びの声を上げた。
「子龍、よくぞ来てくれた。あなたのような勇将を得られるとは、私にとってこれ以上の幸いはない」
劉備は趙雲を騎兵の指揮官として迎え入れ、密かに彼と語り合った。趙雲は武勇に優れるだけでなく、冷静な判断力と義を重んじる心を持った男だった。後に彼は劉備の長坂坡の戦いで阿斗を救い、蜀漢の五虎大将軍の一人として名を轟かせることになる。
しかし劉備は袁紹の優柔不断と内部の軋轢に失望し、袁紹に「荊州の劉表と同盟を結ぶべきだ」と説いて、自ら兵を率いて汝南へと向かった。表向きは袁紹のための別働隊だったが、劉備の真の目的は別にあった。彼は各地に散った旧臣たちを再び集め、自分の旗を立て直す機会を窺っていたのである。
関羽は曹操のもとを離れた後、劉備が汝南にいるという噂を聞きつけ、一路南へと向かった。彼は劉備の妻子を守りながら、幾多の関所を突破して旅を続けた。その途上、関羽は劉備が汝南にいることを確信し、古城に立ち寄ることにした。
古城の城門に立った関羽は、城壁の上に立つ一人の巨漢を見上げた。その男もまた、関羽の姿を見つけて目を見開いている。
「雲長!」
「益徳か!」
張飛は城門を開け放ち、駆け出して関羽を迎えた。二人は城門の前で固く抱き合った。別れてから一年余り。互いの無事を確かめ合い、二人は涙を流した。
「兄貴は無事なのか」
「ああ。汝南にいると聞く。すぐに向かおう」
関羽は劉備の妻子を張飛に託し、共に汝南へと向かった。彼らが汝南に到着した時、劉備はちょうど龔都という賊将と合流し、兵を集めているところだった。劉備の傍らには、趙雲の姿もあった。
「兄貴!」
張飛の大声が野営地に響き渡った。劉備は振り返り、二人の姿を認めると、手にしていた書簡を落として駆け出した。
「雲長! 益徳!」
三人は互いに抱き合い、声を上げて泣いた。劉備の目からは止めどなく涙が溢れた。関羽も張飛も、同じように涙をぬぐっていた。趙雲は少し離れた場所で、その光景を静かに見守りながら、深く頷いた。
「よく無事でいてくれた。よくぞ戻ってきてくれた」
劉備はそれだけを繰り返し、二人の手を固く握りしめた。彼は二人の無事を誰よりも喜び、同時に、自分が守るべきものを再び取り戻した実感に胸を熱くした。
やがて四人は古城の粗末な館に集まり、積もる話に夜を徹した。関羽は曹操のもとでの日々を語り、張飛は芒碭山での潜伏と古城での募兵の日々を語った。劉備は袁紹のもとでの経験を語り、趙雲は公孫瓚滅亡後の流浪の日々を語った。四人は笑い合い、時に涙し、そして誓いを新たにした。
汝南での再会を果たした劉備は、再び旗を揚げた。しかしこの地での安息も束の間だった。曹操は袁紹との決戦を前に、背後を脅かす劉備を放置しておくわけにはいかなかった。軍を派遣して劉備を攻撃し、劉備は再び敗れて、今度は荊州の劉表の下へと逃げ込んだ。
劉表は劉備を厚遇し、新野に駐屯させた。新野は荊州の最前線。曹操の勢力圏と接する危険な土地だった。しかし劉備にとっては、長い流浪の末に得た、久しぶりの「寝床」でもあった。
新野でのある夜、劉備は関羽と張飛、そして趙雲を前に、静かに語った。
「俺たちは何度も負けた。本拠地を失い、妻子を奪われ、義兄弟とも離れ離れになった。それでもこうして、また皆で酒を酌み交わしている。俺はこれまで、侠客の親分として筋を通し、義理を重んじてきた。それだけで十分だと思っていた。だがな、この乱世を生き抜くには、それだけじゃ足りねえ」
「兄貴、何が言いたいんだ」
張飛が杯を傾けながら問うた。
「俺たちには、戦略が必要だ。ただ戦って勝つだけじゃねえ。どうやって天下を取るか、その道筋を描ける参謀が必要なんだ」
劉備はその言葉を胸に刻み、新野の地で雌伏の時を過ごした。彼はこの地で、後に自分の運命を大きく変えることになる一人の男と出会うことになる。その男の名は、諸葛亮。字を孔明という。しかしそれは、もう少し先の話だった。
草鞋を編んでいた少年が旗揚げし、侠客の親分となり、流浪の末に徐州牧となった。陳登や孔融の説得を受け、鄭玄の推薦で孫乾を迎え、陳羣を別駕従事に抜擢し、陳到や劉琰といった有能な人材が彼のもとに集まった。しかしその栄光は長くは続かず、彼は本拠地を失い、義兄弟と離散し、流浪の身に戻った。それでも劉備は歩みを止めなかった。
関羽は曹操の厚遇を振り切って劉備のもとに帰り、張飛は山中で耐え忍び、十三歳の夏侯家の令嬢を妻としながら再起の機会を窺った。趙雲は公孫瓚の滅亡後、流浪の末に劉備のもとへと馳せ参じた。四人は再会し、互いの無事を喜び合い、そして再び天下を志した。
劉備は生涯、「我は中山靖王劉勝の末裔、劉備玄徳なり」と名乗り続けた。侠客の親分として、筋を通し、義理を重んじ、人々に親しまれてきた。それだけでは、この乱世は生き抜けない。今必要なのは、「大義」という名の看板である。彼はその看板を決して手放さなかった。どんなに追い詰められ、どんなに嘲笑われても。
草鞋を編んでいた少年が、侠客の親分となり、天下の三分の一を治める皇帝になる。その物語は、まだ始まったばかりだった。




