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第16話:穏やかな前進

 その国は、変わり始めていた。

 だが――

 誰も「変えている」とは言わない。


「……流れが、自然ですね」

 現地の文官が、ぽつりと呟いた。

「ええ」

 隣に立つエリシアは、静かに頷く。

「無理をしていないからですわ」

 書類が流れる。

 人が動く。

 決定が下される。

 どれも、以前と大きく変わったわけではない。

 だが――


「滞りがない……」

「詰まりが、ありませんね」

 違いは、そこだった。


「こちらの案件ですが」

 現地の官僚が、少しだけ緊張しながら差し出す。

「ええ、拝見いたします」

 エリシアは、丁寧に受け取る。

 すぐには答えない。

 まず、読む。

 理解する。

 そして。

「よく整理されておりますわ」

「……え?」

 予想外の言葉に、目を瞬かせる。

「一点だけ、補足するとさらに明確になります」

 さらりと付け加える。

 否定ではない。

 強化だ。

「……ありがとうございます」

 自然と、頭が下がる。


 一方、元宰相ガイウスは。

「ほう」

 帳簿をめくりながら、目を細める。

「余白を残しているのが良いですな」

「余白、ですか?」

「ええ」

 現地の財務官に向き直る。

「詰めすぎると、対応力が落ちる」

「……なるほど」

「このままで結構」

 それだけで終わる。

 変えないという判断もまた、重要だった。


 元騎士団長レオンは、訓練場にいた。

「悪くない」

 短く評価する。

 それだけで、場が引き締まる。

「だが、少し試すぞ」

「はい!」

 兵たちが応じる。

 指示は少ない。

 だが――

「……動きやすい」

「さっきより、連携が……」

 明らかに、変わる。

「難しく考えるな」

 騎士団長は言う。

「隣を見ろ。それだけだ」

 それだけで、結果が出る。


 令嬢たちもまた。

「この順番を少しだけ入れ替えますね」

「え、はい」

 戸惑いながらも従う。

 すると。

「あれ……早い……?」

「滞ってたのが、流れてる……?」

 変化は、小さい。

 だが確実だ。

「ありがとうございます……!」

 自然と、感謝が生まれる。


「……不思議なものですね」

 現地の官僚が、ぽつりと呟く。

「何がです?」

「最初は、少し身構えていたのですが」

「ええ」

「今は……」

 一拍。


「一緒に働くのが、楽しいと感じています」

 その言葉に。

「光栄ですわ」

 エリシアは、穏やかに微笑んだ。


 別室では。

「……あなた」

「なんだ」

 元国王アルベルトと元王妃クラリスが、静かに話していた。

「この国、良いですね」

「ああ」

 短く頷く。

「無理がない」

「ええ」

「だからこそ、伸びる」

 同じ結論に至る。

「少しだけ、手を貸す」

「それで十分ですわ」


 やりすぎない。

 奪わない。

 その距離感が、絶妙だった。


「……クラリス」

「なんでしょう」

「やはり、楽しそうだな」

「そう見えますか?」

 くすり、と笑う。

「ああ、とても」

「なら、きっとそうなのでしょうね」

 距離は、相変わらず近い。


 やはり近い。


「……」

「……」

「……」


 廊下の向こう。

「……落ち着きましたな」

 ガイウスがぽつり。

「慣れてしまいましたな」

 レオンが続く。

「慣れてはいけません」

 エリシアが即座に否定する。

「そういうものですか?」

「ええ」

 一拍。


「ですが」

 ほんの少しだけ、口元を緩める。

「悪くはありませんわね」

 日々は、穏やかに進んでいく。


 急激な変化はない。


 だが。

 確実に、良い方向へ向かっている。


「最近、少し楽になりました」

 現地の役人が言う。

「仕事がですか?」

「ええ」

「前と量は変わらないのに」

「不思議ですわね」

 エリシアは、静かに頷く。

「“流れ”が整ったからでしょう」

「流れ……」

「ええ」

 それ以上は語らない。


 だが、十分だった。


 誰もが、少しずつ気づいている。

 この変化が――

 “無理のない改善”であることに。


 信頼は、ゆっくりと積み上がる。

 押しつけず。

 奪わず。

 ただ、共に働くことで。


 そして。

 この時点では、まだ――

 誰も知らない。


 元いた国で、何が起き始めているのかを。

 だからこそ。


 彼らは、活き活きとしていた。


 迷いなく。

 穏やかに。

 前を向いて。


 それは、嵐の前の静けさではない。


 ただの――

 正しく積み上がっている日常だった。

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