episode9
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episode9
投票会議前
誰よりも早く、マヤは食堂に足を踏み入れていた。
扉が閉まる音が、やけに鋭く響く。
その音が消えたあと、空間はまるで息を止めたように静まり返った。
椅子は整然と並んでいる。
だが、数は揃っていない。
一脚、二脚――
視線を走らせるほどに、欠けた席が目につく。
「……もう、六席分しかないのか」
声は低く、乾いていた。
誰に聞かせるでもない独り言。
中央のモニターは暗い。
何も映していないのに、そこにあるだけで視線を引き寄せる。
マヤは、吸い寄せられるようにモニターの下へ歩み寄る。
棚の奥。
最初から“ここだ”と分かっていた場所。
ゆっくりと、手を伸ばす。
ナイフ。
この廃校に、最初から用意されていたもの。
逃げ道を断つための道具。
選ばれた者が、選ばれた結果を受け入れるためのもの。
指先が柄に触れた瞬間、
金属の冷たさが、じわりと掌に染み込む。
思わず、呼吸が浅くなる。
一瞬だけ、指が震えた。
ほんの一瞬。
まばたき一つ分ほどの時間。
――だが、それ以上はなかった。
「……大丈夫」
自分自身に言い聞かせるように、静かに呟く。
恐怖がないわけじゃない。
ただ、それよりも「終わらせる」という決意のほうが、はっきりしていた。
ナイフを制服の内側にしまう。
胸の奥で、確かな重みを感じる。
その重みを確かめるように、背筋を伸ばす。
表情は、いつもと変わらない。
あの落ち着いた顔。
ただ一つ違うのは――
もう迷う必要がない人間の静けさだった。
ー
投票会議
全員が揃った瞬間、
食堂の空気は限界まで張り詰めた。
誰も口を開かない。
だが、誰も状況を誤解していない。
今日は、疑う日じゃない。
探る日でも、守る日でもない。
“終わらせる日”だ。
マヤは、椅子から立ち上がる。
その動作一つで、
全員の視線が一斉に集まる。
椅子が床を擦る音。
やけに大きく、耳に残る。
一歩。
足音が、妙に重く響く。
二歩。
誰も、彼女の進路を塞がない。
三歩。
中央に立った瞬間、
マヤはようやく全員を見渡した。
「さぁ」
声は低く、淡々としている。
「投票にしようか」
その一言で、
張り詰めていた何かが、音を立てて軋んだ。
「……今から死ぬってのに」
シュウの声が震える。
「怖くないのかよ」
怒りなのか、恐怖なのか、
本人にも分からない感情が混じっていた。
「マヤ、思い残すことはないのか」
ケイスケも問いかけた。
マヤは、首を横に振る。
ゆっくりと。
迷いなく。
「ううん」
一拍。
「もう、何もない」
その言葉のあと、
一瞬だけ、視線が揺れる。
ハヤト。
マナト。
二人の姿を、確かに瞳に刻む。
ただ、それは未練じゃない。
「だったらもういいじゃん!」
マリンの声が鋭く割り込む。
「早く始めよ!」
焦り。
恐怖。
自分が次になるかもしれないという本能的な拒絶。
「お、お前な……!」
ケイスケが制止するが、
マヤはそれを手で制した。
「いいよ」
微笑む。
「マリンの言う通り」
その笑みは、
“逃げ場のない場所”に立つ人間のものだった。
「怖くなる前に、終わらせたい」
その瞬間、
指先がわずかに震える。
それを見逃したのは、
ほとんど全員だった。
ただ一人、
ハヤトだけが気づいていた。
「最後まで」
マヤは続ける。
「私らしく、死なせてよ」
その言葉が落ちた瞬間、
空気が完全に静止する。
ハヤトが立ち上がる。
「……投票だ」
低く、揺れのない声。
「マヤの言う通り、始めよう」
それは無力ではない。
逃避でもない。
妹の覚悟を、
兄として受け取った選択だった。
「本当に、それでいいのか」
ケイスケが、声を強くして確認をとる。
「最後なんだぞ」
ハヤトは即答だった。
「構わない」
迷いのない声。
だが、冷たいわけでも、突き放したわけでも決してない。
「……マナトは」
ケイスケの視線が、弟へ向く。
「いいのか」
その問いは、責めではない。
最後の逃げ道を、差し出すような声だった。
マナトは、言葉を失った。
喉がひくりと鳴る。
呼吸が浅くなる。
気づけば、兄の袖を掴んでいた。
無意識に。
逃げ場を探すように。
「……ぼ、僕は……」
声にならない。
言葉にしようとすると、
胸の奥が、ぎゅっと潰れる。
その沈黙を破ったのは、マヤだった。
「ねぇ」
穏やかな声。
怒りも、焦りもない。
ただ、弟に向けた、最後の声。
「怖くなる前に、やろ?」
急かすようでいて、
実は、マナトを思いやる言葉だった。
マナトは、目を閉じる。
涙が溢れ、止まらない。
「……いやだ……」
小さく、かすれた声。
現実を拒むように、
何度も、首を振る。
「マナト……」
ハヤトが、静かに声をかける。
「マヤのためだ」
背中を押す言葉。
逃げ道を断つ言葉でもある。
「……い、いやぁ……」
喉が震える。
指先を動かす。
拒否したいのに。
止めたいのに。
それでも――
震える指が、ゆっくりと持ち上がった。
マヤを、指す。
一人、また一人。
全員の指が揃った瞬間、
マヤは、静かに息を吐いた。
そして、穏やかに微笑む。
「お兄ちゃん、マナト」
声は、驚くほど落ち着いていた。
「ありがとう」
制服の内側に、手を入れる。
隠していたナイフを、取り出す。
刃が、照明を反射して光る。
一瞬だけ、
その冷たさを確かめるように、握り直す。
「これは……ゲームだから」
淡々と。
誰かの心の逃げ場を差し出す為の言葉だった。
「投票結果に、従うだけ」
ハヤトは、目を逸らさない。
最後まで、
妹の選択を、見届けるために。
マヤは、二人を見る。
「……さよなら」
刃が走る。
短く、乾いた音。
マヤの身体が、
ゆっくりと、崩れ落ちた。
⸻
その後
時間が、止まったようだった。
誰も、すぐには動けない。
息をすることすら、忘れたかのように。
「……嘘だろ」
マリンの声は、現実を拒む音だった。
「マジかよ……」
シュウは、俯いたまま動かない。
歯を食いしばる音だけが、微かに聞こえる。
「……ほんと、強い女だ」
ケイスケの声は、震えていた。
ハヤトは、ゆっくりと目を閉じる。
拳を強く握りしめ、
深く、俯いた。
マナトは、その場に崩れ落ちる。
堪えていたものが、一気に壊れたように。
声を上げて、泣いた。
言葉も、慰めも、
この場では、意味を持たなかった。
ー
夜
寝室として使われている教室に戻ると、
二つ並んだベッドのうち、片方だけが空いていた。
布団は畳まれていない。
枕も、そのまま。
ただ、
“使う人間だけがいない”。
マヤが眠っていた場所だった。
「……おねえちゃん」
マナトは、無意識に呼んだ。
返事があるはずもないのに、
耳を澄ませてしまう。
「……どこ、行ったのかな」
声は、ひどくぼんやりしていた。
悲しみよりも先に、
現実感のなさが勝っている。
人が死んだ、という実感が、
まだ追いついていない。
「マナト」
ハヤトが、静かに呼ぶ。
「マヤは……死んだ」
はっきりと、断定する。
曖昧さを残さない言い方。
「そんなこと、ない……」
マナトは、すぐに首を振った。
拒絶するように。
必死に。
「きっと、、、」
言葉が続かない。
「きっと……迷子なんだ」
自分に言い聞かせるような声。
この廃校は広い。
暗い。
分かりにくい。
――迷っただけ。
――戻ってこれてないだけ。
そう思わなければ、
胸が壊れてしまいそうだった。
涙が、ぽろぽろと零れる。
止めようとするほど、溢れてくる。
並んで座っていた距離が、
ほんのわずかに縮まる。
肩が触れ、
体温が伝わる。
ハヤトは、
静かに腕を伸ばし、
マナトを抱き寄せた。
強くも、弱くもない。
胸に引き寄せ、包み込むように。
それは、
マナトの身体だけでなく、
今にも崩れそうな心の奥まで
覆い隠すための抱擁だった。
マナトの額が、
ハヤトの胸に触れる。
一瞬、身体がこわばるが、
次の瞬間、
その力は抜けていった。
「俺が、ずっとそばにいる」
耳元で、低く囁く。
ただ、
事実として置かれた言葉。
それが、
今のマナトには何よりも重かった。
「……う、うう……」
喉が鳴る。
抑えていた感情が、
声になる寸前で引っかかる。
泣き声にすらなれない音。
ハヤトは腕を緩めない。
同時に、強めもしない。
逃げ道も、
押し付けも、与えない。
「俺は、居なくならない」
もう一度、
はっきりと言う。
それは約束だった。
だが同時に、
“そうであってほしい”という
祈りでもあった。
自分自身に向けた言葉でもあった。
「……うん……」
マナトの返事は、
ほとんど息に近い。
それでも、
確かに“受け取った”と分かる声だった。
マナトは、
ハヤトの服を掴む。
指先に力が入る。
離れないでほしい、
という言葉の代わりに。
「約束だ」
ハヤトは、
そう言って、
マナトの背中に手を置く。
ゆっくりと、
一定のリズムで撫で続ける。
ただ、
ここにいると伝えるためだけの動きだった。
その夜、
マナトは深い麻酔の中にいた。
意識は浮上しない。
目を開けることも、声を出すこともできない。
思考はなく、夢すら断片的で、
自分がどこにいるのかさえ分からない。
それでも――
身体だけが、反応していた。
理由も理解もないまま、
指先がわずかに動く。
掴むものを探すように、
無意識に、隣へと力を寄せる。
そこにある温度。
触れた布越しの感触。
反射的に、
それを逃すまいと指が絡む。
安心した、という感情すらない。
ただ、離してはいけないという本能だけが働いている。
ハヤトは眠ったまま、
その小さな力に気づく。
意識することなく、
引き寄せるように腕を回す。
逃げないように。
振りほどかれないように。
それは守るという意志ですらなく、
兄として染みついた反応だった。
マナトの身体は、
その腕に収まったまま、
次第に力を抜いていく。
意識は深く沈む、
それでも身体は、兄の存在を求めようとしていた。
⸻
翌朝
異常なほど、静かだった。
いつもなら聞こえるはずの、
誰かの足音も、話し声もない。
まるで、
校舎そのものが息を止めているようだった。
「……おはよ」
マナトが、習慣のように呟く。
返事はない。
「……おに……いちゃん?」
寝ぼけた声で、もう一度呼ぶ。
それでも、反応はない。
ゆっくりと、隣を見る。
ハヤトが、横になっている。
ただ――
動いていない。
「……ねぇ……?」
不安が、喉元までせり上がる。
肩に、そっと触れようとしたが反射的に身体が拒絶した。
「……冗談……やめてよ……」
笑いにしようとした声が、震える。
返事はない。
マナトの顔から、
一気に血の気が引いた。
「……おにいちゃん……?」
理解したくない。
理解した瞬間に、
世界が壊れる。
「――おにいちゃん!!!」
声が、壁に反射し、
何度も跳ね返ってくる。
前触れもない。
昨日まで生きていた人間が、
朝になれば、いなくなる。
それが、このゲームだと彼は理解している。
マナトは、倒れ込むように兄に縋りつく。
必死にしがみつく。
「……やだ……」
声にならない嗚咽。
「……離れないって……言ったじゃん……」
約束は、
守れなかったわけじゃない。
ただ――
この世界が、それを許さないんだと思った。
マナトは、壊れたようにただ泣き続けた。
主の好きな団子は三色団子ではなくあんこ




