035 H7.1.17黎明 − H23.3.11起点
もっとも、
「――冬眠カプセルで眠ったあとの、記憶はありませんけどね、もちろん」
と、紗良葉は付け加えて、
「私が眠ってから、私の意識が電子情報として分離されること、それから、福島県の蓼ノ磐島に保存されることについては、事前にカヲルコさんから説明を受けていましたので。話で聞いて、知ってる感じです」
すると、画面の向こうから、スキンヘッドの中年男性が答える。
「まさに、そのとおりです。当初の予定どおりであったなら、紗良葉さんの意識は、西暦2056年に解凍されて、肉体と合流の上、再び、一つになるはずでした」
「はず? 何か、予定外のことでも?」
「そうなのです。……あの、落ち着いて聞いてください」
男性は、ためらうように、しばし、口ごもる。
紗良葉は、無意識に、みぞおちに手を当てて、
「はい」
男性は、しゃべり出す前に、一度、口をあけた。深呼吸をしたのだ。
「2011年の3月11日に、東北地方で、巨大地震が発生しました。それによって、残念ながら、蓼ノ磐島は、海に沈んでしまったのです。海底地殻変動でした」
全くの初耳であった。
「えっ……。なっ、――はあ?」
にわかには、飲み込めない。
紗良葉が絶句すると、男性は、
「ご存じ、ありませんでしたか?」
「はっ、はい。じ、地震があったことも……。私が知識として知っている震災は……日本での大地震は……えっと、関東大震災と、阪神・淡路大震災ですね……」
関東大震災は、歴史の勉強で知った。
また、1995年の阪神・淡路大震災のことは、カヲルコから聞かされた。規模の甚大さはもとより、当時黎明期にあったインターネットによって、被災状況を世界へ発信した、初の事例の一つだからだ。そのため、カヲルコのような専門家には、避けては通れぬ事件だという。
もっとも、当時は、苦労の末に、ようやく、まずは被災地の写真を一枚送れただけだったらしいが。
しかし、2011年の地震は知らなかった。紗良葉は、声を絞り出して、続ける。
「あとは……。でも――けど、東北地方は知らな――えっ、というか、うそでしょ? 映画とか、ヴァーチャル空間の話?」
男性は、首を横に振って即答する。
「いや、現実に起きたことです」
「まさか。さすがに、そんな、そこまでのことが……」
とても信じられなかったが、中年男性は悲しげに、でも、声音は優しく、
「本当のことです。済みません、ショッキングかもしれませんが、こちらをご覧になってください」
画面が切り替わって、一旦、中年男性の顔は消えて、別の動画が始まった。
震災、津波、原発事故。
それは、当時のニュース映像と、新聞記事の写真などを、まとめた内容であった。
紗良葉への衝撃をやわらげるためだろうか、人が亡くなるとか、町が飲み込まれるなどの、直接的な写真、映像は少なかった。
とはいえ、「死者・行方不明者、2万人超」というデータは、はっきりと表示されたし、蓼ノ磐島、郡星研究所が沈む場面も、映し出された。
紗良葉は、人工冬眠カプセルで眠る以前、この研究所で過ごしていたので、思い出や愛着がある。
コンクリートの外壁は水色とグレー、赤レンガの三角屋根、二本の煙突、木造の別棟、庭園のケヤキの大木――どれも懐かしい。よく知った建物が、ひび割れた地面へ、じわじわと沈み込んでゆく映像は、痛ましかった。
やがて、砂ぼこりか、濁流か、判別できない巨大な揺らぎに画面全体が飲み込まれ、何も見えなくなった。
もし、これが作り物の映画ならば、研究所と島が海へ沈み切るシーンまで、はっきり映っているはずだ。そうではないところが、かえってリアルで、恐ろしかった。
動画には、ナレーションと音楽はなかった。ドキュメント映像内の音声は、入っていたが。
それなりに長かった。映し出された新聞記事とか、字幕の文章を読むための時間も、取られていたからだ。五分は超えていたと思う。
やがて、動画は終了し、もとの、テレビ電話に切り替わった。再び、スキンヘッドの男性が画面に登場する。
雰囲気が、暗く、湿っぽくなるのを嫌ったか、男性は、間をあけずに語り始めた。
「……この大災害によって、研究所も水没してしまいましたので、そこの地下サーバーに保存されていた紗良葉さんの意識も、一緒に沈んで、消えたのだと推測されていました。しかし、」
一呼吸を挟んで、言葉を探すように、視線を上に、さまよわせた。
紗良葉は、静かに聞き入っていた。まさしく、ここからが、最も知りたいポイントだったからだ。
今の動画によるショックで、体が小刻みにカタカタ震え出していたが、何とか、そこから少しでも抜け出せるよう、気持ちを外へ、次へ向けた。研究所が壊滅したのに、なぜ、自分は消え失せていないのか。ここを、一番、聞かねばならない。東日本大震災は、人ごとではない。紗良葉にとっても、自分ごとなのである。
紗良葉は、あごと頰と、腹筋に力を入れて、息を殺した。悲鳴、嗚咽、咳など、余計な音を出して、肝心なところを中断させたら、台なしだ。
紗良葉が作った沈黙へ、中年男性の低い声が、揺らぎながら流れ込んでくる。
「しかし――この大事故で、偶発的に、サーバーがインターネットに接続されたらしいのです。結果、サーバー本体が故障する寸前に、紗良葉さんの意識はサーバーから脱出し、恐らく、インターネット空間へ移ったのです」
説明を聞いて、紗良葉は大声で、
「ああッ!」
ひとりでに叫んでいた。
この瞬間、急に、話が見えたからである。




