32.弔い
万友莉には、それがほんの数十秒とも数分以上とも思われる時間の後、少年は泣きながらも口を開いた。
「うぅ……、僕が……、ここが、ゲームの、世界だなんて、浮かれてたから……、この人を、殺して、しまったんだっ……!」
亡骸の脇に膝をつき項垂れて、嗚咽混じりに、少年はそう言葉を絞り出す。涙は止まることなく、その後も彼は嗚咽の中に「僕が」とか「僕のせいで」と繰り返し溢すばかりだった。
その姿に、万友莉は思う。あれは、もしかしたら自分もそうなっていたかも知れない姿だ、と。
偽りの身体で、なにものにも傷つけられない神器に守られて、自分は危機感を失ってはいなかったか――少年の姿に、万友莉はそう己に問いかけずにはいられなかった。そして、その問いかけに、全く油断や慢心が無かったとは言い切れない、と思う。
もし、その甘さが、目の前のような状況を自らに招いたら。もし、そこに倒れ伏しているのが、サラだったら――そんな想像をして、万友莉は恐怖に身震いした。そんなの、絶対に耐えられっこない、心の底からそう思う。そんなことになれば、辛いとか、悲しいとか、そんな感傷よりも何より、絶対に自分を許せない、そう確信できた。
そして万友莉は思う。不謹慎だけど、自分が取り返しの付かない失敗をする前に、こういう場面に直面できて良かった、と。そして、神器も、魔法も、決して万能ではないのだと、改めて心に刻む。
――その時だ。
「いいかげんにして!!」
突然、サラが、通路じゅうに反響するほどの声を上げた。その、叫びにも似た声に、万友莉だけでなく、少年も、思わず視線が引き寄せられた。
「……これ以上、死者を侮辱しないで……!」
今度は感情を抑え込んで絞り出したようなそのサラの声からは、しかし、静かな怒りと、強い悲しみが、確かに伝わる。
「あなたのせい? 自惚れないで。エクスプローラはね、みんな、覚悟と、責任と、誇りを持って、命を懸けてダンジョンに潜ってるの。信念を持って戦っているの。その人のどんな行動も、決断も、誰のせいでもない、尊重すべきその人のものなの。決して、あなたの自己憐憫の道具にして良いものじゃない」
「そんな……、僕は……」
「そんなつもりはない? いい? あなたがどう思おうと、たとえ本当にここがあなたの言うようなゲームの世界だったとしても、私たちは過酷な現実に生きてるの。あなたが浮かれていようと気を引き締めていようと、危険なんてダンジョンのそこら中にあるの。あなたの言い様からは、あなたの気持ち一つでそんな危険なんて無いものにできる、そんな傲慢しか感じないわ。冗談じゃない! それが自惚れじゃなかったら何? マスタなら何でもできるとでも思っているの? ……そうじゃない、そうじゃないから、だけど、マスタはこの世界にとって大事な存在だから、それをみんな知ってるから、命だって懸ける。その献身を……あなたなんかが、穢さないで……!」
サラは必要以上に感情的になっている、万友莉にはそう思えた。だけどその、感情のまま、溢れるに任せた言葉は、下手な理屈なんかよりずっと説得力を持つようにも感じられた。
だけど、サラ自身は気付いているだろうか? そこには、シゲハルさんやその仲間への想いも強く関係している、万友莉は直感的にそう感じた。
この世界で、冷遇されつつあったサラを引き取り、槍術の手ほどきやエクスプローラとしての心得を伝えた、サラの『師匠』。同時に、マチルダたちと共に、サラにとっての『家族』だった人。
万友莉はサラから彼について多くを聞いてはいない。だけど、多くを語らない、あるいは語れない、ということが、サラがそれだけシゲハルさんを大切に思っている証なのだろう、と万友莉には思える。
そのシゲハルは、ダンジョンから帰ることなく、神器だけがサラに託された。それはサラにとって、どれだけ辛いことだったろう? それでもサラはその神器を手に取り戦っている。そこには強い信念があるのだろう。きっと、サラがマスタであることを公にしていないのも、自分のように消極的な理由ではない、そう前にも感じたことはやはり間違っていないと思える。だからきっと、サラの言葉は、こんなにも、私の胸にも痛いのだ、万友莉は、そう思う。
サラの事情なんて露程も知らぬ少年にも、その言葉から感じるところはあったのだろう、彼はもはや言葉無く、ただ死者の前に頭を垂れるばかりだった。
「……すいませんでした」
目の周りを赤く泣き腫らした少年が、トーマスの体を検分していたサラに、しゃがれ声でそう口にした。
「……別に、私があなたに謝られる筋合いはないわ。何に対する、すみません、なの?」
「それは……僕の、甘さが、色々な人に、迷惑を掛けてしまったことです……」
「……迷惑、か。ねえ、エクスパート・グレードのパーティなんて、この大陸全体で見ても数えるほどしかない、っていうのはそれほど大袈裟な表現でもないの。ユニオンは、そんな優秀なパーティをあなたの教育係にした。彼らも、それを納得して請け負った。迷惑なんて最初からある程度織り込み済みよ。それでも、あなたには、マスタには、それをする価値があるってこと。解る?」
「…………たぶん、まだちゃんとは解っていないんだと思います……」
「……そうね、簡単に、解る、なんて言われるよりはずっと良い返事だわ。でも、そういったことを考えたり、解ろうとすることは、やめないで」
「……はい」
そんな少年に軽いため息を一つ漏らしてから、サラは話題を変えた。
「……ところであなた、トーマスはいつまで生きていたか、分かる?」
「……あの後、フラガラッハに下層までの最短ルートを聞きながら無我夢中で走って、どこかのセーフセクターで気が抜けて寝落ちして、目が覚めた時には、もう、呼吸をしていなかったと思います……」
「じゃあ、もう三日くらいは経ってしまってるのね……。あなた、彼が死んだと気付いてから、防腐の魔法はかけた? クリーニングの魔法でも効果はあったはずなんだけど」
「……思いつきませんでした」
「……そう。そうよね、死んだゲームキャラが腐ったりはあまりしないものね」
「…………はい」
「ああ、ごめん、別にこれ以上あなたを責めようってわけじゃないの。ただ、腐敗が始まってしまっているから、彼を地上へ連れ帰ることはできないわ。……分かった? これが、現実なのよ。人が死ねば腐るし、ましてや、蘇ることなんて、無い」
「はい。……はい……」
再び涙が込み上げたのだろう、少年の声は、また、震えを帯びた。そんな少年に、サラは先ほどよりは優しげなため息を一つついてから、声を掛ける。
「……後悔があるなら、最後はちゃんとあなたが葬ってあげなさい。魔法の使い方は、もう教わっている?」
「……はい」
「じゃあ、炎の魔法を、彼に。もう魔法への抵抗力は無いから、そんなに強い炎でなくて良いわ。遺骨は、あなたが責任を持って持ち帰るのよ」
「……分かりました」
言って、少年は立ち上がり、サラもトーマスの遺体から距離を取る。
魔法を使うためには呪文が必要だが、呪文に定型は無い。魔法を使う、それを強く意識して、求める現象を言葉にして、ハッキリ声に出す。万友莉がサラから聞いたその魔法の使い方は、マイに教わったものと大差ない。
「魔法の炎よ、その姿をここに現し、聖なる力を以て、勇敢なトーマスの体と、魂を、どうか、天まで送り届け賜え」
少年は、日本語でそう唱えた。万友莉はそれを、少年期にありがちなかっこつけだとは思わない。その言葉は、確かに心からの想いが込められている、彼の真摯な祈りだと思えたから。
そして、それはまるで棺のように、トーマスの体を白みを帯びた炎が囲い込み、そして、死者を覆い隠すように包み込んだ。煙はあまり立たず、明確な光源の知れないダンジョンの中空に、わずかに白っぽい揺らぎのように立ち上る。それは万友莉には、魂というものがその貌を現しているように見えた。
間もなく、万友莉はアヴァタ越しに、においを感じた。それはほんの微かな、肉の焼けるようなもので、万友莉はそれを、不快なものと感じた。そう感じたのはきっと、それが人の焼けるにおいだと認識しているからこその、心理的な側面が強いのだろう、と万友莉は思う。
だからだろう、万友莉には、燃える遺体のすぐ側にじっと立つ少年が、まるで自らを戒めているように感じられた。
少年は、全ての煙が、不思議と一方向へ、まるで導かれるように流れ去り、炎も消え、そこに遺骨だけが残されるまで、ただじっと、そこに立ち続けた。




