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「と、その前に櫻川さんを安全なところに隠さなきゃ」
あの様子では何が引き金になって晶湖に目が向くかわからない。
晃輔にとって晶湖の安全確保は最優先事項である。
「何故櫻川さんを?」
朔は疑わしそうに晃輔を見る。
「送るところを見られたようだ。」
晃輔はなるべく何でも無い事のように伝えた。しかし、無駄な努力だった。
朔がキッと晃輔を睨む。
「何故そのように迂闊なのです!」
朔の雷が炸裂した。
「はい、すみません!怒られると思ってました!⋯まぁ…どこから見られてたのかはわからない。気配を消して近くから見てたなら、さっきの仮説は成り立たないな。」
そしたら仮説はぱぁだ、とばかりに晃輔は片手をあげた。もう片手はハンドルをにぎっている。
それから気を取り直したように、ハンドルを握り直し、ちらっと腕時計を見た後、前を向いたまま朔に告げる。
「まだ時間的に大丈夫だよね、朔さん、櫻川さんに業務連絡で明日出勤時一泊できる準備してきてって。着替えといつもの洗面用具ぐらいがあれば大丈夫ってメッセージ送ってくれる?」
「よろしいですが、どこに避難させるのですか?巴では流石にまだ守りきれるだけの力はありませぬ。櫻川さんのご自宅に私が結界を張ったほうがよろしいのでは?」
朔は不思議そうに異を唱えた。
「うーん。考えたくないけど、もし朔さんにちょっと本気だしてもらわないと行けない場合、僕も護って子供たちも護ってってなると櫻川さんの結界までは大変かと。僕の霊力的にも」
朔はハッとなった。
「ですが、どちらへ櫻川さんを匿われるのですか?」
しかし朔としても晶湖の身の安全は朔も安心できるところでなくては信用できない。
「僕の知ってる限り一番安全なところ」
「ですからそれは⋯あ、もしや」
晃輔は朔にニヤッと笑ってみせた。
「はい、多分正解。兄貴のところ。正確には義姉さんのところ」
「た、確かにそこでしたら⋯」
安全だろう。朔は言葉を飲み込んだ。
人には色々な種類の人間がいる。殆どの人間は、モノノ怪や妖の類などとは縁など無く生涯を過ごす。
たまにそういったモノが見えたり、晃輔のように霊力が強く、多少なりとも渡り合えたりするものも存在する。稀にモノノ怪や妖に全く力を振るわせない人間も存在する。その人間の前では弱い妖なら消滅するし、強いものでも力を封じられ赤子同然になってしまう、そんな人間がいるのである。それが晃輔の義理の姉、壮亮の妻の碧子である。
子供の頃から晃輔と同じようにモノノ怪や妖の類が見えていた壮亮は、実はとても怖がりだった。人にはなるべくバレないようにしていたが。なるべく見ないようにし、どうしようもないときは晃輔に頼って生きてきた。そうして大学生になったとき大学のサークルで碧子に出会い、碧子がそういう特殊な人間であることを知った壮亮は、口説きに口説きに口説き落としてやっとの思いで付き合い始め、結婚にまでこぎつけ、今では二児のパパである。見た目はかなり格好良く、モテていた壮亮がブサイクなわけではないが、どちらかと言うと地味で普通の碧子に熱烈にアタックしまくっていた話は、今でも大学では伝説として残っているとかいないとか。
最初の理由はどうあれ、今ではすっかり普通の夫婦として壮亮は碧子を愛している。そしてその子供たちも愛しているので問題は無かろうと、晃輔は思っている。
そして、そこならば、例え急に気が変わって晶湖を襲おうとしても問題ないだろうと。
姿を現すことすら難しいのではないかと思っている。
問題は、どうやって壮亮のところで預かってもらうことを、晶湖に納得してもらうか。
──事情は話さないと納得してもらえないだろうなぁ。
とりあえず今はさっさと家に帰ってシャワーを浴びたい晃輔であった。
「うう…帰りたいよう」
小学校低学年くらいの少年が倒された木に座り泣きべそでポツリと呟く。
少年が着ている服は土で汚れ、髪は汗でべっとりとし、顔は土と涙と鼻水で汚れている。
辺りは真っ暗で、遠くでフクロウのなく声が聞こえる。
「しっ、泣いちゃダメ。大丈夫絶対帰れるから」
もう少し年上の少女が隣に座り、震えながら気丈にも男の子を励ます。
少女の名前は紗菜と言った。
紗菜の服も土で汚れ、二つに結んだ髪も落ちかけて、汗でべっとりと顔の輪郭に張り付いており、頬には涙のあとがくっきりと残っている。
「あの女の子が出ていく時、たまに出れる余裕があるときがあるの、それでうまく隙をついて出ていった子たちがいるから。その隙ができた時に一緒に出よう。そしたらスマホでママに電話して迎えにきてもらうから、君も送ってもらうよう言うからね」
そう言って、首から下げているキッズスマホを見せた。
充電は残り少ない、無駄に使用することは出来ない。試しに何度かSNSを試してみたが、ここでは使えなかった。
ただし、紗菜は知らない、最後に出ていった少年の最後を。
「僕も一緒に連れて行ってくれるの?」
少年も知らない、今そこを出たらどうなるのかを。
「みんなで一緒に出れないかな?僕のスマホ、充電切れちゃって」
別の少年が話に参加して来た。彼もまた土に汚れ、膝は擦りむいている。
後の二人は近くに木に力無く寄りかかって無気力に大人しくしている。
今ここに閉じ込められているのは全員で五人である
鬱蒼とした林の中、彼らがいる辺りだけは植林された杉の木が乱暴に切り倒され、彼らの場所を取り巻くように転がっている。その先には行けない。見えない壁があるのだ。だからだろうか、彼らがいる中心部にはぼやっとした明かりが空中に灯されているが、虫は寄ってこない。地を這う虫はいるだろうが、飛んでくるものはいない。
──まだあの怖い女の子は帰ってきてない。また仲間が増えるのだろうか。不機嫌そうに戻ってくるのだろうか。
紗菜は隣りにいる少年の手を握り、今はいない自分達の支配者を思い出す。
見た目は可愛らしい、お人形のような女の子。突如自分の前に現れて、あっという間に知らない森の中に連れてきた。最初は別の場所だったと思う。だけど、後から連れてこられた男の子があまりにも泣き止まず
、女の子は癇癪を起こしてべシャリと潰してしまった。辺り一面真っ赤になった。何がおこったのか、わからなかった。分かったのは女の子を怒らせてはいけないということ。
それからまた、急にここに連れてこられた。突然今まで違うところに連れてこられたかと思ったら、ドサッと、林の中の地面に落っことすように連れてきて、それから近くの杉の木を片っ端からなぎ倒して作られた、急ごしらえのちいさな広場。
──『ここが新しい秘密基地よ』
それから少女は遊ぼうと言って、一人でよくわからない話をしたり、みんなで目隠し鬼をしたりした。足元が木の根や草でデコボコで転ぶ子もいた。そうやって游んだあと、女の子は急に飽きて出かけてしまう。
出かけなくてもつまらなそうに私たちを眺めているときもある。
そうして、一人、また一人と連れてこられ、隙をついて彼女の後を追って逃げ出した子もいる。
逃げ出した子がどうなったかは知らない。でも、ここにいるのも限界だった。最初は女の子がどこからか持ってきたパンやジュースを食べていた。でも最近は食べるものを持って来なくなった。まるで私たちが食べないと死んでしまう事を忘れてしまったかのように。
──ここにいてもきっと死んでしまう。何とかして逃げなくちゃ。
私たちを『お友達』と呼ぶ女の子。
紗菜は何とか逃げる隙をじっと伺う事にした。
「それで、どうしてお泊りセットが必要なのですか?」
朝イチで晶湖に当然の事を聞かれた。
横には壮亮もいる。壮亮は詰問されている晃輔をみてニヤニヤしている。
晃輔はなんと言っていいか悩む。
「えーと…ある女の子とゲームをすることになったんだけど、その女の子が何故か櫻川さんを気に入ってしまって、僕が怠慢だと櫻川さんの命を奪うって言い出したんだ。なので、この週末だけでも兄貴のところにいてほしいんだけど」
自分で言っていて滅茶苦茶である。
「…は?命狙われてなんで高梁先生のお宅なんですか?というかゲームで命を奪うっていうのがよくわからないのですが。それに、先生が怠慢だと私の命が危ないなら、先生が真面目にゲームをやればよいのではないですか?」
晶湖の頭の上には沢山のはてなが浮かんでいる。
「正論だねぇ」
うんうん、と壮亮がちゃちゃと入れる。
「えーっと、まぁそうなんだけど⋯」
晃輔は言葉に詰まってこめかみを掻く。
「坊ちゃま、櫻川さんにも一からご説明した方がよろしいかと存じます」
横で聞いていた朔が口を挟む。
壮亮には昨夜のうちに電話で一連の事柄を説明して晶湖の身柄を預かってもらうことは承諾済みであった。
「…そうだね」
「?」
晃輔は諦めた、とばかりに大きくため息をついて晶湖に説明を始めた。
「最近、多摩地区で子供の行方不明事件が立て続けに起こってるのは知っているよね」
「はい、街中でも防犯カメラにも映らず消えている事から神隠しなんて言われてますよね。戻ってきた子供もどこにいたかわからないって⋯」
晶湖は顎に手を当て思い出しながら答える。
「それが関係しているんだけど…⋯話が長くなるから診察終わってから話そうか。お昼は奢るから」
「えー!」
肩透かしをくらう晶湖であった。
土曜日は13時までの診療で終わる。晃輔は朔にクリニック近くの中華料理屋から出前を頼むよう伝えると、晶湖に向き直った。
クリニック奥の休憩室である。テーブルには晃輔と壮亮、それに晶湖も席についており、例によってテーブルの三人の前には朔が入れた珈琲の入ったカップが置かれている。
先日ついに、晶湖専用のマグカップが休憩室に置かれるようになった。晶湖も大いに気に入っている。
晶湖は持ち手を落ち着き無くいじりながら、晃輔が話してくれるのを待った。
「──それでどこまで話したっけ?」
晃輔は珈琲を一口すすった。
「子供の行方不明事件が起きてるって事だけです」
晃輔から目線は外さず、晶湖も珈琲に口をつける。
晃輔はカップを置くと晶湖の顔を見て話しだした。
「その行方不明事件を起こしている妖に目をつけられてね。…ちょうど妖が少年と連れて行く瞬間を目撃してしまってね。強制的にその妖いう『ゲーム』に付き合わされる事になった。『ゲーム』を放棄したり、真面目にやらないと…君の命を奪うそうだ」
「私の?」
「すまない。君が僕の関係者と知られてしまったせいだ」
晃輔は頭を下げた。そうして、事の経緯を細かく晶湖に説明していく。
晶湖はその間黙って話を聞いていた。
「──は危なくないんですか?」
「なに?」
「晃輔先生は危なくないんですか?相手はとっても強い妖なんでしょう?」
晶湖は上目使いで晃輔をじっと見つめながら聞いた。
「はは、まぁ僕は朔さんがいるし…」
晃輔は頬を人差し指でかきながら晶湖から目線を外した。
朔は湯呑のようにカップを持ちながら黙って珈琲を口に運んでいる。
「──きます」
「ん?なに?」
「私も行きますっ!」
晶湖は自身の腿を叩いて晃輔をまっすぐ見ながらそう言った。
「え?い、いやだめだよ!危ないから!ただでさえ相手は危険な妖のに、それに行くのは夜だし!」
晃輔は慌てて首を振った。
「そうだよ。それは止めたほうがいい」
壮亮も止めに入る。
「先生だって危ないじゃないですか!」
晶湖はひかない。それに、と
「壮亮先生のところが安全っておっしゃっても、やっぱりいきなりご自宅にお泊りするのは気が引けます…」
これは言い訳だ、と晶湖は思っていた。話を聞いた限りでは晃輔の言う通りにした方がよいことはわかっている。だけど、気が引けるのは本当だし、それ以上に自分だけ安全なところにいることが嫌だった。
「そうは言っても…」
「うちは全然構わないし、奥さんも楽しみにしてるくらいなんだけどね」
壮亮は苦笑しながらそう晶湖に伝える。
晃輔は困って朔の方を見た。こういう時、朔はいつも晶湖を説得してきたからだ。
「承知いたしました。この朔が命にかえても櫻川さんをお守りいたします!」
「ちょっと朔さぁん?ナニ言っちゃってるのかなぁ?」
しかし、朔は晃輔の期待とは裏腹に晶湖が一緒に行くことを承諾してしまった。
晃輔のこめかみがヒクヒクと動く。しかし朔は事もなげに言い放った。
「よいではありませんか。坊ちゃま一人を守るもの、坊ちゃまと櫻川さん二人を守るのもたいして変わりはいたしません。」
「だいぶ変わるでしょう?!それに子供たちもいるんだよ?」
晃輔は焦って身振りが大きくなる。それに、朔がいるとは言え、晃輔には囚われている子ども達と晶湖の両方を守りきる自身が無かった。
しかし、朔は譲らなかった。
「おだまりなさい、男子たるもの女子の一人や二人守れなくてどうするのです。櫻川さんがこうおっしゃっているのです、腹を括りなさい」
その上、何故か怒られる始末。
「いや、しかし…!」
「諦めろ、晃輔、こうなった朔さんは止められない。俺は諦めた」
壮亮はそう言って珈琲のはいったカップを口に運ぶ。
「それに、子供たちがどのようになっているか心配です。きっと私もいた方がお役に立ちます」
朔の後押しもあって、晶湖の意思は更に固くなる。晃輔は真面目な顔で晶湖を見つめる。
「本当に危険なんですよ?」
「勿論分かっているつもりです」
晶湖も晃輔を真剣な顔で見つめ返す。
「…わかりました。一緒に行きましょう」
とうとう晃輔の方が根負けしてしまった。ため息交じりにそう言うと、晶湖が小さくやった、という声を発した事を聞き咎めた。
「…遊びに行くんじゃないんですよ?」
「はい、分かってます」
分かっているのかいないのか、晶湖は鼻息が聞こえそうなほど気合の入った顔をして晃輔にニコッと笑ってみせた。
そんな二人のやり取りを見ながら、
──坊ちゃまの奥方となられるからにはそのぐらいの気概がなくては
と勝手にほくそ笑んでいた。




