最終話 そして。
その日の夜。
港には、昼間とは違う静けさが降りていた。岸壁に繋がれた漁船が、波に揺られてゆっくりと軋む。海岸通りを走る車の音も、ここまで届く頃にはずいぶんと小さくなっていた。海の向こうには島の明かりがぽつぽつと浮かび、そのさらに奥は、海なのか空なのか分からないくらい真っ暗だった。
いつものベンチに黒猫はいた。蓮はその隣に座って、今日あったことを最初から話した。
弥太郎のお守りが、母親の作ったもう一つのお守りとくっつくこと。
最初は、なくした方に磁石が入っていると思って、鉄でできた物ばかり探していたこと。
けれど、黒猫に言われた言葉を思い出して、逆かもしれないと考えたこと。
そして、三角定規の裏にお守りを見つけたこと。
途中で先生に怒られたことも、珠美たちが突然九九を言い始めたことも話した。
黒猫は口を挟まず、香箱を組んだまま聞いていた。
「それでさ」
ひと通り話し終えた蓮は、少しだけ得意になって言った。
「探偵みたいって言われたよ」
「ちょっと待て」
それまで黙っていた黒猫が、すっと前足を立てて体勢を起こした。
「なんだよ」
「その言い方では、まるでお前一人の手柄のように聞こえる」
「だって、見つけたのは俺だよ」
「俺の助言があったからだろう」
「でも三角定規に気づいたのは俺だし」
「お守りがどんな形かも知らずに探していたくせに」
「結局、形は神社で売ってるのとほとんど同じだったじゃん」
「そういう話をしているんじゃない」
黒猫の尻尾が、ぱたん、と地面を叩いた。
「いいか、レン。探偵というものは、必ずしも自ら現場を駆け回る必要はない。集められた情報を吟味し、そこに潜む矛盾や思い込みを見抜き、椅子に座ったまま事件の真相へ到達する者もいる」
「椅子?」
「安楽椅子探偵だ」
「あんらく……?」
「安楽椅子探偵。自らはほとんど動かず、他人の持ち帰った情報だけで謎を解く、高度に知的な探偵の在り方だ」
黒猫は得意げに胸を張った。
「つまり今回、学校という現場を駆け回り、関係者への聞き込みを行い、得られた情報を持ち帰ったのがお前。そして俺はここにいながら、事件解決へ繋がる重要な助言を与えた」
「でも、解決したの俺じゃん」
蓮は黒猫の難解な言葉に必死に耳を傾け、なんとかそれだけ口を挟んだ。
「ひとりでは解決できなかっただろうと言っている」
しかしそれすら黒猫はすぐに切り返した。
「そもそも探偵には、推理力だけではなく風格というものが必要だ」
「風格?」
「そうだ。神秘性、孤高、知性。さらに人間社会とは一歩距離を置き、愚かな者どもの行動を冷静に観察する視点――」
もはや蓮は話についていけていない。それでも、黒猫は構わず続けた。
「そもそもだ。黒猫というものは、その姿からして探偵に向いていると思わないか?闇に紛れる黒い毛並み。音もなく歩く足。人間にはない夜目。そして、何を考えているのか容易には悟らせない、この知的な顔つき」
「自分で知的とか言ってる」
「黙って聞け。事件を解決する者には、探偵のほかに刑事というものもいる。だが、考えてみろ。黒猫の刑事と黒猫の探偵。どちらが似合う?」
「知らないよ」
「探偵だ」
「また自分で言ってる」
「猫には刑事より探偵の方が似合う。まだ小学二年生のお前などより、よほど探偵らしい。つまり、この事件における役割を正しく整理すると、俺が探偵、お前がその助手ということになる」
「ならないよ!」
「なる」
「見つけたの俺じゃん!」
「助手が現場で働くのは当然だ」
「ずるい!」
蓮はしばらく言い返した。けれど、何を言っても黒猫は自分の方が探偵だと言って譲らない。とうとう蓮の方が疲れて、大きく息を吐いた。
「……もういいよ。お前が探偵で」
「賢明な判断だ、助手」
「助手って呼ぶな」
「レン助手」
「助手じゃないってば」
黒猫は満足そうに目を細めた。蓮は呆れていたが、なんだか少し可笑しくもあった。
海から吹いてきた風が、頬を撫でる。
しばらく二人で黙って海を眺めていると、今度は黒猫の方から口を開いた。
「それで」
「なに?」
「その弥太郎とは、どうなった」
蓮は少し驚いて黒猫を見る。
「……仲直りしたよ」
「そうか」
「あと、柑奈と三咲と珠美も一緒に、五人で帰った」
「ずいぶん増えたな」
「うん」
蓮は今日の帰り道を思い出した。くだらない話をして、何度も笑った。今度、尾之浦のいろんな場所へ連れていってくれるとも言っていた。
「友達ができたのなら、もう夜にわざわざ猫と話す必要もないな」
黒猫が何でもないことのように言った。
「来るよ」
「ん?」
「また話しに来る」
今度は黒猫が蓮を見る番だった。
「友達ができても、ここには来る」
「……そうか」
黒猫はそれだけ言って、また海へ顔を向けた。その横顔が、ほんの少しだけ満足そうに見えた気がした。
「ただし、次から相談料を取る」
「え?」
「煮干しでいい。一回につき三本」
「なんで!」
「探偵を働かせるんだ。当然だろう」
「今日だってほとんど俺が働いたじゃん!」
「まだその話をするか? さっき納得したはずだろう」
「納得はしてないから!」
静かな港に、蓮の声が響いた。
黒猫は知らん顔で前足を舐めていた。
* * *
それから、八年。
高校一年になった蓮は、夜の漁港でいつものベンチに座っていた。隣では、一匹の黒猫が尻尾を揺らしている。
ずいぶん昔のことを思い出していた。
この町へ来たばかりの頃。学校にも町にも馴染めず、一人でこの港へ来た夜。人の言葉を話す、妙に偉そうな黒猫と出会ったこと。
なくなったお守りを探して、弥太郎と仲直りして、柑奈と三咲と珠美と、初めて五人で帰った日のこと。
「蓮ー!」
遠くから声がした。振り返ると、港へ続く道の向こうで弥太郎が手を振っていた。そのそばには、珠美と柑奈と三咲もいる。
「何やってんだよ、花火始めんぞー!」
「今行く!」
蓮は立ち上がって、ベンチの黒猫を見る。
「じゃあ、行ってくる」
黒猫は何も答えなかった。
「蓮くーん!」
今度は柑奈の声がする。
「早くー!」
「分かってるって!」
蓮は四人の方へ歩き出した。少し進んでから、一度だけ振り返る。
黒猫はいつもの場所に座ったまま、「ニャア」と小さく鳴いた。
八年前のあの夜から、ずっと変わらずに。
その黒猫は、今夜も港で待っている。
【次章予告】
夏の島で五人が見つけた、謎の矢印。
その行き先を追ううちに、五人の間にある「矢印」も動き出す――。




