第四十一話 追跡と疑惑と誤解
――結局、
すっかり気圧されてしまったリーナは、男が立ち去った後も五分ほど動けず、その場に佇んでいた。
強い緊張で強張り切っていた全身にようやく血が巡り始めたのを感じながら、リーナはこわごわと手足を動かす。
「な……何者だったのかしら、あの男……」
人心地がついた様子でホッと安堵の息を吐きながら、まだひんやりと冷たい頬に指を添えたリーナは、白金色の髪の青年が立ち去った方向に恐る恐る視線を向けた。
あの青年は、今思い返してもハッとするほどの美貌だった。
だが――、
「……っ」
無言でぶるりと身を震わせた彼女は、青ざめた顔でそそくさと踵を返し、自分たちが泊まっている宿へ足早に向かう。
(なんだろう……ものすごく恐かった……)
彼の顔を子細に思い出そうとするだけで、胸から恐怖が込み上げてくる。
それは、まるで……、
(棺の中を覗き見てしまったよう――)
と――そこまで考えたところで、
「……ッ!」
彼女の思考は、不意に脇道の陰から伸びてきた手によって、唐突に刈り取られた――。
◆ ◆ ◆ ◆
一方、その頃――。
「……ええとぉ」
脇目も振らずに早足で歩くロージーの背中を見失わないようにと目を凝らしながら、アッシュヴェルは困り顔で頭を掻いた。
「リーナさんには『僕に任せておいて下さい』なんて調子いい事を言っちゃいましたけど、どう声をかけたらいいですかねぇ……」
ケンカ別れしてリーナから離れたロージーの姿を人込みの中から見つけたのは割とすぐだったものの、その後は気後れしてしてしまって、結局彼女に気付かれないように数エイムほど距離をおいて、その後を追うだけ。
気付いたら、リーナと別れた辺りから随分と離れてしまった。
だが、相変わらずロージーは小柄な体で人込みの間を縫うようにしながら、前へ前へと歩き続ける。
「……このままじゃ、ひとりで街外れまで行っちゃいかねませんねぇ。そろそろ声をかけた方がいいですかね……」
エイックス市の外縁部には、周辺地域からやって来た流浪の民が群れ集まった貧民街がある。当然ながら、貧民にはいわゆる“お尋ね者”や、辺境から逃げてきた逃亡兵のような輩も少なくないので、街の中心部とはケタ違いに治安が悪い。
そんな場所に、ただでさえ年齢以上に幼い外見の上に、その所作や身だしなみから世間知らずっぷりが透けて見えるロージーが迷い込んだりしたら、何が起こるかは火を見るよりも明らかだ。
――もしもそんな事になったりしたら、クエスト監視人としての職務怠慢を上司であるエカチェリーテに責められるだろうし、ロージーの父親であるノイテンバイン伯爵の怒りを買う事は間違いあるまい……。
「……ひぃっ!」
ふたりからガン詰めされる光景を思い浮かべたアッシュヴェルは、ぶるりと身を震わせた。
「き、気後れしている場合じゃありませんね……早くロージーさんを止めないと……!」
そう呟いたアッシュヴェルは、意を決してロージーの背中に追いつこうと足を速めようとする――が、
「――おい、そこのお前、ちょっと待て」
「んがぐぐっ!」
その直前に険しい声と共にマントの襟を思い切り引っ張られ、そのまま後ろに倒れかける。
「ちょ、ちょっと! 危ないじゃないですか! いきなり何をしてるんですかっ?」
慌てて体勢を整えて、すんでのところで転倒を免れたアッシュヴェルは、自分のマントの襟をがっちりと掴んでいる警衛の男に上ずった声で抗議した。
だが、警衛の男は、鋭い目をアッシュヴェルに向けながら険しい声を上げる。
「『何をしてる?』はこっちのセリフだ。この不審者めが!」
「ふ、不審者?」
警衛の言葉に驚いたアッシュヴェルは、目を丸くしながら自分の顔を指さした。
「それって……ひょっとして僕がですか?」
「他に誰がいるッ?」
訊き返したアッシュヴェルを、警衛が眉を顰めて怒鳴りつける。
「先ほど通報があったのだ! 『幼い少女の後をこそこそつけている怪しい男がいる』とな!」
「なんと! それは実に怪しいですね! で、その男は一体どこに…………」
警衛の言葉を聞いて周囲を見回したアッシュヴェルだったが、はたと何かに気付いた様子で、ピタリと動きを止めた。
そして、「……」と、恐る恐る自分の顔を指さす。
「その怪しい男って……ひょっとして僕の事ですか?」
「よし、潔く自供したな」
「い、いえいえっ! 今のは自供じゃなくってッ!」
大慌てで首を横に振ったアッシュヴェルだったが、警衛は構わず彼の手を掴んで絞り上げる。
「あ、あいたたたっ! ぼ、暴力反対ぃッ!」
「ええい、うるさいっ! 無駄な抵抗はするな、このストーカー!」
「だ、だからっ! 僕は決してストーカーなんかじゃ……」
「む? だったら誘拐犯か! 幼気な娘を攫って何をしようとしていたんだ、このド変態が!」
「い、いえいえっ! 誘拐犯でもド変態でもな……痛だだだだだっ!」
アッシュヴェルの必死の釈明は、すぐに苦しげな悲鳴に変わる。
掴んだ彼の腕を背中に回して捻り上げながら、警衛は高圧的な声で怒鳴った。
「ストーカーか誘拐犯かド変態のどれかか、それともそれ全部なのか知らんが、とにかく来い! 屯所でみっちり取り調べてやる!」
「で、ですから、そのどれでもないですってばぁ……!」
腕を極められた格好でズルズルと引きずられながら、情けない声を上げるアッシュヴェル。
……と、その時、
「……何やってるんですか、アッシュさん?」
訝しげな少女の声が聴こえた。
それを聞いたアッシュヴェルは、パッと顔を輝かせて、声の主に助けを求める。
「ろ、ロージーさんッ! いい所で戻ってきてくれました! な、なんか、いきなりストーカーとか誘拐犯の疑いをかけられておりまして……あなたからも、僕がそんな事をするような男じゃないって言って頂けるとチョー助かります!」
「何か、急に後ろが騒がしくなったから気になって戻って来てみれば……」
アッシュヴェルの説明を聞いて状況を把握したロージーは、呆れ顔で小さく溜息を吐いてから、警衛に声をかけた。
「あの……この人はあたしの知り合いなんです。多分何かの間違いだと思うんで、放してあげて下さい」
「なに? 知り合いだと?」
ロージーの言葉を聞いた警衛は、半信半疑といった様子で彼女に訊き返す。
「通報では、コイツが何やらブツブツ言いながら、先を行くお前に色欲まみれのいやらしい目を向けていたという事だったが……」
「ふぇっ? し、色欲まみれのいやらしい目……?」
「い、いやいやッ!」
警衛の言葉に目をまん丸にしたロージーを見て、アッシュヴェルは慌ててかぶりを振った。
「ひ、人聞きの悪い事を言わないで下さい! ぼ、僕は決してそんな卑猥な目でロージーさんを見る事はありませんって!」
「……ッ!」
なぜか、アッシュヴェルの叫びを聞いたロージーの表情が一気に険しくなる。
ぷうと頬を膨らませた彼女は、冷ややかな声で警衛に向けて言った。
「……あ、ごめんなさい。やっぱり、良く見たら知らない人でした、その人」
「……え?」
「ふぁ、ファッ?」
唐突な前言撤回に、警衛は戸惑い、アッシュヴェルは驚愕の声を上げる。
そんなアッシュヴェルをジト目で睨んだロージーは、プイっとそっぽを向いて言葉を継いだ。
「ですから、どうぞ屯所でも牢屋でも連れて行って、煮るなり焼くなり搾るなりしちゃって下さい」
「ちょ、ちょっと? ろ、ロージーさんっ?」
上ずった声でロージーを呼び止めようとするアッシュヴェルだったが、彼女は無視してくるりと踵を返し、さっきよりも早い足取りで立ち去っていく。
みるみる小さくなるロージーの背中に向けて必死で手を伸ばしながら、アッシュヴェルは悲痛な声で叫んだ。
「な、なんか怒ってます? あ、っていうか、ホントにちょっと待って下さい! お願いですから助けて下さいロージーさああああんっ!」
アッシュヴェルの情けない絶叫は、エイックス市の昼下がりの青空に虚しく吸い込まれるのだった――。




