ディルニアスの求婚 4-4
ヴァイオレットからの好意を必要ない、と考えていた頃であれば気にも留めなかっただろうし、気が付きもしなかっただろう。
だが現在、ヴァイオレットからの好意を嬉しいと思っているディルニアスは、引っかかってしまった。
引っかかってしまうと気になるので、訊いてみた。
「ヴィは、私のことが好き?」
ヴァイオレットは不思議そうな顔で頷き、ディルニアスは安堵した。
安堵したが、暫くしてから、やはり言葉にされていないな? と気が付いた。
「もちろんよ」
「あたりまえでしょう」
「わたしもよ」
自分のことが好きかと尋ねるたびに、ヴァイオレットは怒ったように、少し呆れたように、困ったようにそう答えてくれたけれども、やはり「好き」とは言ってくれなかった。
ディルニアスは、諦めた。
生きていてくれるのなら、傍に居てくれるのならそれで良いではないか、と自分を慰めた。
余りしつこく尋ねて「嫌い」と言われることが怖くなったのだ。
もしも、万が一「嫌い」と言われてしまったら、自分が何をしでかすか分からなくて怖くなった。
しかし。
それから数年後。
「水がなくては人は生きていけませんが、わざわざ水を愛しいと言いますか? 水を好きだと言いますか? わたしにとってディルニアス王太子殿下は水と同じです。あなたにわたしの気持ちをとやかく言われる筋合いはありません」
ヴァイオレットの言葉に、ディルニアスは衝撃を受けた。
自分を水と同じだと、在るのが当たり前だが無くては生きていけないと言ってくれている。
それは、つまり、自分と同じ感情ではないか?
彼女が居なければ、生きる意味はない。
お互いに同じ気持ちだった! とディルニアスは浮かれて、ヴァイオレットを高く抱え上げてくるくると回った。
同じ気持ちだと分かってしまえば、もう「好き」と言われたことがないことなど、些細な、どうでも良いことだった。
ディルニアスは、お互いに同じ想いなのだから、もっと一緒にいたい、いるべきだ、ああ早く結婚したい。と毎日、指折り数えて待っていた。
そうして、やっと結婚式を挙げることができたのだ。
「……求婚、ね」
全く、思いつきもしなかった、とディルニアスは頭を抱えるしかなかった。
一緒になるべくしてなった二人なのだから、わざわざ求婚など必要ないだろう、と思うのだが、彼女が結婚式や恋愛に憧れていたことを思えば無下にもできない。
いや、彼女は求婚については何も言ってなかったような気がするな? と思ったりもしたが、恋愛と結婚とくれば求婚も付随することをディルニアスは否定できなかった。
そもそもディルニアスは、今でも「恋」がどんなものであるのか、理解できていなかった。
恋は条件でするものではない、と言われたが、自分にとって世界とは「彼女とそれ以外」でしかないのだ。故に、ディルニアスにとっては恋をするのも、愛するのも、憎むのも、彼女しかあり得ないのだ。
ときめきも。
喜びも。
幸福も。
哀しみも。
憎しみも。
怒りも。
彼女に関することでしか、ディルニアスには芽生えない。
「共に生きていく決意……」
それこそ、ディルニアスにとっては、当たり前なこと。
彼女が居ないのならば生きている意味はない。
いまさらの決意とは?
ディルニアスは、過去の人生も含めて初めて、頭を悩ませた。
「わたしね、本当にこの庭が大好きなの」
ヴァイオレットと散歩をするその庭は、ディルニアスが城の中庭にヴァイオレットの為に造った庭だった。
人に見せる為に造られた庭ではなく、ヴァイオレットが裸足で歩き、花冠を作って遊ぶ為の庭である。多くの貴族の庭では、雑草として抜かれるような花や草が綺麗に整えられた小さな庭であった。
「それは良かった。ヴィに喜んでもらう為に造った庭だからね」
ディルニアスは庭の隅にある、木の枝にぶら下がった揺り椅子にヴァイオレットを座らせた。
「ディー?」
きょとんと不思議そうに見上げるヴァイオレットの前に、ディルニアスは跪いた。
「ヴィ、本当にすまない。どうか、僕にやり直しの機会をくれないか?」
「やり直し?」
ヴァイオレットは、紫水晶色の目をゆっくりと瞬かせた。
「僕は……ヴィに……求婚をしていなかった」
「そうなの?」
ヴァイオレットは不思議そうに首を傾げ、自分の目線より低くなったディルニアスを見下ろした。
ヴァイオレットにしてみれば、小さな頃からずっと「愛している」「ずっと一緒にいたい」「早く結婚したい」「自分が国王なら法律を変えて今すぐ結婚するのに」と言われ続けていたのだから、常に求婚されていたようなものだった。いまさら何を言っているのだろう? と首を傾げてしまうというものだ。
さらりと流れる白金の輝く髪を、ディルニアスは眩しそうに見つめた。
「そうなんだ! 僕は、一緒になるのが当たり前だと、ヴィが存在する奇跡に対して感謝することを忘れ、いつの間にか驕ってしまっていた! 本当に、どう詫びれば良いのか分からない!」
「あら? わたしも、ディーと一緒にいるのが当たり前だと思っていたわ」
「そうか! 同じか!」
ディルニアスは、ぱっと顔を明るくした後に、眉根を寄せた。
「いや、違う。そうじゃなくて、やはりきちんとけじめとして求婚はしておくべきだった」
「そういうものなの?」
「そういうものらしい」
ディルニアスは重々しく頷いた。
「ライアンが言うには、求婚とは一緒に生きていく決意を言うらしい。でも僕は、ヴィがいなければ生きている意味はない。ヴィがいるから生きてられる。決意でもなんでもない。それは、とても当たり前なことなんだ」
ディルニアスは、困ったように眉を下げた。
「ヴィがいないと生きられない。これは脅しとかじゃなくて、僕にとっての事実なんだ。だからどうか、ヴィには僕と一緒に生きていく決意を固めて欲しい」
もしも、ライアンやレイモンドがこのディルニアスの求婚を聞いていれば、顔を覆って天を仰いだであろう。
自分の決意を表明するのではなく、相手の女性に決意を促させてどうするのだ、と。
しかし。
「まあ、ディー? そんな当たり前なことに対して決意って? ディーが言っていることは、わたしに息を吸う、吐くことの決意をしろって言っているようなものよ?」
「え? そうなるの、かな?」
「そうよ」
ヴァイオレットは苦笑しながら、ディルニアスの両頬を挟むように指を伸ばした。
「ディーが、わたしがいないと生きていけない人だから、わたしは貴方の為に生まれてきたのよ。貴方が居ることが、わたしが生きる理由なのに、ディーは本当にわたしのことになるとお馬鹿さんね」
そっと親指でディルニアスの頬を撫でると、驚いたように金色の目を見開いてヴァイオレットを見つめ、ふいっと視線を逸らせた。
「……それなら」
目を伏せたディルニアスの震える長い金の睫毛を、ヴァイオレットはじっと見下ろしながら続く言葉を辛抱強く待った。
「……絶対に、僕より先には死なないで」
クローバーの上に置かれた手をぐっと握りしめ、絞り出すように呟いた。
小さな花や草がそよそよと風に揺られているが、まるで、時間が止まったように一瞬の静寂が辺りを支配した。
静寂は本当に一瞬だった。
「ええ、約束するわ」
ヴァイオレットの声が、ディルニアスの耳に響いた。
しかし、ディルニアスは顔を上げない。ヴァイオレットが余りにもあっさりと答えたことで、信じ切れないらしい。
「……あのね、ディー」
この庭には侍女たちも遠ざけて二人きりになっていたが、ヴァイオレットは内緒話をするように、ディルニアスの耳に顔を近づけた。
「わたしも告白するわね。わたしね、わざと貴方に『好き』とか『愛してる』とか言わなかったのよ」
ディルニアスは、その言葉を聞いた途端に反射のように顔を上げた。
ヴァイオレットは揺り椅子から滑り落ちるように地面に腰を下ろし、ぐっと拳を握りこんでいたディルニアスの手を掬い取った。
「お庭が『好き』、お友達が『好き』、お菓子が『好き』、お茶が『好き』。お父様を『愛している』、お母様を『愛している』、弟を『愛している』。……わたしの貴方に対する想いを、こんな他にも使える言葉で表したくないのよ」
ヴァイオレットはにっこりと、ディルニアスに微笑みかけた。
「他に言葉が思いつかないのよ。相応しい言葉は、何なのかしら? だって貴方に対する想いは、お菓子や、お友達や、家族に対する想いとは全く違うもの。なのに同じ言葉を使うなんておかしいでしょう? 使いたくないのよ。貴方に対して使うことが許せないのよ。ずっと相応しい言葉を探しているのだけど、見つからないの」
憂い顔で目を伏せる、透き通るような銀色の睫毛を、ディルニアスは呆然と眺めた。
「どう言えば良いのかしら? どう言えば信じてもらえるのかしら? わたしは、貴方の為に生まれたの。貴方を幸福にする為に生まれたの。それだけは、分かるのよ。心の底から、身体の奥から、常に、わたしの本能として湧き上がり、体中を駆け巡っているの」
だから、とヴァイオレットは目を開けて、紫水晶のような瞳で、金色の揺らぐ目を真っ直ぐに見つめた。
「絶対に、貴方より先には死なないわ」
力強く宣言するヴァイオレットの両手を握り、ディルニアスは自分の額にその手を押し当てて祈るように俯いた。
その姿はまるで、神に祈る敬虔な信者の姿のようでもあり、母親に縋る子供のようでもあった。
「……本当に?」
「本当よ」
「……絶対に?」
「絶対よ」
「……死ぬ時は、傍にいてくれる?」
「いるわ。貴方が、息を引き取るその瞬間まで」
「……手を繋いでいて」
「ええ、繋ぐわ」
「……お別れのキスをして」
「顔中にするわよ」
「……愛してるって言うよ」
「わたしもよ、って言うわ」
「…………最期くらいは、ちゃんと言って欲しいな」
「仕方ないわね。他に相応しい言葉が見つからなければ、その時は、ちゃんと言うわ」
そこで二人は、ふっと同時に微笑ってしまった。
二人見つめ合い、声を出して笑いあった。
そうして。
「────もし、ヴィが先に死んだら、僕もその場ですぐに後を追うからね」
「あら? 一緒に死ねるのも素敵ね」
拗ねるような表情のディルニアスに、ヴァイオレットはくすくすと微笑った。
「大丈夫よ。ちゃんと順番にしましょう」
「順番?」
「ええ。今生は、わたしがちゃんと看取るから」
絶対に。
「…………うん、お願い」
順番にしよう。
ディルニアスは、潤む瞳で小さく微笑んだ。
「で、ちゃんと義姉上に求婚は出来たのですか?」
暫くしてから、レイモンドはディルニアスに問いかけた。
「うん、まあね」
「何て言ったんですか?」
レイモンドは、兄のことだからきっと完璧な、素敵な求婚をしたのだろうと思っていた。いつか、自分も再チャレンジをする時の為に参考にしたい、と問いかけたのだが。
「何って……」
ディルニアスは、そう言えばどの言葉が求婚に当たるのだろうか? と考え込んだ。
「うーん。とりあえず、ヴィが凄く格好良かったよ」
惚れ直しちゃったよね、というディルニアスを、それ以上? と呆れて眺めるレイモンドには介さず、思い出しては胸がほっこりと温かくなり、そっと微笑を浮かべるディルニアスであった。
ディルニアスは赤ん坊に恋して求婚した変態ではないです、ってことで書きました。
いまさらの話となりますが、コミカライズ中止の報告のおり、Xや活動報告でお言葉をくださった方々、本当にありがとうございました。あの時は、何かお返事をすると洗いざらいぶちまけそうだったので、何もお返事しないようにしておりました。すみませんでした。凄く嬉しかったです。




