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「分かんないな……」
麻岐部は大会場とショッピングモール等をつなぐ通路のベンチでイヤホンを掛けてスマホの画面を見ながら、何度目かの同じ呟きを口にしていた。
見ているのは録画した自分の試合だ。
特に2ラウンド終了の20秒くらい前からの映像を繰り返し見ていた。
う~ん、確かに俺のワンツーも決まってるんだけどなあ。やっぱり負けたような気がする……
そんなことを考えていた麻岐部の視界の隅に見慣れた人影が写り、イヤホンを外して立ち上がる。
「あ、鹿河さん。お疲れ様です」
「おう、麻岐部さん。お疲れ様。なに?さっきの試合見て1人反省会?」
「まあ、そんなもんです。正直、分からなくって」
「分からない?どこが?」
「いや、さっきの試合。なんで俺の勝ちだったのかな、って」
「え!?どういうこと?」
「あー、落ち着いたら聞こうと思っていたんですけど……今、時間あります?」
「おう、大丈夫だ」
麻岐部の試合後も鹿河は他の選手のセコンドにつかなければならず、また夜に開かれるプロ大会の準備も務めなければならなかった。
なので試合後に突っ込んだ話ができなかったのだ。
「つーか、そういう疑問に答えるのもセコンドの役目だしな。さっきの質問って具体的にはどういうことなんだい?」
「えーとですね……」
そこから麻岐部は自分の疑問を鹿河に伝えた。
2ラウンドで、終盤までにクリーンヒット数で伊都井に負けていたこと。
更にそこから2発の右スマッシュを食らってしまったこと。
なのに何故か判定で麻岐部が勝ってしまったこと。
「なるほど。しかし自分が勝った試合の判定に疑問を持つのは珍しいな。麻岐部さんらしいっちゃらしくていいが」
「はあ」
「で、麻岐部さんの疑問なんだが。スマン、俺の説明不足が原因だ」
と鹿河は麻岐部に頭を下げる。
「え、どういうことです?」
「まず今回の勝利の大きな要因の1つが麻岐部さんの『左ミドル』だ」
「はあ」
「あまりピンと来てないようだな。前に俺が言った『ジャッジがポイントつけてくれる打撃の条件』って覚えてるか?」
「えーと『プロの装備ならダメージになる打撃』でしたっけ」
「そうだ。麻岐部さんは顔面へのパンチの差に気を取られてたみたいだが、あの分厚いレッグガードを外して打たれるミドルが当たったら結構なダメージになると思わないか?グローブをはめたパンチと違ってクッション無しでスネが直接当たるんだぞ?ボディはもちろん腕に受けてもダメージはある。だから一般のイメージ以上にジャッジはミドルを評価する。と、そういった説明を俺はきちんとしていなかったな。」
「ああ、なるほど」
アマチュアキックボクシングのルールではどうしても顔面へのパンチの攻防に意識が向きがちであるうえ、麻岐部はカラテ時代から練習でも試合でもレッグガードを着用していたため脚の脛が直接当たるということに対して深く考えてなかったのだ。
「顔面への攻撃と違ってそれで直接KOされることはまずないから一般の人の印象は薄くなるんだが。とにかくプロ選手は痛みに我慢強いしな。で、思い出してほしいんだが。相手の蹴りを最後に受けたのは試合のどの時点だった?」
「え?そんなこと言われても……あ?あれ?1ラウンド前半ですか?」
麻岐部が改めて思い出してみると1ラウンドの前半にお互いの左ミドルと右ミドルが邪魔しあってから、それ以降蹴りを受けた記憶がなかった。
「そうだ。だから2ラウンドでは麻岐部さんだけがボディや右腕に左ミドルを当てていた。ぎこちなくてもパンチから蹴り、蹴りからパンチに繋いでたのもジャッジには好印象だっただろ。ヘッドギアがなければ倒されていたって程のパンチでも食らったならともかく、そうでないならパンチのクリーンヒットの1発や2発の差なんて問題にならないくらい2ラウンド目は麻岐部さんが取っていたんだよ」
「はあ、そうだったんですか……でもラウンド終盤のあの2発のスマッシュはどうなんです?あれでポイント持ってかれたと思ったんですけど?」
「ああ、あれな。そもそもあれはスマッシュじゃない。『スマッシュもどき』とでも言っとこうか」
「スマッシュじゃない?」
「そしてあのパンチで麻岐部さんの左ミドルが有効な攻撃だったことをジャッジに示してしまった」
「言ってる意味が分からないんですが……?」
困惑する麻岐部に鹿河が説明を続ける。
「麻岐部さんの撮った映像だと角度が悪くて確認しにくいけど、あのパンチは2発とも手首が返ってなくて掌が内側を向いていなかった。狙ってスマッシュを打ったならアッパーのように掌が内側を向くはずだろ」
「え?そうだったんですか?」
「そうだよ。試合してた麻岐部さんはそんなこと確認してる余裕ないから気付かなかったと思うけど。周りで見てた人は結構気付いてたと思うぞ」
「じゃああのパンチって結局なんだったんです?」
「『拳が下がった状態から頭を打ちにいった』だけのパンチだ。そんな打ち方でナックル(人差指と中指の第一関節部分)が当たってないからそもそもジャッジには有効な打撃にカウントされてないだろ」
「そういうことだったんですか」
1つ疑問は解けたがもう1つの疑問が残っている。
「で、そのスマッシュもどきが『俺の左ミドルが有効な攻撃だったことをジャッジに示してしまった』ってどういうことです」
「相手も狙ってスマッシュもどきを打ったわけじゃない。下から打たざるをえなかったんだよ。麻岐部さんの左ミドルを効かされて右腕がもう上がらなかったんだろ」
「えっ、ええっ!?俺の左ミドルで!?」
「あ、誤解の無いように言っとくけど相手の右腕はどこも傷めてないぞ。怪我したりはしてないはずだ」
「そ、そうですよね。ああ、びっくりした。えーと、じゃあ『効かされた』っていうのはいったいどういうことなんです?」
「一言で言えば疲れちゃったんだよ。試合慣れしてないアマチュアがコンスタントに右腕にミドルを受けてたんだ。威力はなくても疲労でダルくなって右腕を上げてられなくなったのさ」
「あ、それなら納得できます。」
「まあ、そんな訳で俺は試合終了時点で麻岐部さんの勝利を確信していたし、実際ジャッジも皆麻岐部さんにつけたわけだ。きちんと伝えてなかったな。すまん」
「とんでもない。俺が理解できてなかっただけですよ。それでもミドルを出せるよう指導してもらったから勝てたんです」
「そう言ってもらえるとな……あ、悪い、そろそろ仕事に戻るわ」
「ああ、すみません時間取らせちゃって。本当にありがとうございました」
「じゃあまたジムでな」
鹿河が小走りに会場へ戻った後、麻岐部は再びイヤホンをして今度は最初から試合を見返した。
新たな知識を得て視聴してみれば、まるで先程までと別の試合を振り返っているかのようにこれまで見えてなかったポイントに気付かせてれる。
「あ。俺、ちゃんと勝ってたんだな」
こうしてようやく麻岐部は勝利の実感を得たのだった。