第十二話「アルマクルスの行方」
ゼラート奪取から一週間が経った。
黒い鎧を身に纏う金髪の剣士(俺)は、大理石が立ち並ぶテルミナ地方の首都ゼラートの街を徘徊していた。
横に並ぶはつい先日レノン家への忠誠を誓ったばかりのアシュラ・ヴェラスケスである。
十七歳の若きセンジュ族の男は未だに父ハモンを殺された事を拭いきれていない。
それは俺自身も当然見抜いており、父子関係の絆がそれほど強固で無かったにせよ、俺は仇同然の存在のはずだった。
「アシュラ」
俺は九歳歳下の灰色の肌の男の名を呼んだ。
明らかにーー。
父ハモンとは違い明らかに心が澄んでいた。
いやあのハモンでさえ生まれる環境が違えば仲間にすらなり得たかもしれない。
何にせよ俺はこの男の教育係を任せられ、今はどうにか心を通わせようとしている。
戸惑い目を背けシカトするアシュラ。
まあいい。
鍛えるだけ鍛えて後で愛情に気づかせてもいい。
そういった思考を張り巡られるようになったのもサッカーでプロになったからの事だった。
熱血コーチのちょっとした真似事と言った具合か。
今戦闘力では俺が優っている。
クロウ家の加護はその力を(グレンと和解した為)取り戻し、何よりアルマクルスがあった。
そう言った小道具を無しにしても(加護を小道具というのも語弊があるが)六・四で俺が勝つと読んでいた。
究極剣技の威力は、やはり馬鹿に出来ない。
素手で戦うアシュラに対し、こちらはファントムソードがあった。
女王アルフレド・レノン主催の宴会の末、フィーネが大臣に抜擢された。
神々の血を引く男勝りな彼女は、カイン・クロウの後釜に就いたわけだ。
そんな彼女からある依頼があった。
竜人アレクサンダーの幻影の討伐。
俺たちに対し敵対心を持っていた彼は、赤竜クランケーンの息子で、親とは馬が合わなかった。
クランケーンに導かれるようにしてこの世界に舞い降りた俺にとって、彼との戦闘は避けては通れぬものだったのである。
そんな彼との戦闘から七年。
遂に幻影となった竜人を完全に葬り去る時が訪れようとしている。
「聞いてんのか?返事しろ」
これからの戦闘でお前を失いたくない、とまでは言わなかった。
連携は必要。
だが同時に厳しさも不可欠だった。
「なんスか?」
アシュラは上部の二本の腕を頭の後ろで組み、睨んでみせた。
流石はハモンの子。
威圧感がある。
だが、だからこそ厳しく接する。
「俺がこれから敵対するアレクサンダーは過去にレイヴンやイザベルといった者たちを葬った過去を持つ。生半可な覚悟じゃ死ぬぜ?」
アシュラは弱くない。
だが若さゆえの奢りが見受けられた。
この街の何処かに、奴の幻影が。
口から火を吹く事で知られる竜人は数こそ少ないが、中々の戦闘力を持つ。
住民が被害に遭う前に始末するのは必須だった。
「分かったっスよ。でもアルマクルスがあるんでしょ?」
知っていた。
恋人ナオミ・ブラストの愛の結晶。
それは神をも超える力としてこの胸に輝き続けていた。
確かに七年前とは違う。
俺はこの国の英雄として為すべき事をするだけである。
そういった意味では、魔女を倒した事のある俺がいるだけで安心するのも頷ける。
俺は頷き、遥か後方のテルミナ城を見つめた。
ナオミ・ブラスト、キャンディス・ミカエラ、メリア・ヴァーナント。
三人の恋人は今頃昼食を摂っているはずだ。
ゼラートの民が俺を見てお辞儀してくる。
諸悪の根源、魔女アンドロメダを倒したゆえの事か。
俺は今の生活に不満があるわけではなかった。
だがあと一歩、自らを成長させられないか。
アシュラの教育係を承諾したのもそういう考えがあったからに他ならない。
加護やナオミの御守りの力を借りずに強敵を倒す。
自信を蓄積させ神々に成り替わる。
フッ……話が飛躍しすぎたか。
何にせよ三人の恋人と釣り合うには自分磨きもして当然だったのだ。
俺はもうそろそろ二十七の誕生日を迎えようとしていた。
想像世界ではカレンダーは無いが、確かあと三日後くらいだったはずだ。
現実世界の住人である今カノとは縁を切り、この世界で誕生日を迎える事をむしろ喜ばしく思っている自分がいた。
「アシュラ、気をつけろ……殺気を感じる」
井戸の方。
地下の奴は此方の接近に気づいている。
若年のアシュラが思わず身構える。
だがそれでいい。
如何なる敵であっても油断は禁物。
特に相手がアレクサンダーならな!
俺は井戸の下を覗き込んだ刹那、その奥へと飛び込もうと踏み込んだその時だった。
「下に……バケモンが……!」
アシュラの呟きと共に突如湧き上がった炎。
一歩仰け反るのが遅かったら丸焦げにされていただろう。
熱気を避けるべくバックステップ、次の瞬間相手は井戸から飛び出していた。
「レナ……ボナパルトォ……!」
黒と赤のツンツンヘアーの竜人は、姿形こそ普通の人間と変わらないが、灼熱にめっぽう強い体質を持つ。
つまり……氷が弱点って事ォ!
俺はファントムソードに手をかけ、氷と風をイメージした。
究極剣技「氷竜斬り」。
ナオミの使っていたのを見よう見まねだが、難易度は……俺には難しくねぇ……!
英雄と呼ばれ始めて五日が経った。
それに相応しい力を持っているという自負があったが、本当の自信はアルマクルス頼りじゃ生み出せねぇ!
氷の竜はファントムソードの剣先から現れ、井戸の上の相手にぶつかっていった。
ん?アルマクルスが光っている。
やけにあっさり敵を氷漬けに出来たのもその為か。
「へぇ……こりゃ凄えや」
感心するアシュラ。
彼の出る幕は無かったか。
それにしてもアルマクルスの性能は計りしれない。
この世界の命運を左右する代物と言っても全く過言では無かった。
「見せてもらっていいスか?その御守り!」
アルマクルスを引ったくられた。
普段は首にぶら下げているが、丈夫な鎖に変えておくべきだったか。
たがあれはナオミの手作りの御守り。
柔な紐だったとはいえ、作り変える気にはならなかったのである。
それが引き千切られ、今やそれはアシュラの手に……。
俺は再びファントムソードに手をかけた。
俺とした事が……アレクサンダーとの戦闘が終わり一気に気を抜いた直後だった。
お前の事は嫌いじゃ無かったが……世界平安の為だ。
俺とアシュラは向かい合う。
逃げるのか。
それとも仮にも師である俺に立ち向かうのか。
何れにせよこれはレノン家に対する明らかな謀反だった。
だがもしアシュラがアルマクルスを使いこなせたらーー。
クロウ家の加護ではとても太刀打ち出来ないような相手となり得る。
逃げるか。
「待てっ!」と跡を追うが普通に追跡していてはアルマクルスを取り戻せない。
やはり後方から究極剣技を……!
その時先日アシュラが見せた無邪気な笑みが脳裏に浮かんだ。
ハモンと違うと判断したのもその時か。
宴会中の話だった。
手を止めた俺はとうとうアシュラを東の森に見失ってしまった。
アシュラの師を受け持った者として、次会った時は必ず……責任を果たさねーと……!
俺は街の東の果てで立ち尽くしていた。
ここから東にはフメア山がある。
そしてそこを越えればロンダルギアという他国だった。
俺はこの事をアルフに伝えるべく、テルミナ城へと足を運ぶ。
アルマクルスが悪しき者の手に渡れば……世界の破滅に繋がりかねない。
それにしてももっと深く追うべきだったか。
だが地の利はアシュラにある。
この世界での土地勘は、やはり俺には無い。
俺は城の門を潜り王の間へと通された。
此処はついこの間まで魔女アンドロメダの根城だった場所。
女王アルフの脇には神族のフィーネがおり、そのピアスはイカツかった。
事を知ったアルフが口を開いた。
「東に精鋭を送り、アルマクルスを奪還しなければ……そうですよねフィーネ大臣?」
「間違いねえな。アンタの夫アンガスでも送れば?」
フィーネは誰に対しても敬語を使わない。
それは神族である彼女のみ、許される事だった。
だがそれよりもレイヴン(アンガス・クロウ)一人じゃ犬死にするだけだった。
「私も行こう」
正義感の強いナオミが手を挙げた。
なら尚更俺も行かねーと。
結果キャンディス、メリアもアルマクルス奪還に名乗りを挙げ、五人で東へ向かう事になった。
メリアの占いによるとアシュラはロンダルギアに向かっている。
ならばキャンディスのアルマゲドンに乗り込み、大陸の中心部で待ち伏せする事は可能だった。
メリアの銀髪に差した黒い薔薇。
元々はイザベルの物だったが、それが今は彼女に予知能力をもたらしている。
イザベルほど完全なものではないにしても、占い師の存在は国家に不可欠なものであった。
俺は国一番の戦士。
例えアルマクルスの力を借りずとも……そう呼ばれるはずだ。
本当の意味で「愛される」か。
財力、地位、権力に頼らずとも三人と幸せを築けるか。
勿論それら三つも必要だ。
だが俺は神の領域に踏み込み、ナオミだけでなく、メリアやキャンディスをも納得させる。
理不尽な一夫多妻という条件の中、俺は飛躍の時を伺っていた。
「アルマゲドンを召喚する……皆んな離れて」
城から出た五人のうち、召喚士であるキャンディスが魔力を解き放つ。
それにしてもレイヴンことアンガスはクロウ家であった為、その開祖グレンとの和解を進めるべく、仕方なく女王アルフと結婚した。
国の為の政略結婚。
どうか二人には幸せになってほしい。
「アンガス。無理すんなよ……いざとなったら俺に任せろ」
今や力の差は歴然だった。
七年前はほぼ互角だったはずだ。
それが今やハモンを倒すほどの成果を上げられるようになっている。
アルマクルスを取り戻し、やがては大陸全土を制圧してやる。
五人は体長二十メートルの銀竜に跨り、東のロンダルギアへと飛び立った。
フィーネ・シルバーウィンドの民政の腕は確かな様で、中々の拾い物だった。
テルミナの首都ゼラートを奪った今、国の基盤を築き、次なる戦争に備えるには彼女の力が必要不可欠だった。
俺はテルミナ城のアルフに心の中で別れを告げ、フメア山上空を飛んで行った。
フメア山は竜たちの誕生の場所とされている。
この巨竜アルマゲドンも、元々はこの山から生まれたはずだ。
もう何十年も前の話だろうが……。
そんな事を考えている間にロンダルギアが見えてきた。
天空の城。
訪れるのは二回目だった。
大陸の中心部とされるこの場所で、俺は魔女との死闘を描いた。
だが今は無人の城のはずだ。
降り立った。
城の外の庭園でアシュラを待つ。
キャンディスはアルマゲドンを白っぽい光に変化させ、一旦あの世へ戻した。
何も俺に不満など持っていないはず。
本当にそうだろうか?
俺は若くとも大人びているキャンディスを見つめた。
今のところ三人は仲良くやってる。
それが少なくとも嬉しかった。
この道を選んでもう引き返せないところまで来ている。
全員欠ける事なく幸せを築く。
全てを超越した神の目線で、俺は現実世界へ彼女らを連れて行くところまで考えていた。
それまでは。
それまでは辛いだろうが戦いを強いるしかない。
三人の力は必要だし、レノン家の為に力添えする、もう決めた事だ。
キャンディスを見つめているとメリアが不自然に視界に映り込んで来た。
フッ……と微笑み立ち上がる。
芝生の草を払い落とし、ぐーっと伸びをする。
ナオミブラストは元々男嫌いだった。
だから男への対応はぎこちなく、それでいて純真潔白だった。
ナオミ……いつまでもそんなナオミでいてくれよ。
俺が占い師メリアに、あとどれくらいでアシュラが到着するか尋ねようとした、その時だった。
「キャハハハハハ、レナちゃん久しぶり〜!」
聞き覚えのあるこの甲高い声は。
イチ、ニノ、サンという声とともに消えた視界。
気付いた時、俺は一人砂浜に佇んでいた。
エルメス……!
恐らく幻影だろうが大陸に足を運んでいたとは。
俺はここがどこかも理解する事なく、一人歩き出す決意をした。
波の音が聞こえる……。
俺は海岸線上に足を進めていた。
多分ミルナ島じゃない。
大陸の東西南北いずれかの海辺のようなのだが、如何せん地理には疎い。
七年前「戦士」として各地に派遣されたのも、実は割と短い期間であったため、地理を把握するには至らなかった。
零社。
現実世界との明らかな深い結びつきは、グレン・シルバーウィンドが元々現実世界の人間だったことに由来するのだが、真相は謎のままだ。
なんにせよ七年前のアレクサンダーとの戦いの後、俺たち後の勇者四人はヘリ等に乗り各地に運び込まれた。
その零社ももういない。
隻腕になったナオミの右腕を作り上げた技術を持ってしても魔女には敵わなかったというのか。
俺は勇者の一人、マンティコア・ライデンを思い描いていた。
獅子の頭部を持つ身長二メートル越えの大男は半神で、俺とはかなり仲が良かった。
「マンティコア……」
呟いた。
何処か寂しげな砂浜で死んでしまった人の事を考えるのは何故か。
今頃ナオミ達は俺を血眼になって探している可能性もある中、俺はドッと砂浜に膝をついた。
「死にたかった時期もあったよなぁ……」
死後の世界にはマンティコアの他にイザベル、そしてグレンがいる。
俺は今ある幸せを噛みしめ、いつか必ずナオミ達三人と現実世界に帰ると心に誓った。
獅子の鬣の首飾りは……まだ付けたままだ。
魔導剣士の道も無きにしも非ずだった。
魔導士と剣士の両方のスキルを必要とする上級職だが、神を目指す俺にとって不足はねえ……。
(エルメスみたいに幻影の姿でマンティコアに会えねえかなあ……)
俺はしきりに沖の方を見つめていた。
波が高鳴っている……そう思った直後だった。
巨大な海蛇の猛攻。
それも一匹ではない……いやこれはヒュドラか?
ファントムソードで応戦した。
縦横斜めと縦横無尽に斬り刻む。
ヒュドラは七つの首を持つ体長十五メートル級のバケモノだった。
次なる猛攻に備え、漆黒の翼を生やし飛び上がる。
アルマクルス無しでこのレベルの敵と戦うのには無理がある……。
だがだからこそ、自分の力を信じる時!
対峙する七つの首のうち、二つの様子がおかしい……。
明らかに攻撃を躊躇っていた。
光るライオンの首飾り、そして……。
俺はがむしゃらに左手を突きだしていた。
炎属性上級魔法「ヘルフレイム」――。
キャンディスやアンドロメダといった強者しか扱えない禁呪を、俺はこの時取得していた。
生き延びて皆で帰るんだ――。
揺るぎない生への執着と、突如現れた首飾りの異変。
己の魔力を限界まで引き出してくれるそれはここにきて真価を発揮し始めていた。
炎、ではなくマグマ。
獄炎とも言えるそれは、七つの首のうちの一つを焼き焦がした。
(一人じゃなくても良いのよ……)
神ミルナの声がした。
姿形は見えないが、明らかに俺の心に話しかけている。
(他人の力を借りてもいいの。だって皆そうじゃない?背伸びしないで生き延びて。フィーネも大切だけど、実は私、貴方のこと応援してるのよ?)
悪魔の剣、ファントムソードが鈍く光った。
究極剣技と上級魔法、その両方を習得したものにしか為せない大技に挑戦しようとしている。
俺の身体が持つか分からねえ……、だがやらなきゃ殺される。
名前も分からない捨身の必殺技を放とうとしたコンマ一秒手前で噛みつかれた。
しまった毒が……!
だが今からでも遅くねえ……クロウ家とレノン家の力でねじ伏せてやらぁ!
魔導剣士を名乗るには十分過ぎる力技、名付けて「真・豪炎乱舞」は紅い力で溢れたオーラと共に切り崩し、残る六つの首を次から次へと乗り移り斬り刻んでは海に沈め、気づいた時に俺はヒュドラに勝利していた。
あっ、毒が……それに……疲労も……。
俺は砂浜に倒れ込んだ。
気がついたらベッドで横になっていた。
何処だ此処は……と上体を起こす。
「目を覚ましたのね!早くおばあ様に知らせなくっちゃ!」
見れば若くて綺麗な女だった。
それが老婆を連れてくるってか?
どうやら外は暗いようで、夜まで寝ていたようだ。
「アンタが助けてくれたのか……?」
「そうよ解毒剤を投与するの大変だったのよ?まだ体痛い?」
毒の痛みというよりは、真・豪炎乱舞を放った際の副作用がまだ鮮明に残っていた。
やがて女性は退室し代わりに老婆が険しい顔でテントに入って来た。
ここは大陸南東部のメタスという国のタガヤシ村。ここから少し行けば首都クレイモアがあるという。
老婆によればヒュドラは七つの召喚獣の幻影の姿。
マンティコアやゴーレムといった西のクリーチャーの集合体だそうだ。
「空のアルマゲドン、陸のアンドロメダ、海のヒュドラ。その三つ全ての幻影を倒した者は、神族になる権利を得るとされておる」
俺はその話に飛びついた。
丁度神に成り替わろうと考えていたところだ。
「ほんの言い伝えじゃがの。それにしてもまさかヒュドラを一人で倒すとは……」
アンドロメダなら既に倒した。
後は空のアルマゲドンだけ……。
一度勝った相手だが、今はキャンディスの召喚獣となっているので、戦いづらいと言えば戦いづらい。
「其方の仲間のうち二人がクレイモアにいる。今日は泊って明日行きなされ」
俺は老婆の勧める通りタガヤシ村で一泊することにした。
それにしても神族か……あり得なそうな話があるもんだ。
俺は心の中でマンティコアに別れを告げた。
あのナオミの師匠だったので、彼女はもっと辛いはずだ。
アシュラは今頃どうしているだろうか。
現実世界の人間とセンジュ族という一見かけ離れた関係性だが、俺は完全には諦めきれずにいた。
木製のベッドに横になる。
ナオミ、キャンディス、メリア……どうか無事でいてくれよ。
俺は南東のメタスという慣れない土地で、ゆっくりその瞼を閉じた。