第三話:奇妙な城
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お待たせしてすみません。続きをどうぞ。
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──その城は、とても奇妙だった。
長旅の疲れとそして城に無事辿り着いた安堵からか、自分で歩けない程に弱ってしまった私の身体を、その方はさながら猫でも扱うかの如く易々と、されど繊細な優雅さをもってその胸の中に抱き上げた。驚き、羞恥もあって断ろうとする私の唇を、その方は外見の優美さに似合わぬ力強い腕の安心感と、拒絶ではなく私を気遣うが故の確固たる意思でもって黙らせた。
確かに、経緯はどうあれ突然一人こうして見知らぬ北の城に嫁いで来たという不安と心細さに、身が知らず震えるのもまた事実。私は緊張しながらも、子猫の面持ちでその方の服に控えめにしがみ付き、軽い眩暈で覚束ない視界でその方の整った顔をそっと盗み見る。
白百合の花弁の如きしっとりと滑らかな肌は透けるように白く、そこにはらり、一筋垂れる夜色に染まる髪は夜露の艶やかさを匂い立たせ、そしてこの世ならざる美しさを目の当たりにし私は妙に得心がいった。
ああ、私はこの方に命を捧げるのだ、と。
何故だか理由も解らずに胸のつかえを下ろす私を抱いたまま、その方は柔らかな所作で石造りの城内を進む。
揺れる灯りに照らされた古城の重厚で厳かな雰囲気に慣れるにつれ、私はその不自然さに直ぐに囚われた。幅の広い通路で行き交う人影は少ないながらも全てが女性で、更に大抵の人影はどこか歪ななりをしていた。
杖と壁を頼りながら歩む片脚の娘、器用に車椅子で進む少女、肘までしか無い腕で荷物を運ぶ女性、閉じたままの瞳で擦れ違う夫人、──そう言えば峡谷まで私を迎えに来た際に馬を引いていた女騎士も、左腕が無いように見えた。
「驚いたかね」
私の視線に気付いたのか、静かに、しかし穏やかに問う言葉が降ってくる。私は思うまま、少し、と短い相づちをもって返した。
「皆、事情があってこの城に来た物達ばかり。貴族に平民、更に貧民や他国の出身の者も居るが、この城では身分など関係無く平等な立場で助け合うのを決まりとしている」
その方の説明に、ああ、と私は疑問が溶けるのを感じた。
城の女達は皆、私と同じなのだ。私が死ぬ為に此処へ来たように、彼女達もまた、似た理由で此処へと来たのだと。
私は命が欠けていて、彼女達もまた、身体や心や様々が欠けているのだ。それは幸せな死を迎える為だとか厄介払いだとかの送り出す側の心根は関係無く、──事実、此処に私達が来たという事こそが全てなのだと──熱っぽく蕩ける頭でぼんやりと理解する。
「強制は出来ないが──君も、可能な限り皆に分け隔て無く接して欲しいのだが、お願い出来るだろうか」
「ええ。勿論ですわ」
即答した私の台詞に、些かその方は驚いたようだった。続く言葉に表れた戸惑いに初めて人間味を覚え、私は新たな一面を覗き見た気分に少し心が躍る。
「感謝する。が、……貴族の令嬢の中にはそういった思想を拒む者も少なからず居てだね。その……、そんな風に即快諾を貰ったのは、正直に言えば久方振りだ」
苦笑じみたニュアンスを滲ませながら、その腕はどこまでも優しい。擦れ違う女達は皆生き生きとし、笑顔と隠しきれない好機を向けてくる。それは嫌なものではなく、むしろ私はこの城に迎えられているのだと、そう感じ胸がじわり暖かくなる心地がした。
「……当然ですわ。だって私は嫁ぐ為に此処に来て、こうやって侯爵様に迎えて頂いて。それはきっと、皆も同じなのですよね?」
その方は、再び驚いたように小さく息を呑み、やがてふわり、その美しい口許が笑みに綻んだ。そうだ、と肯定の声が響きとなって私を包む。私はその音を噛み締めながらうっとりと、潤む瞳を閉じて囁く
「でしたら皆、私の家族ですわ。私の新しい家族──。だから、仲良くするのは当然。そうでしょう?」
腕から、胸から、抱かれ触れている部分からゆるり、暖かさが伝わり私の身体の強張りを溶かしてゆく。私はその幸福感に酔いしれながら、しかし。
……私が死ぬまでの短い間だけれども。
閉じた瞼の内に溢れる涙は零さずに、そう心で呟いた。
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「まだ、死ぬのは怖いですか。恐ろしいですか。ねえ、お嬢様?」
私専属の世話係の少女が、穏やかな笑顔で問う。
この城に私が来てから十日余りの時間が経っていた。最初の数日は旅の疲れから眠ってばかりの時を過ごしたが、介抱や薬が効いたのか、随分と体調は楽になっていた。
一番甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたのは、私よりも幼く見えるこの少女だった。私の為に宛がわれた彼女は、左右で色の違う瞳が愛らしく、しかし年齢よりも大人びた笑みをいつも湛えていた。
「いいえ。怖くないと言えば嘘になるけれど、それでもこの城でなら、……侯爵様が傍に居て下さるなら、受け入れられると思うの」
伏し目がちに語る私に、それなら良うございました、とオッドアイの少女は頷いた。
「今まで何人も、死ぬ為に此処へと来たご令嬢を見てきました。大抵は間際になると死にたくない、怖いと泣き、駄々をこね、罵り続けて疲れ果てたその先、枯れるように最期を迎えるのが常でした。お若い所為もありましょうが」
「……気持ちは解らなくもないわ。でもそれより──ねえ、あなたはずっとそれらを見てきたのでしょう。きっとあなたも、辛かったわよね」
私の言葉に彼女ははっきりした綺麗な瞳をさらに大きく見開き、一瞬の後に哀しげな微笑を浮かべた。
「……そんな風に言ってくださったのは、侯爵様以外には今までおりませんでした」
そう小さく告げる彼女の声は少し震えて、薄く閉じた睫毛を潤すように、綺麗に光る滴が一粒、はらり柔らかな頬を伝った。
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この物語では文章の中に身体障害、畸形、病気などの表現が多数登場しますが、決して差別などの意図はございません。
現代日本とは違う時代や文化をモチーフとしたファンタジーですので、その辺りご理解、ご容赦頂ければと思います。
もう少しだけ続きますので、最期まで気長にお付き合い頂ければ嬉しいです。
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