22 懇願
お昼になって、千沙も汗をかいて戻って来た。
やりきったーって感じの笑顔が眩しい。汗を拭いてやって、おしぼりで手もよく拭いて、お弁当タイム。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
久しぶりに出した大きな二段重ねのお弁当箱の蓋を開けると、先生と千沙の目がキラキラ輝く。先生ってば、そんな少年のような顔で喜ばないで。
「わあい、いっただきまーす!」
「いただきます。うーん、なんだかキレイで食べるのがもったいないですね。
でも食べます」
おいしい、おいしい、とニコニコ顔で食べてくれるので、うれしくなる。
こんな風にお弁当作って外で食べるなんて何年ぶりかな。
ご飯を食べた後は、みんなで丘を登ったり、売店でシャボン玉を買ったりして、あっという間に夕方になった。
帰ろうというと、やっぱり千沙はイヤイヤと駄々をこねる。
「やだー、もっと、せんせーとあそぶぅ」
先生がうちのマンションにちょっと寄って行ってくれることになって、ようやく納得した。
千沙を車に乗せた後、トイレに行きたくなったのでちょっと失礼してその場を離れた。
戻って来ると、車のところから先生と千沙の声がして、思わず車のそばの建物の影で足を止める。
「・・千沙ちゃん、僕は千沙ちゃんと仲良くなれるかな? これからもママと千沙ちゃんと三人でお出かけしたりお食事したり、行ってもいい?」
娘に向かって話す先生の声と、「うん!」と元気良く答える千沙の声。
「わたしね、ママがだーいすきなの。
せかいじゅうで、いちばんいちばんいちばん、いっちばん、すき。
だから、せんせーといっしょ、うれしい。
だって、ママ、せんせーといると、にこにこ、うれしそうなんだもん」
千沙・・・。
目元が熱くなって、慌てて上を向いた。
子どもは親をよく見てる。こんな私を誰よりも慕って、愛してくれる。
最近、悲しい顔してたかも。
笑顔を忘れないようにしないと。両手で頬をぐいーっと持ち上げる。
息を整えてから車に戻ると、二人にお帰りなさいと出迎えられた。
おかしくて笑ってしまう。
さあ、帰りましょうと、先生はまるで家族のように家へと車を走らせた。
*****
家に着くと、千沙は大はしゃぎで先生の手を引き、リビングに引っ張った。
自分の宝物入れを出してきてザアっとひっくり返すと、説明を始める。
「これは、ママがくれたリボン。
こっちはなかよしのレイちゃんからもらった、ビーズ。きらきらでしょ。
こっちは・・・」
先生も一つ一つ、ステキですねとかキレイですねとか相槌を打ってくれて、ますます千沙は大喜びで話してる。
私はお弁当箱を洗い、先生にお茶を入れるついでに三時のおやつの用意をした。
「これ、パパがくれたの。きのうのまえ」
千沙の言葉に先生の表情が凍りつく。私もカップを落としそうになった。
「パパ・・が、来たんですか? ・・ここに?」
「うん。とつぜんで、びっくりした。ママも、すっごーいビックリして、おさらわれちゃったもん」
ああ、子どもって怖い。どんどん私の嘘がバレる。
先生には昨日、あの後、旦那は一度も戻って来てない、だから心配いらないと言ったばかりなのに。
絆創膏を巻いた指にもすぐに気づかれた。先生がどうしましたって聞くから、かぼちゃを切ってて手も切ってしまったと、私はまた、嘘をついた。
おやつを食べ終わると、千沙はこっくんこくん船を漕ぎ出して、リビングのソファに横にすると眠ってしまった。
先生が軽々と持ち上げるので感心してしまう。最近重くなってきて、特に眠ってしまった千沙を運ぶのは一苦労なのに。男の人ってすごいな。
あんなに動いたんだもんね。電池切れになるまではしゃげるってすごいなあ。
千沙のお腹にタオルをかけて、髪を撫でてやる。
おやつの片付けをしようと立ち上がると、先生が目の前にいた。
真剣な目。先生の目はいつだって、怖いくらい真っ直ぐで。
嘘つきな私は、後ろめたさもあって直視しできない。
「のんちゃん」そっと手を触れられてドキリとする。
「のんちゃん、・・・うちに来てください。お願いだから。
このままここにあなた達を置いてなんて、とても、帰れません」
私の手を握る、先生の手が熱い。
懇願されても困る。困るよ。
だって、そんな迷惑なこと・・
「あの後、何度か来てるんですか? ここに。
あなたにあんなことをしておいて、よく・・っ」先生の声が昂ぶるので焦った。
「先生っ、声を抑えてください。千沙が起きちゃう」
「・・・ごめんね」
「大丈夫です、先生。一昨日も、来たって言っても、千沙の顔を見にきただけみたいで。お皿を割ったのも私が勝手に驚いただけで。えっと、書類を置いてすぐに帰って行きましたから。また荷物はそのうち整理しに来るって言ってたし・・・」
って、これ、また旦那がここに来るって教えてるのと一緒だ。
自分で言ったことにハッとして口を抑えた。
「えっと、その・・」
「のんちゃん。落ち着くまででいいですから、うちに来てください」
先生が私の手を、すっと持ち上げる。
「気づいてますか? ずっと、震えてますよ」
「・・・っ」
気づいてた。けど、気づかないふり、してた。
一昨日も。
あのヒトの顔を見たとたん、全身が強張った。
でもあのヒトは何事もなかったかのように、皿を割ったことに眉をしかめて、千沙にあっちにいくと危ないよって注意してた。
私は手が震えてなかなか処理できなくて、二箇所も手を切ってしまったっていうのに。
「ね? のんちゃん。うちには部屋が空いてますし」
優しい声に、迷惑をかけちゃいけないと固く握られてた拳の力が抜けていってしまう。
「僕に、あなたを守らせて、ください」
こくんと、頷いてしまった。




