1.王子様の事情
私は母上に泣きながら訴えていた。
「ははうえ、わたし、もういやです!わたしも可愛い服がきたい!」
「我儘言わないで頂戴。貴方は男の子でしょう」
「ちがうよ!」
バシィ!!という音が室内に響いた。
尻もちをついてから、扇で肩を殴られた事を理解する。じんじんとした痛みが広がっていく。それでも私はしゃくりあげながら訴える。
「ちがう、ちがうよ、ははうえ、ウソをついてる。みんなにウソをついてる。わたし知ってる!」
「お前は男の子なのよ!いい加減にしなさい!」
母上は抗議する私を恐ろしい形相で睨みつけ、首を絞めてきた。
「!!」
苦しい。助けて。誰か。
「お前は男の子なの!自分が女の子なんて!誰にも言っては!駄目なのよ!」
ギリギリと首に力が込められる。
違うよ。私は女の子だよ。知ってるよ。誰か!私を―――
いつもそこで目が覚める。
大きな天蓋付きのベッドの上で荒い息をつきながら、私は身を起こした。
何度も見る夢だ。
あの時から5年は経ち、10歳になったが、未だに見る。
首に手を当てる。
眉間に皺が寄り、くっ、と笑いが漏れた。
―――今だって、母上に私が女の子だと言えば同じ事をされるだろう。いや、今度こそ殺されるかもしれない。今見た夢はそれを忘れさせない警告の様だった。
「レイリー殿下、お目覚めですか」
私が起きた気配に合わせて侍女が入ってきた。
「本日は婚約者候補の令嬢方とのお茶会になります。お支度にいつもより時間がかかりますので、本日の朝食はお部屋で宜しいでしょうか?」
ああ、そうだった。今日は王子である私の婚約者を決めるという悪夢みたいな予定の日だった。窓から見える外の景色は私の憂鬱な心と違って良く晴れている。
「…私が令嬢と婚約なんて、何かの冗談だと思わないか?」
「聞かなかった事に致します」
私が力の無い笑みを向けると、全ての事情を知っている古参の侍女は淡々と応えた。
まだ冬の気配が残る朝、春先の冷たい空気が身体を包み、私の手先は冷えていった。
私が支度を終えて部屋を出ると、既に母上は廊下で待っていた。
私と同じ金髪と緑の瞳の美しい人だけれども、母上はいつも貼り付いた笑みで私を見ており、会うといつも息苦しさを感じた。
会場で待っていてくれれば良いのに…顔に出そうな嫌な気持ちをぐっとこらえる。
私は王子としての仮面を貼り付け、笑顔で母上に挨拶する。
「おはようございます母上。お待たせして申し訳ございません」
「まったくだこと。今日は大切な日なのよ。急いで行きましょう」
どこか浮足立った様子で母上に急かされる。いつもと少し違う様子だが、私の婚約を整える事に意欲的なのだろう。
結婚生活など出来ないのに、婚約など…母上はどういうつもりなのだろうか…。
確認した所で殴られて終わりである事は想像するまでもない。口を引き結ぶしかなかった。
「あら」
少しして、母上が足を止める。声が一段低い。廊下の向かいから、私の父上である国王陛下と、私の兄上の母君である側妃殿下が歩いてくるのが見えた。
「陛下。本日もお会いできて光栄でございます。本日は陛下のレイリーの婚約者を決める茶会ですけれど、どちらへ?」
母上はそっと私の肩へ手を回し、笑顔で陛下に尋ねる。
「ああ。様々な令嬢と交流を持つとよい。今日はスティンが馬で新しい技を見せてくれると言うので見に行く所だ」
陛下がスティン兄上に会う。という話をした途端、側妃殿下が母上に向けて薄っすら微笑むのが見えた。
肩が痛い。
思わず見上げた母上の顔はこれ以上ない笑顔だったが、手の爪が私の肩に食い込んでいた。
「それはようございました。後で感想をお聞かせ下さい。こちらも良いご報告が出来る様、誠心誠意、努力致しますね」
「なに、直ぐに決める事もない。楽しんでこい」
はい。と母上は陛下と最後まで笑顔で話して廊下で別れた。
別れるまでは笑顔だった。
「いい?粗相は駄目よ?私に恥をかかせないで」
母上は険しい顔で私を冷たく見下ろすと、そう吐き捨てた。私は肩が痛かったが何も言えず、ただ応諾した。
王城の庭園の一角、青空の下、テーブルにお菓子とお茶が並べられ、大勢の貴族が婚約者候補のお茶会に参加していた。
何人もの貴族が令嬢を連れ、王妃である母上と私に挨拶していく。父である国王陛下が異母兄の第一王子の所へ行き、この場で不在なのは、第二王子である私に興味がないのだと思う。あまり会話した記憶がない。
だが母上は常に私に強い関心を持っている。貴族達に挨拶を返している間も視線を感じた。少しでも私が粗相をすれば後で折檻が待っているだろう。
…とても疲れる。
誰も彼も仮面を付けている様に感じる。貼り付いた笑み。私も同じ笑み。
この中から婚約者を決めろと言われているが、決められる訳がない。私の婚約者など犠牲者になる様な物だ…。
母上はどうするつもりなのだろうか?性別を偽っている私が結婚など、出来るはずもないのに。その考えが浮かんでは振り払う。
内心は鬱々と惰性で挨拶を続けていると、母上が相手をしたい貴族が現れた様で、私を置いてわざわざ自分から出向いて行った。
私はその隙に、そっとお茶会から抜け出した。
少し離れた庭園の影で、私は行儀悪く座り込んでしまった。とても疲れていた。
先程までの令嬢達の姿が浮かんでくる。いいな。と思ってしまう。令嬢達はみな可愛い。私も一緒に入りたい。同じドレスで。
リボンもレースも好きだ。
だが、母上は私がそれを見る事すら拒否反応を示す。こっそり部屋に隠していたリボンは目の前で踏まれて燃やされた。ぬいぐるみなんてとんでもない。
私は王子としての仮面をつけて挨拶したけれど、令嬢の服装を褒める時は正直に言えた。
だがそれ以外は嘘だ。存在自体が嘘だ。
少し休んだら行かなければいけない。行って、また嘘をつくのだ。
分かっているのに動けなかった。
動かないと、また叩かれる。
気がつくと震えていた。泣きそうだった。泣けば叩かれる。泣いてはいけない。そう思っているのに身体の震えが止まらない。
そんなどうしようもない時に上から涼やかな声が降ってきた。
「大丈夫ですか?」
顔を上げた私の涙は一瞬引っ込んだ。しゃがんでこちらを見つめていた令嬢があまりに美しかったからだ。
長い黒髪は全くまとめずに、ストンと綺麗に流れ、光沢があり、長い睫毛に彩られた瞳は吸い込まれそうな鮮やかな紫色だった。
紫の瞳は王族の血が流ている者にしか現れない貴色だ。
―――陛下とスティン兄上も紫の瞳だ。私が2人と違う緑の瞳である事を母上から拗じられた事もある―――
高位の令嬢なのは間違いない。が、私は彼女を知らなかった。
全く日に焼けていない白い顔は人形の様で、無表情でこちらを見つめる様子は更にその印象を強めた。
「どこか痛いのですか?」
無表情のまま、美しい令嬢はまた声をかけてきた。
「いや、別に、痛くないよ…」
ここが茶会の場でないせいか、令嬢は仮面をつけて喋っていないと感じ、私もつい正直に何も飾らずに返答してしまっていた。
「何が嫌だったんですか?」
何故泣いているか、ではなく何が嫌だったのか。そんな聞き方をされて私はうっかり本音を溢した。
「可愛い物を、私も、つけたい。でも、怒られる」
答えてから、恥ずかしくなってきた。変な事を言っていると思われるに決まっているのだ。目線が自然と目の前の令嬢から外れて、芝生に向けられてしまう。
「なるほど。…少々お待ちください」
目の前にあったスカートの裾が何処かへ行き、そして暫くして戻ってきた。
「どうぞ」
見上げると、令嬢の手に花冠があった。受け取って花冠をまじまじと見つめる。庭園の花を使ったのだろうけれど、その中でも小さな花をあえて選んで作ってくれたのだろう、とても可愛らしい花冠だった。
貴族の令嬢が花冠を作る事が出来るのがとても意外だった。とても良く出来ている。
令嬢は固まって動かない私の手からそっと花冠を取ると、私の頭の上に載せてくれた。
「可愛い」
無表情だった令嬢がフッと微笑む。
それがとても―――不敵な笑み。という表現がぴったりな男の子みたいな微笑みで、まるで綺麗な男の子に花冠を載せて貰った様で心臓が跳ね上がった。
ふと、令嬢がまた無表情になると、横を向いて立ち上がる。
「フリーダ!」
声の方に目を向けると、一目で令嬢の母親と分かる美しい貴婦人が早足でこちらに向かってきていた。瞳の色が琥珀色な所以外はとてもよく似ていた。
私も慌てて立ち上がった。いつの間にか身体の震えは止まっている。
「フリーダ!私が見えない所に行かないで頂戴」
「申し訳ありません。お母様」
焦った声音に対して、令嬢は淡々と応えた。
その様子に貴婦人は眉を寄せたが、私に気が付いて直ぐに貼り付いた笑みを浮かべた。
「レイリー殿下、申し訳ございません。お見苦しい所をお見せしました。エルシエン公爵家のカーミラ・エルシエンと申します。娘のフリーダが何か失礼など致しませんでしたでしょうか?」
―――エルシエン公爵家か。
私は記憶を引っ張り出す。登城する事があるのはもっぱら先々代の当主、エルシエン老公爵閣下と、現当主のエルシエン公爵閣下だけで、夫人とその娘は初めて会う。噂で夫人は女神の様に美しいと聞いた事があるが、言い過ぎでは無かった。その令嬢も。
「いいえ、フリーダ嬢には花冠を頂いた。とても綺麗で良いものを貰って嬉しく思う」
先程までみっともなく震えていた私だが、なんとか王子としての仮面をつけて返答が出来た。
「レイリー殿下?」
フリーダ嬢と名前が判明した令嬢は少しだけ目を大きくして私を見た。
「女の子かと…」などと呟きが聴こえてきて私はちょっと咳き込んだ。
「ご挨拶が遅れ、大変失礼致しました。フリーダ・エルシエンと申します。お褒め頂き光栄です」
―――ああ、フリーダ嬢も令嬢としての仮面を今付けたんだな。と感じる完璧な所作の挨拶だった。
先程までのやり取りを思い出して少し寂しくなってしまう。私も貴族の令嬢だったら友達になれたのに。と。
流石にそろそろ戻らなければならない。王子として、私はフリーダ嬢を茶会の場までエスコートをした。
そのお陰か、花冠のお陰か、戻りたくない。という気持ちは少しだけマシになっていた。
「レイリー」
お茶会の場に到着すると、母上からの冷たい声が待っていた。微笑んでいるが目が笑っていない。身体が自然に強張る。
「美しいお嬢さんをお連れして、何処に行っていたのかしら?」
「庭園に。フリーダ嬢から花冠を頂きました」
「あら、とても素敵ね」
"フリーダ嬢から貰った花冠"は問題無かったらしい。母上からの声音にトゲトゲしさが消えた。
「エルシエン老公爵閣下、閣下のひ孫のフリーダ嬢とレイリーは相性が良さそうですね」
「その様ですな」
母上は隣にいた、白髪に、紫色の瞳をした眼光の鋭い老人―――エルシエン老公爵閣下に笑顔で婚約してはどうかと話しかけ、老公爵も頷く。
隣にいる老公爵と似た、銀髪に紫色の瞳の若い貴族男性は現エルシエン公爵閣下だ。老公爵閣下と母上のやり取りをただ黙って見ており、何を思っているか伺い知れない。
しかし、その妻、エルシエン公爵夫人のフリーダ嬢の母親は顔色が悪く、強張っている。この婚約の話を歓迎していない様だった。
フリーダ嬢の反応を恐る恐る伺うと、貴族としての貼り付いたほほ笑みでよく分からなかった。
婚約者か…
フリーダ嬢と婚約者ではなく、同性の友達として過ごせれば良いのに。
という私の願いは勿論叶うこともなく。
フリーダ・エルシエン公爵令嬢がその日、私の婚約者となった。
最後までお読み頂き有難う御座いました。




