12 エレベーター家族 最終話
土曜日の午前中。
沙都子は買い物メモを手に、近所のスーパーに出向いていた。
まだ早いとも言えるこの時間帯の店内に客は少なく、ゆっくりと回ることができた。
(ハンバーグも、けっこう材料がいるのね)
肉だけじゃないんだな、なんて沙都子は当たり前のことに感心して小さく笑う。
最近、沙都子は休日に料理をするようになった。
実家暮らしなので食事は母親に甘えていたが、ふと自分でしようと思い立ったのだ。
すると思いのほか、料理というものは奥が深く面白い。
まだまだ素人の域から出られないが、近頃は挑戦するレシピを漁るのが日々の楽しみになっていた。
そうすると平凡な毎日も、カラフルなビーズが散らばったみたいにキラキラ輝く。
(ま、私は大きな夢より、こんな些細な楽しみでいいのよ)
なんて、誰ともなしに心の中で小さく囁く。
あのおじさんは、今も夢を追っているのかな、なんてぼんやりと考えて。
その時ふと、ある人物が目に入った。
お菓子の棚の一角。
この時間帯には珍しい少年が一人、カゴを床に置いてしゃがみこんでいたのだ。
どこかで見たことがあるような横顔だ……と思い、少しずつ近寄る。
それが誰なのか、沙都子はすぐにわかった。
「あ、あの時の!」
あのエレベーター事故で一緒に居合わせた、中学生の猛だった。
沙都子にとっては名も知らない少年を思わず指さしてしまうと、彼も驚き飛んで立ち上がる。
「あ、あんたは……」
「奇遇ね。制服じゃないから、最初わかんなかったわ」
猛は棚とカゴを背にして、沙都子と向き合った。
沙都子は彼の足元のカゴを見やる。
そこには、さまざまなお菓子や文房具が入っていた。
「きみも買い物? けっこう買うのね。遠足かなんかあるの?」
「……ああ。まぁそんなとこ」
変に言葉を濁らせる猛に、沙都子は首をかしげる。
猛の視線は、さっきからきょろきょろと忙しない。
まるで、まわりの視線を気にしているようだ。
(……もしかして)
カゴの中の商品を見れば、それらはどれも、袋にしわが寄ったり型崩れがある。
あの時、隼人にあげたチョコレート菓子も入っていた。
カゴの中身と、あの日の猛の冗談。
そこから導き出される答えは、とても簡単である。
「じゃあ俺、レジ行くから」
猛はカゴを持って背を向けようとした。
「あ、私も」
沙都子は声をかける。
「な、何でだよ?」
「だって私も買い物終わったもん。なに、悪い?」
「……べつに!」
猛は口癖を吐き捨てると、足早にレジに向かった。
ドンッと置かれたカゴの中身を、にこやかにレジのお姉さんがスキャンしていく。
「何であんたがいるの」
猛は背後に立つ沙都子をじろりと見た。
「私もレジに並んでるだけよ」
チッと猛は舌打ちする。
その前で、レジのお姉さんが軽快に商品をスキャンしていく。
一つひとつの商品名と金額を読み上げていくお姉さんの声を、猛は緊張した面持ちで見守っていた。
それは沙都子から見れば、苦しそうに見えた。
苦しそうだけど、何か懇願するように。
柔らかく、息を吐いて。
「……あ、それは二個でお願いします」
突然、猛はレジのお姉さんに声をかけた。
「え。こちら一点のお買い上げですが」
「いいんです! 二個でしてください!」
猛は少しだけ声をはり上げてそう要求した。
レジのお姉さんが手にしている商品。
それは、隼人にあげたあのチョコレート菓子だった。
「はぁ、わかりました」
ことを荒立てたくなかったのか、レジのお姉さんは不可解な要望に応えて、もう一度チョコレート菓子のバーコードをスキャンしする。
二点と表示されたパネルを見て、猛はようやく肩の荷が下りたように息を吐いた。
その行動が意味することを、沙都子はもうわかっていた。
これが本当に正しい贖罪なのかまではわからなかったけれど、でもこの今の猛を、どうして責められるだろう。
誰だって、いつもどこかで迷っている。
小さなことで、不安を感じて。
猛は会計を済ませると、沙都子に目もくれずにサッカー台に移動した。
手早く袋に詰め込む様子を見ながら沙都子は、少しずつ焦っていた。
(本当に不器用なんだから。……ああ、行っちゃう!)
焦る沙都子はスキャンが済んだ商品をさっさと袋に入れ、会計も早急に済ませてスーパーを飛び出す。
きょろきょろと辺りを見渡すと、少し遠くに歩いて行く猛の後ろ姿を見つけた。
「ねえ、ちょっと!」
沙都子の大きな声に、猛は驚いて振り返る。
まさか沙都子が追ってくるとは思っていなかった猛は、強張った顔をしていた。
「何だよ?」
その目には、不安の色が陰っている。
しかし沙都子はそれに気づかぬふりをして、笑った。
「ハンバーグは好き?」
「……へ?」
「私、最近料理にはまってるんだ。よかったら、食べに来ない?」
「……はあ!?」
猛は素っ頓狂な声を出す。
沙都子も我ながら変なことを提案しているなと、少しだけ恥ずかしくなる。
でも、沙都子は思ったのだ。
この目の前にいる猛と、一緒にご飯を食べたいと。
一緒に、食卓を囲んでみようじゃないか。
まるで、そう、家族のように。
そうすれば、この少年のもっと素敵な表情が見られるんじゃないか、と。
そう思ったから。
「隼人、帰ろうぜ」
「うん、ケイちゃん」
ある日隼人は、友人と下校をしていた。
ランドセルを背負い、二人でいつもの通学路である商店街を歩く。
隼人の隣に立つケイちゃんは、今日一日機嫌が良く、そんな彼に対して隼人も嬉しい気持ちだった。
最近のケイちゃんは落ち込んでいることが多く、隼人はずっと心配していたのだ。
しかし今日は、朝からケイちゃんは見違えるくらい機嫌がよくてニコニコしている。
「ケイちゃん、今日は何だか嬉しそうだね?」
「ふふー、わかったか」
すると彼は、待ってましたとばかりにガシッと隼人の肩に手を回した。
小さな隼人よりもだいぶ大柄なケイちゃんにそうされると、隼人は「ぐえっ」とカエルのような悲鳴をあげそうになる。
内緒話をするように、ケイちゃんは顔を近づけ言った。
「じつはオレんち、最近まで離婚危機だったんだ」
「え?」
「父ちゃんが漫画家になってさ。母ちゃんは近所の実家に帰っちゃったんだよな」
離婚という、けっこう深刻なカミングアウトにびっくりして、そして父親が漫画家になった、ということにも隼人は驚く。
幼い隼人には単純に「すげー!」という感想がまず浮かんだ。
「オレ、母ちゃんについてってさ。しばらくばーちゃんの家から学校通ってたんだ。このまま離婚かなーって落ちこんじまってさ」
「そうだったんだ……」
離婚という言葉はいつだって、幼心を大きく揺さぶる。
どんなに世間やフィクションの世界でこの制度が浸透されたって、子どもにとってその変化は大きくて重い。
ケイちゃんこと圭介の今までの落ち込みも、その重圧によるものだったのかと隼人の心は痛くなる。
学校では明るく振る舞っていたが、きっとずっと、苦しかったに違いない。
「でもさ、最近、母ちゃんが父ちゃんとより戻したんだ」
「わあ、よかったねぇ」
にこっと笑った圭介に、安心して隼人も笑った。
「うん! 母ちゃんも仕事の時間増やして、父ちゃんの夢、応援するって言ってた。何だかんだでさ」
圭介はそこで言葉を区切り、ふと地面を見つめた。
「母ちゃん、寂しいだけだったんだよ。一人で頑張る父ちゃんが頼ってくれなくてさ。家族なのに、何で相談もしてくれないのーって」
まったく世話の焼ける両親だぜ、と嘆いた圭介に、隼人は小さく苦笑する。
大人に見える大人も、きっと自分たちが思っている以上に大人じゃないんだよ、と。
それはあの日、エレベーターで大谷と沙都子が見せてくれた弱音から、教えてもらえたような気がした。
大人も余裕なく、一生懸命に生きている。
だから家族っていうのは、いつも不安定で脆くて崩れやすい。
でもそれを、必死に踏ん張って支えているのが、大人なんだろう。
へろへろの体に鞭打って。
たまにコンチキショーと大人のくせに、泣きたくなったり。
それでもすぐに立ち直ろうと、歯を食いしばったり。
そんな姿がカッコイイな……なんて、隼人はちょっぴり思ったりもしたのだ。
「それにしても、漫画家になったってすごいね、ケイちゃんのパパ!」
「て言っても、オレらが読むような少年漫画じゃないぞ? なんか銃とかヤクザとか出てくるオヤジ臭いやつでさぁ」
そう言いつつも笑う圭介は、やはり嬉しそうに見える。
ようやく取り戻せた家族の存在に、心底安堵しているようだ。
「そういえばさ、隼人。今度のサッカー練習、お前も来るんだよな?」
「うん。ママも応援しにくるって」
圭介の所属している少年サッカークラブに、隼人は先週見学をしに行った。
その時一緒に行った母親は、隼人よりもサッカーをプレイする子たちの姿に感動し「さっそく入りましょう!」なんてノリノリになっていた。
隼人も隼人で、監督に「ボールさばきが上手じゃないか」と褒められた。
思い出して嬉しくなる隼人から、圭介はようやく腕をどけて空を見る。
「オレの父ちゃんと母ちゃんも、今度サッカー観に来るって!」
「本当? じゃあサインもらおうかな」
「だから、そんな大物じゃねーって」
朗らかに笑う圭介の笑顔は、あの時のエレベーターのおじさんにちょっと似ているな、なんて隼人は思う。
そうして自分も、圭介と同じように空を見上げた。
そこにはただ、突き抜けるような青空が広がっていた。
この空の下にきっと、あの日のみんなが散らばっているのだろう。
この街のどこかに、いるんだろう。
そう考えると、なぜか胸がいっぱいになる。
隼人は嬉しくなって、空気をたくさん吸い込み深呼吸した。
つられて圭介も同じようにする。
目と目が合って、笑いあった二人の声は、高い空に吸い込まれていった。
◆ おわり ◆




