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セイギノミカタ ~赤城夏希~  作者: 桜
最終章 〇四一〇
14/17

〇四一〇 ♯1

 正義とは掲げる人間が変わるだけで、立場が異なるだけでたちまち変わってしまう不安定なものだ。だからこそ人はルールを作り、そこから外れたものを罰する。けれど、それが本当に“正しい義”なのかは誰にも解りはしない。

 赤城夏希、二十三才。月給二二万、政府公認の正義の味方、レッドアロウズに所属している青年である。見た目も背丈もそこそこの、けれど正義があやふやである意味も知っている。だからこそ、夏希は“自らの正義はこう”だ。と自らの胸に誓っている言葉がある。

 ある日、仕事上の相棒が、問いかけてきた。

「ねぇナツ、アンタにとって正義って、何?」

 その時夏希は胸を張って、こう答えた。

「俺が俺に胸を張って言える。それが、彼の正義だ」

 確かに法律は大切だ。規律正しく守るもの。そう思っている。けれど夏希はそれが全て正義だとは言えないのではないだろうか、と思っている。だから、例えば人を守ったり、助けたり、何なら近所のゴミ拾い程度でもいい。自分に対して良くやった、流石だな。と言える事こそが、自分にとって正義だと思っている。

 夏希達が暇だ暇だと良いながら、いつ税金の無駄遣いだ、と投げかけられるかもしれないとひやひやする日常を、誰かが傷つけられない様守るのが、自分達レッドアロウズの役割だと思っている。

 夏希の給料は同期達の中でもちょっといい方である。それは何故か。公務員にしたって、初任給としては良すぎる方だ。しかし、実際はそんな金額では賄えない程の任務を担っている。対テロ組織に編成された自分達の、誰かの為にかけられる命の値段そのものなのである。

 視界が霞む。流石にこりゃ、やべぇかもしれねぇな。考えている暇はないのに、思考がいやにゆっくりと、そう告げていた。切りつけられたせいか、胸から腹にかけて焼ける様に熱い。身体から噴き出した血液がダサい、しかし丈夫な筈のジャケットを濡らしていく感覚が伝わってくる。視界の端には二人。藤堂と、麗花が倒れている。

 何で、こんな事になったんだっけ。俺たちは真麻を追いかけてきて、それで。

 その時、空をつんざく様な悲鳴が轟いた。真っ赤なジャケットを羽織った男が、握り締めている刀を振り上げるのが見えた。

 ああ、はは……なんか、本当にヤバイのかも。

 真麻はどこだろう。無事でいるんだろうか。数時間前、彼女に電話をかけた後、それきり連絡が取れなくなってしまった。少なからず彼女が事件の中心にいるのは確かだろう。しかし、彼女は殆ど何も言わなかった。

「ごめん、言えない。お願いナツ、私の装置の電源切って。場所が知られると困るの。これは私の事件なの! 助けたい人も、助けられなくなっちゃう!」

 夏希は、今まで一度も彼女が泣いた所を見た事がなかった。気の強い、時々ちょっと恐がりな相棒。だからその時初めて、そんな声を聞いた。夏希に胸を張れない、自分に胸を張る為だけに行く。だから、正義じゃない。そう言っていた。

 けれど夏希は「出来るかよ! 困ってんなら言えよ! 俺は、俺たちは正義の味方だぞ! 助けてって言っても……言わなくたって直ぐに行くから待ってろ!」そう返した。

 女姉弟がいても、姉は家族の中のちょっとした権力者の一人だったし、慰め方も知らない。けれど相棒がそんな弱気だと調子が狂うし、とっとと見付けて、いつも通り馬鹿ね。と嘲ってくれた方がまだましだった。けれど。

 これ、俺が起こしたのか。夏希が急いで行こう、とはやし立て、訪れた遠い地で、みんな倒れてしまった。そして今は――。

 何も出来ていないのに、俺、こんな所で死ぬのか。誰一人守れずに、何が正義の味方だって言うんだ。刃が振り下ろされるのを見上げた、次の瞬間。

 真っ赤な旋風が巻き起こったかと思うと、男の姿が弾け飛んだ。

 何だ。それはとん、と軽快に再び蹴ると、今度は男の足を払う。小さな塊はまた軽快に地面を踏みしめて、声を上げた。

「お前も真っ赤な色着てんなら、大好きって言うんならその色を着て恥ずかしくないようにしろ!」

 透き通る、高いキーだ。追いかけてきた相棒のものではない、別の声は、男の返答を待つ間もなく再び声を上げた。

「あんたは、大人だ。いつまでも守られてちゃ駄目なんだ、多分。怖いって思うのは誰も同じで、でも俺はお前の怖いこと何にもわかんない。けど、もしどうしようもなく怖くなったら俺を呼べよ。お前が怖いって思う前に、なんとかするから。絶対に、ここでお前をぶん殴ったからにはちゃんと行くからな。解ったな!」

 それは、小さな背中だった。お世辞にも格好良いと言える程ではない、弱々しいか細い姿だ。しかし夏希には、あるものに見えた。

 この世に、誰が正義の味方がいない、と決めつけただろう。夏希は大人になるにつれ、憧れていた彼らが夢を乗せた作り物である事を理解した。友人達もすっかり笑い話の様にあの頃のヒーローは凄かったよな、とか、変身道具が欲しかった、強請って誕生日に買って貰った。と話をする。けれど科学の発展したこの現代に、正義の味方がいたってなんら可笑しくはない。

 夏希達レッドアロウズはその力を持っていた。システム・ツバサ。肉体の制御を司る脳に働きかけ、一時的に隊内リミッターを外し、刃にも拳銃にも簡単に屈する事のない力。まさしくテレビ番組で見た、憧れの正義の味方そのものだった。けれど今はどうだ。夏希の今の姿は正義の味方だろうか。そして。

 ぼやけた視界に、小さくて真っ赤な後ろ姿が見える。なんて真っ直ぐに立っているんだろう。それこそ夏希が子供の頃憧れて、目指したかった正義の味方そのもの、ではないだろうか。


   * * *


 この事件に触れる前に、ある事件の話をしよう。世には『箱守教授殺害事件』と呼ばれた殺人事件である。そしてD―クラウンが関与したとされる、夏希が病気欠席をした四月上旬に起きたいくつかの事象の内の一つである。

 被害者の名は箱守和久、四十五歳。元々医療機器メーカーの研究者であり、医療、介護分野でのロボット技術政策の一任車の一人、とも言えるだろう。事実彼は苦肉にも死後功績を称えられ、表彰される程だった。そして同時に、政府公認正義の味方、レッドアロウズの矢羽根、そして刃とも言える、システム・ツバサを制作を全て任されていた男でもあった。夏希は直接顔を合わせた事もないが、縁の下の力持ち、影で支える重要な役割を担っている人だと理解していた。

 当初、四月八日。現場に居合わせた隊員の報告では、息子の誕生日を祝う為に休暇を取り、押しかけた同技術職員、川澄氏と口論の末、殺害されたとの事だ。ただ、腹部損傷の後、意識があるまでの間に同ナイフで川澄氏を刺し、犯人も死亡。他職員の証言により以前から開発方針か何かで揉めていた、との情報もある。実際川澄氏が箱守邸を訪れるより少し前に、レッドアロウズに子供達の保護を求める連絡が入っており、箱守氏は「もしかしたら、命を奪われるかもしれない」とも言っていた。それが川澄氏本人だったかはもう誰も知る事は出来ないが、死体に二人が揉み合った形跡以外なかった事が明白で、事件としては“大凡”決着が付いていた。

 しかし、いくつか不明点も残っている。箱守邸に足を踏み入れた隊員の証言と、警察が当初押収した証拠とが食い違っていたのだ。

 隊員は血まみれの床に弾丸を見付けた。と言ったし、事実二階に上がる半らせん状の階段には線上痕が残っていた。しかしその人が警察に報告を上げるまで銃弾の存在は警察は把握出来ていなかった。それは第三者が屋敷内に足を踏み入れたという事実を物語る。詳しく調べてみると、銃犯罪においてメジャーである九ミリ弾との事らしい。

 他にも屋敷内に数個の盗聴器が発見されたらしいが、元々重要な研究者であり、産業スパイが仕掛けたものだろう、とその件に関してはおおむね決着が付いている。

 因みに、D―クラウンが関わった事件は、その後に起こった。箱守和久氏から要請を受け、子供達を仙台の祖父母宅へと護送する折りに、彼らの身柄を要求される事象があったそうだ。勿論護送に当たった隊員が退け、子供達は無事に目的地に送り届ける事が出来た。その際D―クラウンの一人が所持していた拳銃も押収したが、箱守邸に残っていた線上痕と異なり、関与は不明のままだ。

 被害者の長男、箱守和也十二才、長女、美羽十才。以降何の音沙汰もないが、元気にしている、と言う事らしい。

 というのも、夏希が直接事件に関わった訳ではないから、あくまで間接的に聞いただけだ。殺人事件として不明点が残ったまま収束しかけている、陰惨な事件。

 そしてそれこそが、今後の彼らを尤も左右する、最大の事件だったのだ。


   * * *



 八月はお盆を境に、熱気と湿気がメーターを振り切れる程暑かった。特に彼は数週間、適温を保たれた病室に閉じこもっていなければならなかったし、そこから放り出された時の焼く様な日差しといったらたまらなかった。夜寝る時もクーラーは必須だったし、いくら夏が好き、と言っても、流石に暑すぎるのは参ってしまう。

 因みに赤城夏希二十三歳、彼は前回の事件にて肋骨損傷と言う重傷を負い入院を余儀なくされた。その上、自宅療養もしなくてはいけず、日課である飼い犬の散歩もいけなくなってしまったし、医者のゴーサインが出るまで、出勤出来ずに家の中で腐っていた。彼はどちらかと言うとインドア派、というか、じっとしている事が様にあわないのた。ようやっと許可が下り、「赤城夏希、出勤オッケーになりました!」と司令たる柳に連絡を入れた数言目、「なら、丁度良い。盆休みとして三日取れ」と言われた訳だ。元々レッドアロウズはシフト制で、お盆自体を世間様と同様に取る訳にはいかない。だから道理は解るのだが、八月のほぼ丸々出勤出来ず、有給もまだ支給されていない夏希にしてみたら、財布にこれぞ大打撃、となった事案でもあった。

 そうしてなんだか釈然としない八月後半、本来のルーチンワークたる飼い犬の散歩に行き、シャワーを浴びて母の作った朝食を取り、職場へと向かった。満員電車に乗るのも久しぶりかぎで、ぎゅうぎゅう詰めの車両は懐かしくもあったが、夏のけだるさが車内に蔓延しておりとにかく暑かった。

 これでスーツなんて言われていたら死ぬ所だったな。レッドアロウズは私服出勤を許されていて、今日はお気に入りのジーパンの一本と、ポロシャツを身に付けていた。みんな、どうしてっかな。ていうか事件、何にも報道なかったけど、なんか起きてたりしたのかな。なんて思いを馳せていた。

 電車に揺られて、乗り換えを一回して、五〇階建てのビルに足を踏み入れる。エレベーターで四五階を押して、指紋、網膜認証の入口を潜る。普段と異なるのは、荷物が一つ多いくらいなものか。母にやかましく、「長期間お休み頂いたんだから、お詫びの品の一つも持ちなさい」と言われた、水ようかんとゼリーのセットが入った紙袋だ。

 脇にあるトレーニング・ルームでは、久しぶりに見る光景、もしかしたら彼らの日課のままだったかもしれないが、髪の長い女と、背の高い男が組み手をしていた。

 因みに、久しぶりの出勤、ともあって、実は夏希は普段の十五分前、つまり八時半前には出勤していたのだが、流石と言うか、何と言うか、二人ともなかなかに朝が早い。午後、どっちか肩慣らし付き合ってくれるかなぁ。今まで家の中で“絶対安静”の後に“療養”、そして“夏休み”まで重なって、すっかり身体が鈍ってしまっているのだ。朝晩涼しい時間には愛犬の散歩はしていたけれど、流石にそれだけでは鈍ってしまっているのは確かだった。

 彼らの事だから気が済めばオフィスに戻ってくるだろうし、邪魔をしては悪いから、挨拶は後回しに、正面にあるドアを目指した。 

「おっはようーっす! 赤城夏希、本日復帰いたしました!」

 オフィスのドアを開けざま揚々と挨拶をすると、いつも通りデスクに腰かけたままの指令がちょうど日課である、毎朝買ってくるコーヒーのカップに口をつける所だった。柳繁晴、我らが指令は夏希を見やると、あぁ、と一つ溜息をついた。

「久しぶりだな、赤城」

「へいっす、おかげさまでばっちり! です! あ、そだ、これ、今までお休み貰ってたんで、ツマラナイモノデスが!」

 今まで下げていた紙袋を掲げて、あまり言い慣れない台詞を言うと、「相変わらずそうで、良かった」と柳は笑った。

 脇のデスクでは“朝のおやつ”の準備をしていたらしい麗花が、ぱっと顔を上げて「お帰りなさい、ナッちゃん」と笑った。

「おう、麗花。前、見舞いサンキューな、あの、ほら、マカロンめっちゃくちゃ美味かった! これ、お土産? ええと、お詫び?」

 こう言う時に持ってくる品の名称をなんて言うのか、夏希には解らない。それに麗花は立ち上がって、わぁ! と声を上げた。

「あ、柳家の詰め合わせ! 私ここの好きなんですぅ! 後でみんなでおやつに頂きましょう。マカロンも良かった、お口に合って」

「いや、半分くらい姉ちゃんに取られたけど、でも美味かった! なんつーか、何持ってきていいか解んなかったからさ、姉ちゃんが美味いって言ってた奴にしただけどさ」

 本当に、暇していた最終日の昨日そういえば手土産なんにしようかなぁと悩んでいたら、たまたま休みだったうちの姉が、「吉祥寺にある柳家のゼリーとかの詰め合わせ持って行けばいいじゃない。美味しいし、お洒落で気が利くって感じするっていうか。あ、後ついでにあたしにも期間限定のゼリーと、こしあんと期間限定の水ようかん買ってきて」とか言い出し、むしろ姉のお使いがメインかよ。みたいな気持ちで渋々行ってきたのだ。ついでに母も、「あ、じゃあ母さんも食べたいわ。父さんのもついでに買ってきてよ」とか言い出すから、どれがメインなのか解らない。家族の中で父親か自分がヒエラルキーの一番下だとは思っているけれど、多分、夏希が一番下だろう。

 レッドアロウズは人数は少ないが、とにかくみんな良く食べるし、不公平が出るといけないからとゼリー六つと小倉、こしあん、抹茶、三種類買ってきた。因みにそれだけで、五二〇〇円もして、高いのか安いのかさっぱり解らなかったが非常に痛い出費だった。けれど義はそれ相応に返さなくてはいけない。一ヶ月昼食のランクが下がる我慢をするだけでなんとかなる訳だ

「はい! たまにお店に行くんですけど、お土産にも絶対買いますもん。冷菓が凄く良くて、あ、後冬季限定でね、抹茶のお汁粉と柚くず餅がまたおいしくて」

「あーわーかった! 解った! 冬な、冬! 日にち決めてみんなで行こうぜ。てか、俺がいない間事件は? なんかあった?」

 流石に一ヶ月近く、ニュースに取り上げられていない間に、何か進展があったんじゃないか、と少し期待をしてしまう。

「残念! いつも通りです! 自主勉強、トレーニング三昧!」

 麗花がはきはきと答えたのに、夏希はあ、うん。と肩すかしの溜息を吐いた。

 既にそれだけ時間が経ってしまった、D―クラウンが起こした七月後半の銀行データバンク乗っ取り、及び爆弾予告事件。その際、夏希は幹部Sと対峙した。その際腹部へと発砲され、負傷した。肋骨を折る程度で済んだのは、防弾チョッキとダサい作業ジャケットさながらのスーツを身に付けていたおかげで、それだけで済んだのだ。しかし、レッドアロウズ側もただ攻撃されているだけ、ではなかった。相手が装着していたプロテクターも複数破壊したし、与えた衝撃は並じゃなかった筈だ。

 しかし、Sが負傷し動けなくなっていたとしても、D―クラウンが動かない理由にはならない。残り、最低把握しているだけだが二人幹部クラスが存在する。平穏無事は何よりだが、余りにも動きがないと、逆に不穏にすら感じてしまう。と言うより、彼らが動いてくれないと、捕まえる事すら出来ないのだ。

「何も起きていない。それが尤もいい事だ。赤城、お前が負傷時の報告書、一条がまとめていた。念のため、確認をしておけ」

「あー……へいっす……。ありがとうございます」

 夏希は書類をまとめるのは尤も苦手分野なのだが、読むのもそこまで得意じゃない。ニュースやら何やらは毎日確認しているけれど、文字だけずらずら書いてあると苦手意識が跳ね上がるのだ。

 書類棚から事件ファイルを抜き取って、久しぶりにオフィスにあるソファへと身体を預けた。今までの概要がまとめられているそれらをぺらぺらと捲っていると、一番最後に【穂積銀行データバンククラッキング及び東京都内爆破予告事件】また大層な名前がつけられたページへと辿りつく。的は射ているが、結局の所あれは幹部Sが引き起こした、大層迷惑なかくれんぼだった。夏希自身、そんな印象を受けた。予告された爆弾も爆発していないし、意図が計れないだけのものだった。

 事件概要は全てタイトルに集約されていると言っても過言ない。銀行データベースへの侵入手口、爆弾の精密で頑強な作り、火薬の量、他にも様々だ。そして、Dークラウン幹部Sの特徴。国籍不詳、年齢二〇代後半から三〇代前半、身長一八二センチ、髪色、銀。二丁の拳銃所持、一丁はトーラス社製、レイジングブル、もう片方はM&S社製と推測。胴、両腕両足にプロテクター装備、推測として鉄板を仕込んだブーツ使用。夏希の負傷するまでの一連の流れ。その点は夏希も最初から最後まで一緒だったから知っている。しかし。

「ん……? んん?」

 なんだか、この報告書違和感感じるな。思わず首を捻らせてしまった。最初は文字が多すぎるせいでそう思うのかな、と読み返してみたものの、そう抱く違和感がどこなのかが解らない。透かしてみても、パソコンから摘出された固い文字は何も教えてくれず、気持ち悪さがますます増すばかりだ。

 夏希がそうしていると、柳のデスクに添えられている電話が、けたたましく鳴き出した。柳はつぶさに取り、「はい、テロ対策組織レッドアロウズ、柳です」とお決まりの文句を述べたものの、直ぐに声の色が変わった。

「は……、ちゅ、中央区の会館……? ただいま今確認します!」

 目配せした麗花が慌ててパソコンを捜査しながら彼女の頭上にある大型テレビのチャンネルを変えた。すると直ぐに中継、とテロップが張られたニュース画面に切り替わる。

『繰り返します、速報です。現在中央区にあります、貸し会議室等で取り扱われております会館にて、人質立てこもり事件が発生しておりまする現場では外資系コンサルタント会社、レゾナンスの、宮城県三陸にて建設予定の大規模リゾート開発の説明会を関係者を交えて行っている最中でした。先程犯人と思われるグループは、D―クラウンと名乗り……』

 中央区、夏希自身数度しか行った事はない。東京二十三区内なのだから比較的人は多いだろう。しかし、建物の周囲に違和感を覚える程に群がる人々の姿に、囲まれている建物がまさしく件の公会堂だと指している。カメラの中央にはリポーターらしき女性がマイクを構え、テレビのアナウンサーの問いかけに応対していた。

『こちら、現場におります山科です。ただいま人質立てこもり事件が発生しております会館にて中継しています。ご覧下さい、周辺には異変を感じた人々が足を止め、動向を窺っています。まさしく白昼堂々、大胆不敵とも言える犯行です。目撃者によりますと、犯人の声明が発表されたのが十時二十分……つまり、今から五分前に発表されたとの事です』

『山科さん、とにかくお気を付けて! 有り難う御座います。えー、犯人グループ・D―クラウンの犯行声明ですが、投稿型動画サイトにアップされているものがこちらになります』

 アナウンサーが力強く頷いた次の瞬間、画面がぱっと切り替わる。投稿型動画サイトにアップロードされ、公開されているとなると、あくまで民間の携帯で録画したものだろう。流石に高性能のテレビ局のカメラと違い、画素数もいくら綺麗になったとは言え未だ限界はある。お世辞を言うなら比較的鮮明に撮られた会館入り口が映し出される。

 まさしく白昼堂々、大胆不敵そのものだ。その時分は人もまばらだった。しかし道行く人は異変に足を止め、正面入口へと視線を向けていた。そして、その集中した中心に、彼らはいた。

 いくら様々な人種、趣味を持った人間が集まる東京と言えど、八月後半に黒の革ジャケットやコートを身につけた人間はそうはいない。顔をカラスの嘴さながらの仮面で覆った男が三人、入口中心に立っていた。しかも男二人の手には、鈍く輝く拳銃が握りしめられ、周囲を警戒する様に銃口を向けていた。

 その内の一人。例え仮面を付けていようと、忘れられない男がいた。中央にどっしりと構えた、残りの二人よりも頭一つ分は大きい男、それが手を掲げながらメガホンを口に当てた。カメラがズームで男の顔を映し出すと、白いメガホンには、会館名が書かれていて、現場から拝借したのだと容易に解った。

『いいね、民間カメラマンも揃っているようだ。是非格好良く映してくれよ! 我々とファイトする気がなけりゃ君らに向かって発砲はしない。もっと近くで撮ってくれたっていいんだぜ』

 声高らかに発したD―クラウン幹部Mは、わざとらしく掲げた手を振ってみせた。とは言っても、普通の日常を送ってきた日本人が、相手に言われたからと言って拳銃を所持している奴の側に行くなんて事はしないだろう。撮影者も数歩だけ近づいただろう、と推察出来る程度の距離だった。

 どうせMにとってそんな事は些事なのだろう。改めてす、と息を吸い込み、声を張り上げた。

『さて、お騒がせして済まない、一般市民諸君。今からこの素敵なたたずまいの会館は、我々Dークラウンが借りさせて頂く事にした。なにやら素敵な派手なリゾートホテル開発ミーティングがあると聞いて、居ても立っても居られなくてね! 我らの目的はただ一つ、レゾナンスのプレジデントの首、ただ一つ。十二時間猶予を与える。そいつが出てきさえすれば、ここにいる人質全て解放しよう。但し、交渉を渋る事も考えて、三〇分に付き一人、まず腕か足か、身体のどこかが逆に曲がる手品を教えてやる。一気にやってやるから、痛みはそうはない。十二時間経っても何の進展もなければ、一人ずつ、天国に行ってもらう覚悟もしておいてくれ』

 じゃあな! と踵を返した大柄の男の後を続いた二人組の片割れが、空に向かって一度発砲したのに、悲鳴が巻き起こる。周囲では「これ、やばい!」だとか「すげぇ」とか、人々の声が混じり合っていたけれど、それは直ぐ様アナウンサーが真っ直ぐにお茶の間を見つめている画面に切り替わった。

 ふざけている。しかし、今度は目的も明確になっている立派な人質事件と言えよう。以前Mが行った人質事件は、『俺たちはまだ無名でね、名を売る為。それだけだ』と言っていた。今回は理由もはっきりしている。しかし。

「へんてこな犯行声明……。目的が全然見えない……」

 ぽっつりと麗花が画面を眺めながら呟いた。

「立派な人質立てこもり事件で、今度はちゃんと声明出してんぞ?」

「だって、レゾナンスの社長は……というより、あそこ本社はアメリカですよぅ。日本支社の支店長程度で収まる範囲じゃ内ですし、いくら自社の社員を助けようって言っても、社長本人呼び出すって、時間やらなにやらかかりますし、第一たかが一プロジェクトの為に応じるとは思えません。多少本社責任者が同席しているだろうけど、そんなリスクは侵さないでしょうし、テロには屈しない、とかなんとか理由付けて逃げられるだけがオチです。それよりずっと楽な、更迭したままの構成員解放を要求しないってのもなんか気になるというか。ていうか、一貫性がないんですよね、事件に……Dークラウンって何考えてるんだろ……」

「とにかく、世間を騒がせたいって奴じゃなくてか?」

 最初会った時、Mはそう言っていた。あくまで名を売る為、と。赤い悪魔の目的は定かではないが、ワイドショーの取り上げ方で名は売れたし、Sが起こした事件は、記憶にも、庶民の財布にも大打撃を与えたものだった。効果は比較的充分発揮されているだろう。しかし、麗花は矢張り納得いっていないようだった。

「だって、最初の事件は宮城リゾート開発地破壊と、箱守和久氏殺害事件においての子供の誘拐未遂。議員人質事件は、山中議員はあくまでも末端の、今期初当選の議員でした。次は輸送船襲撃及び、犯行予告を打ち出しての倉庫の荷探し……。で、穂積銀行のクラッキング……これはまぁ、市場を荒らしてお金を取るついでだったと考えたとしても筋は通ります。けど今度はレゾナンスですよ? へんてこなんです。テロっていうのは何かを変えたいだとか、そう言った一環した理由があって行うものですけど、Dークラウンはその、“変えたい”とか、“制圧したい”そのものを出してないんです。何か、一連の事件に関係してるものがあるのかな……」

 上げ連ねられていくと、確かに関連というものがない。夏希は腕を組みながら、小さく考え込んでみた。目的、夏希は何度も彼らに問いかけてきた。けれど、全てあやふやにされたままで、雲を掴む様な返答だった。尤もはっきり返答をしてきたのが、前回対峙したSだった。

「テロリストとは正規の武力ではなく、あくまでも非道理的に作り上げられた組織だ。それらは歴史には名を残せても、世界を変える事は出来ない。因みにテロとは、最終的に武力行使だよ。ねじ伏せられない為に、武力は貯蓄しておくものだ。命を賭けて非人道的な事を行うのだから、こちらの安全を守らねばならないのだよ。そしてもう一つ、我らはそれを十分に解った上でその名を行使する。それを踏まえた上で、ヒーロー達は我々をどう見る?」

 答えにもならない、問いかけに対して問いかけで返されるだけの応対だった。

 けれど、少なくとも彼らは自分達の仲間を解放しろと要求を出す連中ではない。命を、例え警察に身柄を拘束されたままだとしても、全て投げ出す覚悟でその名を背負っているのだ。

 また、それよりも少し遡った、赤い悪魔と呼ばれたD―クラウンの中でも一際目立つ、真っ赤な恰好をした男は、夏希達に「何の為に戦う?」と問いかけてきた。夏希はその時みんなだ、と答えた。夏希は、世間様に迷惑をかける奴らが全て悪だとは思わないが、それでも“良くない、放っておけない”奴らだと思っている。そして迷惑をかけられた人を守る。それがレッドアロウズだと思っている。

 しかし、男はこう返してきた。

「大多数を犠牲に……大事な人が守れるなら……俺は……」

 問いかけられた意図が計れない。しかし同時に問いかけは彼らが“彼らの正義”で動いている事を意味している様にも思えた。何を持ってしてこんな事件を起こし続けるのか、彼らが誰の為に戦っているのか、それは彼らが捕まって口を割らない限りは解らないままなのだろう。しかしそれでも事件を起こす、誰かが困っている。それは事実なのだ。

「あっ! ていうか、とにかく支度! えぇと藤堂さんと真麻に声かけたりしなくちゃ! 急がなくちゃ、人質が!」

 そうだ、今まさに、事件は起きているのだ。慌てて夏希が柳に視線を向けると、司令は未だ受けた電話に対応していた。とにかく、制限時間がある以上、一秒でも早く動かなくちゃ。トレーニング・ルームに足を向けた、次の瞬間。

 がしゃん、と小さく、何かが割れる音を追いかける様にどん、と鈍い音がテレビの画面から響いてきたのに、足を止めた。もしかして、人質に発砲したのか? 一瞬最悪のケースを思いついてしまったけれど、しかしそれはD―クラウンが発砲した軽い銃声ではなかった。

 リポーターがマイクを抱えたまま、僅かに身を縮めながら会館へと視線を向けていた。

『えっ……きゃっ……っ!』

 今度はばりん、とガラスが割れ、破片と共に一人の男が放り出される。人垣に飛び込んできた男の身体に、悲鳴を上げて人々が避けると、コンクリートの地面に黒ずくめの身体が叩きつけられた。

 何が、起きているんだ。カメラが男が放り出された窓を映し出していたものの、ばん、だとかがしゃん、と何かが壊れる鈍い音、それといくつかの銃声が聞こえる程度で、中の様子は窺えない。そうして。

 音が全て消えた、次の瞬間。入口からわっ、と人が我先にと飛び出してきた。もしかしたら、中に閉じ込められていた人質達かもしれない。二十代から五十代、オフィス・カジュアル的な服装をした幅広い年代の男女だ。

 柳がテレビを半ば呆然と眺めながら、受話器に向かって「い、一体今、何が起きているんですか」と会話している。

 夏希も麗花も、今し方めまぐるしく変わる事件に、視界が固定されてしまっていた。

 その時、軽い音を立ててオフィスのドアが開いたのに、夏希は思わずびく、と肩を震わせて視線を向けた。すると長い栗色の髪の女が、タオルで頬を拭いながら颯爽とした足取りで足を踏み入れてくる。

「大変だ! 真麻、事件だ!」

 慌てて相棒の名を呼ぶと、真麻は猫の様な大きな目をしばたたかせて、夏希を見た。

「は? あ、そっかあんた今日復帰だったっけ! お帰……」

「あぁうんそうただいま! ていうかオハヨウゴザイマス! ていうか土産買ってきて、それで……あぁいいや、俺の事はどうでもいいんだって! だ、だからDークラウンが動いて、それで、えっと」

 なんて説明したらいいんだろう。半ば混乱しながらテレビ画面を盗み見ると、リポーターが飛び出てきた一人からコメントを求める様子と、背後にようやく到着したらしい警察官複数名が、地面に横たわってている黒ずくめの男に駆け寄ったり、周囲の警戒を行っていた。

「ナッちゃん、真麻姉さんには私から説明するから、取り敢えず藤堂さん呼んできて!」

 助け船を出してくれたのか麗花が投げかけてきたのに、夏希はうん、と頷いて返した。

「解った! 頼む!」

 半ば困惑したままの夏希に説明されるより、順を追って彼女に説明して貰った方が要領良く解るのは確かだろう。オフィス・ルームを飛び出して今まで彼らがいただろうトレーニング・ルームを覗き込む。さっきまで真麻と組み手をしていた姿はどこにもなく、今度は部屋の脇にある小さなドアをくぐった。

 狭く薄暗い通路にはラックが置かれていて、レッドアロウズの備品置き場も兼ねている。事務用品や工具、災害時の非常食料やらが置かれている脇をすり抜けて、更に真っ直ぐ進んだ。

 普段、夏希は用がないからそこへ近づく事はない。と言うより、隊内でもそこに敢えて赴こうとするのは藤堂だけである。そして、彼がいるとしたら、十中八九そこなのである。

 レッドアロウズは、オフィスに入る時すら、指紋、網膜認証が必須となる。カード・キー制ではないのが、なくし物をしやすい夏希としてみたら有り難い事この上ないけれど、それだけ機密を扱っているのだ。そして、最奥にあるその部屋にも同様の、否、それ以上のセキュリティが設けられた部屋がある。

 ぴったりと閉まっている扉の前に立ち、まず指紋の認証、続いて網膜チェックを行う。そして最後に、その情報を元にした各々のパスワードを入力する。隊員のパスワードを知っているのは、司令である柳しかいない。

 厳重であるには、それなりに意味を持つ。その場所がレッドアロウズの要であるならば、尚更だ。

 ロックが外されたのを確認してから扉を開けると、部屋に明かりが灯っており、中央には大きな背中を丸めて一身に工具を扱っている姿が見えた。

「あ、藤堂さん!」

 夏希が声をかけると、その人が振り向いて「ああ、夏希君」とのんびりと頷いた。

「そういえば夏希君、今日からでしたっけ。お帰りなさい。どうです、調子」

「はい、お久しぶりです! 長い間お暇貰ってすんません! この通り元気で! あ、でお土産……はいいや! 後、後なんですって!」

「はぁ。あぁ、でも丁度良かった自分も……」

「ち、違うんです藤堂さん、事件です!」

「へ! 事件、ですか!?」

 うっかり世間話で終わらせてしまう所だった。夏希が本題を切り出すと、彼は慌てて立ち上がった。と、同時に、側にあった工具箱に膝をぶつけたらしく、がしゃん、と丸ごとひっくり返り、ドライバーやらペンチやらがぶちまけられてしまった。

「しまった……やれ、困ったな。こんな時に事件ですか……」

 藤堂は困った様に工具箱と背後に視線を交互に向けたが、もう一度溜息を吐いて、立ち上がった。

「ここの片付けは後回しで。ちょっと自分も皆さんにお話があるので……時間があればいいんですけど」

 藤堂が先に部屋の扉をくぐるのに、夏希も倣おうとして、工具の散らばった室内を一瞬目に入れた。明かりを消すと小さなモニターが煌々と輝いており、小さなモーター音が聞こえる。

 レッドアロウズで尤もセキュリティの強固な、秘密の部屋。そこはレッドアロウズの矢羽根であり、刃でもある『ツバサ・システム』の情報端末機である『一二二四』の設置場所である。

 レッドアロウズは、ただ単に戦闘やそれぞれ特技の秀でただけの、自由な集団ではない。それだけなら管理をしている警察、自衛隊だけでも充分で、ただの税金の無駄遣いでしかないだろう。しかし、それらとは一線の隔たりがある。

 人間の身体中には、至る所に神経が張り巡らされている。例えどれだけ屈強なファイターでも、神経が動かなければ指一本動かす事が出来ない。そして神経を管理するのは何か、それは脳に他ならない。無意識の内に脳が『指を動かせ』と信号を出し、指が動く。走れ、と言う事も、そもそも思考とて脳が考える事を命令しているから動いている。そして同時に、全ての行動に制限をかけているのも脳なのである。

 人は肉体の限界を超えて力を出そうとしても、結局一〇〇パーセント、とはいかない。簡単にそんな事が出来てしまったら、肉体への負荷が非常に高まり、最終的に身体が壊れてしまうだろう。けれどそのリミッターを一時的に外す方法が、レッドアロウズには与えられている。それがまさしくこの、ツバサ・システムなのである。

 夏希達隊員の頭の付け根、首の上の部分にあたる、神経が尤も集中する場所だが、そこに特殊チップが埋め込まれている。そして声帯認証にてキー・ワードを発する事により、起動する。関東にてその能力を管理、経由させているのがこの部屋なのだ。因みにシステムを発動させた際の夏希達の行動は管理、蓄積されており、どんな時に、何の筋肉を動かしたか、どう思考したのか、記録されているのだと聞いた事がある。私事で簡単に起動させない為かな、なんて思ってはいるけれど。

 そしてそれだけのシステムである。本体は莫大なコンピューターの計算が必要になり、別の場所にある。因みにツバサ・システムの母体サーバーがどこにあるのかは柳以外誰も知らない。何しろテロ組織と少数精鋭で戦えるだけの力の源である。破壊、流用されない為に最重要機密とされていた。

 そんな小難しい装置がある部屋に、夏希が訪れた所で何が出来る訳でもなく、ここに赴く用事と言えばこんな風に藤堂を呼びに、くらいしかない。

 因みに藤堂は隊の中で機械いじりが尤も得意、というか、趣味で行っている。パソコンのプログラムはからきしだが、どんな配線をどう繋げば動くのか、説明書とにらめっこするのがとにかく好きで、得意なのだ。制作者でもある箱守教授がさる事件で亡くなってからと言うもの、システムのメンテナンスはほぼ彼が行っている様なものである。

 そして夏希には解らない感覚だが、電動ドライバーより手動式のなんの変哲もないドライバーが好きなのだそうだ。効率良くネジを締められる電動も嫌いじゃないが、自らの手で締め直す。それが醍醐味なんだと言ってた。

「あぁそうだ夏希君、最近チップにおかしな事、ありませんか? 何だろう、なんと言ったらいいのか解りませんが、うまく力が入らない、とか」

 オフィス・ルームのドアノブに手をかけたその人が問いかけてきたのに、夏希は「へ?」と頓狂な声で返してしまった。

「い、や……俺が感じたのは、最初のMの事件くらい、ですかね……?」

「そうですか。いや、他に特に何もなければ気にしないで下さい」

 きっと気のせいですから。そう言ってドアを開けた途端、正面真麻が立っていたらしく、びく、と肩を強ばらせていた。しかし彼女は直ぐ様藤堂、夏希の肩に手を当ててぐい、と押した。

「出動命令です。急ぐから、車内で説明して下さるそうです。念のためジャケット・ゴーグラス所持。地下駐車場、司令の車の所で待機との事」

 早口に言われて、夏希も藤堂も「あ、はい……」と呆気にとられながら折角開けた扉をくぐることなく、後ずさった。

 全員が揃いも揃って一台の車で現場に向かうのは、まれである。因みに夏希は免許は持っていても運転は出来ない。都心で必要としないし、何よりも使うかどうかも解らない自動車の所持費用を考えると馬鹿にならないからだ。つまる所彼はペーパードライバーで、本来なら上司が同乗するなら運転すべきは後輩の役割とも言えるのだが、それも出来ない。そしていつも藤堂が名乗り出るので、今回も彼が運転している車にて現場に向かっている訳だ。

「では、改めて事件の確認だ。先程中野公会堂にて、D―クラウンと名乗る連中による人質事件が起こった」

 助手席にいる柳が説明をすると、藤堂が怪訝そうに復唱した。

恐らく、それだけなら車を出す必要がなく、夏希や藤堂が先遣し、電車移動を行った方が早いだろう、と考えているからだろう。しかし司令が「……解決済みだがな」と溜息を吐いた。

「あの、司令、どういうことですか。D―クラウンを、警察が抑えたと?」

「私も、ぱっと聞いただけですが、にわかにはその……」

 それに、隣に居る真麻も訝しげに眉をひそめる。確かに、聞いただけでは信じられない。中継を見ていた夏希自身にも何が起こっているのか解らないのだ。

「違う。警察も何も把握出来ていない状況だ。桂木」

「はい、えっと、こちらが声明発表後のニュースです」

 麗花がタブレットを掲げて見せたのは、マイクを持ったアナウンサーがリポートをしている、先程の速報画面だった。運転している藤堂には音声しか聞こえないだろうが、先程の声明、その後男が降ってくる後までの一部始終が改めて映し出されている。夏希は後の様子を見ていなかったのだが、ようやっと駆けつけた警察官、及び機動隊が警戒しながら一斉に突入していく。そうしてものの数分で、仮面で顔を覆った黒服の男達が、意識を失っているのか、四肢をだらりとさせながら運び出されていく。

「え、ちょ、何が起こってるの……?」

 これ、確保って事? 真麻が目を見張りながら液晶画面を眺めているのに、柳が溜息で返した。

「県警からの情報によると、確保された人数は九人。公会堂内には何者かと抗戦したらしい銃撃と、破壊の跡が残っているそうだ」

「破壊……跡、ですか」

「因みに主犯格らしきMの身柄は確認されていないそうだ。中で何があったのかは拘束された連中の話を聞くしかないにしろ……」

「つまり、我々は現状の確認、と後片付け手伝い、と言うことですね」

 事情を訳が解らないまま飲み込んだ藤堂がそう言うと、司令はやれ、とまた息を吐いた。

「まぁ、端的に言うとそう言う事だ。人質の証言によると、ガラスが割れた後、横壁に穴が空いたのだそうだ。そして“赤い何か”が突如侵入し、一気にD―クラウンの連中を叩いたそうだ。それが何かは確認出来なかったそうだが、我々が関知していない“何か”が起きているとみていいだろう」

 関知出来ていない、何か。適切な表現ではあるが、どこか不気味な響きを孕んでいる。夏希は暫く考え込んだ後に、小さく頷いた。

「あの、もしかしてD―クラウンに恨みがあるなんか、別の悪の組織が存在する、とか?」

「馬鹿ね、テレビのフィクションじゃないんだから。第一D―クラウンが動いたのは四月から。そんなに大きな恨み持つ人なんて、いるかしら」

「だったら説明つけられるか? 真麻。相手はMだ。他の連中は解んないけど、あいつはツバサ起動させたって三人がかりで太刀打ち出来なかったんだぜ? しかも前と同じで、銃持ってるしさ」

 正義の味方が存在するなら、悪の組織だって複数存在しても可笑しくない。と言うより、世の中にはいくつもそう言うものは存在しているし、その内の一つが妥当D―クラウンを掲げたって不思議ではない。そもそもツバサ・システムだって非現実的なヒーローを形にした力なのだ。

 それに、藤堂が静かに声を発した。

「いえ、自分は夏希君の線もある可能性を考えます。正義か悪か、差し置いて、ですが。D―クラウンは様々な事件を引き起こしています。建築現場破壊では建築会社の什器やら何やらが破壊され、数百から数千万の被害が出ていますし、前回の人質事件にて心に傷を負った人、該当ホテルの従業員は、一部休業を余儀なくされました。貨物船襲撃において、運搬会社は積み荷遅延の為賠償金を支払っています。穗純銀行では業務支障、及び銀行の大規模な損害、その他にも様々な方が損害を受けました。デイトレーダーって言うのもありますね。人命を害される事件は彼らは“今の所”犯してはいませんが、それ以外にも充分被害に遭い、恨みを持っている人達は沢山います。だから事件というのは恐ろしいんです。間接的にでも、心に傷を負う人々がいる」

「ですよね。なんか凄い力が働いてるとしか思えなくて」

「しかし、銃を持った手練れに突撃する様な人はなかなかいません。先程の破壊音が抗戦の音であるなら、ものの数分ですよね? 会館……良く貸し会議室ですとか、催しだとか行う所ですよね。の、どの部屋を使ったかは解りませんが、説明会というなら机や椅子も配置されている場所でしょう。何人で彼らと戦ったか解りませんが、余程戦闘に馴れていないと難しいです。隠れる場所もありませんし、机の下なら直ぐ様蜂の巣にされますから。M個人だけでも厄介な相手でしたし、余程の組織が動いているのではないか、とも思います」

 自分でも完全武装しても、少し難しいです。一人一人を待ち伏せするならまだしも。そう続けた。彼は元々自衛隊陸軍に所属していた所をレッドアロウズに引き抜かれたのだ。戦闘訓練ならある程度行っており、対銃撃戦想定においても訓練を積んでいる。そして彼もMと対峙した事件で組んだ一人だった。あの時は三人で戦っても何も感じさせる事が出来なかった、非常に恐ろしい相手だったし、実力を解っているからこそ尚感じるのだろう。

「とにかく、現場を見ていないことには判断が付かん。もしかしたら発見されていないMと、仲間が小競り合いを起こしただけの可能性だってあるだろう」

 内輪間での小競り合い。それも理由の一つとしてはあり得る。しかし目撃者は天井に穴が空いたと証言しているし、訳が解らない。

「けど、D―クラウンの思惑が上手くいかなかったのは非常に有り難いですが、何であんな所で事件を起こそうって思ったのかしら……。だって、企業でしょ?」

 真麻がぽつりと零したのに、「ですよねぇ」と麗花が頷いた。確かに、今までの事件を考えれば、比較的大きな、損害を与える為や名を売るだけの犯行ばかりだった。例え大企業であろうとも、説明会に赴く上層部の数は限られてるし、される側はたまったものではないが、大きな事件と言いがたく、その上完遂も麗花が述べた通り難しそうだ。

「さて、それは警察が捕まえた連中から聞きだそうと試みるだろう。しかしだ、実際の所、“民間人”を狙った方が、雲の上の話より人々の心に残るものだ。目的は定かだが、不明瞭すぎる。あの場である事が重要なら、本日公会堂の一室を借りた別の企業が狙われていたかもしれない、と勘ぐる層も少なからずいるものだ」 

 今、議論したところで答えは出ない。溜息で問答を締め切った柳の後頭部を眺めながら、夏希はそういうものか、と内心頷いた。

 建物自体は年代を感じさせるおもむきで、ビル群の中に紛れてしまう。貸し会議室等で、平日はサラリーマンや、説明会、セミナー等で用いられるのだろうそこは、今は入口を警察官が固めており、一般人が立ち入らない様にテープが貼られている。柳が警察官と話をつけてから中に入ると、数十人用の広々とした部屋へと案内された。部屋が設置されている廊下の窓ガラスが割れていたし、壁には“侵入者”が破壊したのだろう、大の大人一人通れるだろう大きな穴が穿たれていた。

 説明会の為に設営されたらしい横長の折りたたみ式テーブルとパイプ椅子が整然とは呼べない程曲がったり散らかりしており、中にはばっきりとパイプ部分が折れてしまっているものまであった。床には所々血痕が鮮やかに散っていたし、壁には複数の銃の痕跡が残っているし、壁はあたり構わずへこんでいて、非常に強い力が働いている事だけは解った。そしてそれぞれ警察の鑑識らしい、ジャケットを羽織った人々が破片の隅から隅まで、塵一つ残さないように散策をしていた。

「私は責任者の話を聞いてくる。各自、現場を荒らさないように、確認をしておいて貰いたい」

 司令は溜息交じりに言い残して、現場のリーダーらしき人物へと足を向けていってしまった。

 とは言っても、あくまで事件解決の大捕物がメインである夏希達が見た所で何が解る訳でもない。本当に、ただの確認程度である。

 悲惨ですね、と藤堂が言ったのに、悲惨ですねぇ。と麗花がぼんやりと呟きながら、近くにある真ん中でばっきりと折れてしまった机を眺めようとしゃがみ込んだ。

 夏希は、その中で尤も気になるものの正面に立った。

「めっちゃくちゃすげえ力でぶっ壊されたって感じ!」

 うん、と力強く頷きながら眺めた大穴は、改めて見ても大きい。破壊されまだかろうじて姿を留めている壁は、一発思い切り蹴れば夏希でも壊せるんじゃないかと錯覚してしまう程、全体に罅入っている。散らばった石膏をなるべく踏まないようにしても、そこかしこにばらまかれたそれらを避けるのは容易ではない。

「何よ見たそのまんまじゃない。もっとなんかあるでしょ……」

 側に寄ってきた真麻の苦言に、夏希は眉を顰めてみせる。

「いやでも、そんくらいしか解んねぇよ。ほら、あれみたいだ。家とかぶっ壊す時のさ。ていうか、こんな厚い壁、どうやってこんなにしたんだろ。真麻は? ツバサ使って出来るか?」

「馬鹿言わないでよ。いくら築年数立ってるからって、数センチの壁や空洞のあるブロックじゃないのよ。流石に無理。出来たとしても何発入れなきゃならないかしらね。と言うより、何の保護もしてなきゃ、拳が死ぬわね」

 真麻は元々空手道場の娘である。瓦やブロックも気合いを入れれば素手で割ると言っていたし、実際ツバサ・システム使用時の力試しで、厚み十五センチの鉄板に風穴を開けた事がある。けれど彼女は無理、と言うのだ。三センチはありそうな厚い壁に、夏希は今度は首を傾げてみせた。

「じゃあ、あれかな、ほら、バズーカとか?」

 思い切り打てば壁くらい破壊出来るだろう、夏希に思いつくだけの強くて壁の破壊も出来る武器、となるとそのくらいしか思いつかなかった。映画や戦争の光景だけだが、威力が高く、壁だって簡単に壊せてしまう、恐ろしい武器だ。

「いえ、それはないでしょう。バズーカ砲……例え日本に持ち込めて、尚且つ誰にも見付からずにここまで持ち運び事に及んだとしても、使えばまず硝煙が出ます。それはもう、滅茶苦茶。それに、火薬系を用いて爆破を試みれば、壁にも焦げ跡が付くでしょう。第一中に捕まっていた人達は、切り傷等軽傷はあれど、吹き飛んでません。弾の種類にもよりますが、あんなもの使ったら付近にいた人達数人は吹き飛んで亡くなってしまいます」

 藤堂が背後から返してくるのに、夏希は「そんなもんっすか……」と返した。

 だったら、どうやってこんな大穴が出来るんだろう。老朽化で崩れたにしても部分的で、不自然過ぎる。夏希は専門外なのだ。見ても何一つ解る訳ではない。しかし、ただ事ではない“何か”が起こっているのは確かだ。

 その時、けたたましいベル音が部屋の中をつんざいたのに、横に居た女が慌ててポケットをまさぐった。「す、すみません、私です! ……ちょっと、出てきます」鳴り続けるベル音を少しでも押さえようとだろうか。掌全体で携帯電話を握り締めながら真麻は部屋を飛び出して行った。

 彼女がそうして電話がくる時は、“うるさい実家”からだろうと推測する。どこの家も、親からの連絡は取らないと後々面倒があるのだろう。改めて穴を眺めると、廊下の窓ガラスだろうか、割れた破片がきらきらと宝石の様に輝いており、目を細めてしまう程だった。

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