1.白百合の誓い
春の終わり、王都リュミエールの空は薄い絹を張ったように霞んでいた。白い尖塔を持つ王宮の中庭では、季節外れに咲いた白百合が風に揺れ、甘く静かな香りを放っている。
白百合は高貴の象徴、純潔の意味もある。この真っ白な花の前で愛を誓い合った二人は幸せになれると言い伝えられている。それは初代国王が王妃に永久の愛を誓ったことが始まりだからだ。それ以降、王太子を始めとした王族が婚約者に求婚してきた。
公爵令嬢エレナ・ロゼットは、その白百合の前で王太子レオンハルトに跪かれていた。王宮の楽師が遠くで弦を鳴らし、貴族たちは息を詰めて見守っている。誰もが、この場で彼女が頷くと信じていた。
「エレナ。私の妃になってほしい」
王太子の声は、春の日差しのように柔らかかった。金の髪は陽光を受けて輝き、青い瞳には幼いころから変わらぬ誠実さが宿っている。彼は決して傲慢な人ではない。誰に対しても優しく、国を想い、責任を背負う覚悟を持っていた。
だからこそ、エレナは胸の奥が静かに痛んだ。彼を嫌っているわけではなかった。むしろ、幼い日々をともに過ごした大切な友人として、誰より幸せになってほしいと願っている。
けれど結婚は、感謝や親しみだけで結ぶにはあまりに重い誓いだった。この場で承諾すれば始まる王子妃教育。王族の秘された内容を知れば、二度と後戻りは許されない。王子や王太子が不慮の事故や病で亡くなれば、離宮に据え置かれるか毒杯を賜る。
エレナはゆっくりと息を吸い、膝の上で震える指先を重ねた。王宮の中庭に集まった人々の視線が、針のように肌へ触れる。それでも彼女は、逃げなかった。
「殿下。身に余るお言葉、心より光栄に存じます」
そこで一度言葉を切ると、レオンハルトの瞳に小さな陰が差した。彼はきっと察したのだろう。長年ともに歩んできたからこそ、エレナが祝いの言葉を続けない理由を。
「ですが、私は殿下とは結婚いたしません」
風が止まった。中庭の白百合だけが、誰にも見えない水面に浮かぶ小舟のようにかすかに揺れていた。




