Shall we change?
学祭は、終わりに近づいていた。
廊下のざわめきも、少しずつ引いていく。
笑い声の隙間に、片付けの音が混ざり始めていた。
それでも俺は、チラシを配り続けていた。
もう十分やったはずなのに。
もう、誰かに認めてもらわなくてもいいはずなのに。
それでも――
“今日”という非日常を、もう少しだけ味わっていたかった。
「Ms.Unknown――いいえ、はるたくん!」
その声に、振り返る。
そこにいたのは、みずきだった。
少し息を切らして、でも、逃げずに立っている。
「……どうしたの?」
みずきは、言葉を探すように口を開いた。
「わたし……はるたくんに、伝えないといけないことがあって」
声が震えていた。
でも、その目は逸れていなかった。
「私、はるたくんのこと……好きだったの。
去年の学祭より、ずっと前から」
胸の奥が、わずかに揺れる。
「でも……はるたくんがMs.Unknownになったとき、
すごく綺麗で……」
一瞬、言葉が詰まる
「……嫉妬したの。
私は、あんなふうに“なれない”って」
その言葉は、静かで、でも鋭かった。
「最初はね、ただ……
“このミスコンを成功させたのは私だ”って、残したかっただけなの」
「だから、動画を上げた」
あの時の景色が、頭をよぎる。
「でも……はるたくん、有名になって。
モテグループに入って……どんどん遠くなっていって……」
唇を噛む。
「私のことなんて、忘れたみたいに見えて――」
そして。
「Ms.Unknownの正体、バラしたの……私」
風が、すっと通り抜けた気がした。
俺は、何も言わなかった。
怒りでも、拒絶でもない。
言葉にできない感情が、胸の奥で絡まっていた。
踏みにじられた努力。
晒された記憶。
孤立していた時間。
全部、ちゃんと残ってる。
でも――
今の俺は、あの時の俺じゃない。
麻衣の背中。
ミキの笑顔。
エリとカナの軽口。
ノボルの不器用な一歩。
“ひとりじゃない”場所を、もう知っている。
だから、俺は黙っていた。
すぐに裁くことも、簡単に許すこともできない。
でも、逃げることはしない。
それが、今の俺の選択だった。
「……みずき」
やっと、それだけ言葉が出た。
「伝えてくれて、ありがとう」
それ以上は、出てこなかった。
みずきは、スカートの裾を強く握りしめる。
「私……追いつこうともしないで、
全部、はるたくんのせいにしてた」
「わかってたのに……動けなかった」
少しだけ笑う。
でも、それは自嘲に近かった。
「進めない人だっているんだよね。
私は、そっちだった」
一歩、下がる。
「だから……もう、はるたくんと付き合う資格なんてないと思ってる」
顔を上げる。
「でも、最後に言えてよかった」
一呼吸。
「ごめんね」
そして――
「さよなら」
みずきは、背を向けた。
そのまま、歩き出す。
止まらない。
振り返らない。
俺は、その背中を見ていた。
遠ざかっていく。
小さくなっていく。
胸の奥で、何かが揺れる。
誰だって、自信なんてない。
鏡に映る自分が、本当の自分かなんてわからない。
信じていた人でさえ、影で何を思っているのか不安になる。
“本当の自分”なんて、どこにもないのかもしれない。
だから、みんな――
迷いながら、生きてる。
でも。
それでも。
一歩、踏み出すことは――
恥ずかしいことじゃない。
「……待ってくれ!」
気づいたときには、声を出していた。
足も、前に出ていた。
手の中のチラシが、くしゃりと音を立てる。
そこに書かれている言葉が、視界に入る。
【Shall we change?】
それは、誰かに向けた言葉じゃない。
ずっと――
自分自身に、問いかけていた言葉だ。
みずきの背中に向かって、もう一度、声を出す。
学祭のざわめきの中で。
その言葉は、確かに届いた気がした。
End
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