外伝・その九(大奥・初冬編):魔の陥穴たる国営炬燵の設置令と、温もり包囲網にハメ殺されし覇王の単独夜番
天竺の諸王国と不滅の紅茶交易同盟を電撃的に締結し、未来の異国による植民地支配(ブラック環境)を五百年先んじて完璧にハメ殺した正一位・太政大臣たる織田信長。地球規模の盤上を冷徹に詰ませた覇王が統治する日ノ本に、今年も木枯らしと共に本格的な冬が到来しようとしていた。
安土城の総大総督府から一歩奥へと足を踏み入れた『多国籍大奥』。そこは、信長が敷いた「給与百パーセント保証の産前産後休暇」や「育児交代制職務(交代制シフト)」の規律が完璧に機能する、世界で最も白化された優良なる就業環境であった。
だが、この初冬、信長は自らの二一世紀の知識(記憶)を同期させ、大奥に「ある暖房器具」を試験的に導入するという、歴史的な先回り内政を断行してしまったのである。
それこそが、正方形の低い机の内部に炭火の熱源を仕込み、上から特製の国営厚手布団を掛けた文明の利器ーー『国営炭火炬燵』であった。
「ーーこれは、誠に恐るべき魔の陥穴(ハメ手)にございますな、信長様……」
広大な大奥の居間に設置された大きな炬燵の中から、首だけをちょこんと出した内政副総裁・直虎が、微動だにせず至福の吐息を漏らしていた。その隣には、同じく炬燵の温もりに十割完全にハメ殺され、下半身を潜らせたまま完全に一体化している正室・帰蝶の姿があった。
「うむ。日ノ本の冬の寒さは過酷ゆえな。これがあれば、大奥の女官たちも凍えることなく、無理のない健全な安息を得られるであろう? 余の目に一割の狂いも無かったわ」
信長は満足げに腕を組んで頷いたが、その直後、自らが作り出した温もりのシステムの「真の恐怖」に直面することとなる。
夕刻五時。安土城下に定時退勤の鐘が鳴り響いた。
本来であれば、大奥の夜の育児や家事をこなすため、交代制職務の規律に基づいた侍女たちがテキパキと動き出す時間である。しかし、炬燵の中から、誰一人として出てくる気配が全く無かった。
帰蝶は炬燵に深く潜ったまま、とろけたような笑顔で扇子を枕にし、
「上総介様……。我らは新政庁の『過労死防止令』に則り、定時を以て本日のすべての職務を十割完了いたしました。今は完全なる休息の時間にございます。ゆえに、この魔の温もりから抜け出すことは、身体の安全第一を損なうため不可能にございます……」
「な、何だと……!? 動かぬというのか! 誰も炬燵から出ぬというのか!」
信長の限界胃壁が、早くも不穏な音を立てて軋み始める。
さらに、霧の都ロンドンから輿入れしてきた英国王女も、毛布を肩まで被りながら、異国の訛りで、
「織田のコタツ、マジ神仏……。これに入ると、英国の霧の都の寒さなど戦う前に一瞬で消滅します。私はもう永久にここから動きません」
と宣言し、みかん(国営温州蜜柑)の皮を剥いて口に放り込んでいる。十五歳に成長した女官・甲斐姫にいたっては、「ふにゃあ……」と完全に目を瞑り、炬燵の布団を抱きしめて狸寝入り(爆睡)を極め込んでいた。
ここで、内政の鬼である直虎が、炬燵の中から片手だけを突き出し、一冊の規律書を畳の上にぽちりと置いた。
「信長様、お忘れなきよう。今夜の赤子の夜泣き対応、および大奥の深夜の湯加減管理の交代制職務……その単独職務の深夜番は、一分の狂いも無い事前の予定表通り、あなた様に割り振られております。我ら国営保育師一同は、有給の安息の権利を行使いたします」
「待て! 待ってくれお前たち! 誰も炬燵から出てこないではないか! ということは、今夜の大奥のすべての家事と育児を、余一人が単独職務で回さねばならぬということか!?」
信長の悲痛な叫びに対し、帰蝶は炬燵の中から、笑顔の先回り牽制を仕掛けてきた。
「太政大臣たるもの、天竺の紅茶同盟を精査する前に、まずは身内の冬の温もり環境を尊重していただかねば困ります。さあ、蜜柑の皮のゴミの片付けも、よろしくお願いいたしますね?」
「世界をハメ殺すより、炬燵から妻たちを引きずり出す方が十割むずかしいわ! というか、この魔の暖房器具を作った余自身が、己の仕掛けたハメ手にハメ殺されているではないか! 余の限界胃壁がストレスの寒暖差で本当に戦う前に跡形もなく崩壊しちゃうよーー!!」
昼間は冷徹に地球規模の地政学を支配する総大総督でありながら、夜は大奥の完璧なる炬燵の規律の前に白目を剥き、嬉しさと緊張の冷や汗を滝のように流して単独で走り回る覇王信長。
ーーその夜、大奥は別格の戦場となった。
「ぎゃあぁぁん!」「うわぁぁん!」
深夜二時、初冬の寒気の中で赤子たちが同時に火が付いたように泣き叫び始める。
「おのれ、炬燵のぬくもりを羨んでいる暇など余には無い! だが余の二一世紀の福祉知識を甘くみるな!」
信長は単独職務の面頬を顔に密着させると、一分の狂いも無い正確無比な手際で、冷えた赤子のおしめを瞬時に剥ぎ取り、国営特製の温められたおしめへと交換していく。その速度、まさに電光石火。
さらに、深夜の調乳である。
「寒さで乳粥が冷めては赤子の胃腸に障る。一割の狂いもあってはならぬ……!」
汗だくになりながら、二一世紀の基準である『摂氏七十度以上』の湯で一分の狂いも無い黄金比率の乳粥を調合する。赤子が健やかに眠りに就くまで、抱っこをして部屋の中を何百往復も歩き回るその間にも、炬燵の部屋からは「おーい、信長様、炭の火が弱くなってきましたので、炭の補充をお願いします」「あと、お茶(天竺紅茶)のお代わりも、一文の狂いも無い湯加減でお願いします」と、温もり包囲網からの容赦なき注文が次々と飛んでくる。
「ふぎゃあ!? 炭の補充に紅茶のお代わりだと!? 余は今、両手に赤子を抱えておるのだぞ! ああ、大奥の利権を維持する方が、世界の海を支配するより十割過酷だわ!」
髪を振り乱し、おしめと哺乳瓶と炭取り用の十能を両手に持って、白目を剥きながら廊下を激走する信長。
翌朝、東の空から冬の柔らかな朝日が昇る時刻。
安土政庁の近代官僚(武田勝頼や上杉謙信ら)が「おはようございます!」と元気に笑顔で出勤してくるその頃、最高権力者・織田信長は、誰もいなくなった大奥の炬燵の傍らの畳の上で、文字通り真っ白な抜け殻となって倒れ伏していた。
その限界胃壁は、文字通り跡形もなく崩壊し、口からは白い魂が完全に抜け出しかけている。
「ははは……世界を完璧に盤上で詰ませた余が、まさか炬燵という四角い箱にハメ殺されるとはな……。だが、愛する妻たちや我が子たちが、余の作った優良な制度と暖房で、一人の犠牲者も出さずにこれほど温かく笑顔で冬を越せているのだ。太政大臣として、これ以上の至福はあるまい……」
信長は、炬燵の中でぬくぬくと丸まって眠る我が子の愛らしい寝顔を見つめ、限界の疲労のなかで、幽かな、しかし最高に幸福なる微笑を浮かべるのだった。
「……いや、しかし、来年は炬燵の連続使用における国営の超過課税制度だけは、一分の狂いも無く徹底的に法制化してやるからな……!」
覇王の執念の独り言が、静まり返った初冬の大奥に、寂しくも温かく響き渡るのであった。
(外伝・その九・大奥初冬編・完)




