第22話:坂東の荒野を拓く前に、足元の盤石を敷け
1:三河に集う、大開発の歯車
「――信長様が以前示されたあの『江戸大都市計画図』、いよいよ現実の物として動き出すか」
西暦一五七〇年代半ば、天正の初頭。三河国、徳川の陣屋。
東国開発総督に内定され、自領の兵たん基地化を急ぐ徳川家康は、安土の新政庁から次々と運び込まれる書状や資材を前に、武者震いをしていた。
かつて、家康は行ったこともない江戸の悪評を覆す、一分の狂いもない巨大都市の計画図を提示され、本多正信と共に気絶しかけた過去を持つ。利根川の流れを東へと変え、広大な湿地を埋め立てて日の本一の経済の要衝とする大計画。しかし、泥濘の荒野を真に拓くには、膨大な資材と、現地の地理を熟知した人手が絶対に不可欠だった。
「殿、安土の差配に寸分の狂いもございませぬ。飛騨の姉小路頼綱殿が国営森林開発総局長として切り出した、最高峰の木材と匠の技が、すでに三河へ万全に届き始めております」
正信が、新政庁の次期最高執行責任者たる十代前半の織田信忠から届いた物流の帳簿を掲げた。
「さらに信長様は、この大開発の土台として、相模の北条氏政殿が持つ『民のための政』の知恵、長年培われた独自の交易網を、我が東国開発総局へ組み込むため、今川氏真殿を動かしての調略を本格的に始動なされました。あの凄まじい未来の図面が、戦うことなく、最高の効率で肉付けされていきまする……」
かつて見た夢物語のような図面が、織田の圧倒的な国営資本と適材適所の人事によって秒速で形を成していく現実に、家康と正信は改めて織田家の底知れぬ恐ろしさに震え上がるのだった。
2:小田原評定を打ち砕く「格式」と「固定給」
その頃、相模国・小田原城。関東の覇者たる北条氏政は、今川氏真殿から届けられた「新政庁への交易路強制統合」という格式高い外交文書を前に、激しい悪寒に震えていた。
織田東インド商会と北条家は、これまで良好な交易関係を結んできた。しかし、惣追捕使となった信長様が放った目に見えぬ軍勢は、そのパイプを「国営物流へ強制統合するための都合の良い罠」へと変貌させていた。
「報告いたします! 織田海軍省の次官・小早川隆景殿が率いる、無数の櫂と薄い鉄板を貼り付けた新型鉄甲船が、相模の海路を完璧に封鎖いたしました! 拒めば一瞬で小田原を解体し、処分するとのことにございます!」
さらに、新政庁が足元で完成させた「国営寺子屋」や「固定給」の噂が流入し、北条自慢の『四公六民』の善政すら、国営資本の規模の差で詰まされかけている現実に氏政は戦慄する。信長様の天下布武は、日本の防衛と国家利益の最高効率を求めた冷徹な計算で動いている。国益の足枷となる大名は、どれほど優れた統治をしておろうと容赦なく排除されるのだ。
「……信長様は、我らの民を思う知恵すら、最初から新政庁の組織図の中に組み込んでおいでだったのか」
氏政は涙を流し、拳を握りしめた。
逆らえば家名も民も完璧に消滅する。だが、この絶対的な大義名分に従うならば、己は『東国開発総局長』として手厚い固定給で強制雇用され、家康と共に東国の近代化を担う仲間(官僚)として活かされる。民のため、そして北条の血を繋ぐため、誇り高き籠城の伝統はここに解体され、北条の統治能力は、織田の巨大な国家システムへと美しく組み込まれていくのだった。
3:安土の天より見下ろす冷や汗の覇王
その頃、安土の新政庁。
物見櫓から初夏の風を受ける余の胃壁は、限界を超えた大物価高騰を起こしていた。
(……いやいやいや! 北条に『交易関係を盾にして、少し強めに脅して役職をチラつかせろ』って言っただけなのに! なんで二兵衛は『拒否したら一族諸共秒速で解体する殺害計画書』まで添えて家康に渡してるの!? 今川氏真の外交の繋がりもチートすぎて、北条が秒速で無血開城して東国開発総局長に就職しちゃったじゃねえか! 容赦なさすぎて内心ガチで動揺と冷や汗が止まらんわ!)
覇王の仮面をガチガチに固定しながら、余の内心は恐慌状態に陥っていた。
十代前半の織田信忠が、安土の新政庁で完璧な最高執行責任者としてこの大開発の物流を差配している。
余の頭脳は完全に置いていかれている。優秀すぎて胃がキリキリ痛む中、正室の帰蝶、臨席する副総裁の井伊直虎、そして九州から電撃就職してきた立花誾千代が並んで現れた。
「上様、東国の大開発、万全の様子。これでまた関東の美女たちが国営官僚として安土へ大量に就職してまいりますね。……それにしても、内定した内親王様の降嫁を控える身でありながら、九州の立花殿に続き、今度は関東にまで『下心』があってのことではございませぬよね?」
帰蝶の、全てを見透かすような絶対零度の視線が余を射抜く。誾千代は「惣追捕使様! この誾千代、いつでも東国の視察に供奉する所存!」と男勝りに算盤を叩き、直虎は「流石は上様、神仏のごとき先見の明……!」と目を輝かせている。
南蛮宣教師コエリョが裏で本国へ巨大船団の救援要請を送る中、東国の完全掌握へ向けて動き出した織田家。だが、余の胃の寿命だけは、到底持続可能とは思えぬ領域へ達しつつあった。
(第23話:甲斐の巨星、安土の「高給」に揺らぐ続く)




