特訓ですか、森丸くん
先週案内された、ドリンクバーに近い部屋の番号が“203”だとしっかり覚えていた森丸。今回はさらにスマートに受付をこなしてきた。
そんなことより、持っている箱。これは絶対にメトロノームが入っている箱だ。
なぜならその箱には、実物大はこちらですと言わんばかりに明瞭なメトロノームの写真がプリントされている。開ければそれと全く同じメトロノームがスッと出てくることだろう。
でもなぜそのまま持ってきているのか。ボストンバックのような大きいカバンを持っているのに、なぜ入れずに手持ちで抱えているのか。
どうしてもメトロノームに釘付けになってしまうが、自動で指を動かし受付を進める。
そして203に森丸を案内しようとした時、箱の下の方にビックカメラと書かれた真っ赤なテープが貼られていることに気がついた。
これは、買いたてってこと? 借りたものって可能性ももちろん考えられるが、この箱抱えにこのテープ。
西口のビックカメラで買って、すぐ使うからってしまわずにそのまま持ってきてる可能性の方が高い気がする。
私がバイトで休憩に入る時に、向かいのコンビニでアメリカンドックを買って、すぐ食べるからって何にも入れずにそのまま持ってくるのと同じだよね? そのメトロノームはアメリカンドックってことだよね? そう思いながら部屋に向かう森丸を見送った。
メトロノームを使って何をするつもりなのか、ラップの訓練のためなのか、てか家電量販店にメトロノームって売ってるんだ、まあそうか、電子ピアノのコーナーとかあるもんな、そういえば電子ピアノでボタンを押したら曲が流れて順番に光る鍵盤を押すとその曲弾けるよみたいなモードあったけど猫みたいに光をただ夢中で追ってるだけだから上手くいった試しなんてないよな、などと考えていると、いきなり店内にビートが刻まれ始めた。
向こうの方からくっきりと、カチッカチッが聴こえてくる。100パーセント森丸の部屋からだろう。
それにしてもメトロノームの音は、ここまで壁を貫通してくるのか。
203以外の部屋からも普通にカラオケの音漏れはしているのに、それらのモワモワした音たちを突き抜けて、メトロノームのカチカチ音がこだまする。
今この店内に森丸が練習しているテンポが筒抜けになっている。これも個人情報ですか?
アップテンポなカラオケポップタイムに、さらちゃんが出勤してきた。しかし今日は元々さらちゃんの出勤日ではない。
15時-20時のシフトで入っていた大学3年生の吉田が『ギリギリになって申し訳ありません。発熱のため今日のシフト出れません。誰か代わりに入れる方いませんか?』という、嘘も嘘です、真実は、大学の2限終わりに“誰か飯行かん?ラーメン食いたくね?”の誘いに乗って昼飯食べて、そのままノリで板橋にバスケしに行くことになったから“バイト休むわ、俺今から熱出すわ”“やば、迷惑すぎだろお前、ワンチャンクビじゃね笑”“いや、俺エースだからいけるっしょ笑”とニヤニヤしながら打ったであろうメッセージがグループLINEに届いたのが14時8分。
そして14時10分に、さらちゃんが『はいれます』とだけ返し、今この場にいるのだった。
いつも気だるげで、代わりのシフトに入るどころか、グループLINEにメッセージを送ることすら今まで一度もなかったようなさらちゃんの、鮮やかな即レスにみんなはさぞ驚いたことだろう。
「さらちゃん、今日急なのに入ってすごいね」
「はい。元々予定あったんですけど無くなって。いつもはそれでも絶対こんなのに応えないですけど、金曜だし森丸天音かもなって思って。なんか気になって来ちゃいました」
すでにトレーナーの目つき。
「今日も来てますか? ……てか、この音何ですか?」
「来てるよ。この音だって森丸だもん」
「え?」
ティロリ♪
『203:(1名)エナジードリンク』
正解〜!みたいに注文が入った。
「今日メトロノームの箱持って現れたから、ほぼ確実に森丸が使ってるんだけどさ、行ってくる?」
「もちろん行きますよ。どんな練習してんのか」
オーディション番組Ep.5『熱血指導、ついて来れるか⁈』のサムネみたいな顔をしたさらちゃんがそう言い放って去っていった。
エナジードリンクの缶を、銀と青の残像だけになる程のスピード感で運び、さらちゃんは203へ突入した。
さらちゃんがドアを開けた瞬間、メトロノームのカチカチ音がよりカチカチとこだました。森丸はあんなにうるさいメトロノームと同室で頭がおかしくならないのか。
「いおりさん、全然ダメですよ。森丸天音、やっぱり裏拍知らないみたいです」
またもや一瞬でさらちゃんに酷評を受けてしまった。
前回も裏拍を掴めずに表で入っていると言われていたけど、今回は裏拍を知らないとまで言われてしまった。え、知らないままダンスってできるの?
「メトロノームでリズムの練習してるみたいなんですよ。多分いろんなパターンのリズムを手で叩いてて」
基本すぎる練習。そこからやっていくんだ。
「なんか、なんて言うんだろう。ンッタタ、ウン、タみたいな感じのリズムやってるんですよ。裏拍から入るやつ」
「うんうん」
「部屋に入ってきたあたしに気づいた後も軽くペコっとしただけで、一生懸命そのリズム続けてて」
「えっ、すごいね。集中が」
「でもマジでどんどん走ってて。裏拍の“ンッタタ”を全く掴めてないんですよ。ガチ表。盆踊りになってます、全然」
さらちゃんの言いたいことは、音楽をかじっていない私にも何となく伝わった。本当にトレーナーに向いているのかもしれない。
「教えたいですけど流石にそれはできないし」
「そうだよね」
森丸が裏拍のある世界に行くのはいつになるのか。どうにかできないものか。
そうして固まっていると受付の自動ドアが開き、悶々とした私たちの元へ、検便を持った田無くんが現れた。




