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ノアの掲げる理想の世界  作者: 可借夜
序章 理想の国『王冠』編
19/29

序章19話 メシアからノアへ、ノアからエレノアへ

 目を閉じて、開けた時にはもう、ヨハネ・ケトラルヒは目の前にいなかった。

 破壊された王城があった場所でもない。ここがどこなのか、ノアの記憶と一致するのは処刑場だ。しかも壇上にエレノアがいることから、ノアが今いる場所は王都にある処刑場ということになる。


 世界が切り替わったかのように突然すぎる変化だったが、事態はすぐに掴めた。ノアは漆黒の仮面を外し、すぐ傍にいたメシアの肩を掴んで、


「まさか、力を使ったのか!?」


「ええ、その通りよ、ノア。貴方とヨハネの時を止めて、貴方を担いでせっせとここまで来たの」


 両腕を振って明るく話していたメシアだが、ノアは気付いてしまう。


「メシア、身長が……!」


 五センチくらいだろうか。一目見て分かるほど、彼女の身長が一回り小さくなっていたのだ。


「どうして、こんなことを……君を助けられる方法はまだ見つけられていないのに、だからこそ、君の力を借りず闘うよう計画を立ててきたのに!」


 ノア達とは違い、彼女の力は有限だ。使えば使うほど消滅の時が早まってしまう。

 メシアに死んでほしくないからこそ、気付けば責め立てるような口調になっていた。ハッと息を吸い込み、我に返るノアだったが、


「んー、そうねぇ」


 白く華奢な彼女の人差し指が、ツンとノアの唇に触れる。


「私も、一緒に闘いたかったの」


 そう言って笑ったメシアの笑顔は、どこか寂しげだった。


「エレノアの、あの子達の覚悟を見てね、私だけ命を懸けずに安穏としているのは違うんじゃないかって、そう思ったの。そう思ったら、居ても立っても居られなくなっちゃったの」


「メシア……」


 決して、仲間外れにしていた訳では断じてない。だが結果的に、彼女の身を想うあまり疎外感を与えてしまっていたことに対し、ノアは自責の念を感じていた。


「ご――」

「もう、違うでしょノア。ごめんじゃなくて、こういう時はなんて言うの?」


 腰に手を当て頬を膨らませている。メシアの可愛らしい抗議に、ノアは胸がすくような気持になっていた。ふっと一つ微笑んで、


「ありがとう。正直、助かった」


 正直なところを言ってしまえば、ヨハネから逃げ切れるかどうかは五分五分だった。こうして無事逃げ切れたこと、今は感謝の気持ちしか湧いてない。


「どういたしまして、ノア」


 そう言って笑ったメシアの笑顔は、今度こそこぼれんばかりの笑みだった。


「でもメシア、今度から時間を操作することは限りなく控えてね。君が使わないような闘い方を、僕も考えてみるから」


「ええ、分かったわ。頼りにしているわね」


「こちらこそだよ」


 ノアにとってメシアとは、一巡目の世界で「助けて」の声に応えた理想の英雄であり、目覚めさせてくれた恩人。寄せる信頼は絶大だ。


 ヨハネと離れ、彼女と会話を交わすことでようやく、息が吸えた気がした。


「さて」


 このまま歓談を楽しみたいが、そうはいかない。

 エレノアのいる壇上から、ただならぬ緊迫感が漂っていたからだ。


(エレノアと、価値なき子と思われる少女に五人の騎士……あと一人は誰だ?)


 見知らぬ成人男性が何者なのか、いまいち状況が掴めない。騎士がなぜエレノアに剣を向けておらず、苦しむように悶えているのかも。


(分からないけど、でも)


 一つだけ分かることがある。それはエレノアが、困惑しているということだ。

 脂汗が滲み、顔面は蒼白となり瞳が揺らいでいる。何か予期せぬ異常事態に見舞われているというのは明確だった。


 彼女が困っているのであれば、ノアがやるべきことも一つしかない。


「それじゃあ、行ってきます」


「ええ、行ってらっしゃい」


 漆黒の仮面を再びつけるとノアは、エレノアの待つ壇上へと駆けつける。



 騎士が喪魂病に侵されていくのを、エレノアは視界に収めてはいた。指一本動かせず、言葉の一つすら発せず……ただ、見ていることしかできなかった。


(わたしが、なんとかしなくちゃいけないのに! 任せてくださいって、わたしがノア様に言ったのに!!)


 わたしがと考えれば考えるほど、思考が停止していく。エレノアの『祈りの書記官』に騎士を救えるような力はなく、無理だという事実が両肩で重さを増していた。


(どうすれば、どうすれば! どうすれば!! どうすれば……っ)


 エレノアの焦りに比例して、心臓の鼓動だけが激しく鼓動する。

 いくら騎士が価値なき子を殺してきたとはいえ、彼らもまたヨハネに人生を支配されていた被害者なのだ。

『祈りの書記官』には魂から得た本音が、彼らの「助けて」の声が確かに秘められている。


 ――助けたい。喪魂病から、支配される人生から。

 ――だけど、エレノアにはどうすることもできない。


 人が死へ向かっていく姿をただ見ているしかできないという無力感は、エレノアの心を殺しにかかっていた。


「一人でよく頑張ったね、エレノア」

 

「――ノアさ、ま?」


 故にこそ、あの人の声が聞こえた時、エレノアは心が救われるほど嬉しかった。

 二日前、処刑されるところを助けてくれた時のように、壇上へと現れる神の子ノア。安心のあまり泣き出したくなる気持ちを抑えながら、けれども感情は堪えることができずに、


「ノア様!!」


 ここにいるということは、自分だけでなくスピカやアッシュたち、他の価値なき子らも救済を終えたということなのだろう。


 時間稼ぎという彼の役目を終え、いの一番に自分の元へ駆けつけてくれた。

 ノアならばこの状況を打開してくれるはずだと、エレノアが寄せる信頼は絶大だった。


「実は~~」


 今のこの現状を、手短にかつ分かりやすくを心がけながら説明する。


「なるほど。そういうこと、か」


 納得したように深く頷くノア。

 エレノアはすかさず『祈りの書記官』を発動すると、一冊の本を手に取った。


「ノア様! これを受け取ってください! この本にはここにいる観客や騎士様の、十万と五人の助けての声が秘められています!!」


 ノアならば、信仰心を力に変える神の子ノアであれば、必ずこの中の「助けて」の声に応えてくれるはず。


「わたしではっ、申し訳ありません、力不足でした……だからもう! 皆さんを救うにはもう、ノア様しか――!」


「大丈夫だよ、エレノア」


 ノアに縋り、祈ることしかできなかったエレノアの肩に優しく手が置かれた。彼の暖かな手の感触に、大丈夫という心強い一言に、重圧から解放され肩が軽くなる。


 もうダメだと諦めかけていたところにノアが駆けつけてくれたことで、エレノアはようやく息が吸えた気がした。


「――はい!!」


 漆黒の仮面をつけているためどんな表情をしているのかは覗えないが、きっと彼は今、自分を安心させるため暖かく微笑んでいてくれているに違いない。


 まるでバトンを渡すかのように、『祈りの書記官』によって生まれた一冊の本は、ノアの手に渡っていった。

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