大人な宿屋
ナスカと別れた俺たちは、本日の宿を探すことにした。
ナスカ曰くできるだけ早いうちに宿を取っておかないと最悪野宿ということになりかねないそうだ。
ナスカの方はすでに宿を確保しているそうで、もし宿がないなら一緒の部屋に来る? と誘われたが、俺が何か言うより先に、バッタが慌てるようにそれを断ってしまった。
さすがは彼女、浮気候補は真っ先に潰すようだ。
仕方なくナスカの知っている宿をいくつか紹介してもらい、そちらで予約を取ることにしたのだが……
「ええと、次で最後だっけ」
「そうなりますね」
結局、夜間までに殆どの宿屋が満員となっていた。
街の中には15件の宿屋があり、その全てを回ってみたのだが、ここ、愛し亭を残して全て満員。
中には野外部屋などと称してテントを貸し付けようとしてくるところまであった。
最後の希望となった愛し亭なのだが、今までが今までだけに望みは薄いだろう。
一パーセント程度の確率にかけて部屋が空いていることを願う。
「……ええと、ここ……ですよね?」
ナスカに貰った略地図を頼りにやってきた俺達。
ありえない宿の出現についつい呆然と見ていた。
いや、現実には普通に存在しているものなのだが、ゲームには滅多に出てくることはなく、また出てきても一般向けゲームには存在し得ないもの。
愛し亭というネオンがテカテカ光る一軒だけ浮いているその宿は、夕闇近づくこの時間ですでにライトアップまでされていた。
外装はピンクで、入り口には周囲に見られないように暖簾が掛かっていたりする。
英語というすばらしい言語で言えばラヴホテル。
ゲームマスターの底意地の悪さを感じずにいられない場所だった。
ゲームのような街並みに似合うようにか、城のような外観をしている。
「ど、どうします?」
「バッタがいいなら俺はここでも……」
むしろ喜んでこの宿に泊ることだろう。
「さ、さすがにここに入る勇気はないです」
「ならどうする?」
俺達の取れる選択肢は三つ。
この宿に泊るのが一パターン。
野宿を二パターン目とすると、ナスカに泣きついて同じ部屋に泊めさせてもらう三パターン目だ。
だが、野宿をするにも外は危険、街中でわざわざテントを張るのもどうかと思う。
三パターン目はバッタが絶対譲れませんとのことで、俺達の選択肢は一を選ぶ以外にはないのだった。
しばらく二人で立ち尽くし、日が暮れて闇が覆い始めた頃、バッタはぽつりと声を洩らす。
「あの、入ります?」
決心が着いたのか、消え入りそうな声だった。バッタが結論を出した以上、俺も早急に出さねばなるまい。
雄一、一足先に、大人になってくるせ。心の中でサムズアップしておく。
「行くか」
お互い相手の顔を見ることはできなかった。
ただただギクシャクとした雰囲気を振り払うように手足をそろえた軍隊のような歩きで宿へと向かう。
怪しいほどにきょろきょろと周りを見回しながら暖簾を潜る。
周囲から隔絶された空間に入ったことで安心した俺たちは、ほぉと胸をなでおろした。
内装は外装と打って変わって、どこかの旅館といった装飾。玄関口から土間を上がって床張りの廊下へ。
靴のままお上がりくださいと張り紙があったので、俺とバッタは恐る恐る足を踏み出した。
観賞用植物を見ながらカウンターへ。
しかしカウンターには黒服はおらず、カウンターの対面の壁に部屋の写真つきパネルが設置されていた。
よくよく見れば写真の下にカードキーが差し込まれているものが一つ。
他は使用中らしい。
「これ……部屋の鍵か? 最後の一つ……だよな?」
「わ、私知りませんよ。お金ってどうするんでしょう?」
カウンターにはスタッフを呼ぶベルもあるが、それを押すのはなんとなく悔しい気がした。
何かに負けた気がして挫けそうだったので、とにかく自己判断。カードキーを勝手に取り出す。206号室のキーだ。
階段はなく、代わりに現代の文明機器であるエレベーターが一つだけぽつんと備え付けられていた。
「ゲーム世界をリアル再現なのに、なんでここだけこんななんだろう?」
エレベーターを待ちながら呟く。
「そうですよね。ちょっと変ですよねやっぱり」
エレベーターが降り、中へ入る。二階へのボタンを押して、一息。
ふと横を見ればバッタの顔が……
二人して即座に反対方向に首を向ける。
心臓がムダに早く脈打ち頬が赤らんでくるのが分かる。
ただ泊るだけのはずなのに、なんとなく嫌な空気だ。
エレベーターが二階へ到着する。
エレベーターが開くと、赤い絨毯の廊下に幾つかの部屋。
廊下に人気はなく、どんよりとした雰囲気と物音一つない静寂に迎え入れられた。
俺たちは珍しそうに辺りを見回しながら目的のドアの前に辿り着く。
恐々、ドアノブを開くと、何の抵抗もなくドアが開いた。
バッタが先に入り部屋を見回す。俺も遅れて入りドアの鍵を閉めた。
「なんて言えばいいのかな」
予想したよりは普通の部屋だった。
ベットは巨大なものが一つあり、照明などの切り替えはベットの頭の方に付いている。
ソファーの置かれたスペースにはテレビもついて、ゲーム機までが置かれていた。
テーブルの上には使用説明書なるものが置かれていて、手にとって見た限りでは食事の注文ばかりかゲームソフト、ビデオの貸し出し、モーニングコールを頼むこともできるらしい。
もちろん怪しげな器具も売っていた。
バッタはそのページを開いた瞬間顔を真っ赤にして俺から距離を取った。
ちょっと傷ついた。
「さて、とりあえずどうする? まだ結構時間あるけど」
「え? あ、はい。そうですね……なんだかこれから街に出るっていうのもどうかなって思いますし、リアルゲーム中なのにゲームをするのも変な話ですよね。となるとビデオを借りて見るか……あ、お金いるんですね」
「そういえばここの金額はどうなるんだ?」
ソファにもたれながら独り言のように呟くと、説明書を見ていたバッタがあるページを開いて見せてきた。
「ここにありました。休憩、六時間で3L、宿泊10L。一人一人ではなくて一部屋ごとの金額みたいです」
宿にしてはずいぶんと安い。最初の街だからだろうか?
「払えない時は罰則があるそうです。どんなものかは書かれてないですけど」
「ま、払えるなら別にいいだろ。歩き疲れたし食事でも頼むか」
「それもそうですね、何にします?」
「殆ど即席で出来る奴だな。カルボナーラでいっか」
「私はシーフードスパゲティにします」
答えて俺を振り向くバッタ。電話で頼む気はないらしい。
しばらく見つめ合った結果、根負けした俺が注文することになった。
別にただ注文するだけなのだが、この場所から電話をかけるという事態に緊張する。
額や背中を流れる脂汗を感じながら震える声で注文すること数十秒。
受話器を置いた瞬間重荷から開放されたような、重要任務をこなし切ったような安堵感に包まれて、ソファに座った俺は大きく息を吐いた。
「お疲れ様です環架さん」
「ああ。なんでだろうな、電話しただけなのにかなり疲れた」
緊張が解れたからだろうか? 強烈な眠気に思わず欠伸する。
「お疲れですか? 今日はいろんなことが起こりましたしね」
「ああ、でも食事頼んだのに寝てたら悪いだろ」
それに、こういうとこ来て男が先に寝るってどうよ?
「構いませんよ。食事が来たら起こしますよ」
それは悪い。と言おうとしたが、あまりの眠さに声が出ない。
バッタに見守られながらすぐさま意識が薄らいでいった。




