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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅱ

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〈21〉きっと楽しいから

 レヴィシアが目を覚ます少し前、サマルは単独で町を歩いていた。

 彼自身は顔が割れておらず、単独でいる分には危険が少ない。とりあえず、情報収集もかねて周囲の人々の声に耳を傾けていた。

 通りかかった広場のベンチで、中年の婦人が二人、世間話をしていた。あの騒ぎの後だというのに、のん気なものだ。サマルはさりげなく歩調を緩める。


「――で、この辺りも安全とは言えないのかしら?」

「でも、逃げたんでしょう? なら、ここにはもう戻らないと思うけど、どうかしら」

「そうだといいけどねぇ」


 今後の脅威よりも、目先の厄介ごとにしか目が行かない。その気持ちがわからないわけではない。

 むしろ、大多数の国民はそうして生活している。

 下手に明るい未来を夢想して危険に首を突っ込むより、ただ大衆に紛れて薄まった危機の中にいれば、それなりに暮らして行ける。苦しむ隣人の声に耳を塞いでおけば、多少の苦悩はしたとしても、きっとすぐに慣れて苦しくなくなる。


 自分もそんな中で、ひっそりとでもプレナと暮らしていられれば、それでいいのではないか。時々そう考えてしまう。


 以前なら、こんなことは考えなかった。先しか見ていなかった。

 守りたいものがあるからこそ、戦おうと決めた。守るためには、動かなければ駄目なのだと思って家を出た。

 けれど、今はあの時の勢いがない。

 あの時の選択が正しかったのか、時々わからなくなる。生きていてこその理想だ。死にたくないし、死なれたくない。


 ただ、そう思うことも勝手なくらい、自分たちの行為で亡くなった人がいる。そう考えると、簡単に潰れそうになる。いつまでも忘れられない光景にうなされる。

 どれほどの罪であろうと受け止めるだけの度量もなく、自分は何をしているのか。

 罪には罰が付いて回る。その罰とは何か。いつ、それが降りかかって来るのだろう。

 早く、こんなことは終わらせたい。その気持ちだけが自分を動かしている。

 罪に対する代償も支払わず、終えてしまいたいと。それが窃盗のように卑怯なことなのだとしても、そう願わずにいられなかった。



 サマルはぼんやりと考えながら道を歩く。

 向かう先を決めていたわけではなかったのに、気付けばスレディの構える工房の近くにやって来ていた。


 レイシェント=スレディは、この辺りではそれなりに名の通った武器職人である。

 ただし、偏屈で有名でもある。武器職人はエイルルーの町に多いのだが、彼はあえてこの潮風の強い港町に居座り続ける。こだわりというよりも、誰かに左右されることを嫌う性質のせいだろう。

 頑固で荒っぽい老人だが、腕は確かだ。彼の助けがあれば、活動をする上で貴重な武器の修理や製造を依頼できる。なんとかして仲間に引き入れたい逸材だった。

 それができないとしても、スレディの客の中には兵士もいるらしい。何か有益な情報が聞き出せたらという計算もあった。


 けれど、こうなった以上はもう時間を割けない。結局、ろくに話をすることもできなかったが、最後に別れと詫びをと思った。勝手に消えたのでは、向こうも後味が悪いだろうから。

 深く深呼吸をし、意を決してサマルはその薄汚れた扉を叩いた。小窓はくもっていて何も見えない。

 奥の方で、小さく返事をする声があった。フィベルの声だ。蝶番が錆びて具合の悪い扉を、慣れた手付きで開けてくれた。


「あ、サマル君」


 のんびりとした声だ。サマルは笑ってみせた。


「昨日、今日と迷惑かけてすいません。……スレディさん、怒ってる?」

「全然」

「え? ほんとに?」

「話の端にも上がらなかった」

「…………」

「師匠いるよ」


 フィベルはとりあえずサマルを中へいざなう。サマルはおずおずと尋ねた。


「えっと、機嫌いい?」

「最悪。酒びたり」

「…………」


 素面でも厄介なのに、あれに酒が入ったらどうなるのだろう。サマルが二の足を踏んでいると、フィベルは嘆息した。


「師匠、スランプ中」

「な、なんで?」

「おもしろくないって」


 踏み入れたら最後、戻れなかったらどうしよう、と本気で思った。それでも、黙って去ることはできない。覚悟を決めた。


 入ってまず感じたのは、薄暗さと僅かな腐臭だった。男二人、適当な生活をしている。汚いのは以前からなのだが、今日は窓もすべて締め切っているから、余計にそれを感じた。

 ごみ溜めのような雑然とした室内と一体化している、薄汚れた背中が小刻みに上下している。机に突っ伏しているものの、眠ってはいないような気がした。手はしっかりと酒のボトルに伸びている。


「あの、スレディさん、大丈夫ですか?」


 思わず、初っ端にそんなことを言ってしまった。スレディはあぁ? とうなりながら頭を掻いた。

 おもむろに向けられた目は充血し、顔も赤と白とのまだらだった。


「うわぁ」


 サマルが一歩引くよりも先に、スレディは口もとを引きつらせながら言った。


「なんだぁ? てめぇ、まだいたのか」

「あ、いや、実は、働く前から一身上の都合でお別れの挨拶をするはめになりまして……。今日中にここを発ちます。こっちから言い出しておいて、申し訳ありません」


 ぺこりと頭を下げる。けれど、スレディの虚ろな目は、それを見ていなかった。

 代わりにフィベルが言う。


「元気でね」


 あっさりとしたものだ。常に淡白で、この男が慌てるところなど、想像できない。


「あ、えっと、フィベルさんもお元気で」


 サマルはもう一度スレディを見やる。心配する気持ちもある。ただ、関わるだけの時間がない。

 立ち去りかけたサマルに向けた言葉ではなかったかも知れない。スレディはぶつぶつとつぶやいていた。


「武器なんてなくても、争いは起こる。なけりゃ、殴り合ってでも人は争って死ぬ生き物だ」


 迷いが生まれれば、作れない。職人とはそうしたものなのかも知れない。

 サマルは、よせばいいのにとあきれる自分に言い訳しつつ、足を止めた。


「そりゃあそうです。でも、どうして今更そんなことを? 武器があれば、より多く、より簡単に人の命を奪える。武器はそうしたものでしょう? 誰よりもわかっていたはずですよね」


 怒鳴られるかと思った。けれど、スレディは激昂する気力を惜しむかのように落ち着いた声で言った。


「戦って死ぬのは、そいつが選んだ道だ。どんなエモノでやられようと、職人おれが責任を感じることじゃねぇ。……そう思って来たけどな、あんな子に、俺の作った武器が向けられんのは嫌だとか思っちまった」

「あんな子?」


 フィベルが首をかしげる。スレディはうっとうしそうに顔をしかめた。


「今頃はうまく逃げたか、死出の旅路の真っ最中か。どちらにしろ、もう会うこともねぇだろうが」

「レジスタンスの?」


 世間に無関心に思えるフィベルも、町で起こった出来事くらいは把握しているらしい。

 スレディは、んー、と曖昧にうなった。フィベルは横目でちらりとサマルを見やる。スレディがレジスタンスびいきの危険思想の持ち主だと思われ、通報される心配をしたのかも知れない。


「誤解、しないで」


 相手がその危険そのものだと知らない。サマルは苦笑した。

 それから、スレディはもう一度机の上に伏せた。その頭部に向かって、サマルは言う。


「じゃあ、その子のために作ってみたらどうですか?」


 スレディはゆらりと頭を上げた。表情はなく、眼球だけがサマルに向けられる。

 サマルはすっと息を吐いて、その薄汚れた床にひざを付いた。


「俺、サマル=キートは、レヴィシア=カーマイン率いるレジスタンス組織の第二班、情報収集等を主に活動しています。スレディさんの協力を得られればと思って近付きました。騙していてすみません」


 反応はない。二人は黙ったままだった。

 間を置かずにサマルは続ける。


「加担すれば危険ですけど、それを承知でお願いします。スレディさんの協力が必要なんです」


 明確な言葉がいい。

 この老人と対峙する時、巧言令色ほど裏目に出る。必要なのは度胸だと、サマルは精一杯不適に笑ってみせた。


「楽しいですよ、きっと」


 さすがのスレディも、少し面食らったようだった。その顔を見た時、サマルはスレディに近付けたような気がした。

 スレディはクッと小さく笑う。


「楽しい、か。そりゃあいいな」

「師匠」


 警告するような響きのある声でフィベルが呼びかける。けれど、スレディは大きく見開いた淡い瞳で彼を見やる。


「お前、俺に意見しようってのか?」


 その眼の中に、フィベルは何かを見付けたようだ。あきれた声でつぶやく。


「師匠、子供みたい」


 悪戯を企む子供そのままに、表情に生気が満ちた。死んだ魚が、水を得て蘇る。


「なんだと? ――まあいい、お前はどうすんだよ?」

「選択肢、あるの?」

「ねぇよ。お前は俺の付属だ」

「だと思った」


 それで納得してしまうフィベルは、肝が据わっていると言うべきなのか。

 サマルは苦笑して立ち上がり、そして告げた。


「じゃあ、最初の頼みは――」


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