〈31〉眼差しの奥
何もかもが順調に運んでいるかに思われた。
けれど、気が付けば――。
「なんかね、最近、みんなバラバラじゃない?」
低いレンガの塀に肘を下ろすと、子供たちが賑やかに走り回る通りの風景を眺め、レヴィシアはつぶやいた。ルテアはその塀にもたれ、横にいるレヴィシアに顔を向ける。
「バラバラって?」
うん、とレヴィシアは小さく言った。
「ザルツはリッジと次の作戦を練るって、あんまりこっちの家には帰って来ないから、プレナも遠慮して離れてるし。それから、サマルが最近元気ないじゃない? 時々独りになりたがるっていうのかな……。あのうるさいサマルが、変じゃない? プレナ、そっちも心配してるみたいなんだけど……」
「それくらいは仕方ないんじゃないのか。参謀のザルツが忙しいのはいつものことだし、サマルだって悩むことくらいあって当然だろ」
言われてしまえば、それだけのことだ。
何か、過敏になりすぎているのかも知れない。
「そうかな。じゃあ、またすぐに元通りになるよね」
そう言って、ルテアを見上げる。ルテアは複雑な表情をしたまま、軽くうなずいた。
「大丈夫だろ」
「うん、そうだね」
話を聴いてもらったら、少しすっきりした気がする。レヴィシアはルテアに笑顔を向けた。
「そろそろ戻ろうかな。ありがと、ルテア」
背を向けたレヴィシアの髪が、元気に跳ねる。そのまま走り去るレヴィシアの背を、ルテアはなんとなく眺めていた。
すると、その背後から、どこに潜んでいたのかラナンがやって来て、その細い両肩に腕を下ろしてもたれかかった。その重みで、ルテアは体が沈む。
「おい……」
なんとかたえているルテアの耳元で、ラナンはぼそりと言った。
「レヴィシア、ユイのところに行ったのかな」
「……さあ? それが?」
「別にィ」
そのニヤニヤした顔と口調に腹が立つ。なのに、ラナンは心底楽しそうに続けた。
「レヴィシアが活動を始めたって知った時、飛び出して行ったお前を見てたら、これはもう、初恋の相手だったんじゃないかと直感したんだけどな。な、正直、当たってるだろ?」
「だぁー! うっさい!!」
ルテアはしゃがんでラナンから素早く逃れると、耳をごしごしと擦った。ラナンはまだ笑っている。
「まあ、がんばれよ。しばらくはあの家、お前ら三人だけだから。サマルはいるけど、出歩いてばっかりで、いないのも同然だしな」
その言葉に、ルテアはきょとんとして訊き返す。
「は? 出かけるのか?」
「ああ。ザルツが出かけたいから付いて来てくれって。プレナも行くみたいだ」
「……ふぅん。気を付けてな」
そう答えたルテアを、ラナンはじっと見下ろした。なんとなく、考えていそうなことはわかる。
昔は、こうやって素直に見送れなかった。ラナンがいないと不安で、服のすそをつかんで放さなかったこともあった。けれど、それは本当に子供の頃の話だ。
だから、ルテアは精一杯余裕を浮かべた顔を向けた。
「俺は大丈夫だ。いつまでも子供扱いするなよ」
「そうだなぁ」
苦笑するラナンは、茶化しているのではなく、本気で心配してくれている。わかっているけれど、本当はそれが時々申し訳なかった。
ルテアはこぶしに少しだけ力を込める。
「お前さ、そろそろ自分のことも考えろよ」
「なんだ、いきなり?」
いきなりではない。
本当は、ずっと言わなければならないと思っていた言葉だ。
頼り切ってここまで来てしまったことを、いつ頃からか悔いていた。
「お前、文句とかなんにも言わなかったけど、母さんのこと、俺のこと、重荷じゃなかったわけがないんだ。なんでも我慢しすぎなんだよ」
それでも、ラナンは表面上は笑っていた。
「我慢なんてした覚えがないけどな」
「嘘つけ。……本気で考えろよ。頼るばっかりで、俺たちは迷惑のかけ通しだった。でも、お前にだって自分の人生がある。自分のためにしたいことがあるのなら、俺はいつだってそれを受け入れるから、ちゃんと言えよ。今すぐじゃなくても、考えろ」
今まで支えてくれた分の恩返しを、いつかはして行きたいのだと思う。
もし、このまま活動を続けて行くことを選んでくれたのなら嬉しいけれど、もしそうだとしても、頼るだけではなく、ラナンに頼られる人間になりたい。それがルテアの正直な気持ちだった。
「ルテア……」
そうして、ルテアはいつもされている分だけ、にやりと笑ってみせる。
「だって、いつまでも俺が付いてたんじゃ、お前、嫁さんもらえないだろ? そのうち、来てもいいって物好きがいなくなる歳に……いりゃりゃ、いひゃい!!」
両の頬をつまんで引っ張ってやった。ようやくそれから解放され、頬を押さえてうっすらと涙を浮かべるルテアを見ていると、ラナンはおかしくて笑ってしまった。ルテアはむっとしたけれど、ラナンはあたたかな気持ちだった。
「強くなったな」
その一言に、ルテアは照れたように笑う。単純に嬉しいのだろう。
「え? そ、そうか? まだまだ筋力は弱いかと思うんだけどな」
ラナンはそういう意味で言ったわけではなかったが、わざわざ訂正してやることもないかと思った。その微笑ましさを柔らかい眼差しで眺める。
「お前はもっと強くなれるよ。親父みたいにさ」
「親父? そうだな、親父みたいに」
そして、ルテアは何故か急に声を落とした。
「けど、俺は親父より、ラナンみたいになりたい……のかもな」
言ってから恥ずかしくなったのか、ルテアは顔をしかめてさっさと行ってしまった。
ラナンは今、自分がどんな顔でいるのか、考えるのも嫌だと思った。
ルテアがあんな風に考えて、成長を見せたことが嬉しくないわけではない。
けれど、所詮、誰かのためなんてものは、自分が望んで動いた結果に過ぎない。
あの母子を庇護したことも、自分がそうしたいと望んだからだ。
恩を着せるつもりなんてない。
ルテアの純粋な敬愛に応えられる自分であったかと自問する。
子供に対し、やましいことのない大人など、きっといない。




