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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅰ

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〈32〉巡る因果

 ザルツは王都まで出かけると言った。プレナとラナンもそれについて行くらしい。


「今後のためだ。あそこにいる支援者にも声をかけて来たい」


 レヴィシアたちが活動を本格的に始めるまで、組織に加入しないまでも、色々な面で支え、手伝ってくれた人たちがいる。つてを頼りに、情報も手に入れられるはずだ。こちらの活動に有利な噂を流してもらうのもいいだろう。

 食堂のおばさん、八百屋のおじさん、靴屋の夫婦、たくさんだ。

 あそこを出てから連絡は取れていないけれど、多分心配してくれている。


「みんなによろしくね」

「ああ」


 何故かザルツは動きを止め、レヴィシアを見据えた。


「な、何?」


 また叱られることでもしたのかと、レヴィシアは思わず身構えたけれど、そうではなかった。


「……いや、俺たちの留守中、ちゃんと戸締りをするようにな」


 そんな当たり前のことを、神妙な顔をして言わなくてもいい。


「わかってるよ。心配性なんだから」


 肩の力を抜き、レヴィシアが苦笑すると、ザルツは更に心配性なことを言った。


「一人で外出するなよ。なるべくユイと行動するように」

「え?」

「いいから、返事は?」

「う、うん」


 説明はない。けれど、こういう場合、訊いてはいけないのだと、長い付き合いの中で無意識に感じ取れるようになっていた。



         ※※※   ※※※   ※※※



 ザルツとプレナ、ラナンが出立したのは、その翌朝のことだった。

 いつもなら、プレナを行かせたがらないサマルが、今回に限ってはおとなしい。それに、自分も行くとは言い出さなかった。それがかえって不気味だった。


 ザルツはレヴィシアに、合併して大きくなった組織の構成員を一人ずつ覚えておけと宿題を出した。それも、紙には記すなと言う。

 共に戦う仲間なのだから、顔と名前くらい覚えておかなければならないのは事実だけれど、何せ急だったので、それも難しい。

 すべて覚えているのは、ザルツくらいのものだと思う。

 ザルツが手伝ってくれたらいいのに、王都行きを優先したかったのか、行ってしまった。



 そうして、それは起こった――。



 ザルツたちを見送ったその日の昼過ぎ。

 レヴィシアはユイとルテアと共に領主館の地下にいた。数人の元『ゼピュロス』のメンバーたちと談笑する。やはり、名前と顔を覚えるには、直接会話を交わすのが一番だと思ったのだ。


「フーディーって、年齢を尋ねると、毎回返って来る答えが違うよね」

「そうそう。いっそ、二十歳とか言うなら嘘だってわかるけど、微妙な年齢ばっかり言うから、どれがほんとだかわからないし。こっちが混乱してると、すっごい楽しそうな顔してるの」


 あはは、と他愛ない会話で笑い合う。

 そんな平和な時間は、慌しい足音に遮られる。足音はサマルのものだった。

 ドアが開かれた途端、サマルは中になだれ込む。


「レヴィシア!」

「な、何?」


 その取り乱し方に寒気を覚えた。サマルが取り乱す時、大抵はプレナが関わっている。

 サマルは眉根をきつく寄せ、渇いたのどを鳴らすようにうめいた。


「すぐ……来てくれ」


 この場で何が起こったのか話すことをはばかったのは、サマル自身がまだ認めたくなかったせいかも知れない。

 けれど、サマルの様子から、吉報ではないことだけは感じ取れた。だから、行きたくないと思ってしまう。何があったのか、知りたくない。


 それでも、こうして座っていて、事態が好転するわけではない。

 どんな現実が待っているとしても、行かなければならない。

 レヴィシアの不安げな様子を、両側からユイとルテアが見守った。ようやく立ち上がったレヴィシアに、二人も続いて行く。



 サマルに連れられるまま、家に戻った。その間、誰も口を利かないでいる。

 扉を開くと、中には元『ゼピュロス』のメンバーである二人の青年が立っていた。そして、すすり泣く声がする。

 その声をたどると、その先には、床の上にへたり込んで泣いているプレナの姿があった。そして、その傍らのソファーには、意識のないザルツの体が横たえられていた。その白い顔にいつも神経質に押し上げている眼鏡はなく、まぶたは閉じられたままだ。


「ザルツ! プレナ!」


 心臓がひり付き、大きく生々しく脈打つ。その過剰な鼓動を抑えるため、レヴィシアは自分の胸に手を当てた。落ち着け、と。

 レヴィシアが近付いても、プレナは生気のない顔でただかぶりを振るばかりだった。ザルツに何かあったのかと思えば、そうではないようだ。彼の胸は微かに上下し、眠っているのだとわかる。外傷もない。

 一体、何があったのか。それを問おうとすると、後ろから声がした。


「……ラナンは?」


 この場にいない人の名に、誰もがぎくりとする。

 ザルツを運んで来た青年は、一度口を開いたけれど、上ずった声しか出ず、のどを押さえながら言い直した。


「俺たちが町の外……隣の村まで出かけたら、そこで会ったんだ。馬車に乗ってたんだけど、御者もいなくて、村の連中が気付いて止めてくれたんだって。プレナさんが言うには、町を出てすぐ、盗賊か何かに襲撃されて、ラナンさんが二人を逃がしてくれたらしくて――」


 心がざわめく。


 ルテアはそれだけを聞くと、弾かれたように駆け出していた。

 それは、反射的な行動だった。

 一人で何ができるのか。間に合うのか。

 そんなことは考えていなかったように思う。


「ルテア!」


 放っておくわけにも行かず、レヴィシアも後を追った。それから、ユイも続く。

 青年は小さく声をもらし、彼らの背に向かって手を伸ばした。けれど、声をかけることができず、虚しく手を戻す。

 開け放たれた扉の外から、中を覗くようにしてリッジが顔を見せた。


「さっき、そこで事情は聴いたよ。……それで、その続きは? 確認して来たんだよね?」


 青年はうなずく。

 プレナの取り乱した様子が、すべてを物語っていた。


「もう――」



 場所もわからないままだったのに、ルテアは立ち止まらなかった。

 どれくらい走ったのかもわからない。

 ただ、道上に乱れた車輪の跡を見付ける。それとは別の方に、血の跡があった。草の上に点々と続くそれを、ルテアは思考を止めて追いかける。

 その先に、肩に矢を受け、背中を一太刀に切り裂かれた男の亡骸があった。顔は見ずとも、姿からいって馬車の御者だろう。

 血の臭気に吐き気がする。


「ぐ……っ」


 口もとを押さえ、脂汗をにじませながら、ルテアはその先へと歩んだ。

 足は、先に進むことを拒んでいる。見てはいけないものが待っている。そんな気がしてしまった。

 ただ、そんな思考を振り払うために前に進んだ。

 けれど、結果として、予感の正しさを知ることとなる。



 レヴィシアもようやくルテアに追い付き、その光景を目の当たりにした。

 予期し切れなかった惨状に、思わず甲高く悲鳴を上げる。

 涙が止め処なくあふれ、臓物がひねり潰されるように苦しかった。

 信じられない。信じたくない。

 諸々の代償。得て、失うもの。

 大事な大事な――。



 すでに為す術もなく、ユイを含めた三人は立ち尽くしていた。

 そうすることで、眼前の現実を拒否していた。

 けれど、草むらの中で血にまみれて倒れている人々も、何もかもが消えなかった。


「い……や……」


 夢や錯覚でないのなら現実だと、そう認めた瞬間に、えぐられるような悲しみに襲われた。心と体が軋んで、ばらばらになりそうな感覚だった。父の死を越え、薄れかけた頃にまた訪れる、喪失の痛み。

 のどが狭まり、息が詰まる。熱を帯びた涙が頬を伝って行くばかりだった。


 けれど、それすらできずに一点を見下ろしているルテアの背中が、何よりも痛ましかった。

 レヴィシアは彼を抱き留め、空気を裂くような声を上げて慟哭した。

 今、ルテアを放したら、消えてしまいそうだと思った。呆然とする姿は、風にさえ負けてしまいそうに危うい。

 ずっとそばにいて、慕っていた人物の亡骸を前に、平静を保っていられるはずがなかった。

 口から血を吐き、事切れたさまは、きっと無念だっただろうと思うだけの形相だった。



 ルテアは、意外に冷静な自分に驚いていた。

 頭の端ではちゃんと理解している。これは、変えようのない現実だと。

 なのに、涙も出ない。

 レヴィシアが泣くから、冷静でいられたのかも知れない。耳元の嗚咽が感情を麻痺させる。

 ルテアはただ、泣きじゃくるレヴィシアを慰めようとしたけれど、何もできなかった。



 泣き叫びながら、レヴィシアは思う。

 自分たちも目的を達するために、幾人もの命を奪って来た。

 これこそがそれに対する報いなら、どうして自分の身に降りかかってくれなかったのだろう、と。

 大好きな人たちが傷付いて倒れるくらいなら、その方がどれだけよかったことか。

 本当にこれが、みんなが幸せになれる道なのだろうか。そんな疑問を抱いた。


 けれど、それさえ今更だった。

 諦めてしまえば、犠牲の意味すらない。

 彼らの命を、無駄になんかできない。それだけは嫌だ。

 だから、違う道へは進めない。

 それでも、このまま突き進むことで、更に誰かがと思うと、怖くてたまらなくなる。

 もう、うしないたくない。

 レヴィシアは、すがり付いた腕の力を緩めることができなかった。



 仲間の亡骸を前に悲嘆に沈む彼女たちの元へ、次々とメンバーたちが駆け付けて来た。

 誰も声をかけることはせず、遠巻きに見守るばかりだった。

 そして、発見者の青年から詳しく事情を聴いたリッジがやって来る。

 彼はショックの強いレヴィシアたちに代わり、その場の指揮を取った。遺体を慎重に運び、葬儀の手はずも整えておくと言ってくれる。レヴィシアはその言葉を心強く思いながら、リッジに託した。


 ラナンと御者、それに見覚えのない男の遺体が二体。返り討ちに遭った襲撃者のようだ。捨てておこうとしたメンバーたちに、ユイは運ぶように提案した。

 死ねばみんな同じだなどという聖人的な意識からではない。何かしらの手がかりがあると考えてのことだった。

 

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