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Full of the moon  作者: 五十鈴 りく
Chapter Ⅶ

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〈51〉恐怖を感じて

 リンランは階段の途中でひざを付き、その人物をにらみ付けた。呼吸がここまで乱れたのは、いつ振りのことだろうか。

 この王城の入り口に到達する前に不覚を取り、太ももに受けてしまった傷が疼き続ける。血は止まったのか、流れ続けているのか、今となってはよくわからない。痛みにも次第に慣れてしまったと言った方がいいのかも知れない。


 リンランの周りには、横たわる兵士たちの姿がある。彼らは致命傷こそ避けられているが、最早戦える状態ではなかった。意識のない者も多く、あったとしても痛みにうめくばかりだった。


 リンランがこの場に駆け付けた時、入り口はすでに戦闘開始状態であった。四角四面を絵に描いたような大男と、執事然とした風貌の二人の中年男性を筆頭に、レジスタンスの勢力がレイヤーナ兵と戦闘を続けていた。レイヤーナ兵を率いていたのは剣術使いのタオである。


 先の戦いで手傷を負ったタオは、まだ本調子ではなかった。だから、ネストリュートが彼にこの場所を任せたのは、何も本気で敵を倒せというわけではなかったはずだ。それなのに、退かなかったのはタオ自身の問題だ。

 それに、確か弟のルオを付けられていたはずが、ルオはいなかった。


 ――そんなことはこの際どうでもいい。

 ただ、この先に行きたい。リンランの願いはそれだけだ。

 その先の、ネストリュートのもとに駆け付けたかった。


 この戦闘を終わらせ、気兼ねなく城の中へ行ければよかった。

 なのに、この執事然とした男は、手負いのリンランやタオの手に負える人間ではなかった。

 自分たちと同じ匂いのする人種だ。

 陽の当たる場所を歩んではいない。

 誰もが傷を負い、倒れ行く中で、彼だけは悠然と佇んでいた。一糸乱れず、息ひとつ切らさない姿は、すでに化け物と呼べる域だ。


 けれど、ここで負けを認めるなど、屈辱以外の何でもない。国に帰った後もネストリュートを守り抜こうと思うのなら、敗北など許されない。

 これから、どんな困難にも打ち勝って行かねばならないのだから。


 増えるばかりの傷に堪え、リンランは再び自分に鞭打つ。立ち上がると、執事がリンランに目を向けた。

 すると、その時、はるか遠くの頭上から、少女の声が降った。

 その声は、馬鹿げたことを高らかに訴える。なのに、その宣言に、民衆の歓声が沸き起こった。


 彼女たちの改革は終了したのだ。あそこまで上り詰めたのなら、すでにネストリュートと衝突したということ。不安が過ぎるけれど、今更どうにかなるわけもない。あの方は絶対に大丈夫だと、必死で自分に言い聞かせる。


 その耳障りな歓声の中、執事は細い瞳をリンランに向けた。そうして、穏やかに、それでもかき消されない声で言った。


「さて、私共の戦いも終わりです。これ以上は意味のないもの――あなたも好きにされるといい」


 あっさりとリンランに背を向け、執事は仲間の大男を助け起こす。リンランは、惨めな気持ちの中に潜む安堵に気付かない振りをした。強くその背をにらみ、唇を噛み締める。気が抜けたせいか、体の節々が先ほどよりもはっきりと悲鳴を上げていた。


 しばらく、呆然と動けずにいたリンランだったけれど、不意に向こうで起き上がったタオが誰かと言葉を交わしている姿が目に入った。その高貴な姿に、リンランもとっさに立ち上がる。

 苦痛に顔を歪めると、それに気付いたネストリュートがこちらに向けて歩いて来た。


 その途端に、リンランは今まで感じたことのない恐怖を感じた。

 戦闘に特化した『フーディアの民』の中でも取り分け優秀だと認められていた自分。

 なのに、今、傷だらけになり、醜態をさらしている。はっきりとした敗北が、全身に現れている。


 ずっと、共に育った『彼』を落ちこぼれだ、でき損ないだと蔑んで来た自分が、無様なものだ。

 あっさりと切り捨てられた『彼』のように、自分も『要らない』と、微笑みと共に言われてしまうのだろうか。

 そんな恐怖がリンランを支配する。

 ネストリュートが眼前に迫った時、リンランは無意識のうちにまぶたを強く閉じていた。すると、うつむいたその頭に、大きな手が軽く乗った。


「ご苦労だったな、リン。ゆっくり休むといい」


 優しい言葉。

 けれど、その意味は。

 もう要らない、と――。


「申し訳ございません! ネスト様、あたし……っ!」


 涙で滲んだ視界の先で、ネストリュートは微笑んでいた。笑っているとわかるのに、その機微までもを窺い知ることはできなかった。そうすると、苦笑したような声がした。


「労っているつもりなのだ。そう怯えるな」

「お願いします! どうか、おそばに置いて下さい!!」


 これからも、そばでその身を守りたい。その覇道を助けたい。

 だから――。


「もちろんだ。これからも頼む」


 その一言に、周囲の目も気にせずに泣きじゃくってしまった。それでも、ネストリュートの手は優しかった。ずっと、何があっても、この方に陰ながら付き従う。

 それが、自分の存在――。 

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