第2話 Cast No Shadow/03
【Flashback】
「次! ピットに戻って!」
武弾のメインストリートに設置された、アルマナックに割り当てられたピットゾーンで、わたしはインカムを兼ねる耳元の、浮遊する三角形のオブジェクトに向かって叫んでいた。
『ごめん! 無理だ!』
「はぁ? 何言ってるの! ちょっと、悠!」
バラララァン!
甲高く、耳の奥まで刺さるような金属音とともに、2行程処理型特有の強烈な干渉光を引いて、γが一瞬で視界の外へ走り去っていく。
「おまえー! 無視すんな!」
わたしは、なぜかアルマナックのエンブレムと同じブルーの服を着せられていた。
しかも、やたらとピッチピチだ。
そんな格好で、このシージン・マーチのγのナビ兼メカニックをやらされている。
キーッと髪を掻きむしるわたしの横で、アジエがヤレヤレと首を振った。
今日のアジエは何故か、赤いレザーのジャケットにミニスカート。
これまた露出多めで、ぴったり張り付くような服装だ。
「オー、すげぇ。 悠のやつ、燃えてんじゃん」
黄色と黒の、これまたほとんど水着みたいな格好のケイトが、ケラケラ笑いながら言う。
「あんな干渉光引きまくってたら、本当に機体が燃えるわよ!」
わたしは思わず、涙目で抗議した。
少し前にホークがクラッシュして、ケイトはとっくにレースをリタイアしているはずなのに、気づけば着替えていて、アルマナックのピットでずっとはしゃいでいる。
ケイト曰く、「応援」らしい。
『チセ、ごめん――』
悠の声が、インカムオブジェクトから入ってくる。
その声音は、いつになく神妙だった。
『――さっき、ライノもやられた。 ここで稼がないと、罪の男に並ばれる……』
重くて、どこか切ない響き。
思わず「むぅ……」と、わたしは唸る。
「武弾ストレートまでの全開は二分まで。 基本はパワーバンドをキープして」
γのステータスを確認しながら、指示を飛ばす。
どうせ止まらないなら、せめて壊れないようにさせないと。
「いい? 断続的に処理落ちが起きてる――」
さらに二つ、空間ディスプレイを展開する。
γの処理ログが、凄まじい速度で流れていく。
出力を落として解析している余裕なんてない。
「このままじゃ、ブローするわよ」
メモリダンプをリアルタイムで確認しながら、無理やり調整をかけるしかない。
ちらりとアジエを見ると、少し硬い表情をしていた。
0と1の羅列で世界を見るなんて、人間にとっては明らかに異常だ。
アジエにも、それがわかるのだろう。
でも、わたしは今、普段なら絶対にやらない危険な行為に踏み込んでいる。
そうでもしないと、切り抜けられない。
「これからリモートで、できる限り調整する。 だから、この周回は戦闘を避けて」
処理のバイパスを通し、可能な限りの修復を開始する。
「……勝たせてあげるから、言うこと聞きなさい」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
『わかった―― 頼む』
後ろから、ケイトの「Woo!」という声が聞こえた。
きっと、ものすごくニヤニヤした顔をしているに違いない。
【Present Day】
「……勝たせてあげる」
風呂から上がり、髪をパンパンとタオルではたきながら、チセはふと、その言葉を思い出していた。
口にした瞬間の感触だけが、妙に生々しく残っている。
意味を考えるより先に、するりと喉を抜けていった言葉だった。
どうして、あんなことを言ったのか。
考えようとすると、うまく形にならない。
ただ、あの時――。
インカム越しの悠の声が、いつもより低くて、遠くて。
γの処理ログが、画面の向こうで崩れかけていて。
それらが重なった瞬間、胸の奥が、ひどくざわついた。
それだけのことだったはずだ。
勝ちたいとか、負けたくないとか。
あのシージン・マーチで、そんな感情に本気で向き合った記憶はない。
本来なら、非生産的で、無意味で、できれば距離を置いていたかったイベントだ。
それなのに――。
タオルを置き、ふと鏡を見る。
そこに映っているのは、いつもの自分だ。
だが、あの時の自分とは、少しだけ違う気がした。
思えば、あの服もおかしかった。
体の線がはっきり出る、やたらとぴったりした衣装。
他のピットにも同じような格好の女性クルーが並んでいたから、そういうものなのだろう、と納得しようとした。
人間は、現実世界にいた頃から、こういうイベントに盛り上げ役を置くらしい。
レース・アンバサダーだとか、コンパニオンだとか。
理由を聞いても、やっぱりよくわからない。
前夜祭からあの格好で立たされ、翌日は、なぜかケイトやアジエと並んで、CFの前でスクショの撮影会をやらされた。
「ファンサだから」
ケイトはそう言って笑っていたが、チセには最後まで腑に落ちなかった。
あの時間、ずっと胸や腰のあたりに、まとわりつくような視線を感じていたことだけは、はっきり覚えている。
アジエは後で、「いやー、儲かった」と上機嫌だった。
どうやらスクショは有料だったらしい。
その用途については―― 考えないことにしている。
タオルを肩にかけたまま、チセは小さく息を吐いた。
「……勝たせてあげる」
もう一度、心の中で繰り返す。
やはり、しっくりこない。
たぶん、あれは約束でも、宣言でもなかった。
ただ、あの瞬間にだけ生まれた、余計な熱だったのだ。
それでも―― その熱が、今も完全には冷めきっていないことだけが、少し気にかかっていた。
結局はシージン・マーチで勝つことはできなかった――。
むしろ、勝ちを捨てたと言ってもいい。
あとから考えれば、勝てる状況だったのだと思う。
あの最後の武弾ストレート――。
散々、邪魔をしていた二機のCFを悠が倒して間も無くのことだ。
最終ラップで悠はゴールをしなかった。
罪の男と呼ばれるコード・ライダーとの一騎討ち。
それが悠の選択だった。
(なんでわたしは、送り出したんだろう――)
チセは悠の決断に異を唱えなかった。
やっぱり、雰囲気に飲まれていたのだろうか――。
いくら思い出しても、あの非論理的な行動に、チセは理屈をつけることができないでいた。




