第1話 罪の男(シナーマン)/03
【Present Day】
伍世富は、目の前に浮かぶ年寄りの顔に唾の一つでも吐きかけてやりたい衝動を、歯を噛み締めて押し殺していた。
ホワイトブリーチの短髪に、猛禽を思わせる尖った顔つきの若者は、デジタル空間船ビーマーのキャプテンシートに深く腰を沈め、足を組み、目の前の空間ディスプレイに虚ろな視線を投げている。
画面の中では、年寄りが説教めいた話を延々と垂れ流している。
だが、言葉のほとんどは耳に入ってこない。
『聞いとるのか、シナーマン?』
「はーいはい。 聞いてますよ、ビッグ・マクマホン」
軽い調子で返しながら、必要な部分だけを拾い上げる。
ギルドを率いる立場になってから、そんな取捨選択が自然と身についていた。
――身につけるつもりなど、なかったはずの処世術だ。
画面の向こうの男は、年齢以上に老いた印象を与える顔をしている。
白髪は几帳面に後ろへ撫でつけられ、広い額には長年の思案で刻まれた深い皺。
肉の落ちた頬の奥で、ただその眼だけが、異様な鋭さを失っていなかった。
その眼差しは、威圧のためのものではない。
値踏みのための視線だ。
――生き残るために、人を使い潰してきた者の目。
気に食わない。
だが、ここで正面切って噛みついても、結果は見えている。
個の腕ではどうあれ、物量で押し潰される。
それが、この老人の立っている場所だ。
メサイアのプライベティアとして名は売れたが、罪の男の勢力は、所詮ライナー一隻。
補給線は一本、逃げ場も限られている。
最強であることと、勝てることは、必ずしも同義ではない。
今は我慢の時だ。
従っているのは、弱いからじゃない。
ここで拳を振るうことが、自分を最強から遠ざけると理解しているからだ。
画面の向こうの男―― ビッグ・マクマホンは、時代の変化を嫌いながらも、それを利用する術を熟知している。
舞台の中央に立たず、裏から糸を引くことに一片の疑問も持たない老獪さ。
この男が率いるのが、シビリアン・マイグレーションの時代から続く老舗ギルド、キャピタル・ウェイ。
アナーキー・トレインの混乱期を経て、今や『連盟』と呼ばれる巨大シンジケートの中核を担う存在だ。
腕に自信はあっても、組織としては勝ち目がない。
その事実を、ウーは誰よりも冷静に理解している。
――理解している。
だが、納得しているわけじゃない。
(クソジジイ…… いつか、強制排出にしてやる)
無表情の仮面の裏で、青白い衝動が静かに燃える。
それは権力欲ではない。
ただ、誰よりも強くあり続けたいという、純粋で暴力的な欲求だった。
「うちは連盟には所属してませんが、雇い主への義理は通しますよ」
マクマホンは、画面の向こうでわずかに顎を引いた。
それだけで、場の空気が変わったのがわかる。
『そうか。 なら話は早い。 シナーマン、お前のところに一件、回したい話がある』
来たか、と内心で吐き捨てる。
仕事―― つまり、断れない話だ。
『パンドラ・グローブだ』
その単語を聞いた瞬間、ウーの思考が一段、冷えた。
メサイアが警戒線を引き、IPSアーミーとプライベティアが入り乱れている秘匿地。
表向きは未開地、裏ではV5の管理下に置かれている―― そういう類の場所だ。
噂はいくらでも耳に入っている。
地下に大規模な遺構が眠っているだとか、ワイルドコードのように朽ちたデータが異常堆積しているだとか。
プライベティアの間では、いつの間にかダンジョンなどという軽い呼び名まで定着していた。
だが―― 遊びじゃない。
ああいう場所は、攻略するものじゃない。
押さえるものだ。
メサイアを含めたV5という仮想世界の支配者たちは、それをよくわかっている。
先に踏み込み、先に犠牲者を積み、価値と危険度を天秤にかける。
使えると判断した段階で、初めて本隊が動く。
随分前から、パンドラ・グローブ周辺の仕事は連盟が実質的に独占している――。
そんな話だけは、嫌というほど聞かされていた。
「なるほど。 でっ、調査か―― 掃除か―― どっちです?」
軽口を叩きながら、ウーは内心で逃げ道を探る。
だが、そんなものは最初から用意されていない。
『両方だな。 どうもネズミが入り込みそうだという話でな――』
マクマホンは、面白がるように薄く笑った。
『まあ…… 正確には、そいつらより先に入ってもらう。 なーに、ほんの二、三日、ネズミ避けに動いてもらえればいい』
要するに、人柱だ。
ウーは唇の裏で舌打ちする。
フェデレーションのやり口は、昔から何一つ変わらない。
若い力を投げ込み、使えれば囲い、潰れれば切り捨てる。
「報酬は?」
『悪くない。 それに俺からメサイアに口を利いてやろう。 今後は機体の融通も効きやすかろう』
その一言で、ウーの視線がわずかに鋭くなった。
機体。
それは、最強であり続けるために、今のウーが唯一欲しているものだ。
権力じゃない。
名声でもない。
ただ、次の戦場で、次の強敵を叩き潰すための爪だ。
(……クソが)
餌だとわかっている。
だが、噛みつかなければ、次はない。
「承知しました。 引き受けましょう」
『いい返事だ。 期待しているぞ』
満足げな声を聞きながら、ウーは確信する。
この老人は、最初から自分が生き残る前提で使っている。
――そして、死んだとしても構わないとも考えている。
フェデレーションなど、ブラックアウトの混乱に乗じてアガリを決め込んだ連中に過ぎない。
だからこそ、許せない。
(でかい祭りが一つ起きりゃ…… おまえらの時代は終わりだ)
青白い衝動が、静かに熱を帯びていく。
『ああ、それとネズミの話だがな。 どうやらアルマナックとかいう連中らしい』
「――アルマナック?」
その名を聞いた瞬間、ウーの脳裏に、青と白、赤のロゴが入ったトリコロールの機体が浮かんだ。
『現地はせがれに仕切らせている。 頼んだぞ』
(親子揃って、血を吸う気かよ)
ビッグ・マクマホンはそこまで一方的に喋ると、通信を切った。
ブリッジの窓のシェード処理が解かれ、ついで照明が点灯する。
「アルマナック…… アルマナックねぇ――」
罪の男と呼ばれるウー・シェイフーは、不意に出てきたその名前で、とあるCFのことを思い出していた。
たぶん、二回墜としたはずだ……と。
二回目に戦った時は、随分とスタイルが変わっていた。
確か最初に墜とした時は、素人丸出しだった。
普段ならそんなヤツは相手にもしない。
だが―― 一瞬とはいえ、そんな素人が、面白い芸当を見せたのが印象に残っていた。
【Flashback】
俺はイラつきながら、自らの乗機―― ハマー・ヘロン・スペシャルのパイロットシートでイグニッションをかけた。
骨と鷺をモチーフにしたアーマーカウル。
それは単なる悪趣味な装飾じゃない。
威嚇であり、誇示であり、そして宣言だ。
――俺は、最強でいる。
それ以外は、意味がない。
コード・ユニットは通常サイズからの拡張。
出力は標準ハマー比で一・五倍。
フレームはデータ密度を引き上げ、無理を通すために強化。
軽量化のため腹部のアーマーカウルは外し、関節ユニットはオグラクラッチ製の高耐久モデルへ換装。
四肢のサスペンションはオーリンズの定番データ。
インジェクションは最適化、サブルーチンは徹底的に詰め直し。
エギゾーストはメサイア製ボクサーツインと相性最優先で、アクラポヴィッチのフルデータ――。
効率、出力、耐久。
そのすべてを、限界の一歩手前で釣り合わせた。
正式名称、カムフォート・カスタム・ヘロンスペシャル。
CFのチューニング屋、レナード工房で払い下げられたハマーを、完全に作り替えたワンオフだ。
その時、俺たちは母艦ビーマーでトランシスコ・ベイへ帰投中だった。
一仕事終えた直後―― つまり、気分は最悪じゃないはずのタイミングだ。
にもかかわらず、俺は不快だった。
山脈付近で、やたらと耳障りな駆動音がした。
2行程処理型。
しかも、下手くそなスープフライ。
視界に入ったのは、武装もしていない素人のCFだった。
テリトリー外で、丸腰。
自殺志願者か、現実が見えていないバカだ。
本来なら、無視する。
雑魚に構っても、何の価値もない。
――放っておけばいい。
そう判断するのが普通だ。
だが、メサイアから降ろされたばかりのR100Sを持ち出して、そいつを追い回し始めた連中がいた。
五機。
俺の許可なしにだ。
試し撃ちのつもりか?
遊び半分で?
その時点で、もうアウトだ。
半年前。
俺はこのギルド罪の男の前リーダー、サル・ドメネク・ペレスを叩き出した。
文字通り、このインター・ヴァーチュアから強制排出してやった。
生きているか?
死んだか?
知る必要もない。
それ以来、プライベティアとはいえ使いっ走りだった罪の男を、ハマーを払い下げられる立場にまで押し上げたのは俺だ……。
今や、このギルドは俺のやり方で回している。
――それでも、半年経っても理解しない馬鹿がいる。
「あー……もう。 あいつら、イラねぇ」
自然と、そう口に出ていた。
「よし―― 強制排出しちまおう」
俺がヘロンを発艦させると同時に、ブリッジのトニーへ通信を繋ぐ。
全天円球モニタに開いたウィンドウ。
そこに映ったのは、ネイティブ・アメリカン特有の彫りの深い鼻梁と、赤黒い肌を持つ巨躯の男だった。
長い髪を背中で束ね、分厚い上裸に、罪の男のカラーズが入ったレザーベスト。
俺の副官、トニー・ランダム。
「トニー。 あいつら、どこだ?」
『奴ら西です。 それより、お頭―― 面白いことになってますよ』
「あぁ?」
操作音。
別のウィンドウが並んで開く。
『例のスープフライが、R100Sにタックルかまして一機、墜としてます』
映像には、小銃を乱射するR100Sへ突っ込み、肩からコード・ユニットのクランクへ迷いなく食い込むCFが映っていた。
俺は舌打ちした。
「――ふざけんなよ、オイ…… 撃ち落とさねぇで遊んだ挙句に、ラッキーパンチをキメられたってかよ」
面汚し。
本気で要らない。
「トニーよ。 もうヤっちゃうけど、いいよな?」
『ご自由に。 できれば機体は回収したいですが』
「悪ぃ。 諦めろ」
トニーは首を横に振りながら通信を切った。
今のところ、罪の男で俺のことを理解できているのは副官のこいつだけだ。
――わかるヤツだけ、残ればいい…… だから迷わない。
これは仕事じゃない。
処理だ。
選別だ。
最強でいるために、不要なものを落とすだけの話。
俺はパイロットシートに荷重をかけ、ヘロンの機体を西へ向けた。
トリコロールカラーのCFは目立つ、すぐに目に止まった。
そこで、俺はほんの少しだけイラつきと退屈を忘れることができた。
不要なマヌケどもに強制排出という粛清を与えるつもりできたが、そこには予想外の光景があった。
残っているのは二機だけ。
最初にタックルを喰らった一機はとっくに墜とされているとして、さらにもう一機の姿が見当たらない。
そして―― 古い2行程処理型が、さらに別の一機に組みつき、拳を顔面へ叩きつけていた。
何度も…… 何度も。
その姿を目にした瞬間、俺の中から愚か者たちへの怒りも、興味も失せた。
代わりに湧いたのは、ほんの少しの好奇心。
――試してみたい、という衝動だった。
速攻で、粛清対象から正真正銘、その場の邪魔者となった二機をスーパースレッジで叩き潰した。
それから、型落ちのCFがどう出るかを待つ。
R100Sの顔面を叩き潰していたそいつは、迷いなく、まっすぐにヘロンへ向かって突っ込んできた。
スーパーマン飛びは相変わらずダサい。
だが―― 合格だ。
右のスーパースレッジを、トリコロールの機体めがけて振り下ろす。
槌に搭載された独立コード・ベースが周囲の空間を歪ませ、追加のベクトルを与えられて加速する。
それを―― 怯まず、止まらず、最小限の動きで回避。
驚き。
間髪入れず、左のスーパースレッジを振り下ろす。
必殺の一撃を、ロール一つで、紙一重にかわす。
困惑。
次の瞬間、青と白のアーマーカウルをまとった腕が伸びてきた。
狙いは正確―― ヘロンの頭部。
その腕へ、右のハンマーの槌を握り込み、叩きつける。
ここで、ようやく相手の動きが止まった。
そして、左のスーパースレッジ、四撃目。
背中へ叩き込む。
機体は腰部で上下に断たれ、上半身と下半身が引き裂かれるように分かれて、落ちていった。
(……あーあ、終わっちまった)
実力差も、機体差も、結果も明白。
必然の結末だ。
それでも―― あまりに呆気ない終わり方に、俺は失望というより、オモチャをやりすぎで壊したような感覚を味わっていた。
【Present Day】
キャプテンシートの上で、そんな記憶を反芻し、苦笑いする。
「どうなさったんですか?」
気配もなく、トニーが背後に立っていた。
「連盟の年寄りと話した後で、機嫌がいいなんて珍しいですね」
「なあ、トニーよ。 あのアルマナックの、青と白の古くせぇCF……名前、何だった?」
トニーは一瞬考え、すぐに頷いた。
「γです。 ヘッド」
「そうか……γか」
あの時のスーパーマン飛びの素人は、確かにビギナーズラックに恵まれていたのかもしれない。
だが、偶然でヘロンのスーパースレッジを二度もかわせるものだろうか。
しかも、どう見ても中古の型落ちCFで。
仕留めてしまった以上、確かめる術はなかった。
――そのはずだった。
結果として、ウーはだいぶ後になって、そいつともう一度刃を交えている。
その再戦が、予想外に面白い形になったことも含めて―― だ。
「トニー。 次の仕事はパンドラ・グローブだ」
そう告げてから、ウーは一言付け加える。
「――俺のヘロンも準備しとけ。 今回は最初から出る」
「アイアイサー」
忠実な副官は、いつも通り感情を表に出さず、即座に応じた。
γとの二度目の対決。
それは、少なくともウーの中にあった原則にとって、唯一のイレギュラーとなった。




